Episode28 すれ違い







「鈴菜。こんなお部屋じゃ、お嫁さんに行けないわよ。母さん心残りで、成仏できないわ。これからはビシビシいくわよ」


「そのために、イピトAIになったの?」




 鈴菜は母親版イピトAIに説教をされていた。

 星が煌めくテラリウムの前で正座して頭を垂れている。

 なかなかシュールな絵面である。

 だが、掃除する前はその床すら見えなかった。


陽翔はると君。あたしってお嫁にいけない子なのかしら。家事苦手なのぉ。頑張ったってちっとも片付かないのよぅ」


 かなり落ち込んでいるようだ。

 少し気の毒になった陽翔はるとはよしよしと頭を撫でている。


 かつての憧れの女性だった鈴菜より、今の鈴菜のが距離が縮んだ気がする。

 友達か同志という感じだ。



樹希いつきも僕も、家事はそこそこできるよ。雫月しずくみたいになんでもできるわけじゃないけどね! 家事が好きな人と結婚すればいいんじゃないかな? 元気出してよ」



 鈴菜はがばっと陽翔はるとの手を握りしめた。掃除が本当に苦手で気が重いらしい。



「そうよね。そこよね。ありがとーーー」



 鈴菜は雫月しずくにも抱き付く。

 ぜひぜひ掃除と料理を教えてほしいと。

 そんな子供たちが集まる部屋に、鈴菜の父親がひょっこりと顔を出した。


雫月しずく君でしたっけ。今日は、本当にありがとう。女の子の部屋の事だから私には言いづらくてね。困っていましたよ」


 鈴菜は顔を真っ赤にして父親に「入ってこないで。あっち行って」と我儘を言っていた。

 当の父親も怒るでもなく楽しそうだ。


(なんて、穏やかで健全なんだろう)


 雫月しずくは繰り広げられるやり取りを楽しい映画を見ているような気持で眺めていた。

 感謝の言葉がくすぐったい。自分がその世界に存在していることが不思議でしかたない。こんな風に考えてしまう自分は異質なんだと感じた。この綺麗な人たちの中で、ただ一人汚れた人間。


 雫月しずくはこの部屋など比べ物にならないくらいの不衛生な環境で幼少時代を過ごした。

 殺さなきゃいいのだろうと、虐められ殴られ、気絶した時が眠る時だっだ。


 食事だって注射器のようなもので胃に直接注ぎ込まれていた。


 ひたすら訓練を課され、人殺しの技術だけを仕込まれる。

 自分はそのために生かされている存在だからしかたないと起き上がり、いつしか涙も枯れていた。


 悔しかったら教官を殺せと耳元で囁かれる。

 それでも手を下せない雫月しずくを、誰もが役立たずと罵った。


 雫月しずくが暖かい食事を食べることができたのは、蒼井夫妻に引き取られた時が初めてだった。

 清潔な部屋に居られることが、とても嬉しかったので鮮明に覚えている。


 だからこそ、掃除や洗濯や料理を覚え、蒼井夫妻と一緒に暮らす生活を失いたくないと強く望んだのだ。

 例え、実験動物の扱いだろうと、自分の体なんてどうでも良かった。


 わがままを言う事や自身の処遇の改善を口にすることは、幸せな選ばれた人間だけができる事だと思う。雫月しずくは選ばれた人間ではない。


陽翔はると君には、鈴菜さんのほうが似合っている)


 夢のように美しい目の前の世界に、雫月しずくは迷子のような気持ちになっていた。


 陽翔はるとは家事が苦にならないらしい。

 基地を掃除して食事をつくることで、役に立てたような気持になっていた。どこまも愚かな自分が悲しい。


(ずっと一緒だと約束した。陽翔はると君と鈴菜さんが結婚しても一緒に居なくてはならない)


 敵を武力排除し、陽翔はるとを守るために使役する事を約束したに過ぎない。

 そう自分を納得させたが、雫月しずくの胸は軋むように痛んだ。


 無邪気で綺麗な鈴菜は、きれいになった部屋が嬉しいようではしゃいでいる。

 陽翔はるともその姿をニコニコと眺めていた。

 薄汚れた自分と違い、なんと清らかな二人なのだろう。


 蒼井夫妻の子供ということで、出会う前から陽翔はるとは憧憬の対象だった。


 優しくて、話していて楽しくて、いつの間にか憧れ以上の大切な存在になっていた。

 その事に気付き、翻弄されそうな自分をさげずむように目をつむった。







 家に帰るとエプロン姿の樹希いつきがキッチンに居る。

 陽翔はると雫月しずくのほうをちらりと見た。


 背の高い樹希いつきがエプロン姿で立っていると、女子がキャーキャー言いそうだ。

 雫月しずくもそうなのだろうか?


