Episode32 エラーだらけのフルダイブ






 ノアは凍結される寸前に、アグリが基地ベースに入れるようにセキュリティの設定を変更した。

 陽翔はるとにそっと耳打ちした内容とも一致している。


 だが、おかしい。

 『misora』空間の管理はシアンがしていた。

 ノアではアグリをゲームに参加させることはできない。


 そのことをアグリにぶつけるように聞いた。

 もし最初からシアンとノアがグルなら、陽翔はるとたちは騙されていることになる。


 答えは簡単だった。

 アグリはシアンともノアとも協力関係にある。

 アグリと最初にコンタクトを取ったのはブラウだった。ブラウはノアとシアンを、それぞれ別々にアグリと引き合わせたのだ。


 今回『misora』にフルダイブする直前に、ブロウからメッセージが届きノアの知るところとなった。

 ノアはアグリの行動の裏付けを取ってから、陽翔はるとに耳打ちしたのだ。


「そうだ! いっくんと雫月しずくは?」


 アグリは雫月しずくという名前を、噛みしめるように口の中で呟いた。大切な言葉を心に刻むように見えたのは気のせいだろうか?

 陽翔は不思議に思いその事を尋ねようとしたが、アグリの言葉でそれは遮られてしまった。


樹希いつきくんはお父上が迎えにきたよ。雫月しずくというのは一緒にダイブしていた少女かな? 私が来る前に逃亡したようだ」


雫月しずくを逮捕するのですか?」


 一瞬アグリは動きを止めた。

 瞳に悲しみの色が映る。

 アグリは雫月しずくに対して、何か想いのようなものがある。

 気になるが、聞いてはいけない事のように思えた。

 アグリは、静かな、とても静かな声を出した。


「身柄は拘束するよ」


 アグリは陽翔はるとに外出禁止を言い渡し、鈴菜の捜索に戻ると言い残し立ち去った。




 外に出ると基地ベースは清潔な雪に覆われていた。

 アグリは振り返る。

 僅かに顔を曇らせポケットから出したのは、モノトーンカラーの古びたテディベアだった。








✽✽✽








 雫月しずくは姿を消した。

 居なくなった理由は、はっきりとしない。

 姿を消したことにより彼女も捜査対象になった。


 雫月しずく砥綿井とわたいは同じ時期に日本に到着した。仲間である可能性は、




 基地ベースに独り残された陽翔はるとは、簡単な食事をつくりカウンターテーブルに運ぶ。


 キッチンとダイニングが中心にあり南側はリビング。

 広めのベランダには、雫月しずくが花や野菜を育てていた。


 東側が陽翔はるとの部屋で、西側が雫月しずくの部屋。そして、北側は樹希いつきの部屋だった。



 この共用のリビングで、雫月しずく樹希いつきと過ごした時間を思い出す。

 樹希いつきはコーヒーをブレンドするのが趣味のため、ガリゴリと音をさせ木製のミルでいつも豆を挽いていた。良い香りをさせながらコーヒーを淹れてくれる。感想を求められるのが少し面倒だったが、樹希いつきの淹れるコーヒーは絶品で他のコーヒーが飲めないくらい美味しかった。

 雫月しずくは花を育てるのが夢だったと言いながら、花鉢に水やりをして嬉しそうにしていた。

 三人でコーヒーやお茶を飲み、食事をして、これからの事を話し合った。そんな日も確かにここにあったのだ。



 陽翔はるとは思い立って雫月しずくの部屋を開けた。

 鍵は掛かっていない。

 部屋は何の痕跡も無く片付けられていた。

 髪の毛一本、指紋一つ、残っていないだろうと思うほどに。


 寝袋も無くなったベッドサイドにテーブルがぽつんと置いてある。陽翔はるとがプレゼントした犬の縫いぐるみが置かれたままになっていた。


雫月しずく、また諦めてしまったの?)


