第15話 優也の記憶 その3

 ある日。


 僕が明莉と交流を始めてから何年かして、丁度中学に上がってからすぐのことだった。その間、別に特別なことはなくて、公園で遊んだり明莉が僕の家に来て一緒に夕食を食べたり。


 そんなに頻度高く毎日というわけでもなくて、月に一回程度。間隔があいたときは三か月に一回とか。そんな具合で、でも何年も二人で過ごしてきて。中学に行くことになった明莉と、二人並んで公園のベンチに腰かけている時だった。


 その日、明莉はずっと無言だった。僕は、場を和まそうとして何度も話しかけたけど、明莉は何か重いものを抱え込んでいる様子で返答をしてこない。と、明莉がいきなりぽろぽろと涙を溢し落とし始めて、驚く。明莉は、胸につかえてきたものを抑えきれなくなったという様子だった。


 ここ最近の明莉は、出会った時のような情緒不安定な様子はなくて落ち着いていたから、僕も安心してよかったと思っていた矢先のことだったので、戸惑ってしまった。そのうち明莉は、顔をぐちゃぐちゃにして、嗚咽し始める。押さえていたものが決壊したという様子で。


 僕はどうしてよいのかわからない。でも、明莉をそのままにしておくこともできなくて、そっとその泣きじゃくっている明莉を抱きしめた。


 明莉は、僕の胸に縋りついてきた。感情をぶつけるようにひとしきり嗚咽を続けたのち、顔を上げて僕を見つめてきた。明莉の涙と鼻水に濡れた顔は目が充血していて、多分昨日は寝てなくて泣きはらしていたんじゃないかって思える程赤くて。その明莉が、すがるように僕につぶやいた。まるで捨て猫が拾ってと鳴くような声音で。


「一緒に逃げて……」


 僕は、明莉の言葉の真意がすぐには理解できなかった。


「逃げるって……どこに……」

「どこか遠くの、ここじゃない場所に」


 明莉のセリフに、頭が真っ白になる。


「私は……もう逃げるしか……」


 明莉は、縋りつくような顔で、訴えてきた。僕は固まって動けない。何も言えなくて、何も反応できない。二人で見つめ合う時間がしばらく続いてから、明莉が目を離した。


「ごめん……なさい。まだ中学になりたての優也に……滅茶苦茶なお願いだったわ。ごめんなさい。忘れて」


 明莉はそう言ってから、自分の腕で顔をぬぐった。


「全然気にしなくて大丈夫だから。ちょっと困ったことになって、混乱してただけだから」


 その明莉の様子は全然大丈夫そうには思えない。


「でも……」


 僕は言葉を継いだけど、明莉は顔を無理やり明るい物へと変える。


「冗談。冗談よ。一緒に逃げてとか……本気にしないで」


 ふふっと、朗らかに笑う明莉。でも僕にはその明莉の言葉が全然全く欠片も冗談に思えなくて。僕にはその明莉をどうすることもできなくて。


 翌日に中学校のクラスで会ったときにはいつもの明莉に戻っていたんだけど、きっとあの時からいま学園を制圧するまではずっと繋がっていたんじゃないかって思える。


 僕の記憶に焼き付いた明莉の泣き顔は、もう僕には自分ではどうすることもできなくて消すことができない。


 その明莉の顔がぼやけてゆき……。


 気付くと、暗い天井が僕の目に映っていた。

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