挿話0-3 ミヤハ・トル二アの日常

 鳥になって空を____。

 そんな希望はありきたりだ。

 ならばせめてウーシアの祝福を、そう思ったほうが少しだけ現実的だ。



 「マットル、あなた、最近変よ」



 私は、幼馴染の少年の顔を下から仰ぎ見て言う。

 この牢獄に来てから、六年が経つ。

 それでも、装ったような元気もあったが、人というのは環境に慣れるものだというのを、最悪な形で知ったのも事実だった。



 「変?俺が?______変なのはお前等だ。カイラースも、タハリャンも」


 「この場所で余裕を失くしたら、すぐに何もかも、終わってしまうよ」


 

 ミヤハはマットルの、作業で荒れた手を握る。硬く、水分が飛んでいるけれど、触れていると安心する。

 ただ、その手はすぐに振りほどかれた。

 これまで、そんなことは一度もなかった。



 「なんでだよ!俺はもう22だっ!いつまでここに居ればいい?ただ朝起きて、仕事に行って、飯を食って、酒を飲んで、お前と寝て、また起きて、、、、、、」


 「わた、しは、、、マットルと過ごせていれば、それで、それだけで幸せだよ。あなたは、、、違うのね」


 「それでもいいと思ったときもあったさ。テミナル島に居ても、きっと、同じような生活だったかもしれない。でも!ここは違うだろ。頭にいつもこびりついてる。俺らはここに繋がれてるんだって。実験でもするように、いつも上から眺めて笑ってやがるんだ!」


 「そんなことないわ。ほら、ハイトさんみたいな人もいらっしゃるでしょ?」


 「ハイト・コレードか?なんだよミヤハ、最近はハイト、ハイトって、、、あぁそういうことか、、、、、、」


 「そういうことって、何?」



 私は自分の声が棘を含んだものになったのを、口に出してから気づいた。

 乾燥した皮膚のように、罅が入る音が聞こえた気がした。



 「いつからお前は、やつらの娼婦のようになったんだ?」


 「言っていいことと、悪いことがあるよ、マットル」


 「真実だから、都合が悪いんだろ?」


 「あなただって、今でも、ミラリロのことが、忘れられないんでしょう?」



 ミヤハは流れる涙を振り払うようにマットルの頬を叩いていた。



 ===================================



 『____ミヤハ、何をまた泣いてるの?』



 ミラリロが、を海面に反射した陽に輝かせながら、私の傍に座る。


 

 「マットルと、カイラースが、、、、、雀斑そばかすとできものが汚いからちゃんと顔洗えって」


 「え?ミラリロは健康的でかわいいと思うけど」


 「そんなことない!ミラリロはいいよ、綺麗だし、肌も綺麗で白くて、目も大きくて、本当、帝国の貴族のお姫様みたいで」


 「貴族?ふふふっ」


 「何がおかしいの?」


 「生まれた時から一緒でしょ、ミラリロたち。私の母と父を忘れてしまったの?」


 「みんな言ってるよ、ミラリロはテミナル島の奇跡だって。きっと海の神様の子だって。いつかあなたは、レガロ帝国とか、他の国でもいいけど、モデルでもするのよ」


 「モデルをするには背が低いと思うけど」


 ミラリロは海を背に立って、ほら、というように背伸びしてみせた。

 私は少しだけ気分が戻って、



 「ねぇ、ミラリロ。お貴族様みたいにちょっと話してみてよ」


 「えぇ?恥ずかしいな」


 「やってみてよ、じゃないとまた泣くよ?」


 「、、、、、、しょうがないな」


 「へへ、じゃぁ、ミラリロお嬢様?今日もお綺麗ですね!」




 そう私が言うと、ミラリロは百面相した後、きりりとまっすぐこちらを見て、




 「____当たり前ですわ。そんなつまならいことを言わなければいけないほど、あなたはお暇なのかしら?」


 「ははははははっ!すごいすごい、似合ってる」


 「、、、、、、笑いすぎですわ。ミラリロの頬に宝石でもついていて?」


 「頬に宝石ってなに?ははははっ変なの」


 「だって、貴族のジョークなんて知らないもの」


 「もうずっとそれで居てよ」


 「嫌よ」


 「じゃぁ、私が泣いてるときだけは、そうしてて?」


 「、、、、、、はぁ、仕方ないですわね。泣いているときだけですわよ。困ったちゃんなんですから」


 「はははははははははっ!」



===================================



 久しぶりにミラリロの夢を見た。

 最近、ミラリロの両親のお墓の方に行ってないから、思い出させてくれたのかもしれない。


 ミラリロが生きているのか、死んでいるのかは分からない。

 ただあの日、逃げ惑う私たちと違って、ミラリロとエチカ、ユトだけは敵に向かって行った。



 そして、私はあの日、震えながら縮こまっていた海沿いの洞窟で、島に降り注いだ神の声を確かに聴いた。




            【ハクセキレイみたいに美しいの。】


 【長い尾っぽを揺らして、ロートン通りから医局街へと歩きます。】




 その声は、ミラリロのものではなかったけど、確かにこれは彼女の力だと分かった。やっぱり、ミラリロは、私たちとは違うんだ、神の子なんだと。



 ただ、この牢獄に来てから、それは違うと知った。

 ミラリロはもう死んだと思っているモラン母さんが、隠す必要もないと、私にぽろりと言ったのだ。牢獄では孤児たちの母代わりをしている彼女が、初めて、暗い顔を見せたときだった。



