英傑の黄昏

屋代湊

双星編

地下牢獄騒擾事件

プロローグ

「グローリャ酒、もう一杯!」


「鴨肉のモランソース煮込みをくれ!」


「民主神聖同盟の奴ら、やってくれるなぁ」


「まだユミトルドの件か?ヴィンセンラード皇帝の地位はそれでも揺らがないさ、いや、揺らぐべきではないと言うべきか」


「首相が腰抜けだからな、、、いいよもう、そんな新聞なんざ休日に釣った魚を包んでご近所にあげるときにしか役に立たないんだから」




活気というのは、まさに昼下がりの食事処に相応しい。

少しの希望と、倦んだ日常が醸成するそれ以外は、およそ好ましい結果を齎すことがない。

太陽の日差しが、その店のテラス席にいる客たちの口を暖める。



 「そんなことないわ。新聞だって、誰かが頑張って書いたものなんだから、ね、そうですよね」


 「あ、ああ、、、ただ、事実は貨幣よりも価値がある。誰も自分のお金を他人に渡そうとしないだろう。そういうことだ」


 「あら、私、自分の仕事に誇りがない人は嫌いだわ」


 「いや、、、あぁ、、、そうだな、、、生活のためだ」


 「ふーん、やっぱりあなた、違うんだね」


 

給仕の少女が、黄金色の瞳をなお輝かせて、跳ねるように耳元に近づいてそう呟いた。どこか見定めるような、からかいつつ叱るような、そんな声が少しばかり胸を高鳴らせた。




 「ローア!その人はもしや新聞会社の人なのか?あまり見ない顔だ」



 ローアと呼ばれた少女が、亜麻色の長い髪を尾のように振って、長いスカートを摘まみ、1人の少年を恭しく紹介するように掌を天に向けて差し出す。



 「ええ、この方は最近ラキア湖のほとりにできた、ホーバス新聞社の支社の方です」


 「ああ、そういば出来たって言ってたな。ホーバスなんて帝国傘下の大手じゃないか。若いのに凄いな、苦労したろう」


 「ええ、、、まぁ」


 「文章の執筆やらは寡婦の女どもの仕事だろう、ということは記者なのか?」


 「そうです」


 「なら、今度うちの店を紹介してくれよ、最高級の革製品をお届けする店なんだ」


 「あら、さっき新聞なんて、って言ってなかったかしら?」


 「多少の誇張は事実の内だろう?」


 「お前の店の革製品なんざ、それこそ包み紙程度にしか使えないさ」



 笑い声が伝播する。

 その中心で喝采を受ける踊り子のように、ローアは全身に漲る陽の力を隠さず、テーブルからテーブルへと渡っていく。




「みんな調子が良いんだから」


 

 最後にローアは、砂浴でもするように丁度空いていたエチカのテーブルの向かいに座った。

 冷やかすような口笛がどこからか鳴るが、ローアはそれをしっしと手で追い払う。


「私ね、あなたは兵士さんだと思うの、違う」


「そんなまさか、違うよ」


「あ!!でも殺さないでね、誰にも言わないから」


「なんで殺す必要があるんだ。違うと言っている」



ローアが、ナイフを握るエチカの手をぎゅっと握る。

あのローアが積極的だぞ、店員が1人減っちまうなぁ、という酒に酔って大きな声が、また場を盛り上げたようだった。


その手は、まさに殺さないでというような懇願の力にも感じれば、真実を証明したい誓いの強さにも感じられた。


「私、分かるの。人にはね、3つの目があって、1つは夢想や野心を未来に描く目、2つ目は諦念と希望に満ちたそこにある目、最後はね、混乱と実直の過去の目。あなたは3つ目ね」


