挿話0-2 アイリス・ライゼンバッハの日常
4年前、第二次クランツェル反乱が起きて以降、帝国周辺では大きな有事はほとんどなかったと言っていい。
西のフォラリス神聖国、ミスタント朝も、東のタクトフォン、モッペル経済国、それから、民族同化大戦時敵対した、国境は接していない、海の向こう、山脈の向こうの国も、仮初の落ち着きを見せていた。
「フランネ・アーミン、誰よそれ」
アイリス・ライゼンバッハは、視覚の転移により、エチカの室内を監視していた。
最近、頻繁にやり取りしている女だ。
ミラリロお姉様のお守り役をお願いしているようだが、それなら適任がここにいるというのに。
なぜ、ただの兵卒に頼むのか、全く理解ができない。
まさか、この女を狙っているのか、年上好きなのか、と疑うが、
「だとしたら、美的感覚を疑うけどね」
アイリスは売店で買ったチップスを口に押し込みながらだった。
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「掃除はその人の心を映す鏡だ!塵を残して、まぁそれでもいいとするならば所詮!人生においても、まぁ仕方ないと諦める心が巣食う。誰も気づかないだろうと思えば!人に賞賛され、目につくところだけに力を入れる、そんなはりぼての人間になるぞ。いいか、塵1つが貴様らの生き様を決める陪審員だ!散れ!」
そう怒号が飛び、雑巾やらモップやらを片手に、清掃員たちが駆け足で散って行く。
思い返せば、第二次クランツェル反乱後、エチカの下についたはいいものの、特にやることもなく、営舎の中をふらふらと歩いていたとき、この受託清掃会社の専門係長に呼び止められたのが、清掃員として働くきっかけだった。
最初は他の兵士に接するそれと同じく、片足を引きずりながら近づいてきて、
「いつも任務、お疲れ様です!皆さまのおかげで、今日もありがたくこうして清掃をさせていただいております!やはり手入れの行き届いた軍靴ですね。私もこの仕事が長いので、靴の手入れでその人の兵士としての力量が分かるようになって参りました。あなたは立派な方だとお見受けいたします!」
と、厚かましい挨拶をされた。
そんなことが複数回続いて、疑問に思ったのだろう。また、他の兵から噂でも聞いたのか、
「掃除をすれば、自分に足りないものが分かります。再起を、己の尊厳を取り戻し、真っ当な道に戻るため、騙されたと思って私どもの手伝いをしてみてはいかがでしょうか?」
と言ってきた。
おそらく噂の中でも、かなり悪い方の噂を聞いたらしい。高級士官の妾だとか。
なぜ私が、と思ったが、その男は本当に真剣に、何度も誘ってきた。
「私に足りないものがある、と?」
「はい。実は最初、私は嘘をつきました。あなたの軍靴からは、執念のようなものを感じませんでした。強い人間にはそれを感じます」
「まさか」
「いえ、本当です。例えば、かつてこの第二営舎にいらっしゃったレクタニアにはそれがありました。彼女に頂いた手ぬぐいは、今でも自宅に飾っております。当時はまだまだ下士官でしたが、その時からいずれ偉大な方になられると思い、大事にしておりました」
「レクタニアって、レクタニア・ハニーハート総帥か?」
「はい。総帥になられた後も、レクタニアと呼んでくれ、と仰られたので」
「他には」
「はい。第二営舎にはいろいろな素晴らしい方がおりましたが、最初から飛びぬけておりましのはルラ様です。彼女に並ぶ可能性があるとしたら、最近ですとミラリロでしょうか」
「ルラ・コースフェルト中尉か」
ミラリロという名前が出て、表情が崩れたことを今でも思い出す。
納得してしまたのだ。
第二次クランツェル反乱での彼女の躍動は、間近で見て、記憶に焼き付いていた。
そんなことがあって、これも一興と、彼、クドネス係長の言葉に従うことにしたのだった。
ある日は、
「たまにしか来ないと思ったら、半端な仕事しやがって!テーブルの裏、ガムがついてるじゃないか!」
と、頭をひっぱたかれ、
「、、、、、、そんなところにガムを付ける人間が悪い」
「お前!清掃員が職場でモラルを語るな!家で愚痴れ!どんなでも綺麗にするのが私たちの仕事だぞ、いつからお前は貴族のようにマナーを語る身分になったんだ?あ?」
またある日は、
「お前!掃除だけが仕事だと思ってるだろ!通路の花瓶、水が減ってるだろ、なんで入れ替えない!」
「それは総務とかその辺の仕事でしょ」
