海崎しのぎ

第1話

取調室より


 机を挟んで男と警官が向かい合っている。男はずっと穏やかに笑っており、警官はそれを神妙な顔で見つめていた。男には殺人の嫌疑がかけられていた。警官は調書と男の顔を交互に見ながら、男がものを言うのをただ待っていた。

 没個性だと思っていたんです、何も人並みまで成長できなかったから。勉強も運動も、人との関わり方も失敗ばかりでした。何も成長できないまま、人生の岐路に立つ度に足が震えました。未来は塗り込めたように真っ暗で、そもそも今立っているこの場所で道は終わっていて、一歩踏み出したら底無しに落ちて死ぬんじゃないかって、そんな事ばかり考えていました。  

 周りが個性を武器に生きていくのが妬ましくて、武器にできるだけの個性を持たない自分が恥ずかしくて情けなくて、よく言うでしょう。少し先の未来を考えて生きなさいって、あれがずっと出来なかった。今だってよくよく考えなきゃ生きていかれないのに、先まで考えているだけの余裕なんて常にありはしなかったんです。

 でも選ばなきゃいけないから選びました。その時一番、人並みに出来る事を学ぶ道を、です。愚かながら、当時はその出来を胸を張れると思っていたので、どんなに辛く大変な道でも歩いていけるんじゃないかって驕っていたんです。

 幼い頃からなんとなく感性のズレた子供でした。塗り絵とか、歌とか、人と同じなのが嫌だった。そう、集団行動も出来ませんで、運動会の行進の練習なんてとても見ていられないくらい悲惨でした。毎年、毎年悲惨でした。人と同じ事が嫌だったのに加えてそもそも出来なかったんです。だからでしょうか、同じ事をしなくて良い環境は居心地が良かったんです。

 筆を取ったのはほんの遊びでした。真剣になんて考えてなくて、楽しさと快感とを享受するだけで満足していました。一生の趣味になるんだろうなって、ぼんやりそれだけを考えていました。

 何ものにも限度がありまして、学生時代にそうやって遊んで過ごしていたら周りに置いていかれてしまいました。勉強も運動も出来ないまま人生の岐路に立ってしまいました。だから今度は真剣に考えました。さっき選んだと言った話です。芸術の道を選んだんです。思い返せば無謀なものです。馬鹿なものです。でも、最善だと思ったんです。

 選択を後悔したくなかったので一所懸命勉強しました。昔の態度からは考えられないくらい勉強して、絵だけをずっとやっていたのに他にも色々興味を持ち出して、何にでも手を出しました。

 好奇心?いいえ、ただの焦燥です。

 作家達の団体の中で、絵を描く人の一覧になんとか名を載せて貰っていました。そこで同志達と一緒に活動をしていたのですが、私だけはずっと芽吹かなかったんです。

 制作を続ける傍らで、とある先輩からコンペディションの参加のお誘いを頂いた事がありました。比較的得意とする主題での制作で、二つ返事で了承して取り組んだのです。もちろん腕に自信なんてありませんよ。あの時は声をかけて頂いた嬉しさと、声をかけた事を後悔させない事だけを胸に、机に齧り付いて日々を過ごしていましたから。何を描いても満足できなくて、その程度のものしか作れない事が辛くて苦しくて、人並みですね、この感想も。仕方がないです、没個性ですから。とにかく、大変な中で作り上げたんです。締め切り間際に何種類かを纏めて送って、結果が出るまで生きた心地がしなかった。いくら待っても連絡は来なくて、ずっと思い続けている事すら辛くて自分の制作に逃げて、忘れた頃に連絡がくるんです、ご期待に添えず、と。

 こんな事が何度も続きました。参加の誘いは良く頂くのに、通った試しがないのです。期待に添えなかったのはこちらなのに、皆が口を揃えて『ご期待に添えず』なんていうのだから惨めになってくるのですよ。

 異常だと思っていたこの他者と同じことが出来ない感性が、団体の中では凡庸でつまらないものだったんです。唯一の武器が、手入れをしてきたつもりがいざ使ってみたら刃こぼれが酷くて使えなかったと知った時の感覚が分かりますか。絶望ですよ。どうして自分がここに居るのか、なんの権限があって居られるのか、何も分からなくなるんですから。