「案外、いや、田舎の少女らしい理念的な意見だ」


「都会を知った男の子には、遊ぶには丁度手頃な女でしょう?今日の夜、空けときましょうか?それとも自分から誘う女はお嫌かしら?」



ローアが、握ったエチカの手をさするように指を動かす。

綺麗な、まっすぐな指の揃い方だった。



「君みたいなのは、こういった誘いを断るのが正解だろう?」


「女の子のお人形遊びには付き合うのが紳士よ。面白くない。誰だって、本気の恋なんてしたくないもの」


「君を好きになってしまった人には同情するよ、それで、過去の目だからなんだって言うんだ」



「ああ、そういえばそうね。そういう目をした人はね、だいたい兵隊さんなの。外したことないのよ」



ローアは本当に忘れていたというように、エチカの皿に乗った、付け合わせのビーンズ煮込みを指で摘まんで口に運びながら、悪戯な笑顔を見せた。


一通り食事を終えたエチカは、再度忙しそうにするローアを呼び止め、チップを渡した。


「あら、手切れ金?それとも口封じかしら」


「違うと言ってるのに、君もしつこいな」


「心外ね。じゃぁ答え合わせしてあげる」



 ローアはエチカの周りをぐるりと回って背後に立ち、服の仕立て屋のように彼の両の肩をさっと払って、耳元に唇を付ける。



「私、多分、あなたに会ったことがあるの、エチカ。それにね、輸入食品店のおば様が、のルラ・コースフェルトに似た人を見たって。寡婦の被るベール、もっと濃い色にしないとダメ。あれ、結構透けて見えるから」




 そう言って、もう話は終わりというようにエチカの背中をとんと叩いた。



「私を殺すなら、どうか、あなたが直接来てくださいね」


「目の話は嘘ということか」


「いいえ、嘘じゃないわ。それがなければ気づかなかったもの。私は好きな目よ」


「殺す、殺さないも、所詮お遊びだよ」


「それはそうよ。本気だったらこの世なんてたまらないもの」



 エチカはその返答に満足したように、ローアから離れ、人波とは逆に歩き出す。



=====================================



「戻ったよ」



対岸が見えない広い湖畔のほとり、そこに点々と立つコテージのような建物、その1つの玄関をくぐる。



「あら、エチカ。困ります」


「何がだ」


「お昼は待機のみんなでって言ったじゃないですか」


「いや、みんなで食べたんだろう?」


「国語の再教育が必要ですか、少佐」


「意地悪を言わないでくれ、コースフェルト」


「ちゃんとお昼は食べましたか?」


「食べたよ、、、、、、、、、、、、何だ?何か不満か?」


「いっ!いえ、、、、、、あの、、、、、、、なんでも、ないです。良い食事だったようで」



ルラ・コースフェルトは何やらエチカの顔のあたりをじっと見ていたが、すぐに顔を逸らした。

彼女は自分より背丈の低いエチカの背後に付き従いながら、金貨を引き延ばしたような、輝きながら波打つベージュの髪を後頭部で1つに結ぶ。



談話室に足を踏み入れると、食後の紅茶を飲んでいたらしい皆が一斉に席から立つ。

ルラ・コースフェルトもエチカの元を離れ、自分の席の前で直立した。



「定刻により、皇帝直隷第21班、日次任務報告を開始する」



エチカの号令の後、数名から現況の詳細報告があった。



「イサラ・ザクトーフ大尉」


「え?は、、、はいっ!!!タクトフォンとの国境においては特に異常あり、、、あり、、、ありましぇん!引き続きエリオル・ハルマン曹長と同盟異分子の監視に努めます!!!」


