シャドーセンス

さとうゆい

第1話 闇野沙紀

「お母様・・うそ、なんで・・・っ。いやああああああああ!」

目の前で冷たくなっているお母様を見て、眼の前が真っ暗になった。

手が震える、足がすくむ。

なんで、なんで。

どうして。

怖くて、怖くて。

怖くて。


さっきまで一緒に道を歩いてたのに。

急に飛び出してきた車。

私の名前を叫ぶお母様の声。

すべてがスローモーションのようだった。

こんなこと・・・っ。


もし私が自分のことをちゃんと自分で守れていたら。


「ピピピピッ・・ピピピ・・・」

目を開けた時、頬に涙が伝っていた。

目覚まし時計の鳴る音がする。六時ちょうど・・・いつも通りの朝、私は窓を開け、外の少し冷たい空気を吸った。ここは、有名な会社が集まる地帯、青南三市せいなんみし

私、闇野沙紀やみのさきは桐のきりのは学園中等部の1年生だ。

「今日は少し涼しいですね・・・昨日はそこまで寒くなかったのですが・・・。」

朝の匂いのする部屋の中で私は稽古用の服に着替える。

毎日着ているので新しいのを買ってもすぐにずっと使っているかのようにに体に馴染んでくる。

「お嬢様、お支度はおすみになりましたか?」

竹でできた引き戸が音もなく開き、お手伝いさんの佳苗かなえさんが笑顔を見せた。

「はい。準備できました。」

私は佳苗さんの方を向いて頷き、廊下に出る。


今日、久しぶりにあの日の夢を見た。何もできなかったあの日の夢を。

自分の無力さを深く深く悔やんだあの日の夢。

私は拳を思いっきりに握りしめる。爪が肌に食い込んで痛い。

あの時よりは強くなっている。

毎日、毎日。師匠である蓮さんとの組手練習を通して。大男相手にも立ち回れる自信はついてきた。蓮さんのスパルタのおかげだ。

テコンドー、空手、合気道、柔道などのいろんな護身術を習ってきて、その中で最も自分に合っていると思ったのが、柔道と合気道。柔道は相手を投げたり抑えたりして制する武道で、合気道は相手の力を利用して投げたり、制したりする武道。この二つを組み合わせて、身を守る術を磨いてきた。

「蓮さん、おはようございます。今日もご指導よろしくお願いします。」

「ああ。」

蓮さんは、あまり表情を見せない。

でも褒めてくれるときには心から褒めてくれるし、教え方もすごくうまい。そしてものすごく強い。


私の武術の師匠である上杉蓮うえすぎれんさんは、私より2歳年上で中3三年生。私の幼馴染でもある。蓮さんの母方の祖父がロシア人ということもあり、背は私に比べて頭1個分ほど高く、瞳は少し青みがかっている。髪の色は少しブロンドがかった茶色。

彼は、私が五歳だった時、私の家の隣に引っ越してきた。代々護衛を生業としている家系だった。幼い頃から修行をしていた蓮さんは、小学生の頃でさえ、普通の大人一人となら戦って勝てるレベルに強かった。お父様が、上杉家に私の護衛を頼んだとき、蓮さんがずっと傍にいてくれることになった。当時の蓮さんはまだ子供だったので私には大人の護衛もついていたが、蓮さんは中学に進学すると同時にプロの護衛としてその実力を認められ、一人で私を護ってくれるようになった。では、蓮さんはなぜ私を護衛をしてくれているのか?