 一刻も早く新しい武器が必要でした。知識でも経験でもなんでも良くて、一つを秀でることが出来ないなら、劣っていても数を持とうと思ったんです。焦燥しかありませんでした。己の価値は問う度に下がっていきました。


 強い抑揚で歌うように語る男は終始楽しげで、とても女を二人惨殺した人間とは思えない。警官が言外に事件の詳細を促すのを、男は気付かぬふりで話続けた。


 個性が無いのに加えて、もう一つ大きな欠点があるんです。昔からやったつもりになって満足してしまうんです。

 例えば、地図を見たとしましょう。京都が良いですかね、別にどこでも良いんですが、適当に買った雑誌に偶然京都のどこだかの地図が載っている。一緒に写真も載っているでしょうね。美しい街並みだったり、歴史ある建造物だったり、おいしいご飯だったり、そういうのが綺麗に切り取られて並べられているのを、こうしてじっと眺めるんです。写っている物や場所に想いを馳せて満足してしまうんですよ。実際に旅行には行ってないのに、その場所に行って堪能した気分になって、それを題材にまんまと一つ作品を作り上げてしまう。

 よく言うだけ言ってやらない人がいるでしょう。あれより質が悪い。旅行だけでなく遊戯も見るだけで遊んだ気になって終わってしまうので、おそらく天性の面倒くさがりなんだと思います。見て、想像して終わりです。面倒。いいえ、行きたくない、やりたくないが理由では無いんです。制作以外の事に時間を取られるのが何よりも嫌で、外部からの新しい刺激を得るのと制作時間を天秤にかけて、いつも同じ方が傾くんです。

 でも思考は食事と同じですから。作り続けるばかりではいつか発想は生まれなくなってきます。食事も吐き続ければ胃袋が空になって、腹が減ろうが減るまいがまた食べなきゃいけないでしょう。同じです。だから発想力も枯渇する前に新しく取り入れなくちゃいけないという訳です。制作時間を確保しながら新しい刺激も受けられる。あぁ、横着。そう、横着だったんです。思えば食事だって、人が何か作っている所を見て食べた気になって結局その日一日まともに食べなかった、なんてよくある事でした。食事もまともに取らない奴が刺激を取ろうなんておかしな話でした。

 はぁ、別に、お金は無くはないです。少なくとも食に困る生活はしていませんでした。本当に、見るだけで満足していたんです。

 そんな調子だから、個性が出ないんでしょうね。全く残念です。どんなに知識や想像力を蓄えた所で、実際の体験が生み出す鮮烈な強さには到底叶わない。所詮は全て作り物で、紛い物です。魅力など出せる訳がない。分かっていながら甘んじていたんです。没個性。没個性。個性が欲しいと嘆きながら、得る努力をしましたか?血を吐き身を壊して命も顧みないような努力を?していないでしょう。だからいつまで経っても何も生み出せない。何もしないから何も咲かないんです。道理です。

 流石に全く何もしなかった訳じゃないですよ。武器を増やすのもそうですが、それだけじゃなくて、没個性なりに何か作れないかって奮闘したことはありました。

 いつだったか小説ばかり書いていた時期がありまして。主題は、そうですね、自分が見ている世界を書く、とでもしましょうか。大層なものじゃないです。道端の石を拾った時の感想や、擦り寄ってくる猫を見てふと考えた衝動を元に、空想を肉付けして物語に仕立てるのです。これなら自分の心の中身が根底にあるから、実際に体験に抵触はするでしょう。どうにかならないかと思ったんです。自分の近いところに作品を作れば多少の強さや個性が出せるんじゃないかと、思ったんです。

 今までに書いた小説は、殆どの話が主人公や語り手が女性なんです。女性になりたいとかではありませんよ。自分の心を書くのに物語の軸を同性にするとどうしても都合が悪かったんです。同性で物語を書くと純粋な叶わない理想ばかりが色濃く出るか、完全な空想の物語になってしまうか、どっちかにしかならなかったので。自分の中で捏ね回されて作られた理想を書くのも良いのですが、自分がなり得なかった自分じゃない誰かを軸に話を書いたらそれは当初の目的から外れるでしょう。だから異性で書いていました。そうした方が客観的に自分のことを書ける気がしたんです。

