第11章:「理性の限界を探る - イマヌエル・カントの批判哲学」

 朝日が差し込む窓辺で、お姉さんは新しい章の話を始めました。私は、これまでの哲学者たちの話を思い返しながら、期待に胸を膨らませてソファに座りました。


「さて、今日はイマヌエル・カントについてお話しするわ。彼は18世紀のドイツの哲学者で、近代哲学の集大成者と言われる人なのよ」


 私は興味津々で耳を傾けました。


「カントは1724年、プロイセン王国の東プロイセン州(現在のロシア領カリーニングラード)で生まれたの。彼の家族は質素な生活を送る馬具職人の家系だったわ」


「へぇ、質素な家庭だったんだね。でも、なんでそんなに有名になったの?」


 お姉さんは微笑みながら答えました。


「そうね、カントの生涯は、まさに努力と才能が実を結んだ例と言えるわ。彼は幼い頃から非常に勤勉で、学問に熱心だったの。特に、母親の影響が大きかったみたいね」


「お母さんの影響?」


「そう。カントの母親は敬虔なキリスト教徒で、息子に道徳的な生活の大切さを教えたのよ。カントは後年、『私の内なる道徳法則』について語る時、いつも母親のことを思い出すと言っていたわ」


 私は少し考えてから言いました。


「そっか、お母さんの教えが、後のカントの哲学にも影響したんだね」


 お姉さんは嬉しそうに頷きました。


「その通り! 。実は、これまで学んできた哲学者たちも、それぞれの家庭環境や経験が彼らの思想形成に大きな影響を与えているのよ。例えば、覚えてる? デカルトが幼い頃から病弱だったことが、彼の懐疑的な思考につながったって」


「あ、そうだった! デカルトは『方法的懐疑』って言ってたよね」


「そうよ。そして、ヒュームの場合は、幼くして父親を亡くした経験が、彼の経験主義的な思想に影響を与えたと言われているわ」


 私は少し驚いて言いました。


「へぇ、哲学者たちの考え方って、みんな自分の経験から生まれてるんだね」


 お姉さんは優しく微笑みました。


「その通りよ。哲学は決して現実から乖離したものじゃない。むしろ、自分の経験や疑問を深く掘り下げていくことから生まれるものなの」


 私は少し自信を持って言いました。


「じゃあ、私たちも日常生活の中で哲学的に考えることができるんだね」


「その通り! 素晴らしいわ。カントも、まさにそういう考え方をした人なのよ」


 お姉さんは、カントの日常生活について話し始めました。


「カントには、とても面白い日課があったの。彼は毎日、決まった時間に散歩をしていたんだって」


「散歩? それって普通じゃない?」


 お姉さんはクスッと笑いました。


「確かにそう思うかもしれないわね。でも、カントの散歩はちょっと特別だったの。彼は毎日、同じ時間に、同じルートを歩いていたのよ。しかも、その正確さは地元の人たちが時計代わりに使えるほどだったんだって」


「えー! 毎日同じコースを? 飽きないのかな」


「そうね、普通の人なら飽きちゃうかもしれないわ。でも、カントにとってこの散歩は、思考を整理する大切な時間だったのよ。彼は歩きながら、自分の哲学的な考えを深めていったんだって」


 私は少し考えてから言いました。


「へぇ、散歩しながら哲学するのか。でも、なんで毎日同じコースなの?」


 お姉さんは説明を続けました。


「カントは、規則正しい生活が思考を明晰にすると考えていたのよ。彼は『秩序ある生活が、秩序ある思考を生む』って信じていたんだって」


「なるほど……。でも、そんなに規則正しい生活って、ちょっと窮屈じゃない?」


 お姉さんは優しく微笑みました。


「確かにそう感じるかもしれないわね。でも、カントにとってはそれが心地よかったんだと思うわ。彼は、この規則正しさのおかげで、複雑な哲学的思考に集中できたんじゃないかしら」