「いや、、、報告ありがとう。そうではなくて、それは何だ」


「こ、、、この子はジャージャルです、ワンちゃんです、、、」




イサラ・ザクトーフは自分の脇で健気に座る茶色の大型犬を撫でながらそう言った。




「ジャージャルは名前か、ジャルジャ中将から取ったのか」


「はいぃ、、、中将に似ていたので、、、。ちゃんと名前を頂く許可は取りました!」


「そういう問題では、、、。まぁ良い。ただ会議の時は外に繋いでおけ」


「でも、、、可哀そうです、仲間外れは、、、。この子、吠えないので、、、」




イサラはほとんど涙目になりながら、エチカに訴えかける。

今にもこちらに駆け寄って命乞いでもするかのような弱弱しさだった。

自分の話をしているなど露程にも気づいていないそのジャージャルという大型犬が、尻尾をゆっくりと揺らす。




「、、、そうか、分かった。ちゃんと躾けるように。次、モチャ・ファズ中尉」


「なにぃ?」


「何ではない。会議中にお菓子を食べるな」


「へいへい。仕事はちゃんとやってますよ。ちゃんとやってるので報告なんてありませーん」


「クラン・イミノル伍長は何か言ってないか?」


「クランちゃん?少佐、好きだねぇ。自分の言うこと聞く部下だけ可愛がるタイプだ。私が報告に行きますって駄々捏ねてたから、クローゼットに詰めてきた」


「今すぐ転移して解放してやれ」


「お、いいの?ラッキー、じゃまた」



モチャ・ファズ中尉は、エチカへの嫌悪を隠さないまま、談話室から颯爽と出て行った。



「後は、、、、、、ユト・クーニア上級大尉」



エチカは自分が部屋に入ってきたときから睨みつけるようだったその少女に声をかける。

名を呼ばれることを予期していたのか、「はっ!」と鼻で笑って、



「報告があるのは少佐の方でしょ」



と、棘のある言い方だった。



「俺か?、、、そうだな。皆、外に出るときは注意してくれ。寡婦用のベールだが、近づくと顔が見えてしまうらしい。特にコースフェルト大尉はすでに噂になってるぞ」


「私ですか!?そうですか、、、もっと濃い色のものにします」




 ルラ・コースフェルトは自分の頬をぺちぺちと触りながら、周囲の者たちを見る。




「そうじゃなくて、その耳にべったりと付けてる口紅はなんだって言ってんの。私たちには偉そうに言っといて、自分は女遊びに忙しいみたいね」



エチカは、はっとして自分の耳に触れる。

手には確かに橙色の口紅が付いていた。

ふと、コースフェルト大尉の方を見ると、彼女は少しばかり頬を赤くして目を伏せた。



「会議の時に済まない。以後、気を付ける」


「まぁ別に良いんだけどさ。派手にやらかした癖に、飛び級で昇進して、それで浮かれてこのザマじゃ、ミラリロが浮かばれないって言ってんの!」


「済まない」


「上官がへらへら頭下げるなよ、、、」


ユト・クーニアは最後にそう小さく呟いて部屋を出た。

会議はそのままお開きとならざるを得なかった。


エチカは外に出て、穏やかな湖畔を見ながら立つ。

その横に、ルラ・コースフェルトが近づいた。



「少佐、申し訳ございません」


「何がだ」


「私、気づいていたんですけど、、、」


「いいよ、君のせいじゃない。確かに気が緩んでいた」



そのまま二人で遠く、見えぬ対岸を見るようにして沈黙する。



「俺たちの任務は、影で広がりつつある民主神聖同盟の勢力を抑え、帝国から排除することだ。それが達成できれば良い」


「少佐、お言葉ですが、それは本当なんでしょうか」


「本当とは?」


「それであるなら、皇帝直隷なんて、大層な立場は必要ありません。仮に潜入的に任務をこなさなくてはいけないとしても、です」


「そうだとしても、俺たちには与り知らないところだ」


「いえ、、、どうしても、それじゃいけないと思うんです。私たちは、多分、己で考え、対立しながらも、団結して事にあたらないと、いずれ大変なことになると、そう思えてならないんです。私たちは皆、問題児ばかりですが、少佐なら、今ではなく、先で、それが出来ると思うんです」


「賢い君から見れば、俺は考えのない、帝国の駒のように見えているのだろうな。俺もつくづくそう思うよ。それに、君は問題児ではないだろう、巻き込まれただけだ」


「いえ、私も、自分で選択した結果です。少佐は、やはり、自分を取り戻す必要があると思うんです。駒から人になるために」



その言葉は、重く、エチカの心に沈んでいった。

どこかで魚が跳ねたのだろう。凪いだ水面に波紋が広がる。

エチカは水辺に近づいて、しゃがみ込む。

水底に足を取られずに、自分たちは対岸までたどり着けるのか、その目下の不安すら、まだ自分の所有物ではない気がして、エチカは鏡のような湖に己の瞳を写し見た。








 

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