C4~呪われていた少年は呪いを克服し、呪われた家族と呪いの刀を手にする~

ユーキス@

序章 解呪の少年

禁足地――

絶対に立ち入ってはいけない場所


―ではなく、本来は出ることが許されない場所。

実際にその場所は多重に結界が貼られ、出ることも入ることも、認識さえ出来ない場所のはずだった――


「はぁっ…はぁっ……うっ…うぅっ…」


鬱蒼とした森の中へと、一人の少年がふらふらと吸い込まれていく。重く垂れ込めた雲から降る雨が、木々を打つ音だけが響く。彼は力なくその場に崩れ落ち、空を見上げる。灰色の雲が広がる空、どんよりとしたその冷たい色は、彼が初めて見上げた空の色だった。


…逃げたとして何が待ってるんだろう。

僕には何もない、何をしていいのかも分からない。

きっと僕が世界を呪っているように、世界も僕を呪ってるんだ…


ずっと、ずっと、僕の人生は「呪い」そのものだった。



◇◇◇



「解呪」の力を宿して生まれた彼は、家族や友人の記憶もない。

何もない部屋に閉じ込められていた事しか覚えていなかった。

見上げることも出来ないほどの高さから差し込む光。

冷たい石畳の上に投げ込まれるおぞましい呪いの塊。

たまにからかい半分で聞こえる声だけが、その頃感じられた日常の変化だった。


幼い彼に与えられるのは呪われた物だけで、部屋に投げ込まれるのが解呪の合図。

おびえた彼に待っているのは解呪の痛みか、解呪をしない痛みだけ。

彼にとっての生きることは、文字通り苦痛そのものだった。



おびえて解呪を拒めば、「お前は道具として売られたんだ」と罵られ、気絶するまで殴られる。

そこで見るも家族に蔑まれ、誰にも愛してもらえない孤独な少年。


希望を込めて描いた幸せそうな家族の絵も、喜んでほしくて母のために作ったブローチも、破り捨てられ壊される。

彼に優しさや温もりを与えてくれる存在はどこにもいなかった。



夢でも現実でも彼を待ち受けるのは変わらない。

待っているのは「解呪」としての道具か、「生まれてこなければよかった」と言われる夢。

この呪いはいつまで続くのか。ただの一度も世界の呪いは彼を許すことはなかった。


それからもも見た記憶は、どれも望まれない生を受け、なにかを愛することも、愛されることも許されない。

彼にひたすら世界への憎しみと、嘆きと、呪いを高く、高く、積み上げさせるものだった。



ただ、彼には何かを成せる力も、知識も、自由もなかった。

今までの人生で教わったことは痛みと拒絶だけ。

何も教わらなかったひな鳥が、飛ぶことを知らずにそのかごの中で息絶えるように、彼もただその運命を受け入れるしかなかった。



けれど、そのかごは突然、無慈悲な爆発とともに崩れ去る。

知らぬ間に開かれた扉は、無力な少年を地面に叩きつけた。

一瞬でもいいから、自由になれることを願って。



◇◇◇



「くそっ!あいつどこまで逃げやがった!」

「くまなく探せよ!!」


…もう来ちゃったのか。

あんなところに戻りたくないけど、このまま死んだとしても、あの夢のようなことが続く。

心のどこかで自由になんかなれないことは分かりきっていた。

左手を額に当ててこの目から世界を消してみる。

こんな風に簡単に消えたらどんなにいいだろう。

灰色の空は黒く染まり、僕はその中の一部になる…きっとその中にも僕の居場所はない。

そんな空想をしながら自分が消えてなくなればと目を閉じた。



「な、なぁ。この辺りって入るなって言われてるところじゃなかったか?」


「あ?じゃ、おまえなんで入ってんだよ?」


「入るなって誰に言われたんだ?さっきの騎士様か?」


「お前ら会話の掘り下げ方がおかしいよ。いつもそんな感じなのか?いいから早く探せよ」


ガヤガヤとした話し声。

雨音に紛れて近づいてくる。耳元で草木がこすれる音がする。


今、僕は石ころだ。出来るならこのまま気付かれずに過ぎ去ってほしい。

でも、あの部屋に戻ったところでどうせ道具だ。

…まぁ、何も変わらないか。


彼なりの防御態勢は、卵の薄皮のよう。

今にでも破けそうな薄皮で必死に恐怖を包む。


と、その時、薄皮を貫いてなにか生ぬるい物が落ちた気がした。



「あの……妹が寝ているので、お静かにしてほしいんですけれど。」


空間を切り裂く音と聞きなれた声の断末魔。そして、ぼそっとつぶやく女性の声。


