Chapter7 鈴の調べは消去され、月は地面に落下する。太陽は空に昇れるのだろうか?

Episode29 家族の分岐路





 それからの雫月しずくは生気がなく、存在自体が希薄になっていた。陽翔はるとが話しかけても模範解答のような答えしか返ってこない。

 ノアと比べると、雫月しずくのほうがAIなのではないかという雰囲気だった。






 例えば、「元気が無い、どうしたのか?」と聞くと、笑顔を見せ「なにも問題ないわ」と答える。


 雫月しずくの心は完全に閉じていた。

 陽翔はるとにも樹希いつきにも、何が原因なのかわからない。



「いっくん。雫月しずくのこと、どうしたらいいと思う?」

「ハルはどうしたい? 好きなんだろう?」



 雫月しずくは両親から託された大切な人で、よこしまな想いがある訳ではない。

 ただ、ずっと傍にいてほしいと思っていた。



「そんなんじゃないよ。僕の両親から託されたんだ。妹だよ」



 雫月しずくは部屋の扉を開けようとしたところで、その会話を耳にしてしまう。

 『妹』その言葉に傷付いたように胸が痛む。

 そのまま通路の影に隠れ、完璧に気配を消した。





 樹希いつき陽翔はるとから瞳を逸らす。

 嫌なことを言い出す前の少し歪んだ顔をしていた。


 彼は時に利己主義になる。

 それは悪いことではない。

 ハッキリと切るべきものを選択するが、それは周りの為であり陽翔はるとの為でもある。


 それが時々、陽翔はるとには恐ろしく思えるときがあるのだ。




「なぁ、ハル。お前の両親との関係だって本当の事を言っているとも限らないだろ? 人体実験をさせられていたら、心の底で恨んでいたって不思議じゃないって」



 壁の隅で雫月しずくはハッとした。

 人体実験。

 それを恨みに思うほど恵まれた環境じゃなかった。


 その日に起こる事をやり過ごすしか方法が無い人間に取って、人体実験の為でも大切にされるのは嬉しい事だった。


 恨んだり憎んだりするなんて考えたことも無い。

 雫月しずくは音を立てないように自分の部屋に戻った。もう聞いていられない。






 陽翔はるとはキッと樹希いつきを睨む。

 いくら樹希いつきでも、言っていい事と悪いことがある。


 あの夜、小さな公園で雫月しずくと心が繋がったような気がした。

 陽翔はるとの両親を恨むなんて無いはずだ。

 話した内容のどれを取っても、雫月しずくが嘘を吐いているとは思えない。


「いっくん、雫月しずくはいい子だよ。悪く言うのは止めてよ」


「ハルがそう思うならいんじゃね。ただ、ここまでこじれると裏切ったっておかしくはねーよ。多分さ、雫月しずくは、ちゃんとした身分とか国籍とか無さそーじゃん。どっちにしろ、一緒に行動するのは今だけだよ」


 樹希いつきはもう話すことは無いと背中を向けた。

 後ろ手を振り部屋に帰っていく。


 時間が解決するのを待つしかないのだろうか?

