第16話 青葉祭一日目 ⑤
恋心とは、なんだろうか。
好きとは、なんだろうか。
恋人とは、なんだろうか。
そんな途方もない哲学的な疑問が、終始俺の頭の中を染め続けていた。
『まだ好き?』
先輩の言葉がずっと、胸の奥から離れなかった。頭の中で何度も跳ね返り続け、あるいは鐘のように、重く鈍い激痛を伴っていた。
「好き......だったんだろうなぁ」
ポツリと気まぐれに呟いたその言葉は、誰の鼓膜も揺らすことはなく、窓の外から聞こえる歓声にただ飲み込まれて消えるだけだった。
俺がそろそろ立ち上がろうと思い始めた時、突如として保健室の扉が開け放たれた。
「せんぱぁい、まだいますかー?」
生クリームで塗り固められ、その上からチョコソースを満遍なくかけてマシュマロで包んだような、胸焼けさえ覚えるような声。
「蒲谷?」
俺がそう声をかけると、視界の端からひょっこりと謎に包まれた声帯の持ち主が顔を出す。朝見たときはツインテールだったのに今はポニーテールになっていて、全面に押し出されていた幼さは鳴りを潜めどこか大人びた雰囲気を纏っていた。
蒲谷は先程まで小山先輩が座っていたベッドに併設されている椅子に「よいしょっ」とか言いながら腰掛けた。
「わっ、特殊メイクかなんかですか?」
人の顔を見るなりそんなふざけたことを言い出す蒲谷に若干呆れつつも、今はその雑さがなんだか心地よかった。
「ちげーよ男の勲章だよ」
俺がそうドヤ顔で返すと、蒲谷はあからさますぎるくらいに吹き出した。
「正直ダサいですよ、それ」
「で、なにか用か?」
「それがですね、先輩がチンピラに喧嘩を売った挙句ワンパンKOされて救急搬送されたって聞いたのでどんな無様な顔を晒すのか見てみたくなっちゃって」
あながち間違ってはいないことではあるがそこだけを切り取られてしまうと俺の面子が丸つぶれすぎて悲しくなってくるし不登校まで視野にはいるから本当にやめてほしい。
「ダサすぎるだろそいつ」
「まぁ冗談なんですけど」
なんで嘘ついたんだよ。ヒヤヒヤさせないでくれよまじで。もう学校来れなくなるところだったんだから。退学届の場所確認しに行くところだったんだから。
「実際のところはすごい英雄扱いですよ」
それはそれでなんか嫌だな。
「なんでだよ。そんな大層なことしてないだろ」
「なんたってあの小山先輩を守ったわけですからね。全学年の男子から賞賛の嵐だとかなんとか」
「男子だけかよ」
そこは女子から人気爆発して『きゃー渡里くんかっこいー』ってなってファンクラブまで創設される流れだろ。
「まぁ少なからず興味を持っている女子もいるんじゃないですか?私はしりませんけど」
なぜだか急に笑みを消しながら吐き捨てるように言う蒲谷。
「そうはいっても仕事だからな。校内の治安維持は文化祭実行委員の管轄だ」
「ほんと、そういうとこですよね」
「なにがだよ。かっこいいこと言ったじゃん今」
「台無しです。それより!どうですか?今日の私」
俺の武勇伝がただ髪の束を2つから1つにしただけの話に優先度が負けたことに少し腑に落ちない感情は抱きつつも、もう一度蒲谷に視線を送る。
「いいんじゃないか?大人っぽい感じがする」
俺がそういうと蒲谷は自分の両肩を抱き体をくねくねと左右に動かす。
気持ち悪い動きこの上ないのだが、もはやこれはぶりっ子なのか?という疑問が先行してしまい正常な思考回路を放棄した。
「そんなことないですよー、先輩ったら褒め上手!」
求めていた感想を見事に送ることに成功したのか、明らかに蒲谷の機嫌がよくなったことが目に見えてわかる。
「いや、いつもが子供っぽすぎるだけなんだけどな」
俺が笑いながらそういうと蒲谷は隠す気のない舌打ちとともにへなちょこなパンチを繰り出してきた。
もちろんつい先刻チンピラのパンチをクリーンヒットされた俺からしてみれば腕に毛が生えたような感覚なのだが、当の蒲谷もダメージを残せると思ってパンチしているわけではないのだろう。
「女の子がいつもと髪型変えてきたら黙って褒めるだけでいいんですよ。余計なことは絶対に言わないこと!わかりました?そんなんだからモテないんですよ」
「はい、すみませんでした」
「よろしい」
なぜ俺が怒られているのかも謝らされたのかも分からないままに話題は流れ、昼下がり特有の微睡んだ空気がこの場を占める。
「それで、あの女は誰だったんですか?」
突然ぶっこまれたその爆弾発言に俺は大袈裟すぎるくらいに取り乱した。
「え、は...いやなにが?だれ?なんで知ってんの?」
「ぷはは、先輩焦りすぎですって。やっぱり女の子と回ってたんですね」
「え?なんのこと?俺ずっと教室の店やってたけど」
「あれ?じゃあなんでそんな焦ったんです?」
その発言でようやく俺は鎌をかけられたことに気がついた。
なるほどじゃあまだ見海がいたことは知らないのか。
「いやだから誰と勘違いしてるんだろうなーって思って」
「......なんか怪しいです」
蒲谷はそういってポケットに入れていたスマホを取り出し高速でなにかタイピングしたかと思うとニヤニヤとした顔でこちらに向き直ってくる。
「なるほど元カノですか」
まじでこいつの情報網どうなってんだよ、と改めて恐怖を感じつつ、そこまで情報が回っていることに後ろめたさを覚えた。
「元カノなんていたんですね。てっきり中学でもモテなかったのかと」