「なんだ?て、めぇ……」


「…そろそろお兄様も帰ってきますし……どうしましょう。」


シュッという音のあと、少し遅れて大きめの石と大地がぶつかったような、ゴトッとする音。

雨音が強くなり、少し温かい。

きっと石ころの僕には関係がない。石ころは何も感じない。


「斬るとうるさくなるなら、最初に言ってほしかったのですが…。

…でも、ためになりましたわ。」


雨音だけが残り、また雨が冷たくなった。

追いかけてきた人たちは消えてしまったのだろうか。

それとも僕は本当に石ころになって、何も感じないものになれたのかもしれない。

お腹もすかない、何も理解できない、何も感じない。

まだその方がいいかもしれない。

と思っていた石ころは、無慈悲に蹴り飛ばされた。


「…あら?これは?」


その瞬間に激痛が走る…っ!!

あ、熱い!!なにかが体の中に入ってきている!!体を襲った衝撃が無理やり僕を人間に引き戻す。

強引に開かれた視界の先には血まみれの女性。


その手にある禍々しい刀が僕の胸に突き刺さっていた。



「…どうしました?えっ?刀に触ったら危ないですよ」


いや、もう、刺さって、る、のに…。


不意につかんでしまった刀から解呪の激痛が走る。

その痛みは今までの比ではなく、刀を伝って燃え滾るマグマを流し込まれるように、じわじわと全身を蝕んでいく。


「アヤメ!傷だらけじゃないか!また刀が暴走したのか!」

「…お兄様……」


…この、痛み…、は…の、呪い、なの…か……。


世界から一気に放り出された感覚がした。

もう動かせる体はないのに、まだ痛みだけを感じている…。

このまま消えてなくなるのか、ずっと痛みだけが残ったまま……




◇◇◇



「うっ……」


胸の痛みに意識を引き戻される。

でも全身を襲っていた激痛は感じない……


「…良かった。気が付いたんだね」

と、言った男性は紅い瞳をこちらに向けて、椅子に腰かけている。

立ち上がったそのすらりとした長身の背中には漆黒の翼。

頭部から伸びる鋭利なその角は、今までの記憶を探っても見たことがなかった。


薄暗い部屋の中をコツコツと音を立てる悪魔。

状況が掴めない僕は、彼の言葉でさらに混乱した。


「…妹と、この地を救ってくれて感謝する。」

そう言って悪魔のような彼は深々と頭を垂れた。


「…えっ?」僕はいったい…。

それよりも感謝をされたのは初めてだった。目頭が熱くなり知らない感情が沸き上がる。


「…妹が持っていた刀は呪われていてね。…あのままだったら死んでいたかもしれない。」

「斬った痛みが自分にも返ってくるだけでなく、あの刀はいろいろとしまうんだ。まぁ普段はとてもお淑やかで愛くるしいんだけどね。と、言っても呪われていたとして、可愛らしさには微塵も変わりがなかったがね。」


「そう…ですか。」たぶん、僕に刺さった刀のことだろう。

呪いだと思っていた解呪の力を感謝されたのは不思議な気分だ。


「それにもう一人、同じくらい愛くるしい妹もいるんだけどね。ってそれは追々話すとして。」

「その…今、君が宿している刀は記憶も、感情も…たぶん全部喰ってしまうんだ。斬られた方も、斬った方もね。」と言って僕の体を指さした。


「え?ぜ、全部ですか?」…この胸の奥にあるのか?


包帯で分からないけど、まだ痛みを伴う熱さはある。でもあんなに痛かった解呪の痛みはもうない。


「憶測でしかないが…君の傷を見た限り、何かを糧にして癒しているんだろう。刀も宿主がいなくなると困るだろうからね。そして、たぶん優先するのは記憶だ。」


呪いせいで消えることも出来なった。でも記憶を消してくれるなら…


「……これは二人には秘密にしておいてくれたまえよ?」


「は、はい…」あ、この人との記憶も消えちゃうのか…?


「…実はね、私もここに至るまでの記憶がないんだ。そして妹たちもね。刀が原因なのかは、記憶がないから分からないが、ね。」

そう言って彼は優しく笑った。


「はい……」みんな記憶がない、か。

さっきの女の人は角も生えてなかったけど、血のつながりはないのかな。


「幸いこの辺にはいろいろと遺跡があってね。そこから知識を得て、妹たちにも教えて暮らしていけてるというわけさ。この場所が俗にいう禁足地ということもね。」と言いながら薄い金属の板のようなものを取り出して見せる。


僕はそれに見覚えがあった気がする。タブレ――?


