第3話 決意を胸に

(……王城の教会堂で死んでいた? なぜ? トリフィスがそんなところに行く理由がない、いえ、帰国したなら私のところに挨拶に来るはず。いつもそうだった、なのに。嫌な予感がする……少し、気分転換に外へ出よう)


 私は胸の奥にあるざわつきを信じて、執務室から出る。今は誰かに会って話したい気分でもなし、冷静を維持するためにも別のことをしたかった。すぐ外の廊下で見つけた侍女に、私は言い含めておく。


「ねえあなた、私はここにいるということにして、来客は断ってちょうだい。少し、調べ物をしてくるから、邪魔をされたくないの」

「かしこまりました。あの、レオカディア様、どうか……お気を確かに」

「……ええ。ありがとう」


 侍女は心配そうに、私を見送ってくれた。それほどまでに酷い顔をしていたのかもしれない、私は自分の両頬を軽く揉んで、ひとまず衛兵隊の門番がつけている記録を漁りに行こうとした。


 王城の南端、正門近くを歩いてみたが、ひどく静かだった。普段であれば多くの人が出入りし、行列もある。だが、見回りの衛兵さえも見当たらない。城壁の外に配置されているのか、それとも王城内の調査に駆り出されているのか。ここがたまたま、担当の衛兵たちが散り散り担っているだけなのかもしれない。


 私は特に不審に思わず、門番の詰め所に近づこうとしていた。


 私の後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「レオカディア様、こちらにいらっしゃいましたか!」


 振り返ると、近衛兵隊の軍服を着た中年男性、それに同じ服を着た若い五人がいた。近衛兵隊長とその直属の部下たち、私の記憶が正しければそのはずだ。誰も彼もが緊張した面持ちだ、こんなことになっては致し方ない——そう思った私は、愚かだった。


「あなたは、近衛兵隊長の」

「ご挨拶は後ほど、今はここから逃げてください。先導しますので」


 近衛兵隊長は、ぐいと私の腕を引っ張って、そのまま正門から出て行こうとする。


 そもそも力で劣る私が抵抗するだけ無意味だが、それ以前に緊迫した声色で伝えられた急報が私の度肝を抜いた。


「ネストラス様がご乱心です。すでに王城は血の海です、急ぎ脱出を!」


 そこから先、しばらく私は記憶がない。


 近衛兵隊長と五人の近衛兵たちに守られて、王都の下町に逃げ込み、旧兵舎だった宿の建物の一室で腰を下ろした。そんな端的な事実しか、私には認識できなかったほど……疲れていたのだろう。あまりにも、ショックな出来事が降りかかりすぎたのだ。


 幸運なことに、近衛兵隊長たちは優秀で、機敏だった。呆けていた私と違って安全の確保、周囲の警戒、情報収集とテキパキ仕事をこなしていた。


 夕暮れを過ぎたころ、私はようやく正気を取り戻した。


 とは言っても、ぼんやりと現状を把握しようとあたりを見回しただけで、ここはどこだ、なんて一瞬でも考えてしまうほど弛緩した頭は、頼りない。


 一般市民に変装した近衛兵が私の籠っている部屋へ帰ってきて、近衛兵隊長へ報告する。


「申し上げます。ネストラス様は、王城を制圧後、王都を封鎖しようとしています」

「レオカディア様を探しているのか?」

「おそらく。どこも血の匂いだらけで、虐殺が行われたことは疑いようがありません」


 それから、と近衛兵は私と近衛兵隊長の衣服を持ってきた。身分がバレると危険だから着替えて一般市民に溶け込め、ということだと、ぼんやりした頭でも分かった。


 近衛兵隊長は大きなため息を吐く。


「分かった、休め。これでは陛下の生存も怪しいな……」


 思わず口を突いて出た己の言葉のまずさに、近衛兵隊長は慌てて私へ頭を下げようとした。だが、なんとか頭が回りはじめた私は、首を横に振って制止する。


「いいのです、近衛兵隊長。私もそう思いますから」


 私は父を突き放すような物言いになってしまい、どことなく気まずい雰囲気だった。


 私はそれよりも行動しなくては、とまだ鈍い頭を奮い立たせ、近衛兵隊長へ尋ねる。


「王都を脱出できますか? もし途中で叶わぬとなれば、私を差し出して結構。すぐに支度をしてください」


 私は近衛兵から粗末な衣服を受け取り、髪と顔を隠すローブもあることに安堵した。一般市民に扮することに抵抗はないが、あまり日差しを浴びていない白肌と毎日整えられた金髪が見えては本来の身分があっという間にバレてしまう。


 近衛兵隊長は私が正気に戻ったと確信を得たのか、大仰に敬礼する。


「承知いたしました。この身に代えてもお守りいたします」


 私と近衛兵隊長たちはすぐに出立し、近衛兵隊長の知る王都外への抜け道を使って脱出を図った。古から使われている上水道を辿り、王都の外にさえ出られればあとは近くの宿場町に向かって馬を調達し、できるだけ遠くへ逃げる。


 ネストラスの反乱は、さして支持されるとは思わなかった。馬鹿ではないが、やり方が稚拙ちせつすぎる。これでは地方にいる有力な家臣団の面々が警戒して、協力体制を取るよう説得したとしても時間がかかりすぎるだろう。その前に私が彼らへ接触し、王都奪還の協力要請をするほうがまだ希望がある。たとえ邪魔されたとしても、簒奪者さんだつしゃを支持するよりは正当な王位継承者のほうが彼らにとっても都合がよく、事態鎮静化ののちの利益を考えれば私にずっとがある。


 王都の外に出るまでには、いつものように、私は王女らしく思考できるまでに回復していた。そして、未だクルールからの報告書を読んでいないせいで、私は知るべきことを知らない。


 私は、前を歩いていた近衛兵隊長へ、声をかけた。


「近衛兵隊長」

「はっ、何か」

「トリフィスの死体を見ましたか? 何が起きていたか、私はまだ知らないのです」


 近衛兵隊長は振り向かなかった。その表情を見せまいとしているようで、他の近衛兵たちもどこか強張っていた。


 数秒後、足を止めずに、近衛兵隊長は衝撃の事実を告げる。


「レオカディア様。犯人はネストラス様です。トリフィス様を穢し、あのように犯して殺害したのは、間違いなくあの方なのです」


 ここまで、誰の足も止まっていない。


 だって、十分に想像してしかるべきことだった。私は、本来ならとっくに察知しておくべき推測される現実から、目を背けていただけなのだ。


 ネストラス。今やは、トリフィスの仇だ。


 トリフィスを殺した理由がなんであっても、をもはや許してはいけない。私から最愛の婚約者を奪い、玉座を奪い、国を奪わんとする反逆者なのだから。


「分かりました、もう十分です。私は、仇の相手が分かれば今はそれで」


 それきり黙り、私はしばし考えた。


 どうすれば、復讐できるか。どうすれば、私の感情のすべてを正しい怒りとしてぶちまけられるか。


 果たして、私は——ネストラスの素っ首を切り裂いてやったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る