ホスピタリティ 一話  遠之 えみ作  

@0074889

第1話

「皆様、本日はお日柄も良く また、皆様におかれましてはご多忙中のところご出席賜りまして誠にありがとうございます。感謝申し上げます」 黒服に身を包んだ瘦せがたの男は慇懃に腰を折った。

「さて、ここで弊社取締役社長 塩釜 清明(しおがま せいめい)より皆様に感謝の意をお示ししたいとの事でございますので お耳を拝借させて頂きとうございます。では、塩釜社長宜しくお願い致します」

MCに促されて壇上に上がったのは身長こそ170㎝くらいと大柄ではないが、幅と厚みがあり 程よく日焼けした顔に口ひげを蓄えた初老の男性である。

一目で上質と分かるダークブラウンのスーツを見事に着こなしている。

塩釜社長はマイクを握ると口頭一番 「セレブリティの皆様 お目にかかれて光栄に存じます」と言った。


ここは、東京多摩地区のある一角で、4年前に30年以上街の顔として営業を続けていたホテルの跡地である。

跡地に何が建設されるのか注目の的だったが、誰しも商業施設を予測していた中、最終的に落札したのは老人ホームを全国展開していた「真心」と云う会社である。

真心は日本国内にとどまらず ニューヨーク、ハワイ、シンガポールにも「ホーム」を持つが 業界では新顔の会社だ。

極端な人手不足のこの業界で躍進を続ける「真心」は一言で言えば 資産家だけを優遇する超高級ホテル型老人ホームである。

入居金だけで多摩地区でも一人3億円用意しなければならない。東京都心やニューヨーク ハワイとなれば一桁違ってくる。入居金の他に諸事維持費として毎月一人

35万から50万の支払いが生じる。

こんな所どこの誰が入るんだ?と思う庶民をよそに、この計画が持ち上がった時点で入居希望者が殺到し、公式に発表された時は50組の居室は既に完売状態だった。

金はあるところには有るのである。

7階建てでB1、B2が駐車場と関係者出入口。1階はホテルのロビー仕様でガードマン コンシェルジュが詰めている。

2階は居住者たちの為のレストランとショッピングストアが立ち並ぶ。3階から6階までが居室で7階はシアターやカラオケが楽しめる娯楽施設のフロアーである。

居室のある3階から6階には各階看護師が常駐するステーションがあり いつでも居住者の緊急呼び出しに対応する事ができる。

食事も2階レストランの受付で食べたいものを注文すれば席まで運んでくれるし、希望すれば部屋にも届けてくれる。寿司あり、天麩羅、中華、フレンチ、イタリアンと充実している。これらはすべて治療費以外毎月の支払いに含まれていて、入居者を訪ねてきた親類や友人などが泊まれるゲストルームも常備されているのだ。

まさに、至れり尽くせりだが金が無ければ始まらない。

塩釜社長が言った「セレブリティな皆様」と云う人種なのである。


初島 茜(はつしま あかね)は地方の高校を卒業後 職種を転々としながら 

ある出来事がきっかけで介護の仕事に足を踏み入れた。

茜が、「真心」が介護職員を募集しているらしいと聞いたのは横浜市内の有料老人ホームに従事している時だった。まだ25歳になったばかりの茜は先輩から言われるまま動くだけの下っ端だった為 先輩の顔色を伺いながらとにかく、とにかくミスのない様に立ち回る事で精一杯だった。入居者から、今日は体調が悪いからカーテンを開けてほしいと云うたわいのない要望でも いちいち先輩の許可を取らなければならない窮屈な職場だった。勿論、理由があっての事だろうと思うのだがどの先輩も言われた通りに動いていればいいのだと云う態度で ちょっと嫌気を覚えだしていた時事務所で3人の先輩がコソコソ話しているのを耳にした茜は どうせ嫌な環境で働くなら一度くらいこんな所で、と思い立ち早速下見に出かけた。

ホテル仕様のホームにはかなりビビッたが、それ以上の好奇心に駆られダメもとで応募したら通ってしまった。

勤務はシフト制でこれまでと変わらず やる仕事もこれまでと大差ない。それどころか、24時間医師と看護師が常駐しているのも心強い限りだし、何といってもセキュリティが万全だ。

茜は利便性を一番に考えて 少し割高になるが乗り換えなしで駅から徒歩20分以内の物件を探すことができた。25㎡の狭いワンルームだがトイレ浴室は独立しており十分と思われた。以前は古い民家の間借りだったので正直かなり窮屈だったのだが、施設長からの斡旋でもあり家賃も格安だったので促されるままに夜具を運び込んだ。家主は65歳の未亡人で28歳の長女と26歳の長男24歳の二男と4人暮らしだったが、古いとは云えかなり大きな屋敷だったので、茜の他にも大学生の男の子と何故か水商売系の二十歳くらいの女の子が間借りしていた。

一階には家主と長女、二男の部屋があり2階が茜、男子学生、件の女の子の部屋が横一列に並んでいた。廊下を挟んだ向かい側にも三部屋あり そのうち一部屋が長男の部屋である。つまり二部屋空いていて入居者募集状態だったが、茜が退去するまでの2年間空いたままだった。

茜の部屋と壁一枚隔てた隣が二十歳くらいの女子である。茜が疲れて寝落ちする頃に帰宅する。それは仕方ないとしても男と一緒に帰宅する時もあり、何人も友人を連れてきて朝まで騒がしい日もありで なかなか悩ましい日々であった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る