 最後は気まずくなってしまったが、雫月しずくとの思い出は全て綺麗な色に彩られている。


 陽翔はると雫月しずくが、急に変わってしまったあの日の事を考える。

 何を間違えた。

 もう一度だけでいいから、顔を見て話がしたい。




 階段を下りノアの住処であるスタジオの扉を開けた。

 自然光が差し込まないように設計されているスタジオは、真っ暗で静まり返っている。陽翔はるとはスイッチを押し明かりを点灯した。


 広い空間は濃紺の壁に囲まれ、なんの変哲もないグレーの床が敷き詰められている。

 きらきら輝く青い海も、ノアの好きな星空も、そこにはもう存在しなかった。




 がらんとしたスタジオの奥に、フルダイブ用のコックピットが六台並んでいる。一番奥のコックピットからココアが顔を出した。

 陽翔はるとを見付けると目の前に来てお座りする。ココアも寂しそうに鼻を鳴らした。ココアの耳の後ろを撫でてから額にそっと顔を寄せた。温かい。



「ココアと僕だけになっちゃったね。これからどうしようか?」



 あの仮想空間で過ごした日々は、夢の世界の出来事のように全てが消え失せた。膝を付きココアを抱きしめる。ココアは大人しく陽翔はるとに身を寄せた。



 ノアは陽翔はるとの家族であり保護者だった。

 頼り切っていた。心細さが襲ってくる。



 シアンも敵では無く、何かの理由で一時的に陽翔はるとの身分を使っているにすぎない、すぐに元の生活を返してくれると信じていた。


 しかし、ノアは凍結され、シアンは得体のしれない物理教師の仲間となっている。ブラウも敵の手に渡っていた。


 陽翔はるとがここで一人待っていても、何も変わらない。

 ICSPOが解決するのを待っている間、何もしないなんてできない。


「ココアもみんなに逢いたい?」


 こげ茶の瞳をクリリとさせコテンと首を傾げる。

 陽翔はると一人ではない、ココアも居る。

 雫月しずくもどこかで助けを待っている。

 樹希いつきだって鈴菜が心配なだけで、本当は優しい奴だ。


 陽翔はるとは、陽翔はるとのできることをする。

 そう、それしかないのだ。


「ココアのおかげで少し元気になったよ」


 陽翔はるとはココアの頭をわしわしと掻き回した。

 雫月しずくの事も諦めたくない。







✽✽✽







「なぜ、ハルが一緒じゃねーの? どうして俺だけ家に戻されんだよ」


 書斎の机で仕事をしていた林健太郎は、ノックも無くドアを開けた息子の方向に椅子を回転させた。

 家に戻されたことについて、何度も説明したが納得できないのだろう。


樹希いつきはしつこいな。鈴菜君の行方だってわかってないんだ。関係者は自宅待機だよ」


 危ないというなら陽翔はるとだって同じはずだ。

 狙われる確率は陽翔はるとのほうが高い。


陽翔はるとは事情聴取があるから、連れて帰れなかっただけだよ。本人が希望すればこちらに来られるはずだ。これはね、国際的な事件なんだよ。わかっているのかなあ」


「ちげーよ。俺が言っているのは、なんで迎えに行ってやらねーのかって事だよ」


「『李下に冠を正さず』だよ。こういう時は、疑われるような行動は控えるべきだ。警察からみたら我々だって容疑者だ。こういうことは陽翔はるとのほうが正確に理解していると僕は思う。君は行動が先に来るタイプだね。でも、陽翔はるとなら物事の側面を理解し、良く考えてから行動に移せる。君は邪魔をせずに待っていなさい」


 これ以上、話し合っても無駄だと分かった。

 樹希いつきは、ぷいっと父親に背を向け書斎を出ていく。


 父親の言うことはわかる。

 しかし、わかるのと納得できるのは違うのだ。




 樹希いつきは自分の部屋を開け、そのに異変にすぐに気が付いた。

 ENABMDイネーブミッドのインジケータが、リンク可能状態で点灯している。


 すぐにENABMDイネーブミッドを頭に装着した。








✽✽✽








 陽翔はるとは『misora』にダイブしていた。

 鈴菜の母親である鈴子を『misora』限定でフルダイブできるように修正したのだ。


 倫理監査連との約束は、『閉鎖的領域(広域ネットワーク)での使用』だ。

 『misora』はゲームとしてリリースされているわけではない。なので、約束違反にならない。


 シアンが管理していたときは、使用済みの招待状のアドレスは二度と使用できないようになっていた。

 しかし、砥綿井とわたいはそこまで気が回らないのか、前回のアドレスがそのまま使用可能だ。イピトAIだけ用意すれば簡単に入れる。






陽翔はるとくん、ごめんね。私じゃ役に立たないかも」


 鈴子が不安そうにしている。

 彼女は「misora」の事を良く知らない。

 アシストは期待できないが、ダイブできればいいのだ。


 幸いマッピングしていた地図も使用できるし、研究者ハルトの情報もそのまま使用できる。

 陽翔はるとは隣に立つ鈴子に笑顔で答えた。


「大丈夫です。問題ないですよ」


 砥綿井とわたいが介入したせいで、『misora』の景色は一変していた。

 モンスターはやけにリアルになっているし、おどろおどろしい毒の沼や枯れた大木などがデザインを無視して配置されている。


「趣味悪いな」


 思わず声に出して呟いた。

 これから陽翔はるとは倫理監査プログラム『白』のところに行って、鈴菜を鈴子にイネーブルし直して、位置の特定ができないか確認するつもりだ。


 また、ノアを自由にしてシステムを取り返す方法を相談したい。


 そのためには前回の最終地点である、枯れたオアシスの国に行かなくてはならなかった。







 ---続く---




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