英傑の黄昏

屋代湊

第1話 陽光

『任務:ユミトルド地下牢獄における暴動の鎮圧。執行官筆頭はエチカ・ミーニア少尉。少尉、承認を』


 「同意。鉄馬てつば鉄槍てっそうの使用許可を」


 『受諾済みです』


 「――任務を開始する」




 夏の日盛りである。

 眩暈めまいを引き起こすほどの純白に染められた巨大な建物の、あまりに高い天井のフロア。そのゆるやかに湾曲する廊下の壁は一面ガラス張りとなっており、一人中庭を見やる青年が頬に陽を浴びて佇んでいる。




 ――エチカ・ミーニア少尉。



 弱冠十六歳の尉官。

 その姿容すがたは、冷ややかな黒の短髪に、黒の瞳。背丈は同年代に比べて小さく、顔立ちも幼い。深緑の軍服は真新しく、綺羅きらを纏ったように陽光に煌めいている。




 彼は老練の軍人の如く、突発的な任務の指令にも動じず、腕を後ろで組んだまま、濃い深緑の木々のさざめく影を眺めていた。




 「得難いものだな。憩いの時の余りの短さは」


 「あるじ。悠長は人の毒。至急人員の確保を」


 「幽霊が良く言う。俺たちはお前らみたいに本質ありきの存在ではない。人生の本義を見出すのは、全て悠長に、人生をむようにして生きた奴だけだ」


 「主。十六歳が良く言う。とだけお返しいたします」




 エチカが見上げる床と天上の間、その中空の空隙くうげきに、半透明の繻子シルクを妖艶な肢体に巻き付けた、長い金糸きんしの髪の女が浮かぶ。彼女の体に差し込んだ光は、呆気なく透過して、背にした壁を虹色に描き出していた。それはまるで見るに鮮やかな蝶の羽のよう。あるいはその大きく優美な虚像の羽で、かように体を宙に浮かばせているのかと、ふとすると錯覚してしまうほどである。




 「行くぞ。エンテラール」


 と、エチカは自分の鼻を軽く摘んでから言う。


 「主。お供します」


 「ああ、なんにしても、暑いな。今日は」


 「蒸した草いきれもまた、鼻に薫って良いものですよ。主」




 その幽霊、エンテラールの言葉に、エチカは片手だけ持ち上げて、それから中庭に未練を残すように視線を切ってから歩み出す。彼の軍靴ぐんかの硬質な足音だけが、侘びしく、ただ空虚な廊下の尽きぬ奥行きを示して鳴り渡る。

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