 「あの子の父親はね、違うんだよ。ある時、島に逗留していたレガロ帝国皇帝の血を引く貴族の、その子供なんだ。権力争いにでも負けたのか知らないが。生まれた子を見てから、彼女のお父さんはだんだんおかしくなっていって、外では普通に仕事もしていたし、優しいようだったが、家では相当酷かったというよ」


 「酷いって、、、、、、?」


 「酷いこと、だよ。一部の人だけでしていた噂だけど。よく、朝方海辺で1人、泣いていることがあった。だから、彼女があの日、帝国の軍に向かって行ったのは、思うところがあったんだろうよ。死んで、救われたのかもしれない。彼女は」


 

 ミヤハは愕然とした。

 確かに、海辺に行けばミラリロに会える。そう思っていた。

 マットルやカイラース、タハリャンに嫌なことを言われても、ミラリロの落ち着いた声を聞けば、すっと心が軽くなる。

 あの時、ミラリロは海の向こうに何を見ていたんだろう。

 つらい日々を見ていたのか、それとも帝国を、本当の父を?


 泣きたいのは彼女なのに、慰めてもらっていたのはいつも自分だ。

 彼女は、本当に貴族の子だったが、しかし、神の子では、決してなかったのだ。



 『そんなことない!ミラリロはいいよ、綺麗だし、肌も綺麗で白くて、目も大きくて、本当、帝国の貴族のお姫様みたいで』

 『ねぇ、ミラリロ。お貴族様みたいにちょっと話してみてよ』


 私はなんて、残酷なことを言ってしまったのだろうと後悔した。

 あの時、ミラリロはどんな気持ちで私のことを笑わせていたのだろう。





 ハイトさんは、たまに、監獄内の子どもたちに文字やら計算やらを教えにきてくれていた。

 子どもたちはみんな、それを楽しみにしていた。

 私も、少しでも力になれればと、彼の協力をしていた。


 授業という名のお遊びが終わって、軍基地に戻ろうとするハイトさんを呼び止めた。



 「ハイトさん、休暇なのにありがとうございました」



 私がそう言うと、いつも決まって、彼は悲しそうな顔をする。

 ほとんど同い年といって良い彼は、それでも少しばかり大人びて見えた。



 「お礼なんて、おかしな話ですよ。僕は君たちに殺されるつもりで、いつもここに来ているんです。それに休暇といっても、ここを出れませんから」


 「殺すなんて。そしたら、誰がみんなに足し算や引き算を教えるのですか?」


 「それぐらいなら、ミヤハさんでも教えられるでしょう?」


 「あ、それもそうですね」


 

 そう言って、二人は笑った。

 ハイトさんが見せたいものがあるというので、一緒に帰路を共にした。


 居住区のところどころにある広場、その一つ。

 大きな木の下に立って、ハイトさんは上を指さす。



 「見てください、鳥が巣を作っています」


 「そうですね、それが何か?」


 

 私は、何の変哲もない、見慣れた、変わり映えのしない景色だと思った。



 「あの鳥は、産卵時の親鳥の死亡率がおおよそ、7割5分と言われています」


 「ほとんど死んでしまうということですか?」


 「そうです。他の鳥の平均が、だいたい2割から3割ですから、かなり高い確率です。そして、自分が何かの病気にかかっていたり、ストレスを抱えている時など、体力を落としているときほど生みやすいことが知られています。ゆえに死亡率も高い」


 「可哀そうです」



 私はハイトさんが言いたいことがよく分からず、曖昧な返事をした。本当に可哀そうと思っていたわけではない。

 私に対する、少し難しい生物の授業ということでももちろんないだろう。



 「確かに、可哀そうかもしれません。けれど、あの鳥は、レガロ帝国では一番よく見られる鳥です。私の故郷のアンス村でも」


 「そうなんですか」


 

 そこで、ハイトさんは、見上げていた顔を下げて、私の方を見た。


 

 「近頃、マットルさんの顔を見ておりません」


 「何か、思い詰めているようで」


 「それもそうでしょう。どの立場で物を言うのかと思われるかもしれませんが」


 「いえ、、、、、、」


 「私は、希望には二つの種類があると、そう思っています」


 「希望?」


 「はい」


 「希望なんて、もうとっくにありませんよ。私たちには。今日の夜ご飯が美味しく作れるか、よく眠れるか、庭先の花がいつ咲くか、そういうことで頭をいっぱいにしないと、頭がおかしくなりそうで、日常もままなりません」