 はい?もしそれが成果を出していたら、こんな所に居ないと思いませんか。


 一息に話して、男は漸く口を閉じた。笑顔で話し続ける男は一度も警官を見ず、視線は机の上に組まれた両手に向けられている。死んだ魚のような目をしている癖に、声の調子だけは一貫して明るく快活で、今までの出来事をさも楽しそうに話すのだ。

 とうとう警官も男を見ていられなくなった。


 同志達が、この没個性を信じる思考を否定した事がありました。取り分け仲が良く、いつも側に居させて貰っていた人達です。没個性でいる事を拒みながら、それなのに何もせず、だからと言って没個性な作家として生きる事を受け入れる事も出来ないこの心情は誰にも話した事がないのに、曰く、見ていてなんとなく分かったそうです。

 そしてどうも驚くべき事に、凡庸だと思っていた感性は実は凡庸ではないらしいのです。

 やらなきゃいけない事があって、それをやる為の全ての準備も整っていて、挙句締め切りも近いのに、やりたい事にばかり手を出して辞められない。いけない事だと思いながら手が止まらず、結局締め切りの幾日か前に死にそうになりながらやるべき事を終わらせる。そんなよく見る駄目人間を地で行きながら、感性は特別らしいのです。

 何がどう彼らと違っているのか、他の大多数に対して何が特別なのか、いくら考えても分かりませんでした。だってもし個性があればもっと成果を残せている筈でしょう。少なくても実績を得ている筈です。何も無いから、信じられなかった。けれど、そういう話ではないんだそうです。

 周りに似た感性を持った人が居ないから、自分の感性もそこから生まれる世界観も、自信を持てないだけじゃないかと言っていました。同じ芸術をやる同志達と近いものの見方が出来ないのは確かに感性以前にそもそもの思考が間違っているからではないかと考えた事がない訳ではありません。寧ろ間違いだと決め付けていたような。あんなに同じである事を嫌ったのに、同じであろうとしていました。仕方がないんです、臆病だから。人と違うのは平気だけど、それが間違いであるとか、それで失敗を引き起こすとかいう方が怖かったんです。だから、人とは違う、けれど大枠で見れば大多数の方に分類される、そんな曖昧でなんだか分からない所に身を置こうとしていたんです。

 でも、同志達の言葉を信じてみたくなりました。没個性じゃないというこの感性と、向き合ってみようと思ったんです。感じた事を否定せず、それはとても難しい事だったし、怖かったけれど、同志達を信じて逃げずに受け取りました。

 これが彼女達が死んだ理由です。いえ、同志達は関係無いです。ただきっかけをくれたという事をお話ししたかったんです。良い人達ですよ。本当です。こんな没個性を、失礼、もう没個性ではないのでしたね、ともかく、見捨てずにずっと一緒にいてくれた人達です。彼らにはとても敵わない。人間としても、芸術家としても。個性の所在を明らかにできれば、少しは同志達に近付けるでしょうか?


 延々と俯きながら独りごちる男を前に、警官も顔を上げず相槌も打たずに書類を作る。途中同僚が入室して飲み物か何かを置いて行ったが、二人は気にも留めずお互い自分の事に集中していた。


 同志達とそんな話をした後すぐに、映画を見たんです。題名も内容もよく覚えていません。重要なのはそこではないですから。重要なのは、それが時代劇だった事です。殺し合いをしていたんです。刀を持った侍が、三人の人間を次々と殺していくのです。その三人が何をしたのかは覚えていません。けど、何か悪いことでもしていたんじゃないですか。勧善懲悪物だった気がしますし。違う、違う、そこじゃない。その殺し合いが、音楽のステージに見えたという話をしたいのです。侍が長い刀を抜いて、斬り伏せた相手の髪をこう、胸の辺りに持ち上げて、首にハバキの所を当てて、横に引いたんです。え?はぁ、確かに侍はそんなことしませんね。じゃあ侍ではなかったのでしょう。ともかく、その男がヴァイオリン奏者に見えたんです。