「確かに今まで教えてもらった哲学者の中にも、同じ服しか着ない人や、毎朝必ず同じルーティンを繰り返す人がいたよね……」


 私は少し考え込みました。確かに、規則正しい生活は窮屈に感じるかもしれない。でも、それによって何か大切なことに集中できるなら、意味があるのかもしれない……。


「ねえ、お姉さん。カントの哲学ってどんなものなの?」


 お姉さんは嬉しそうに説明を始めました。


「カントの哲学は、『批判哲学』って呼ばれているのよ。これは、人間の理性の能力と限界を厳密に吟味しようとする哲学なの」


「理性の能力と限界? どういうこと?」


「そうね、ちょっと難しいかもしれないけど、こう考えてみて。私たちは物事を知ろうとするとき、どうしてる?」


 私は少し考えてから答えました。


「うーん、見たり聞いたりして?」


「そうね。でも、カントはそれだけじゃないって考えたの。彼は、私たちが物事を理解する時、自分の心の中にある『枠組み』を使っているんじゃないかって考えたのよ」


「枠組み?」


「そう。例えば、『時間』や『空間』っていう概念。これって、私たちが経験から学んだものなのかな? それとも、最初から私たちの心の中にあるものなのかな?」


 私は少し混乱した様子で首を傾げました。


「う~ん、難しいな……」


 お姉さんは優しく続けました。


「確かに難しい問題ね。カントは、『時間』や『空間』といった概念は、私たちの心が最初から持っている『認識の枠組み』だと考えたの。つまり、私たちはこの枠組みを通して世界を理解しているってことよ」


「へぇ、なんだかすごそう。でも、それってどういう意味があるの?」


 お姉さんは少し考えてから答えました。


「これは、私たちの知識の限界を示しているのよ。カントは、私たちが『物自体』、つまり事物の本当の姿を知ることは不可能だと考えたの。私たちが知っているのは、あくまで自分の認識の枠組みを通して見た世界だけってことね」


 私は少し不安そうな顔をしました。


「えっ? じゃあ、私たちは本当のことを何も知れないってこと?」


 お姉さんは優しく微笑みました。


「そう落胆しなくていいのよ。カントが言いたかったのは、私たちの知識には限界があるってことを認識しつつ、その中でできる限り正確に世界を理解しようということなの」


「なるほど……。でも、なんだか難しいな」


「そうね、確かに難しい考え方よ。でも、これはとても重要な気づきなの。例えば、ヒュームの懐疑主義を覚えている?」


「うん、何でも疑ってみるってやつだよね」


「そうよ。ヒュームは、私たちの知識の多くが習慣や経験に基づいているって指摘したわ。でも、カントはそこからさらに一歩進んで、私たちの認識の仕組み自体を分析しようとしたのよ」


 私は少し考えてから言いました。


「じゃあ、カントはヒュームの考えをさらに深めたってこと?」


 お姉さんは嬉しそうに頷きました。


「その通り! 素晴らしい気づきね。実は、カント自身が『ヒュームが私を独断のまどろみから目覚めさせてくれた』って言っているのよ」


「へぇ、哲学者同士でも影響し合ってるんだね」


「そうなのよ。哲学の歴史は、こうやって先人の考えを批判的に検討し、さらに発展させていく過程なの。カントの場合は、ヒュームの経験主義とデカルトの合理主義を統合しようとしたんだって」


 私は少し自信を持って言いました。


「あ、デカルトは『我思う、ゆえに我あり』って言った人だよね」


「そうよ、よく覚えているわね。カントは、デカルトのように理性の力を重視しつつ、ヒュームのように経験の重要性も認めていたの。そして、その両方を新しい形で結びつけようとしたのよ」


 私は少し考え込みました。哲学者たちの考え方が、少しずつつながっていくのを感じて、なんだかワクワクしてきました。


「ねえ、お姉さん。カントの考え方って、私たちの日常生活にも関係あるの?」


 お姉さんは嬉しそうに答えました。


「もちろんよ! 例えば、カントの有名な言葉に『啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることだ』というのがあるわ」