それは、私の持っている力に関係していた。


私には、特殊能力があった。

お母様が亡くなってしまった頃、つまり私が七歳だった時にその力が宿った。

半径20m以内にいる人が自分に向けた敵意や悪意、つまり主に私に向けられたマイナスな感情を読み取ることができる。

私はその力をシャドーセンスと呼んでる。

シャドーセンス、人の影の部分をセンスするからそういう名前にした。

ただでさえ大企業の令嬢なのに、その上特殊な力を持っていることが世間にバレれば誘拐に留まらず、命を狙われる危険があるかもしれない。そう危惧したお父様が私に護衛をつけることにしたのだ。


「おい、かかってこい。学校に行くまで、あと三十分だぞ。」

横目で道場の壁にかかっている時計をチラッと見た蓮さんは、ウォームアップを終わらせた私を見る。

「そうですね。今日は蓮さんを二十回床に沈ませます。」

「させねえよ。」

蓮さんが形の整った眉をクイッと上げる。煽ってきているのがわかる。大丈夫、これぐらいで気が荒れるような教わり方はしていない。少し気に触るけれど、戦いでは気を静めるのが基本。焦ればそれは自分の首を絞める事になる。その心構えも蓮さんに教わった。

私は肺に空気を送りこみ、姿勢を正す。

蓮さんの首元をガッとつかみ、ひねって床にたたき落とそうとする。タイミング、位置、力の入れ方。完璧だった。

でも蓮さんは姿勢をくずさず、すぐに体勢を戻し、私の腕を掴んで床に投げ飛ばした。

「くっ」

情けない悲鳴を上げ、床に沈む。

「おい、すぐに起き上がる。何度言えばわかるんだ。」

いま蓮さんが使った技は、小手返し。相手の手を捕らえ、手首の関節を逆に捻って倒す技。これをすると私は手首が後で痛んでしまうのだけど、蓮さんは平気そうだ。悔しい。

私はすぐに起き上がり、体勢を整える。大きく息を吸い込んで蓮さんの襟を掴み、床に向けて思いっきり背負投をする。

「おりゃああああああああああ!!」

「ドォォォォォン」

道場に、蓮さんが床に叩きつけられた音が響く。

私は肩で息をしながら、蓮さんの方をフフッと笑って向く。これで一回。でも、私もすでに一回投げられている、プラマイゼロ?昔は蓮さんを一回も投げられなかったのだから、これも進歩だと思う。

「・・・・・。」

「ドォォォォォォン」

「いたい。」

今のは完全にズルだ。私は私の背後をついてきた蓮さんを睨む。

敵に背後を取られれば一貫の終わり。ゲームオーバーのようなもの。いま私は即座に後ろに回ってきた蓮さんに不意を突かれて投げ飛ばされた。これは、私のミスだ。

私が今投げられたことに関して一瞬反省していたら蓮さんがニヤッと笑い、

「不意をつくのも武術の一部だ。」

と自慢げに口を開く。その言葉で私の額には青筋が浮かぶ。フンっとそっぽを向いてボソっと独り言のようなボリュームで言い返す。

「大人気ない。」

「なんだと・・・・?」

耳いいな。蓮さんって。

蓮さんに関節を締められながら私は考える。

攻撃の重さが違う。

やっぱり、蓮さんはものすごく強い。

私も早く蓮さんのように強くならねば。

肘を蓮さんの腹部に突き刺し、隙間ができたので腕を捻り抜け出す。そして、蓮さんをひねり上げ投げようとするが、腕を掴まれて投げられる。

少しでも早く、一人でも多くの人を守れるようになりたい。

汗がこめかみを伝った。



朝稽古の後、私は部屋に戻り、学校へ行く身支度を進める・・・膝が少し隠れる丈の紺色のスカート、6月になりまだ少し寒いと思いつつも、半袖になったシャツを着て首元に赤いリボンを結ぶ。

黒いストレートの髪はいつも通りおろしている。

鏡の前に立ち、深呼吸をする。鏡の横に置かれた額縁の中に飾ってある写真を見る。

そこにはまだ六歳の私と八歳の蓮さんと蓮さんのご両親。私のお父様、お祖母様、お祖父様、そして、お母様が写っていた。

写真に映るお母様の優しい笑顔を指先で撫でて、そっと呟いた。

「行ってきます。」



ここで少し、シャドーセンスの話へ戻る。

先ほど半径20m以内にいる人が私に向けた敵意や悪意を読み取れると言ったけれど、その力は年々成長してきている気がする。なのでもっと身体と神経を鍛えれば、さらに広範囲にいる人の悪意や敵意が読めるようになると私は予想していた。

