夏の終わりの如月に
虚数クマー
もしかしたなら何かの始まり
そりゃ確かに、ちょっとびっくりするくらいの美人ではあるし、サイドで結んだ髪のしっとり流れる様とか、伏し目がちな表情とか、どこか気まずそうに手指を動かす仕草さえ色気にあふれていて、遠目に似た後ろ姿のひとを見かけただけでどきりとするほど心に強く食い込んではいる。
だとしても、叔母から「以前、夫を亡くしている」なんて伝え聞いた人と話すときに、どうしたってそういう感情はよくないものだと思ってしまう。
未亡人はエロいだなんていうのは作り物のお話の中だと切り分けられているからであって、現実で実際にそういう人とぶつかったときにまず沸き起こる感情は、背徳的だなんて色ボケの前にまず「気まずさ」とか「かわいそう」だとかで、その次に「他人にそんなことを思っちゃいけない」、それらをかきわけて「でもやっぱりすごい美人だ」がやってくる。そういう順番だ。
せめて家が隣とか、そういう交流がもっとあれば違うのかもしれないけれど。
たまに叔母を訪ねてくる、何度か話しただけの人との距離感なんて、正直うまくつかめやしない。
だから偶然バイト帰りの道端で出会ったその時も、俺の脳内で大きい声は「申し訳ない」と「困った」の2つだった。
「す、すみません、如月さん……ほんと……」
「いえ。私も、悪いんです。少し焦っていたものだから。ごめんね、小野江くん」
どちらが悪いかといえば、どちらも悪い、が客観的な答えなのだろう。
俺は上司に理不尽に怒られたばっかりに、イライラしていたものだからちゃんと前を見ていなかった。如月さんは、スマホを家に忘れたことに気がついて無理くり人混みの間を抜けようとしていたそうだ。
結果、肩がばちん、とぶつかった。それはもうまあまあの勢いで。
俺のほうがいくらか背は低いけれど、如月さんは胸とか太もも以外はほっそりしているし、やっぱり向こうのほうが衝撃が大きくて痛かったんじゃなかろうか。そう考えると、また申し訳なくなってきて、いたたまれなくて頭を下げる。
(……うわ、いらないことまで考えちゃった。バカ)
謝罪の合間に連想してしまった女性的な肉付きの良さは、露出の少ない地味めの服装の下からもしっかりと主張してきているが、本人を目の前にそんなことを考えるは絶対に失礼だ。迷惑をかけてしまった今はなおさら。
煩悩を必死に振り払おうとしているうちに、お互いに無言のままに立ち尽くしていることに気がついて、気まずげにとりあえず二人で脇に避けてみる。言葉にならない言葉で示し合わせたけれど、それは通行の邪魔にならないという意思が一致しただけで、会話がはずんだとかわかりあったというには程遠い。
「……あ、あの」
「はい」
「…………そのぉ」
「えっと……?」
気まずい。
気まずすぎる。
彼女とはそんな歳が離れているわけじゃない。今まで話したことがないでもない。それがかえって、なんだか自縄自縛みたいに「ちゃんとしなければ」という思いになって、余計に言葉が出てこない。
高校時代に女子と遊んだことだってあるし、同じゼミの子とデートしたことだってある。それでも、深い仲になったことはない。ああ違う、今そんな事考えたって余計に自信なくしちゃうだろバカバカバカ。っていうか別に口説くわけじゃないだろ、無言は気まずいから世間話するだけだろ、ああもう思考が上滑りだ。
とにかく、なんか、なにかを言わなければ!
