Episode9 ハヤシライスと『misora』ファンタジー





 細い石畳の道は緩やかなカーブを描き、道沿いには宿屋、道具屋、武器屋などの店が立ち並んでいる。


 絵本で見るような北欧の街。

 仮想世界とわかっていても、人々の息遣いまで感じるような風景だ。



 UbfOSは、脳に直接情報を与え、映像・触感に関しては、脳が本来持っている感覚補正機能を活発化しデータリンクさせている。


 そのため、本物としか思えないようなリアルな異世界が再現されていた。





 花売りの少女が緑の瞳で、陽翔はるとを覗き込む。


 会ったことがない人物だ。

 すべすべとした肌や色彩豊かな服のリアルな質感。

 さらりとした緑の髪に絹糸のような光沢が見える。



 データの提供が画素の荒い映像でも、脳の補正機能によって滑らかに動作をしているのなら、脳そのものがCPUの役割を果たしているという事になる。




 花を購入すると、1クォーツだった。

 通貨はクォーツといい、現在の所持金は100クォーツである。


 コインを実体化した。

 現実世界では作れないような、透明な水晶のコインだった。


 花売りの少女に渡すと、お礼だと言って、「酒場で傭兵を雇うことができますよ」とそっと耳打ちしてくれた。


 人々は朗らかで、話しかけると嫌な顔もせず、いろいろな話をしてくれる。


 人間は多面性があるが、AIには裏の顔が無い。

 ここは、そういう世界なのだ。




 その安心感に陽翔はるとも肩の力が抜けた。

 現実の世界より仮想世界のほうが、素直にありのままの姿をみせられるような気がした。




 人々の話を総合すると、この国は『龍』が神として国を治めている聖国であり、この国の女神は、武芸に優れている者を探している。

 近日中に武芸大会が開かれる予定だ。これが最も重要だと思う。


 武芸大会の優勝者は大陸の中央にある『氷の塔』へ行き、囚われた聖獣を開放すれば、大地の力が手に入るという触れ込みだ。


 また、街の人々のほとんどが普通の人間だが、稀に神龍族という、龍の血を引いている人がいるそうだ。

 力の強い者は、魔法が使えたりする。

 さらに最上位の者たちは龍に変身することができるらしい。



 ここのクエストは傭兵を引き入れ武芸大会に参加し、優勝しろということだ。


 『傭兵』に会うために酒場にも行ったが、昼間のため店は開いていなかった。

 酒場の女将が店の前で履き掃除をしていて、傭兵に逢いたいなら夜に来るように言われた。

 未成年だがいいのだろうか。




陽翔はると、ここはセオリーに従い、レベル上げだと思う。外に出て戦おう」


「戦うなんてやだよ。平和的に話し合えないの?」


「経験値と金をくれって、モンスターに言うの? 無理だな」


「でもぉ」


陽翔はると。大丈夫だよ。オレが言うのもなんだけど、斬られても痛くも痒くもない。ファイトポイントが無くなるだけだ。ドロケイと同じだよ。一定時間、動けないだけ」


「ゲーム得意じゃ無いんだよね。僕は手芸派だから」


「そんな派閥ないだろ」


「うるさいな」


「こちらの世界で使われているのは、一部の触覚だけで、痛覚を含む重要な神経の制御は本体に残されている。体のほうに危険があったとき、起きなければまずいだろう?」


「僕の小学校ではケイドロって呼んでた」


「そこは重要じゃないでしょ? つべこべ言わずに行くよ」






 ノアに引きずられるようにして、街外れの通用門から草原に出る。

 数歩進んだだけでモンスターが攻撃をしかけてきた。


 ここで、ココアが意外なスキルを発動させた。

 索敵と威嚇スキルである。



 モンスターが姿を現わす前に遠吠えで威嚇し、魔物からの先制攻撃を押さえるのだ。



 威嚇スキルを浴びて攻撃が遅れたのは、頭の真ん中にツノがあるウサギのような生物だった。


陽翔はると、行け!」

「小動物を殺すなんて、やだよ」

「うるさい。陽翔はると。ちなみに、『倒す』な」


 チュートリアル機能で体を無理やり動される。

 弓を放ったら、命中してウサギが消えた。

 軽快な音楽と共にレベルが上がる。


陽翔はると、その調子」


 最初はスライムとか、ふさふさ毛皮の狼や一本ツノのウサギが相手だった。

 どこか愛嬌があって可愛らしい敵たちだった。


 陽翔はるとは反射神経がイマイチなので、ノアが支援プログラムを発動する。

 何度か繰り返すと、動きが体に馴染んできた。

 楽しい。

 臆病で体育の成績が悪い陽翔はるとでも、ゲームなら勇者になれる。まぁ、研究者だが。



 倒した敵もグロテスクに血が噴き出すということもなく、黄色のエフェクトがガラスのように割れて、はじけてから消えるだけだった。