ドアを開け、まっすぐ続いている廊下を進む。

しばらく歩くと、横に障子でできている扉が見えてきた。

障子を開け中に足を踏み入れる。畳の香り、畳の主成分である天然い草の香りがかすかにして、私は深く息を吸った。小さい頃からこの香りが好きだった。

そんな事を考えていると、ご飯のいい匂いが鼻をくすぐった。

座卓の周りに座布団がきれいに並べてある。座席からは庭園を眺めれる作りになっていて、座卓の奥の席に、お父様が座っていた。

「おはようございます。」

私は笑顔でお父様を見る。

私のお父様は闇野暖人やみのはると、一代で日本有数のロボット開発会社Nexaraの社長になった人だ。

優しく、頭がよく、社交的な自慢のお父様。闇野家はもともと代々資産家として有名な一族だったのだが、お父様の代でその名前は全世界に知れ渡った。

それにしても、お父様がいるなんて珍しい。

どういうことかというと、先程も言ったけれどお父様はIT企業の社長なので、すごく忙しく、ほとんど家にいない。オフィスの近くには大きいホテルがあり、家にいないときはだいたいそこのホテルに泊まっている事が多い。

寂しいときもあるけれど、今日のように時々会えるし、それにお父様の会社はさほど遠くない。トレーニングがてらに走れば三十分でつく。仕事の邪魔をしたくないので顔を出すことは滅多にないが、近くにいると思うと寂しさも我慢できる。

「沙紀、今日も元気そうだな。」

お父様がニッコリと優しく笑いながら話しかけてくる。

その笑顔に心がポカポカになる。心が安らぐ笑顔だ。

「元気ですよ。今朝も蓮さんに、道場でお稽古をつけてもらいました。」

「そうか。」

心地よい沈黙が訪れ、鳥のさえずりがかすかに聞こえた。

風が優しく吹き抜けて気持ちがいい。私は卓上に目をやった。

美味しそうな料理が並んでいる。

ぶりの照焼、山芋のお味噌汁、白くツヤツヤと光った白米が食欲をそそる。

お味噌汁の入ったお椀を手に取り、一口飲んだ。香ばしい味噌の香りが鼻をくすぐり、口いっぱいに山芋のトロトロとした感触が広がる。

「おいしいです。」

ほぉっと幸福のため息をつきながら視線を上げると、私を見ながら嬉しそうに微笑んでいたお父様と目が合った。すこし照れくさいけれど、私も思わず微笑み返した。お父様と過ごす穏やかな時間がとても好きだ。

「学校は楽しいかい?」

急にお父様が口を開いた。その質問に私は少しの間考えてから頷く。

「そうですね、楽しいです。」

クラスメートに少し距離を置かれているのではないか、という不安があるのは内緒だ。優しいお父様に心配かけたくない。それに、まずは私が彼らとの関係性を良くすべく努力すべきだろう。

「なにか辛いことがあったら言うんだよ。」

私はコクリ、と頷いた。


あっという間に朝ごはんを完食し、私はお父様に行ってきますと言って玄関までバッグを持って歩いた。靴を履こうとしたところで、お弁当を持ってきていないことを思い出した。私がキッチンまで戻る前に佳苗さんが私にお弁当を渡してくれた。

「ありがとうございます、佳苗さん。」

麻の葉つなぎ模様の風呂敷に包まれたお弁当箱を私は受け取る。そして靴を履き直した。

「行ってきます。」

ドアを開けると風が入り込んでくる。肌をくすぐる冷たい空気にさっきまでの寝起き気分が吹っ飛び、目が覚める。

玄関から出ると蓮さんが門の前で待っていた。

普段は待ってもらっていないが、今日から学校の行き帰りも護衛してもらうことになったのだ。

「すみません、待たせてしまいましたか?」

私が尋ねると蓮さんがこっちを見て、「時間ぴったりだぞ。」と言っておおらかに笑った。


小さい頃に歩いて登校した際、身代金目当ての車に連れ込まれそうになったのが理由で、それからは車での送迎スタイルとなってしまった。でも、もうその時より強くなった。それに蓮さんもいる。少し好奇心で、自分の足で登下校したくなってしまった。でも、それはあくまで理由の一つだ。