「とりあえず、手を洗え」


 そう言うとダイニングテーブルに夕食を並べ出す。

 その日の夕食はいわゆる男飯だった。


 ボリュームたっぷりのチャーシュ丼に、ピリッと胡椒が効いた豚骨だしのスープは、満腹感重視であり素直に美味しい。

 樹希いつきはぶっきらぼうに雫月しずくに言う。


「俺も陽翔はるともこのくらいなら作れるから、めんどーな時は言えな」


 少しつっけんどんなのは照れ隠しだ。

 雫月しずくの優しい味のご飯に、いつも癒されている。しかし、甘えすぎかもしれないと陽翔はるとも反省していたのだ。


「いつも、雫月しずくのご飯は美味しいし感謝してるよ。だけど、雫月しずくが大変な時もあるだろうから当番制にする?」


 雫月しずくは茫然とする。

 役に立ちたくてしていた事だ。


 だけど、そんなことは自己満足に過ぎない。

 料理をして、掃除をして、役に立ってると思いたかっただけだ。


 自分は必ずしもここに居なくてはならない存在では無い。

 この現実に雫月しずくは、再度打ちのめされていた。


「ごみ捨ても、共用部分の掃除も全部してたでしょう? 僕たち甘えすぎてた。ごめんね」


 真っ暗闇に堕ちていくような気がする。

 雫月しずくは真っ白で機能しない頭を振った。


「ううん。私は別に……」


 負担なんて思ったことは無い。

 みんなと一緒に居られて、喜んで貰えて幸せだった。

 そう言いたい。

 だが、口が乾いて上手く言葉がでない。


「鈴菜さんだったら、もっと……」


 鈴菜だったらもっと上手に甘えて、みんなに好かれるのに。

 どんなに頑張ったって自分は部外者だ。


「鈴ちゃんだったら、僕たちも甘えてないね。ごめんね」


 陽翔はると雫月しずくにもっと楽をしてほしかった。

 そして、自分を大切にしてほしかった。


 気を使って陽翔はるとたちの世話をさせていたようで申し訳ない。

 樹希いつき陽翔はるとと同じ意見だと思う。





「つか、全部、雫月しずくだけがやらなくていいだろ。俺が当番表をつくっておくよ」


「いっくん、よろしく」






 雫月しずくは段々悲しくなってきた。

 少しは仲良くなれたと思ってたことは、ただの勘違い。

 所詮しょせん自分は、皆と違うのだ。



「わたし、余計な事ばかりしてごめんなさい。鈴菜さんの部屋だってわたしが掃除しちゃったから……」



 辺りに気まずい空気が揺れる。

 陽翔はると樹希いつきもとても反省した。



 家事を押し付けて放置し、おまけに鈴菜の汚部屋まで片付けさせた。

 雫月しずくは組織から逃げてきて、身を寄せる場所はここしかない。



 そんな立場で部屋の片づけを命じられたら、嫌な事でも断れないはずだ。




「ご、ごめんね。鈴ちゃんも悪い子ではないと思うんだ。僕も、……もっと手伝えば良かったね」


「俺たち、何も考えてなかった。すまない」





 陽翔はると樹希いつきも慌てて弁解を始めた。雫月しずくは余計に申し訳ない気持ちになる。



「食事の支度も掃除も全てわたしがします。本当にごめんなさい」



 陽翔はると樹希いつきは慌てて否定した。

 雫月しずくを悲しませたい訳では無い。


 結果、当番制となることが決定した。


 これ以上言ってもしかたが無い。雫月しずくは自分の気持ちに蓋をして微笑んだ。


 どこまでも役立たずな、自分を恥じながら。









 ---続く---



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