第14話 明莉の記憶

 閉じ込められた倉庫の様な教室。崩れかけのソファの上で、明莉は優也と一緒に休んでいた。


 優也を見る。目を閉じて寝息を立てている。眠っている様子。


 どんな夢を見ているのだろうか。小さい頃から幼馴染として一緒に遊んですごしてきた男の子。


 でも、優也は明莉の置かれていた本当の生活には踏み込んでこなかった。いや、明莉がそこに優也が入り込んでくるのを拒んでいたというのが正しい。


 それは明莉の防御反応であると同時に、優也をこの場所に踏み入れさせてはいけないという思いやりだったのかもしれないと、今は思う。


 私が……優也の身を案じていた?


 そう考えて、ふっと笑ってしまった。私がそんな「いいヒト」のはずがない。人間の欲望と血にまみれた私は……そんな綺麗な生き物ではない。


 確かに私の見目は整っている。年頃の美少女として立派に通用するし、人間の油断を誘い警戒心を和らげる必要があって、中学になり学園に通うようになってからは身なりにはお金をかけてきた。


 だからこそ、私を貪ろうという男が近づいてきて、私はその獲物を狩ることでこのセカイを生き抜いてきたのだ。ナイトメアの血筋として生まれて、自分自身を極上のエサと見せる生き方しか選べなかったともいえる。


 優也の寝顔を見ていて、何故だかは分からなかったけど、昔の苦い記憶、忘れ去りたくて消し去りたい、でも悪夢の様に私の心の中に染み込んでしまった映像が浮かぶ。


 明莉は、口内に広がる苦汁に悶えるが、どうしようもない。



 ◇◇◇◇◇◇



 私と母が住んでいたアパートは、木造二階建てのボロ屋の一室で、ニュータウン中心地からは少し外れた郊外にあった。


 家賃が安かったのが理由の一つ。周囲に建築物が少なく人目に付きにくかったのが理由のもう一つだった。


 そんな、母と隠れ住んでいた家に、私が中学に通い出してからのある日、母が男を一人連れてきた。私は何もわからないうちに制服を着るように言われて……。畳の上の布団に連れていかれて……。いきなり、来た男に押し倒された。


「い、いやっ!」


 突然の事で混乱する私に、男が野獣の様に絡みついてきて、私の服に手をかける。太ももを撫でまわされ、胸を鷲掴みにされる感触に怖気が走る。


「やめてっ! いやっ!」


 必死に抵抗する私だったけど、少女ながらナイトメアだった私の力は大の大人よりも強かったけれど、その男もナイトメアだったようで力づくで組み敷かれる。


「なんの為にここまで育ててきて、お金をかけて中学に入れたと思ってるの? 引きこもりとJCじゃ値段が違うのよ」


 窓枠でタバコをふかしている母の無慈悲な声が耳に聞こえ……。男が私の胸をまさぐりながら、その生臭い口を近づけてきたところで、私の中で何かが切れた。そして気づいたら、私は男の首を刺し貫いていた。ポケットから取り出した護身用のナイフで。


 ぶしゅーっと、男の頸部から血が噴き出して私に降り注ぐ。男は、糸を失った操り人形の様に、私にかぶさるようにして動かなくなった。


「…………」


 男の下で、まだ呆然と、事態がわからないで真っ白な私。やがて状況を理解し始める。犯されるのが嫌で殺してしまったんだってわかって……。


 あ、ああ……。あああああーーーーーっ!!


 私は、叫んだ。気が狂わんばかりに男の下から這い出て、逃げる様に壁に張り付いた。それから、がくがくと頭を抱えて震え始める。


「殺しは初めてだったのね。意外」


 母の冷たい声がどこか遠くから聞こえてくる。


「仕方ないわね。なら、選びなさい。男に抱かれて生きてゆくか。あるいは殺して生きてゆくか」


 そう告げてきた母に、震えながらも恐る恐る目を向ける。


「私もあなたも、普通には暮らしてゆけない。ナイトメアだから。政府に罪人として追われる中で生きてゆくには、『エデン』の庇護が必要。庇護を受けるには金がいる。あなたくらいの美少女ならみな大金を払ってくれると思ったのだけど、そんなに嫌なら……」


 母が決断を迫ってくる。このとき、もしかしたら何か違う道を選ぶこともできたのかもしれないと、今なら思う。でもそのときはまだ中学になりたての少女で。初めてヒトを殺してしまったという重圧に押しつぶされそうな心の状況で。私にとっての選択は一つしかなかった。


 そうして、私はナイフを持って夜の街に出てゆくようになった。エデンの指示の元、ターゲットとなる人物を殺すために。



 ◇◇◇◇◇◇



 ソファに寝ている明莉は、悪寒に震える自分の身体を抱きしめた。忘れようとして忘れられない映像。起きていてもふと思い出し、眠っていても夢の中に出てくる。逃れられない、犯されそうになったときの厭悪と、初めて殺してしまったときの恐怖。


 ふぅと、明莉は心を落ち着ける為に大きく息を吐いた。机に乗っているお茶に手を伸ばし、喉を潤す。優也の持ち物だけど、身体が水分を要求したし、昔の記憶に揺さぶられている明莉にはそれを意地で拒む余裕もない。


 ごくごくと飲んで一息ついてから、思ったよりも水を消費してしまったと反省する。この部屋には飲み物も食べ物もないだろう。学園は制圧下にあって、教師や生徒たちを教室に押し込めているので助けに来る者はいない。政府配下の部隊が来るかもしれないが、それは明莉たちが敗北した後の事だ。


 サーヤが何を考えているのかはわからず、後は泉田先生が助けに来てくれることに望みをつなぐくらいかもしれない。考えていたよりも、この閉じ込められてしまったという状況は深刻なのかもしれない。


 ふぅと、もう一度吐息してから、優也を見た。すーすーと、寝息を立てている。一人でなくてよかったと、今、思った。口には出さないが、正直に言えば。


 でも……。

 

 優也は人間で、私はナイトメア。優也は優しい高校生で、私は殺人鬼。二人のセカイは交わることはなくて、一時も同じ道を歩くことはない。しかし、なぜかこの男に気を許している自分を感じて、戸惑っている。


 ただの知り合いだと思ってきた。いえ、ただの知り合いだと思い込もうとしてきた。しかし一緒に過ごしてきた幼馴染には違いなく、近くにいれば気を許してしまう部分があるのはどうしようもない。まだ短い人生の中で、この男が自分に一番近いことは否定できない。


 そこまで考えて、慌ててそれを振り払う。自分は今、学園制圧の最中で、状況下にいるのだ。弱気は禁物。あちらこちらに手を回し入念に準備をして事に及んだのだ。覆水盆に返らず。今は過去を振り返っている時ではない。先に進むべき段階なのだ。とはいえ、暗い部屋の中で、気分が暗澹たるものになってくるのを止められないのも事実だった。


 思考が堂々巡りをする。考えがまとまらない。


 どうにもならない記憶を打ち払いながら、明莉は再び横になって、暗い天井を仰いだのだった。

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