「実際モテてはなかったよ。元カノっていってもその一人だけだし」
「ふーん」
心底興味なさげに返してくる蒲谷。なんでだよお前が始めた物語だろ。
「蒲谷ってさ......」
「ん?どうしました?」
この前同じ状況だったときに、口に出せなかった質問。気が引けて聞けなかったこと。
ただ、そう。会話の延長線上で。過去をふりかえって自分の状況を考えると出てくるのが当然の疑問で。
本当に、深い意味なんてなかった。
「人に嫌われたことってある?」
けれど今日は、人の心の傷に配慮することを忘れた。
「え....っと......」
途端、見たこともないほどに動揺し始める蒲谷。目の焦点が合わず、どんどんと光が失われていく。体は不規則に揺れ続け、生クリームの声帯は決壊した。
「ごめん、そんな追いつめるようなこと聞きたかったわけじゃなくて......ただ興味本位というか......!」
「あ.....あ、ぁ」
言葉にもならないような音を漏れ続けさせるだけの蒲谷を目の前にしてどうしたらいいのか分からず、どうしたらいつものように笑うのか分からず、考えるよりも先に体が動いていた。
だから突然蒲谷の体が近づいてきたことに理解が追いつかなかった。そして遅れて体が蒲谷の匂いで包まれて、俺が蒲谷を抱きしめたのだと気づいた。
「せん....ぱ....い?」
身体を通して伝わってくる蒲谷の震えも、幾分か収まっていくような気がした。
「ごめん、軽い気持ちでこんなこと聞いて」
「や....それは別に...大丈夫...ですけど、この状況が」
そう言われて俺はようやく冷静になり、慌てて蒲谷から距離を取り自分のした事の重大さを改めて理解した。
「ごめん、どうすればいいのかわからなくて、咄嗟に......」
俺があたふたと謝ると蒲谷は視線を斜め下にそらしながら苦笑を浮べる。
「いえ、こちらこそ。少し...取り乱してしまって」
俺が何も言えずにいると、蒲谷はポツポツと独り言のように話し始めた。
「私、こんな性格ですから、中学のときとか特に同性との衝突が多くて。でもそういうことがある度に男子は私の味方をしたんです。だから余計に女子の中では孤立していって。......私はそれを悪い事だとも恥ずかしいことだとも思いませんでした。だって、私を好きでいてくれる人がいるから。可愛いって言ってくれる人がいたから。でもある日を境に、変な噂が流れるようになったんです。......私がお金をもらっていかがわしいことをしている、とかそういう。もちろんそんな噂は根も葉もない全くの嘘ですよ。でも、その情報はすぐに学校中に広まりました。教師にも伝わり、親が学校に呼ばれました......お母さん、泣いて謝ってました。お母さんが悪いわけでもないのに......。私が悪いわけでもないのに。先生に謝ったってなんの解決もしないのに。私はそんなお母さんの姿をみて、酷くいいようのない吐き気を感じたのを覚えています......今でもはっきりと。多分、ずっと忘れることもないんでしょう。結局、先生の方から噂は嘘だと否定が入りました。けれど、一度張り付いた負のレッテルは、そう簡単に剥がれることはありませんでした。この時だけは、誰一人として私の味方はいませんでした。けれども仕方のないことです。私の味方だった男子たちは私の見た目だけが好きだったんですから。私を見た目だけで判断してたんです。私は、そういういかがわしいことをしかねない見た目だったんでしょう......。そうして私は残りの中学生活を後ろ指をさされながら過ごし、誰も私を知る人がいないようにとこの高校にきました。......何が言いたいんでしたっけ。......私は昔から、数え切れない数の人から負の感情を向けられてきました。それが憎しみであれ、恨みであれ、......性欲であれ。それら全てを無視して生きてきました。人の評価なんてどうでもいい、そう思って生きてたんです。そう言い聞かせないと生きられなかったんです。誰かに好かれるということは、誰かに嫌われることと同義です。だから私は、周りの男子から好かれていた分、知らない間に女子から嫌われていました。これが、さっきの質問への私の答えです」
ただ、淡々と。
できる限り感情を乗せないように。
いつもとは対象的な機械のような冷たい声で涙を堪える素振りすら見せず、蒲谷は過去を語った。
そこにいったいどれだけの想いが、どれだけの辛抱が隠されていたのか知る術は俺にはない。
あるいは何も隠されていないのかもしれない。
「誰に嫌われたのかはしりませんが、私から言えることは『全員から好かれる必要なんてない』ってことですかね」
何も無かったかのように、ケロリとした表情でそう言ってのけると甘い響きといつもの謎のポーズだけを残して去っていった。
俺は蒲谷を引き止めようと手を伸ばしたが、言葉が伴わず、ただ空中に放り出された手が掴むのは空虚な孤独だけだった。
俺もそろそろ立ち上がろうとした時、突然ポケットの中にあったスマホが振動を伝えた。
取り出してみてみると、小山先輩からのメッセージが届いていた。
『今日の劇、見に来てね』
俺はスマホをポケットに入れると、一人で体育館をめざして歩き出した。
いとこは結婚できますか? 時燈 梶悟 @toto_Ma
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