 「はい、、、、、。でも、ミヤハさんは、きっと希望を持てる人です」


 「そんな訳!、、、、、、そんな訳、ないじゃないですか、、、、、、」


 「、、、、、、希望には二つあると言いました。一つは、目下の苦しい状況から目を逸らすために見る、優しい希望。一つは、何かをなすために、それに自分をすための理由となる、厳しい希望です」


 「自分を賭すための理由、、、、、」


 「前者は、己のための希望です。ですから、自分一人の希望で、その人だけのもの。それももちろん、悪いものではありません。ただ、後者の希望にしかできないことがあります」


 「、、、、、、それは?」


 「その希望は、厳しい希望は、誰かに渡すことができます」



 ハイトさんは、そうしてまた、木の上を見る。


 

 「あそこで、ひな鳥に餌を上げている親鳥は、彼らの本当の親鳥ではありません。本当の親鳥は、私がその木の下に埋めました」


 「ハイトさんは、私たちに死ねと言うのですか?」


 「死ぬかどうかは、分かりません。でも、マットルさんが抱いている希望は、きっと、優しい方の希望です。彼は苦しんでいる」


 「ハイトさんは、、、、、、」


 「僕は、ミヤハさんを見て、己の弱さを痛感しています。あなたは強い。日常の中に、希望を見出して、それを繋げる人です。僕もそうなりたい、そうなってみせると、そう思うようになりました」



 私は、ミラリロのことを思う。

 彼女も、もしかしたら、誰かの希望を受け継いで、今も頑張っているのかもしれない。

 私は、と、ハイトさんの手を握ろうとして、その手をはたと下げる。



 「マットルと、少し話してみます」


 「そうしてください。彼とはまた、美味しいお酒を飲みたいですから」



===================================



 自分の胸から、血が流れる。

 それとともに、過去と現在が、一緒くたになって、時系列を失って自分を襲う。

 記憶が混ざって、それから、血とともに流れ落ちていく。



 「ミラリロ、ミラリロ!!!どうして、どうして助けて、、、」


 

 そんな弱弱しい声が先ほどから自分の口をこじ開けて出てくる。

 まるで、あの海辺でミラリロに泣きついていた頃の自分が。


 ああ、そうか。

 ハイトさん。

 今、ようやく、あなたが言っていたことが、分かるような気がします。


 ずっと分からなかったんです。

 自分が死ぬぐらいなら、私は、雛鳥なんて必要としない。

 自分が生きたい。

 楽しく空を飛んで、いろんな物を見て、それで満足して一生を終えたい。

 

 結局、マットルとはうまく話せなくて、彼は家に閉じこもるようになってしまった。それはきっと、心の底では私も彼と同じ気持ちだったから、最後まで彼を励ますことができなかったんだと思う。


 暴動が起きて、マットルはそれに参加すると言って私のもとを離れました。

 彼は、最後に私に言いました。



 「ここを出て、またお前と一緒に暮らすんだ。子どもだって、外の世界ならいくらいても良い。みんなで、農業でもしながら、静かに、ここと同じように過ごすんだ。でも、同じでも、ここでは、違うんだ。愛してる、ミヤハ」




 それは、果たしてどっちの希望だったろう。

 


 私は、言いかけた言葉を飲み込んだ。




「ううん、、、、なんでこんなこと、、、、どうか、、、、どうか、生きてね、、、私たちの分まで、、、ぐっぁ、、、」



 失われていく意識の中で、最後に見たミラリロの顔。

 ああ、やっぱり、あなたは綺麗。

 でも、、、。


 

 『お嬢様言葉、似合ってる。でも、もういいよ。私はもう、泣いてないから。だって、希望は、この希望は、詭弁だとしても、あなたに、みんなに、渡せるものだから、、、、、だからもういいの、本当のミラリロは、もっと、ずっと、私たちと一緒だから、、、、、、ねぇ聞いて、私、あなたのパパのお墓に、犬の糞を投げつけてやったの、私にそんなことできると思わなかったでしょ?だから、笑ってよ、一緒に笑おう、私は大丈夫だから、、、、』



 その言葉は、消えていく命の中で、ちゃんと口に出せたのかどうか分からなかった。

 でも、届かなくたって、大丈夫。


 きっと、誰かが、私の代わりに、あなたに伝えてくれると思うから。



 





 


 




 

 


 



 



 

 


 

 


 

 

 

 

 

 







 「みんな、みんなじゃないけど、、、生き残った人はここに居るの!!モラン母さんも、マットルも、タハリャンも、カイラースだって、、、!!」

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