「こ、この近くに、美味しいスイーツ出すとこあるんですよ!季節のシュークリームとか、パフェとか!」
「……はい?」
「……………ええっとぉ、立ち話もなんですし、そこでお話しませんか、って……」
ぱちくり、と如月さんがまばたきしている。
そりゃそうだ。長い無言から飛び出たのが、さほど仲良くない相手からのお誘いだ。誰だって微妙な気持ちになるだろう。何度目かの「バカ」の烙印を自分に押す。
数秒か、もっと長いか短いか、それもわからないくらいの間のなかで、額を脂汗がたらりとする感覚がして、ふわ、と風が吹いたきがして。
「それは……デートの、お誘いでしょうか?」
「は!?」
「違うん、ですか?ええと、すみません早とちりしてしまって、」
「あっいえっデートっす!ばっちりデートのお誘いです!お願いします!!」
「……私、 その、スマホ取りに帰るところなんですけど……」
「あっ!!!!……あっ、あーっそうっすよね!!忘れてください!!あーっ!俺ってば何言ってるんでしょうね、はは、は、は……」
大事故である。
もうなんか心臓がきゅっとなっているし、日陰をすりぬけた太陽光が俺を責めるくらいに集中攻撃しようとしている気がするし、街行くひとびとの視線も冷たい気がしている。
(厄日だ……なんもかんもバ先の上司のせいってことにしてふて寝しよう……そんでバイトやめよう……いややっぱ俺が悪いわ……バ先で怒られたのも当然、か……)
引きつった笑顔が維持できていたかどうか。
それじゃ、と片手をあげて、去ろうとしたときだった。
「構いませんよ」
「…………………へえっ?なんて?」
「ぷ、ふふっ、ふふふっ……面白いね、小野江くんって。デートしましょうか、って言ったんですよ」
笑っている。
如月さんが微笑んでいる。
っていうか、結構本気でウケた感じでちょっとお腹かかえている。
めちゃくちゃに可愛い。マジで?
「えっ、……えっ、いやマジで!?」
「どっちがですか?面白いのも、デートも、マジですよ。……ふふふっ、ふっ」
「そんなツボる要素ありました!?えっていうかスマホは!?いいんですか!?」
「いいの。今から家まで取りに行って、それからデートじゃ大変じゃない?それとも、デート、やっぱしたくないんですか?」
「したいでぇっす!!!!!!!!!」
「ぷっ、あははははっ!男の子って、かわいいね、ふふふふっ……!」
あなたのほうが可愛いです、と年上に正面切って言うのは憚られるし、流石にいくらなんでもそこまでの好感度は稼いでいまい。
だが、とはいえ、なんだかよくわかんないけれど、それはそれとして。
デート、できるらしい。如月さんと。今から。二人っきりで。
なんで?
「ふふっ、ふふふっ……ねえ、いかないの?」
「い、行きますっ!案内します、こっちっす!」
「ふふっ……ねえ、もしかしてやっぱり、あのパン屋さんのお隣のお店?」
「えっ、あっ、あーっ……知ってる感じ、です……?」
「どうでしょう。小野江くんのオススメとか、聞いてみたい感じかもしれないよ」
「あっはい!!それはもう、全力で!!」
「全力でオススメするんだ。お店の宣伝みたいだね。そんな芸人さん、いたよね」
「そ、そうですね?あの……筋肉すごいっすよね、あのひと」
他愛もない話が続く。
ほんの少し歩いて店に行くだけの道のりが、ただの見慣れた石畳が、なんだかものすごく鮮やかに見える。
意味がわからないまま浮かれる頭に、やっぱり少し、申し訳ない気持ちがちくりと刺さる。それは、叔母さんの知り合いをデートに誘ったという事実なのか、未亡人だということへの負い目なのか、あるいはこの人がせっかく楽しそうなのに申し訳ないなんて考えることそのものが申し訳ないんじゃないかという入れ子構造の自罰か。
やっぱり。
やっぱりまだ、如月さんのことは、苦手だ。
未亡人で、色気があって、美人で、かわいくて、笑いのツボがわからなくて、意外と話が合うけれど、どこか手のひらで転がされてるような感じがして。
どぎまぎしながら彼女を見ると、伏し目がちの視線とぶつかって、にこりと、今まで会ったときよりも、なんだか気楽そうな表情を返して。
苦手だ。
苦手だけれど。
だけれども。
この苦手なひとと、もしかすれば、もっと一緒にいたいのかもしれなくて。
(…………スイーツ屋での会話どうしよっかなあ~~~~~~っ!!!)
勇み足する頭は、今度はそんなことを考えだすのだった。
おしまい。
夏の終わりの如月に 虚数クマー @kumahoooi
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