Episode39 交渉成立





陽翔はると、いくらシンクロ率が高くても、こんな非力じゃ動かしにくい。もうちょっと筋トレしてくれ」

「これが終わったら、死ぬ気で頑張るよ」

「明日、体が痛いと思うぞ」

「うん、いいよ。覚悟している」


 ノアが手配した警察の特別車両に乗る。

 もちろん無免許だし、運転技術も無い。だが、全く不安は無かった。

 シアンと砥綿井とわたいは、とある埠頭で接触する予定になっている。

 もともと陽翔はるとの姿をしたシアンが砥綿井とわたいと接触するのだ。陽翔はると自身が行っても問題は無い。


 計画は事前にノアに指示し、ノアはシアンの計画の不足分も補い、更に新しいプランを立てた。

 

 ノアは警察の動きを完璧に掌握し、無関係な人が巻き込まれないように周囲を完全に包囲してみせた。ICSPOもAIの力に納得するしか無かった。

 法的な問題は棚上げするが、ノアのプランに従えば無免許の陽翔はるとでも車を止められることも無い。


 ノアの運転サポートで最短ルートを通り、目的の場所に到着する。


 埠頭で待つ砥綿井とわたいは、相変わらず蔑むような目を向けてきた。

 研究者として向ける嫉妬の裏返しだと思うと、納得ができる気がする。


「例のものは持ってきたか?」


 陽翔はるとはポケットから、クラウドストレージの解除キーを出し、砥綿井とわたいに見せつけた。


「先に七瀬さんを返してください」


 砥綿井とわたいの顔色が変わる。

 従順でない陽翔はるとに、理不尽な怒りを覚えているようだ。

 だが、思い直したように不敵な笑みを浮かべた。


「まぁいい」


 蒼井博士の調べた結果、シアンは雫月しずくを使って、鈴菜の奪還に成功していた。

 そして現在は蒼井博士と林教授は協力して、シアンをヒューマノイドの中に封じ込めている。


 依頼の失敗によるペナルティを恐れた暴力団の一味も、砥綿井とわたいに鈴菜を奪われたことを隠蔽して逃亡していた。


 雫月しずくは、通信記録のハッキングにより、砥綿井とわたいが、ここに鈴菜を切り札として連れてくるように指示していることを掴んでいる。


 


 雫月しずくは、砥綿井とわたいを排除するプランを、ダウンロードして通信を遮断していた。


 陽翔はると砥綿井とわたいは睨み合う。その静寂を切り裂くような、バイクのエンジン音が響いた。


 鈴菜はタンデムベルトで固定され後部座席で眠らされていた。

 雫月しずくはベルトを外し、毛布に包まっている鈴菜を腕に抱え直す。


 二人はENABMDイネーブミッドを装着して


 砥綿井とわたい陽翔はるとに近付く。

 解除キーを取られそうになるが、腕を振り払い後ろに引いた。


 砥綿井とわたいは、陽翔はるとも鈴菜も生かしておく気は無い。

 相変わらずのゲス顔で陽翔はるとを睨みつける。


 その時、雫月しずく砥綿井とわたいに向かって走り出した。

 雫月しずくは背中の湾刀を右手で握り込む。

 陽翔はると砥綿井とわたいの前に走り込み、雫月しずくの両手を掴み、動きを封じた。

 二人は数秒見つめ合う。雫月しずくの瞳は朝露を帯びたスミレのように澄んだ色をしていた。

 

 その瞳に強い意志が宿る。雫月しずくはくるりと体を反転させ、陽翔はるとに回し蹴りをした。陽翔はるとは両手で顔を庇い受け止める。

 一閃ひるがえり、陽翔はるとの手より金属のプレート状の解除キーをもぎとる。


 強風が雫月しずくの髪を巻き上げた。


 無表情の雫月しずくは、どこか儚く現実味が無い。

 しかし、ぞくりとするほどきれいだと思った。


 雫月しずくは解除キーを顔の前に掲げ、砥綿井とわたいに向かって口火を切る。


「そこの二人を排除するから、このキーとその現金を交換してくれない? お金が必要なの」


 砥綿井とわたいはニヤリと笑う。

 悪党仲間に見せるような卑しい笑いだった。


 そんな顔を雫月しずくにみせないでほしい。

 汚されるようで気分が悪かった。


「いいだろう。死体の処理も任せていいのか?」

「あなたは教師だと聞いたのだけど、合っている?」

「ああ。便宜上な」


 雫月しずくは心情の読めない無表情で淡々と機械のように語る。


「筋書きはこうよ。この女子高生を攫って暴行したのがそこにいる男子高校生。あなたは自殺をほのめかす生徒を心配してこの場所に来た。その時、痴情の縺れで女子生徒を殺害した生徒が自殺したのを遠くから見た。あなたは教師として警察に連絡する。いい?」