「未成年状態? それってどういう意味?」


「ここでの『未成年状態』っていうのは、他人の指示に従って考えたり行動したりすることを指すのよ。カントは、自分で考え、判断する勇気を持つことが大切だって言っているの」


「あ、なるほど。自分で考えることが大切ってことだね」


「そうよ。これは私たちの日常生活にもとても関係があるわ。例えば、ニュースを見たり、誰かの意見を聞いたりしたとき、すぐに鵜呑みにするんじゃなくて、一度立ち止まって自分で考えてみること。それがカントの言う『啓蒙』につながるのよ」


 私は少し考えてから言いました。


「そっか、さっきのヒュームの『適度な懐疑心』みたいなものかな」


「その通り! 素晴らしいわ。これまでの哲学者たちの考え方が、少しずつつながってきているのが分かるでしょう?」


 私は嬉しくなって、もっと詳しく聞きたくなりました。


「ねえ、カントの日常生活ってどんな感じだったの? やっぱりずっと考え込んでいるような難しい人だったの?」


 お姉さんは首を横に振りました。


「いいえ、そんなことないわ。カントは真面目な人だったけど、友人たちとの交流を大切にする社交的な一面もあったのよ」


「えっ? 哲学者なのに社交的?」


「そうよ。カントは週に何度か、友人たちを招いて食事会を開いていたんだって。そこでは哲学だけでなく、政治や芸術、そして日常のことまで、様々な話題で盛り上がっていたみたいよ」


「へぇ、意外! でも、なんだか親しみやすい感じがするね」


 お姉さんは嬉しそうに続けました。


「そうでしょう? カントは、哲学は難しいものではなく、日常生活の中で実践されるべきものだと考えていたのよ。だからこそ、友人たちとの会話の中でも、哲学的な議論を楽しんでいたんだと思うわ」


「なるほど……。じゃあ、私たちが今やってるみたいに、普通に話しながら哲学について考えるってことだね」


「その通りよ! 素晴らしい気づきね」


 お姉さんは満足そうに微笑みました。そして、カントの興味深いエピソードについて話し始めました。


「カントには面白い習慣があったのよ。彼は毎晩寝る前に、『今日一日、誰かを傷つけるようなことをしなかったか』と自問自答していたんだって」


「えっ? 毎晩?」


「そうよ。カントは道徳を非常に重視していたの。彼は『定言命法』という考え方を提唱したんだけど、これは彼の道徳哲学の核心とも言えるものよ」


「定言命法? なんだか難しそう……」


 お姉さんは優しく微笑みながら説明を始めました。


「確かに難しい言葉ね。でも、その内容はとてもシンプルで美しいのよ。カントは『自分の行動の原則が、普遍的な法則となっても構わないと思えるようにふるまいなさい』って言ったの」