 消える瞬間も悲壮感などは全く無い。バイバイと手でも振りそうな雰囲気だった。







 しばらく戦っているとFPが半分以下になり、大事を取って街に戻る。

 街はすっかり日が暮れ、夜特有の活気を見せていた。


 武器屋や道具屋は店を閉めているが、代わりに酒場やカジノに煌々こうこうと明りが灯っている。



 賑わう酒場の扉を開けた。

 陽気な会話が行き交い、冒険者たちは酒を酌み交わす。

 陽翔はるとたちが店内に入っても、誰に止められることも無い。


 白い髪の女性が陽翔はるとに話しかけてくる。

 ひとめで異国から来たと分かる旅装りょそうをしていた。


「わたしは、白龍のイシュタルよ。武芸大会に一緒に出場する人を探しているの。でも、あなた達はが足りないわ」


 その隣の強そうな偉丈夫も唐突に話しかけてきた。


「俺は剣士カイだ。武芸大会は四人一組の勝ち抜き戦になる。一緒にどうかと思ったけど、まだまだレベルが足りないな。優勝したら、大陸の中心にある氷の塔の秘宝が貰えるらしい」


 失礼な事を言うだけ言って遠ざかっていく。

 思わずポカンとしてしまった。


 奇襲のように現れた人物は、店の奥の定位置に戻り酒を酌み交わし始める。

 オブジェクトのテーブルと椅子に一体化でもしているようだ。

 その後はいくら話しかけても、レベルが足りないの一言以外何も言わない。



「まだまだ先に進むのは長そうだ」

「うん」


 ENABMDイネーブミッドのリンクの限界時間までレベル上げをしてから、セーブをしてログアウトした。

 時刻は夜中の十二時を回っている。


 ノアにお休みの挨拶をしてから二階に向かうが、今になってお腹がすいているのを思い出してしまった。





 今日はショックなことが多すぎて、そういえば朝から何も食べていない。

 すると、キッチンからいい匂いが漂ってきた。

 誘われるようにキッチンに向かうと、エプロン姿の雫月しずくが鍋を掻き回している。


陽翔はると君。お腹空いてない?」


 ぐーぅっとお腹が鳴った。

 正直、立っているのもつらいくらい空腹である。

 食べれると思うと鳴くのがお腹の虫。不思議だ。



「ふふ、一緒に食べる? 陽翔はると君。このハッシュドビーフ、日本ではハヤシライス? これは、未空みく先生のレシピよ。料理は全て未空先生から習ったの。いつも、陽翔はると君に逢いたいって言ってたよ」



「僕の、お母さん?」


「そう、未空先生が陽翔はると君の話をするとき、いつも優しいお母さんの顔をしていた」


 何もなかったキッチンに食器や鍋、プライパンが並んでいる。

 雫月しずくは、シャツとミニスカートのを普段着を着ていた。


 出会った時に見せた鋭さは、幻ではないかと思われるくらい普通の女の子に見える。


 彼女の経歴はノアから聞いていた。


 歳は推定十六歳で、小さい頃に組織によって拉致され、訓練された暗殺者。

 それ以外は放置されていた彼女を、蒼井夫妻は娘のように面倒を見ていた。

 そうなると、妹ということになる。


「西側の部屋を使うようにノアに言われたの」


「そっちの部屋はベッドしかなかったし、大丈夫?」


陽翔はると君たちがダイブをしている間にいろいろ買ってきた。ノアからメールで指示書が来ていて、ノアのお金を使ったから大丈夫よ」


 そう話しながら、ハヤシライスの盛られたお皿を出す。

 お皿からは温かい湯気が立っていた。

 ランチョンマットにスプーンとコップが用意されている。

 雫月しずく陽翔はるとが空腹なのを見越して食事を作ってくれていた。


 温かい食事にふれ、林の家で過ごした日々が思い出される。


 みんな陽翔はるとの大切な人達だった。

 どうして引き離されなくてはならなかったのか。


 陽翔はるとがスプーンを持つと、冷蔵庫から小さな器に盛られたサラダが横に置かれた。




 陽翔はるとはハヤシライスを一口スプーンですくい口に運んだ。


 口の中に広がる香りに何かを思い出しそうになった。

 泣くつもりなんて無いのに、自然と涙が頬を伝う。

 

 煮込まれた野菜がとても甘い。

 ワインの味は強くない。

 市販のルーとは全く違う味。


 ふと、母の面影がよぎる。

 顔はあまり思い出せない。

 声は聞けばわかるだろうか。


「ハヤシライスは陽翔はると君の大好物だって、いつも言ってた」


 悲しいわけでも無い。苦しいわけでも無い。

 ただ、懐かしくて涙が出てくる。

 両親のことはほとんど記憶にない。

 だけど、この味は知っていた。






 ---続く---


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