「馬鹿野郎!水が少なくて、花が想定よりも速く枯れたら花弁が落ちてゴミになるだろうが!」
またまたある日は、
「お前、雑巾汚いまま掃除したな!」
「分かるわけないでしょ」
「私には分かるんだよ」
と、係長は床に頬をこすり付けて、
「ほら、床がそう言ってんだよ、見せてみろ雑巾」
「ええぇ、はい、、、、、、」
「なんだこれは貴様、俺なんか、毎晩2時間は雑巾についた埃をピンセットで取って、そのあと10回は洗うんだぞ」
「新しいの買いなよ」
「無駄な経費を出していいほどお前は偉いのか?あ?」
だいたいこんな感じである。そんなことを思い出してしまったからか、食堂の掃除をしている際、腹立たしいことではあるがそもそものきっかけらしきミラリロお姉様の姿を認めて、絡んでしまった。結果的にジャルジャ中将まで出てくるような事態になった。
事態を治め、何やら今晩の飲み会の約束を取り付け帰ろうとするジャルジャ中将を呼び止めた。
「師団長!」
「ん?アイリスか。それにしてもお前、清掃員の恰好、相変わらず似合わないな。華やかすぎる」
「ありがとうございます」
「いや、褒めてないんだがな。似合ってないってことは、仕事を完璧にこなせてない証拠だ。もう何年になる?」
アイリスは自分が聞きたいことの解答を先に言われたような気がしたが、呼び止めてしまった手前、言わざるを得ない。
「例えば私が、コースフェルト大尉や、ミラリロお姉様と戦ったら、私は勝ちますか?」
その唐突な問いに、しかし中将は思案する間もなく、
「十中八九、負けるな。やってみたらいいんじゃないか。これまでそんな経験ないだろう。ルラのお嬢に言っておく」
中将はそう言って、背中で手を振って去って行った。
その言葉を本気にしていた訳ではないが、本当に非公式に設定してくれたらしい。
市街地を想定した外の演習場には、私とルラ・コースフェルト大尉。それから念のため仲裁役でゼファオール・ジャーニン大佐がいた。ここにミラリロお姉様やエチカ、ジャルジャ中将がいないのは、私が負けるのが確定していて、それを見られるのが嫌だろう、という配慮のような気がしてならず、自然と手に力が入った。
ジャーニン大佐は、いつもの人好きのする顔で、とてもゆっくりした口調で話した。決して整った顔ではないが、その優しさから女性隊員からも人気のある人だ。が、その馬鹿にされたような話し方がどうにも気に入らなかった。
「いいですか、もちろん、直撃はなしですからね。転移は移動のみ、打撃は直接物理攻撃のみですよ、いいですね、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんです。えっと、緊張しますね。アイリスさんとは、あまり話したことありませんでしたよね?エチカ少尉からは良く聞いてますよ」
またエチカだ、とルラの小さすぎる顔をじっと見て、
「胸を貸していただければと存じます」
と答えた。
「それでは、行きますよ。あれ、なんて言えばいいんだろう。開始かな、それじゃぁ、大丈夫ですか?____開始!」
ジャーニン大佐の掛け声がした瞬間、私は先手を取るべく動く。
そもそも、近接での一対一は苦手分野だ。
ならば先手を取るしかない。
ジャーニン大佐が開始と言うまでグダグダしている間、長距離転移の準備は整っていた。市街地想定ということで、ビルも立ち並んでおり、隠れる場所はいくらでもある。
そうして最大限距離を取り、コースフェルト大尉の様子を監視する。
が、
「舐められてるのか、、、、、、頭に来るな」
大尉は、最初の位置からまったく動かず、武器すら持たず棒立ちだった。
「転移による刺突は不可、なら、、、、、、」
と、初撃の準備に入ったときだった、
「ひっ、、、、、、、、、、、、、、、、、、!」
その恐ろしさに、視覚の転移を思いがけず切ってしまった。
女々しく出た自分の声が、恐怖をさらに増幅させる。
「誰が聖母だって、、、、、、あんなの、、、、、、あれは、、、、、、」
震える身体を抑えて、己に暗示をかけるように小さく呟く。
「_____驟雨・無展鏡」
大量の痩剣の一斉転移による、進路の限定。
退避を許さず、剣の雨から逃れるためには前進しかない。
そして頭を叩く。
そのつもりであったが、
「なっ、、、、、んで______速すぎる______」
ウーシアの波長をまるで感じない。
この市街地のどこにも。
まるで白鷺が飛び立ったように、僅かの波紋を残して、羽音すら。
そんなことがあり得るのか?