「え? どういうこと?」


「つまり、『自分の行動を、みんながそうしたらいいと思えるようなものにしなさい』ってことよ。例えば、『嘘をつく』っていう行動を考えてみましょう」


 私は少し考えてから答えました。


「うーん、みんなが嘘をつくようになったら、大変なことになりそう」


「その通り! だから、カントの定言命法に従えば、『嘘をつく』という行動は道徳的に正しくないということになるわね」


「なるほど……。でも、時と場合によっては嘘をつくのが正しいこともあるんじゃない?」


 お姉さんは嬉しそうに頷きました。


「鋭い指摘ね! 実は、これはカントの道徳哲学における大きな議論点の一つなのよ。カントの考え方は時に厳格すぎると批判されることもあるわ」


「へぇ、哲学者の考え方にも批判があるんだね」


「そうよ。哲学は常に議論と批判の中で発展していくものなの。カントの考え方も、後の哲学者たちによって批判され、さらに発展させられていったのよ」


 私は少し考えてから言いました。


「なんだか、哲学って終わりがなさそうだね」


 お姉さんは優しく微笑みました。


「その通りよ。哲学は常に新しい問いを生み出し続けるものなの。それがまた、哲学の面白さでもあるのよ」


 お姉さんは、カントの晩年について話し始めました。


「カントは長年、ケーニヒスベルク大学で教鞭を取っていたの。彼は教育者としても非常に優れていて、多くの学生たちから慕われていたわ」


「へぇ、教育者としても活躍してたんだ」


「そうよ。カントは『人は教育によってのみ人間となる』って言っているの。彼にとって教育は、人間の可能性を引き出す大切な手段だったのよ」


「なるほど。でも、カントって結婚はしなかったの?」


 お姉さんは少し考えてから答えました。


「カントは生涯独身だったのよ。彼は『結婚は私の哲学的思索の妨げになる』って考えていたみたい」


「えっ? 結婚が邪魔になるの?」


「カントにとっては、そう感じたのかもしれないわね。でも、これは彼の個人的な選択よ。哲学者の中には、結婚生活を送りながら素晴らしい思想を生み出した人もたくさんいるわ」


「でもなんか結婚を拒否する哲学者も多い気がするなあ……そんなに思索の邪魔になるものかなあ……単に臆病なだけなんじゃないの?」


「あら、それはカントにはちょっと厳しい意見じゃない?」


 お姉さんはそう言ってくすっと笑いました。

 私は少し考え込みました。そして哲学者たちにも、それぞれの生き方があるんだなと感じました。


「ねえ、お姉さん。カントの死生観はどんな感じだったの?」


 お姉さんは少し表情を和らげて答えました。


「カントは、死を恐れるのではなく、理性的に受け入れようとしたのよ。彼は『死は恐ろしいものではない。むしろ、生きることこそが恐ろしい』って言っているわ」


「え? 生きることが恐ろしい?」


「そうね。カントが言いたかったのは、生きることには大きな責任が伴うということよ。私たちは自由意志を持っているからこそ、どう生きるかを選択し、その結果に責任を負わなければならない。それが『恐ろしい』というわけね」


「なるほど……。でも、なんだか重たい考え方だね」


 お姉さんは優しく微笑みました。


「確かにそう感じるかもしれないわ。でも、カントはこの『自由』と『責任』こそが、人間の尊厳の源だと考えたのよ。私たちは自由だからこそ、道徳的に行動する可能性を持っているってわけね」


 私は少し考えてから言いました。


「そっか。自由があるからこそ、どう生きるか選べるんだね」


「その通り! よく気づいたわね、素晴らしいわ。カントの哲学は、私たちに『自律』の大切さを教えてくれているの。つまり、自分で考え、判断し、行動する勇気を持つことよ」


 お姉さんは、最後にこう付け加えました。


「カントの哲学は、私たちに『批判的思考』と『道徳的行動』の重要性を教えてくれているのよ。単に与えられた知識を受け入れるのではなく、自分で考え、そして道徳的に正しいと信じることを実践すること。それが、カントの教えの核心なの」


 私は、これまでの哲学者たちの話を思い返しながら、少しずつ自分の中で哲学的な考え方が形作られていくのを感じました。難しいと思っていた哲学が、少しずつ身近なものに感じられるようになってきたのです。


「ねえ、お姉さん。次は誰の話を聞けるの?」


 お姉さんは微笑んで答えました。


「次は、19世紀のドイツの哲学者、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについてお話しするわ。彼は、カントの思想をさらに発展させ、独自の弁証法的思考を展開した人なのよ」


 私は期待に胸を膨らませながら、次の哲学者の話を楽しみに待つことにしました。


「さらに調べてみよう:

1. カントの『純粋理性批判』を読んでみよう。特に、「アプリオリな総合判断」の概念は興味深いわ。

2. カントの『実践理性批判』で展開される道徳哲学2. カントの『実践理性批判』で展開される道徳哲学について調べてみよう。「定言命法」の具体的な適用例を考えるのも面白いわ。

3. カントの『永遠平和のために』という小論を読んでみるのもいいわね。現代の国際関係にも通じる考え方が書かれているのよ」


 お姉さんはそう言って、次の章への準備を始めました。私は、カントの教えを胸に刻みながら、次の哲学者の話を心待ちにしていました。

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