 同じ事をやりたいと思いました。思ったのならやらなければいけないと思いました。今まではやりたいと思ってもそれをやっている人を見て同じ事をした気になって満足していたんですが、それがいけないんだと思ったんです。お分かりですね。そうです。演奏者になったんです。彼女達はその為に死ななければならなかった。必要な犠牲でした。お陰で思い浮かべるだけでは得られない素敵な体験が出来たんです。早く制作をしたくてたまりません。でもあの時の高揚を独り占めするのも勿体ないですから、特別に詳細を共有しましょう。

 協力してくれた女性達は両方とも同じ団体の絵描きでした。一緒に仕事をする事もありましたし、食事に行ったり家を行き来したりもする関係でした。片方は小柄で丸顔の華奢な人で、もう片方は背が高く線の細い美しい人です。

 最初に声を掛けたのは小柄な女性の方で、制作したいものがあるが一人では難しいから相談に乗って欲しいと言って食事に誘い、その後家に呼ぶ約束まで取り付けました。二人で適当な事を話しながらお酒を飲んで、酔いが回った頃合いで家に連れ帰りました。それから家にある分も殆ど空けて、一時くらいだったかな、泥酔した所を、日本刀で。女性でも完全に脱力した人間というものは重いんです。その人は髪が長かったので、一つに結ってある髪を手に巻きつけてから根本を掴んで持ち上げました。か細い呻き声が聞こえて驚きましたが女性は起きませんでした。気を取り直して、握り直した髪を目の高さまで持ってきて、折角なので女性の顔がこちらを向くようにして、首筋に刃を当てました。

 よく切れる刀でした。

 女性は一瞬で覚醒しました。悲鳴をあげたんです。いけない、と思って刀を引き抜きました。そしたら、空気の塊を吐き出すみたいな声に変わりました。喉の切り口から空気が漏れているんです。肩を激しく上下させて、傷口を抑える手は真っ赤に染まっていました。指の隙間からびちゃびちゃ漏れて、血溜まりを作っていたんです。

 いけないと思った事を後悔しました。あの映画の男はたった一度だけ上品に鳴らして立ち去っていったんです。楽器に未練も何もなく、なんとなしに一度だけ。そんな粋な姿に魅せられたんですから、同じヴァイオリン奏者となるには焦ってはいけなかったんです。最初で最後の魂の響きを楽しまなければならなかったのに、失念していました。

 家でやったのが悪かったんです。大声で叫ばれたら周囲に怪しまれますから。オーケストラだって、音楽ホールでやるから美しく人々を魅了するのであって、住宅の中で弾き鳴らしてはただの迷惑でしかありません。あの男も人気のない参道かどこかで鳴らしていたのを、動かなくなった女性を見ながら思い出しました。

 やり直そうと思ったんです。次の女性も、最初の女性と同じ文句で誘いました。一つだけ違ったのは、食事の後家ではく森へ行った事です。作品の舞台にしたいから下見を手伝ってくれとかなんとか言った気がします。この時はお酒は飲みませんでした。彼女は酒嫌いだったので、普通に食事をして、そのまま車で移動しました。助手席に乗せました。後ろの席にはスーツ一式と日本刀を積んでいました。女性が後ろを見て荷物のことを聞いてきました。作品のイメージを掴む為の小道具だと言い訳をして、女性は素直に信じました。可哀想に、制作の為だと言うとどんな物騒も不可解も道理が通ってしまうんです。

 嘘を真にする為に、車の中でありもしない作品の制作予定について話しました。女性はよく食い付いて、空想が変に具体的になって行きました。それはもう、実際に作ってみたくなるくらいに。制作できないのが残念です。

 話をしていたら喉が渇いたというのでお茶を渡しました。車から降りて、裏の方でスーツに着替えて戻ってみると、女性はぼんやりと座席に沈み込んでいました。吐き気がすると蹲ったり、頭痛がすると唸ったり、とにかく具合が悪そうでした。受け答えもそんなに出来ていなかったと思います。ええ、渡したお茶は予め用意しておいたもので、自販機で買ったペットボトルのものでした。糖尿病用の市販薬を大量に仕込んだんです。怪しまれませんでしたよ。自分で少し飲んでしまったものだと断って渡しましたから。回し飲みに抵抗の無い人でよかったです。