ウーシアというのは、そのままに海を満たす水に例えられる。
自分に属するものと、相手に属するもの、それから空間を満たすもの。
転移を行えば、波が立つ、流れができる。
それを察知することが何よりも戦闘の須要だ。
ウーシア適合者は、自分の目よりもむしろ、その流れの方を信じて動くようになる。
だが、まるで海の外、空から狙われているように、何も感じない。
「_______これで終了、ということでいいかしら?」
「そ、んな、、、、、、」
シャムシールのように湾曲したウーシア兵器が、自分の喉元を囲う様に当てられていた。
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「それにしても、噂には聞いていたけど、視覚の転移ってすごいわ。天才よ」
コースフェルト大尉は、私の手を取ってぴょんぴょん跳ねている。
天才?
散々言われてきたことだが、今ほどその言葉を聞きたくない瞬間はなかった。
私が天才だとしたら、それは戦場において無価値ということになってしまう。
ミラリロお姉様が帝国最高の騎士と言われ始めているが、この人は別格だった。
間違いなく、帝国最強はルラ・コースフェルトだ。いや、世界でこの人と実力が伯仲する人間などいるのだろうか。
「あの、もし、今日の対戦がミラリロお姉様とだったら、こうなってましたか?」
「えぇ!?うーん、、、、、、聞きたいの?」
「はい」
その返答はもうほとんど答えではあったが、聞かずにはいられない。
私の真剣な思いが伝わったのか、急にコースフェルト大尉の顔から、すっと柔和さがなくなる。まるで憑き物が取れたいうよりは、神の祝福がそこから去ったように。
「途中まではきっと、同じような展開になったでしょうね。遠距離と近接の違いはあるけれども。ただ最後、私の刃があなたの首を捕らえたとき、なぜあなたは諦めたのかしら?」
「それは、、、、、、ルール上、、、、、、」
「本当にやりようがなかったかしら」
私はあらゆるパターンを想定してみるが、どの道も行き止まりにしか思えなかった。勝機があったとすれば、やはり開始早々だ。
「、、、、、、はい」
「そう。あなたはこれから、敵に勝ち続けるかもしれないし、負けるかもしれない。ただ、いずれにせよ、私はあなたには、絶対に背中を預けない」
「なっ、、、、、私だって、その辺のやつらよりは、、、、、」
雰囲気の異なる、まさに先ほどまでの戦闘の主として相応しいその辛辣さに驚き、そんなことを口走っていた。
「ええ、強いでしょうね。相手にならないほどに。ただ、現に今、私に負けた。そして、私程度の人間は、帝国内にもいるし、外にもいるわ」
私は怒りに震えながら、
「そんな訳ないでしょ、、、ふざけないで、、、、、、」
「いいえ、帝国内にもたくさいるわ。
「それは噂の、、、」
「いいえ、存在するわ。そして彼らは、ウーシア適合が判明した時点で、軍ではなくそちらに振り分けられた、本当の天才集団よ。だから、あなたのような存在は、帝国において居てもいなくてもそう変わらない。だからこそ、エチカ少尉の願いは受け入れられたのよ」
その事実に、アイリスは地面が揺れたように感じて、
「何が、何が足りないって言うのよ、私にっ!!!」
「待ちなさい!」
と、ジャーニン大佐が大声を上げたが、コースフェルト大尉はそれを手で制する。
その様子を案外、私は冷静に見ていて、、、コースフェルト大尉の細い胸元に手を置く。
「_________
第二反発を抑え、コースフェルト大尉の視覚を強制的に転移させる。それと同時に無数の痩剣で全方向から差し穿つ。ただ、転移の波長を感じ取れる適合者にとって、視覚が奪われることは、自身の転移が難しくなるだけで、拒絶はできる。
だが、この手に持つ痩剣の物理的な気配は感じない。
コースフェルト大尉の体を蜂の巣にした剣が全て弾かれるとの同時に、私は左手に持った痩剣を突き出す。
が、そこにもう大尉の体はなかった。
そして、先ほどの焼きまわしのように、首元には自分が先ほど転移させた剣の一振りが当てがわれていた。
「無視覚下での転移、、、、、」
「さっきは言い過ぎたみたいね。あなたには期待してる。ほんの少しだけ」
そう言って、コースフェルト大尉は私の手に剣を握らせ、去って行った。
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「クドネス係長、私、第二営舎を離れることになりました。半端になってしまってすみません」