「ほう、なかなかだな。遠くから見たので止められなかったということか」


「そうよ。日本で殺人を犯すと死体から足が付くわ。いい? そこの女子高生に触れて証拠を残してはだめよ。わかった?」


「なるほどな」


「交渉成立でいいわね」


 次の瞬間、臨戦態勢に入った雫月しずくは、陽翔はるとに向かってハイキックを連続で放つ。

 ノアのアシストでどうにか応戦するが、段々と船着き場の岸壁に追いつめられる。


 雫月しずく陽翔はるとの胸倉を掴むと地面に転がした。


 それでも陽翔はるとは立ち上がる。


 雫月しずくは容赦なかった。

 ノアより強いのだ。

 勝てるはずは無い。


 最後に円を描くようなストロークで陽翔はるとの腹を蹴り上げ、陽翔はるとを海に弾き飛ばした。



「うわーーーー」



 陽翔はるとは叫び声と共に岸壁に消える。

 その直後、ドボンという海に落ちた落下音がはっきりと聞こえた。

 雫月しずくは岸壁の下を覗き込む。


「この寒さじゃ助からないわ」


 砥綿井とわたいは下から上まで這うように視線を動かし、薄気味悪くニタリと嗤う。


「良い腕だな。俺の配下になっても構わないぞ」

「……」


 雫月しずく砥綿井とわたいに向けて小さなナイフを見せつける。

 倉庫前のドラム缶に、もたれ掛かって眠っている鈴菜に近づいた。


 雫月しずくは鈴菜の前で片膝を付き、鈴菜の腹部をナイフで一突きしにする。

 大量の血液が地面に流れ、鈴菜の両手は力なくぶらりと垂れさがった。



 雫月しずくはゆっくりと砥綿井とわたいの前まで歩き寄る。

 冷たい光を宿した紫の目を向けてから、すっと手を出した。


 雫月しずくの殺気に一歩引いた砥綿井とわたいは、手の持っていたアタッシュケースを手渡す。


 雫月しずく砥綿井とわたいの手の中に、銀色に光るプレートの解除キーを落とした。



「早く警察に連絡しなさい」



 砥綿井とわたいは携帯電話を出し警察に連絡する。

 滑稽なくらい大袈裟に状況を説明していた。


 すぐに警察は駆けつけ、鈴菜の死亡と陽翔はるとの捜索の手配を始める。



 夜になっても埠頭はサイレンの赤で照らされていた。







✽✽✽







「いててて……」


 限界まで酷使したせいで体の節々に激痛が走る。

 おまけに埠頭の岸壁から飛び降りて、テトラポットの上に着地した時に右足の甲にヒビが入った。


「ハル。ノアのアシストでカッコよく着地に成功したのに骨折るって、ひ弱すぎだろ」

「うぅ、退院したら死ぬ気で体を鍛えるよ。それにヒビだよ」



 陽翔はるとは頑張った。

 頑張ったが、所詮しょせん虚弱体質。

 体中の筋肉が炎症を起こし、警察病院に運び込まれていた。

 全治2週間の入院生活中である。


 したのには訳があった。


 砥綿井とわたいはジャパニーズマフィアを雇って鈴菜を拉致していた。

 しかも、手配や指示をするための連絡も砥綿井とわたいは行っていない。


 この状況を考えると砥綿井とわたいのバックには、資金力を持った団体が付いていると憶測できる。

 しかも、教師という職業を偽装できるくらい力のある非合法な団体だ。

 砥綿井とわたいを排除しただけでは問題は解決しない。


 そう考えた陽翔はるとは、イピトAIとUbfOSが永久に失われたように見せかける作戦に打って出た。


 雫月しずくENABMDイネーブミッドを装着していないのを見た時は、もう駄目かと思ったが、陽翔はるとと対面した時に、現場に居るのがヒューマノイドでは無く、陽翔はると本人だと気付き作戦を中断してくれた。


 その判断してくれたおかげで、林教授が創ったENABMDイネーブミッドの新機能が役に立つ。


 ENABMDイネーブミッドを装着していなかったのは、シアンがヒューマノイドの中に閉じ込められる直前に、ノアに作戦を止められないよう雫月しずくに指示したと言うことだった。



 あと少し陽翔はるとの到着が遅ければ、雫月しずく砥綿井とわたいを排除していたであろう。雫月しずくを犯罪者にしてしまうところだった。本気で危なかった。



 林教授の新機能は、イネーブル共有機能だった。

 対象者の至近距離(1メートル以内)に入り、瞳を合わせる事により発動する。

 ENABMDイネーブミッドが対象者の脳波を拾い、UbfOSの一時ファイルを大脳未使用領域にコピーする。

 その後、7メートル以内ならイネーブル状態を維持しノアの管理下に入る。


 あの時、イネーブルを共有して、雫月はノアとARリンクした。

 すかさずノアが雫月に指示を出し、芝居を継続することができたのである。


 その後、複数人部隊でのプランを実行した。

 これはノアが一番得意とするものである。

 その証拠にシアンさえも出し抜いた。


 アグリが警察を動かし、周辺を通行止めにする。

 樹希いつきは埠頭のテトラポットで待機し、タイミングを合わせて重しを付けた人形を海に投げ込み、陽翔はるとが海に落ちたように偽装した。


 砥綿井とわたいの緊急通報電話は、アグリが受け現場から離れるように誘導する。

 その全てをノアが指揮し成功させた。



 樹希いつき陽翔はるとを見てにやりと笑う。


雫月しずくは精神鑑定を受けている。主治医は母さん。事情聴取が終わるまでは待たなくちゃな」

「うん」


 雫月しずくはICSPOに保護され、事情聴取が終わるまでは逢うことができない。


「ハルは早く怪我を治すことを考えてな!」


 あの芝居を指示する前の、雫月しずくの覚悟したような静かな瞳を思い出し、陽翔はるとは窓の外を見る。

 夜の雪がはらはらと舞っていた。

 清浄で内側からほのかに光る雪を見ていると、雫月しずくを思い出す。陽翔はると雫月しずくに逢いたい、できることなら抱きしめたい。

 こんな気持は初めてだった。男としての雫月しずくの傍にいたい。










 ---続く---


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