 車のドアを大きく開けて、女性を外に下ろしました。彼女はね、背が同じくらいだったので、最初の小柄の女性の時のようにヴァイオリン奏者になるのは難しかったんです。だから掴んで引き上げるのは胸の辺りまでにして弓を引きました。チェロのように。女性は素晴らしい声を上げてくれましたよ。低い声だったので本当にチェロみたいで、彼女の悲鳴が全身を震わせてくれるんです。これがずっと聞きたかった。弓が完全に抜ける時まで、ゆっくりゆっくり弓を弾くんです。叫び声がだんだん大きく激しくなって、最高潮に達したその瞬間に一気に弓を引き抜くとね、気道が断たれて声の代わりに血と空気を一気に吐き出すんです。絶叫が一度の爆発音を境にふっと静かになるんです。しんと静まり返る夜の森に土の匂いと草の匂いと、場にそぐわない鉄臭い血の匂いが充満するんです。狂った空間の中で一つの楽器が朽ちていく。なんて風情のある光景だと思いませんか。鳴らして終わりじゃない。壊れて朽ちるという最期を見届けて漸く幕が降りるんです。曇りで月が出ていなかった事も良かった。朽ちる過程なんて照らしだして飾り立てる方が無粋でしょう。ひっそり終わりを迎えるんです。それを親しい者が言葉なく見守る。その手に握っているのはなんですか。弓です。日本刀です。日本刀も、握っている人間も血塗れなんです。紛れもなくその楽器の最期を預かった、たった一人なんです。どうですか、信頼関係が見えてきませんか。見える筈です。音だけでなく関係性まで示唆する、ただ音を出して去って行ったあの映画の男も粋で良かったですが、この奏者の在り方も素晴らしい。そう、だからオーディエンスの歓声と拍手が鳴り止まない!皆がこの鮮烈な強さに喝采を送る!貴方もそうでしょう、喝采を送りたいんでしょう。なんですか?沢山居ましたよ。だって音楽ステージなんですから、観客は必要でしょう。予約のいらないステージで、沢山の人が見に来たんです。

 同志達を信じて良かった。やはり経験は大事だったんです。この素晴らしい体験を早く、早く形にしなくては。

 喝采は本当に聞こえましたよ。彼女の最期は本当に静かでしたよ。やめてください。聞いたんです、見たんです。本当に経験したんです。見るだけ、思うだけで満足するような愚かな思考から脱却したんです。鳴らしたのはヴァイオリンとチェロです。握っていたのは弓です。血塗れの日本刀です。鳴っていたのは女性達です。映画の男の真似をしたかったんだから、当たり前でしょう。楽器みたい?楽器でした。確かに楽器でした。でも女性でした。人間は楽器では無いです、そう見えたという話で、でも、森で朽ちたのは楽器でした。楽器でした?楽器でした?違う。違わない。じゃあ、何を見たというんです、あの時聞いた称賛はなんだったんです。どうして誰もいないのに、誰が称賛したんです。誰にも見られていないあの舞台を、誰が見たっていうんです。誰が。

 私が。

 私が見ました。

 私が喝采を送りました。私一人だけが手を叩いたんです。弾いたのは私です。奏者は私です。殺したのは私です。

 どうして?拍手喝采など最初から無かったというのですか。女性は女性のまま死んだのですか。私があの男を奏者だと思ったように、私を奏者だと思った人は。まさか居ないというのですか。では私は。このまま作品が作れないなら、結局何も得られないではありませんか。何も無いではありませんか。

 願望のまま満足するのは間違いではなかったのですか。経験が作家を育てるのではなかったのですか。確かにここにあるらしい個性を尖らせていくのべきではなかったのですか。

 没個性だと思っていました。

 分りました。私は没個性ではありませんでした。分りました。

 私は。

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海崎しのぎ @shinogi0sosaku

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