体力も行きと帰りの分つくし、もし危険なことが起きても私は自分のことは自分で守る。それに、蓮さんが護衛についてくれている時点で、危険なんて起きなそうだ。シャドーセンスを鍛錬するためにも、なるべく家の外での行動範囲を広げたい。その思いを伝えたら、お父様も蓮さんも心配そうな顔(蓮さんは渋い顔)をしながらOKしてくれた。


私は、横を歩いている蓮さんを少し見る。

制服の下から覗くガッシリとした腕。シュッとしている形の整った目。

たくましすぎる。こういう人が護衛してくれていると思うと、自分は果たして鍛える必要があるのか?という気持ちになってしまうのが情けない。

「はあ。」   

私はため息をついた。

すると蓮さんがこっちを見て顔をしかめる。

「人の顔をジロジロ見た後にため息かよ。」

「別に蓮さんの顔を見てため息をついたわけじゃないです。」

正確に言うと蓮さんのことを見ていたのだが、認めるのはなんだか悔しくて言い返してしまう。師匠として見るときは素直でいられるんだけれど。幼馴染としてだと、何故かうまく素直になれない。

「あっそ。」

蓮さんがそっぽを向き、会話が終了した。

今のは少し冷たすぎたかも知れない、反省だ。

蓮さん相手だと、つい甘えてしまう自分がいる。でも、いくら親しいからといって、傷つけていいはずはない。タイミングをみて謝ろう、私は自分に言い聞かせた。

この道を左に曲がると大通り。最近はこのルートを使っている。治安がいいのだ。

でも、

(あの子、お父さんがIT企業の社長の?なんか偉そうな子ねえ。)

(うっわ、雰囲気怖い。)

(お母さんが死んだからあんなに目つき怖いわけ?)

嫌というほど聞こえてくる、私に対するマイナスな感情。

でも、お母様がいなくなってしまったときのことを考えるとこんなの痛くも痒くもない。長生きしてね、と私が言うとお母様は「112歳まで生きるつもりよ!」とニッコリ笑った。そんな会話を、したはずなのに。幸せは一瞬で消えた。

私に対するマイナスな感情が聞こえる。私が不安を感じているときほど聞きたくない言葉が雪崩込んでくる。お母様が亡くなってすぐ、絶望していた。なのに急に人のマイナスな感情が降り掛かってきた。耳をふさいでも聞こえてくるその声は、私にとって呪いだった。

今でも足が震えてしまうことがある。私のことが嫌なら直接言ってきてほしいと。そっちのほうがまだ、楽なのにと、思ってしまう。

横から蓮さんが声をかけてくる。

「おい、大丈夫か?つらいなら・・・。」

「大丈夫です。」

心配してくれた蓮さんに、どうか心配しないでという気持ちを込めて返事をする。だって、私はこの力を鍛えると決めたのだ。

蓮さんは、私のシャドーセンスのことを知っている。ずっとそばにいて護衛をしてくれているんだから当たり前といえば当たり前のような気がするが、私は家族にしかこの事を話していない。お父様もこの力のことは信用の厚い親戚にしか話さないと言っていた。

お父様と蓮さんだけが、私を励ましてくれた。

蓮さんとはずっと一緒にいたのに、悪意が全く読み取れない、敵意も全く聞こえない。それがすごく不思議だ。そんな、優しくしてくれている人に。私はさっき、冷たくあってしまった。言葉は刃だ。

「蓮さん、すみません。さっきは強く言い過ぎました。」

私がうつむくと、蓮さんは優しい声で呟いた。

「いや、別に。ただ、つらいなら言え。人気ひとけのない道を通ればいいだろ。」

「わかりました。」

私はうなずいた。心の中にあたたかく、光がともった。

こんなにも優しい人に、いつか私は、恩返しがしたい。

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