と言うと、係長は皺を深くして、
「そうか、寂しくなるな。最後に、今日は私と一緒にやろうか」
と言った。
食堂のテーブルを拭きながら、係長の様子を見る。
まさに一心不乱というように、1つ1つのテーブルを時に立ち止まり、時に洗剤を変えながらだった。
私も、まだ腹部の傷が痛むが、真剣に清掃した。
「クドネス係長、係長はなぜ清掃員を?普通、管理職になったりしてるんじゃ」
と聞いた。
すると、係長はテーブルから目を離さないまま、
「私の妻と娘、それから息子は、民族同化大戦のとき死んだ。もう20年前以上だ。私は毎日、ろくな仕事もせず、飲んで町を徘徊するような、駄目な夫で、父親だった。足が悪いことを言い訳にしてな。そしてそれのおかげで戦争にも行かずに済んだ」
係長は脚をさすりながら、テーブルの鏡面に過去が映っているように、それを良く見ようとするように、ごしごしと擦った。
「私は戦争を恨んだよ。妻を返してくれ、娘と息子を生き返らせてくれと。敵国も恨んだが、帝国も恨んだ。でも、ある時気づいたんだ。真に恨まれるべきは、自分なのではないか、と。彼らの幸福の時間を奪っていたのは自分で、時間は命と同じだとするなら、私もまた、妻や子供たちを手に掛けていたようなのではないかと。それから、少しでもこの国の平和に貢献したいと思った。どんな形でも良い。足が悪くてもなんでも構わない。とにかく、この国の、誰かのこの時間に貢献したかった。今でも、この仕事を誇っている訳ではない。生活する空間が綺麗だと、兵士さんたちも心地よく任務に行ける、なんていうのはおためごかしだ。程よくで良い、自分がやっていることにそう意味はない。でも、それでも、これが自分にできる貢献なんだ。自分の、誰かが残してくれた時間の燃やし方なんだ。だから、塵1つ許さない。自分の誇りにかけて、家族の命にかけて」
その長広舌を聞き終えて、私が聞きたかったのは一つだった。
「それは、贖罪ということ?」
「無論。私の人生にそれ以外の意味が入る余地はない」
そう言って、係長は床に這いつくばり、テーブルの足を一つ一つ持ち上げ、吹きあげていった。
それは、どこか祈りに似ていた。意味のない、それでもやらざるを得ないような、そんな祈りの持つ性質と同じもの。
「よし。満足か?」
「はい、綺麗です」
「私もそう思う」
係長はにかりと笑って、私の雑巾をひったくるように取り上げた。
「さっさと行け。お前は天才なんだろう?良く他の兵士さんから聞いたよ」
「でも、負けました。二度も。係長の言う様に」
「それで、お前は何を奪われた?」
「自信と、先輩を」
「それなのに、お前は普通にそこに立っている」
「はい」
「その先輩には申し訳ないが、それなら、それらはお前にとってさほど重要ではないということだ」
「はい」
「これだから、清掃員も悪くない。何か、餞別に私にくれ」
その願いに、一瞬びっくりしたが、
「それなら、その雑巾をあげます。私がここで使い続けたものです」
「今まで貰ったもので一番しょっぱいな。それに数年働いて1枚とは、、、。でもいい。妻と息子たちに見せるよ、、、、、なんだ、綺麗にしてるじゃないか」
今さっき使ったのだから綺麗なはずない、と言いかけたが、やめた。
係長ならきっと、分かったのだ。
「別に、わざわざ見せなくてもいいのでは?」
「なんでだ。お父さんは心を入れ替えて、こんなに偉大な人たちと仕事をしているんだぞ、って言いたいだろ」
「自慢ばっかりの父親は嫌われますよ」
「生前は自慢できることが1つもなかったんだ、許してくれるさ」
その会話が最後だった。
係長の背中を見ながら、私は思う。
私が許せないのは、自信を無くすことでも、仲間を失うことでもない。
_____弱いことだ。
ルラ・コースフェルト大尉のことを、本気で差し穿とうとした自分は、ゆるぎない自分だった。
でも、同盟のモナ・ザレファユフセラを前に、私は逃げたのだ。
本気で戦っていなかった、とあいつには言われたが、それは思考においてであって、戦闘では確かに本気だった。
まだ、ぶれている。
でも、理想とする姿は、不器用なものだったが、クドネス係長が示してくれた。
「はっ。その雑巾が帝国宝物庫にでも入るように、頑張るよ」
いつか、彼の妻や息子に会ったときに言ってやろう。
アイリス・ライゼンバッハを真の天才にしたのは、あなたの夫であり、父親なのだと。
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