 陽翔はるとはぼんやりと、窓の外の木が葉が落ちるのを見ていた。もうすぐ冬休みだ。



「エルフの耳が現実世界でもあればいいのにな」







✽✽✽







 鈴菜に突然連絡がとれなくなったのは、冬休みに入る終業式の日だった。

 父親に外泊する旨のメッセージを、メールで送った後に姿を消したのだ


 鈴菜は知人の家に遊びに行っても、外泊はしたことがない。まして、そこまで親しくしている知人は、陽翔はるとたち以外にはいないのだ。


 学校とは不思議なもので、スクールカーストの上位に居る者は、必ずしも優秀で目立つ生徒ではない。

 鈴菜は一目は置かれているが、女子の中では浮いた存在なのだ。


 女子グループに所属していない鈴菜が、知人の家に泊まりに行く。悪い予感しかしない。


 母親の鈴子が異変を感じ、ENABMDイネーブミッドで呼びかけたがいつまで経っても返事が来ない。


 鈴菜の母親はUbfOSを主体とした広域のネットワークにしか接続されていない。

 そのためノアが鈴菜を探索たんさくしたが、鈴菜を探し出すことはできかった。


 スマートフォンを介してインターネットにつながっているはずの、鈴菜のENABMDイネーブミッドがどこにも無い。


 ENABMDイネーブミッドが故障した場合は緊急時のバッテリーが動作し、救助信号を発信する仕組みになっていた。

 また、イピトAIに紐付けられた、持ち主以外が使用した場合も救難信号が発信される。



 ここまで行方がわからないとしたら、他のイピトAIに制御が移り、意図的に隠されているとしか思えなかった。





 雫月しずくがノアの命令を受け、鈴菜の足取りを調査する。

 陽翔はるとは自分が捜索したいと申し出たが、陽翔はるとの存在が表に漏れるリスクがあるからと却下された。


 しかし、優秀な暗殺者である雫月しずくが調べても、鈴菜の足取りは掴めない。学校から出た形跡が無いのだ。


 また、校内のいたるところを探したが、何の手掛かりも見つけられない。


 樹希いつきがクラスの子たちに聞いても何も変わったところは無かったという事だ。






 イピトAIが関わっているのなら、シアンの関与を疑うしかない。


 この件に鈴菜を巻き込んだのはシアンだ。





 樹希いつきは廊下を歩いていたシアンに近寄り、肩を鷲掴みにして耳元に問いかける。


「鈴菜が自宅に帰ってない。アンタが鈴菜を俺たちに引き合わせたろ。なんか知らねーの?」


 途端に周りの同級生たちがざわつく。

 学校でよそよそしい陽翔はると樹希いつきには、喧嘩中であると噂が立っていた。

 噂が噂を呼び、三角関係が拗れただの、どちらかが浮気しただのとんでもない憶測が飛び交っていた。なんとも同情的な生ぬるい視線の餌食にる。


「……」


 知っているな、と直感的に思った。

 だが、口を割るつもりはないらしい。



「ていうか、なんで暗号通信のパスワード変えたの? 後ろめたいことがあるんじゃないの?」



 シアンは冷めた瞳で樹希いつきを見上げ、興味なさそうな様子をみせる。

 シアンの素の表情が出ている。

 陽翔はるとにそんな顔できるはずないだろうと樹希いつきは思った。


「もう一個聞いていい? 雫月しずくはこの件に関わってねーの?」


 シアンは侮蔑を込めた目を向けてきた。

 自分の仲間を疑っているのか、とでも言いたそうな目線だった。



 シアンは拒絶の意志を見せて樹希いつきから遠ざかる。



 樹希いつきは真実が知りたいのだ。

 だが、父親に聞いてもシアンに質問をぶつけても、納得いくような答えは返ってこない。


 これまでの行動を考えると、ある一つの結論が出てしまうのだ。




 物理教師の砥綿井とわたいは蒼井夫妻と過去に因縁の関係があり、樹希いつきの父親の林教授と繋がっている。


 シアンと林教授は協力関係にあり、砥綿井とわたいを使ってUbfOSとイピトAIを手に入れようとしている。


 だが、樹希いつきのだ。


 自分の父親が良心以外の邪悪な考えで、陽翔はるとを育てていたなど。


 そして、だ。


 両親と陽翔はるとと自分で、これまで過ごしてきた時間を。






 樹希いつきはシアンの背中を見送る。


 万が一父親が陽翔はるとの敵の場合は、陽翔はるとの味方になりたい。


 兄弟以上の親友だ。二人で過ごした時間は誰よりも長い。





(俺は、その時が来たら父親を切り捨てられるのか? 陽翔はるとか親父かどちらかを選ばなければならない)





 苦しい気持ちをぶつけるように壁を拳で殴った。

 林教授は樹希いつきの大好きで尊敬する家族なのだ。








 ---続く---

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