「さて、本題だ。君はこの隔絶された地で、呪いに苦しめられていた我が妹を救ってくれた。それになんとなく君の事情も分かっている。君がここに来たことや、呪いの刀のおかげでね。」


頭に浮かんだ単語が消えてしまった。もうだいぶ記憶を喰われているのかもしれない。


「…だから私たちの家族にならないか?…君の記憶が無くなってしまう前に、と思ってね。ふたりの妹も君を歓迎しているよ。」


「……!!」理解するよりも先に涙が溢れてくる。

こんな言葉をかけてもらえるなんて想像したこともなかった。これが嬉しいということ…?

息が詰まるほど苦しくて、胸の痛みも増していく。

でも何一つ嫌な物とは感じなかった。


その言葉が嘘なのか本当なのかはどうでも良かった。

それでも何度もうなずく。初めて受け入れられたと実感したときには、なにか言葉を言える余裕はなかった。


「どちらにしても、もう家族だ。だから記憶が無くなったとしても安心しておくれ。」


「あ、りがとう…ござい…ます…」呪いのせいか、言葉のせいか。

もう辛い記憶はほとんど消えた。思い出せるのは過去は辛かったという事だけだった。


たぶん呪いで感情や記憶が消えるのは本当なんだ。

初めて優しい声をかけてもらったのに、やっと家族と言ってくれる人達が出来たのに。

改めて消えてしまうんだと思うとまた感情の波が押し寄せてくる。


ずっと辛かったはずなのに、初めて知った嬉しいという感情も無くなるのか。

僕の思考は真逆の物になっていた。無くしたくないと思うほど、感情と嗚咽が溢れ出してくる。


「ちょっと、お兄様どうなさいました?」

「……ケンカはね、ダメなんだよ」


僕の鳴き声が聞こえてしまったのか慌てて部屋に入ってくるふたり。

お姉さんの方は、記憶の人よりも雰囲気や表情がとても優しくなっていた。

長い美しい髪をかき上げて澄んだ瞳で心配そうに見つめている。


この背伸びをして頭を撫でてくれている子が一番下の妹なんだろうか?

もう思い出せないけれど、頭を撫でられるのもきっと初めてだ。白い翼が生えていて、どちらも悪魔さんには似ても似つかなかった。


この人たちもこんな気持ちを味わったのか。

この記憶が無くなってしまうのも呪いのせいなのか。



「ご、ごめんなさ…な、なんでも、ないです…で、でも、今まで、ず、ずっと辛くて…」


今までちゃんと人と話したことなんかなかった僕は、こういった時に何を言えばいいのか分からなかった。

ただ僕を見てくれたこと、声をかけてくれたことがすごく申しわけなくて、でもこの気持ちも聞いてほしくて、めちゃくちゃになってしまった。



「ふたりとも、彼も家族になってくれるよ」悪魔さんがそういうと小さい妹が嬉しそうに飛び跳ねる。

「おとうとができたー」

「あなたが呪われた刀から私の命を救ってくれたと聞きました。私もケガをしていたみたいでよく覚えてないんですけど…本当にありがとう。」


喜んでくれているんだったらいいな。

もう涙でその姿は見えなかった。この胸の痛みは呪いなのか感情なのかも分からない。

…こんなに嬉しいことは初めてなのに、この痛みが消えたら全部消えるのだろうか。

もっといろいろ聞きたかったし、話したかった。


「ぼく、…ずっと…のろわ、れてて……でも、み、んなが………」


何かを察した妹が口を開く

「そういえばお名前を考えなければいけませんね?」

手を握りながら微笑む彼女に、大丈夫と言われた気がした。


これも呪いのせいなのか、記憶も意識も無くなっていく。


それか、ずっと泣きじゃくっていたからかも、しれないな…。


今度、目が覚めたら、この人たちがいてくれるだろうか。もう呪いになんか負けないように、僕は強くならなきゃ。

僕がこの人たちを呪いから守れるように。こんな気持ちにはさせないように。

だからもう少しだけ…忘れないで。


そう想いながら僕は胸を強く叩いた。



「…これはどうかな?もともと「呪」と「祝」は同じような意味だったらしいんだけどね。君がアヤメの呪いと、この地にあった呪いも解いてくれた。それにアメリの兄だからね。君は呪われてなんかいないさ。新しい君を祝福する名前だ。」


「ありがとう、しう。」



彼の呪われた魂に初めて名前が付いた。

何度転生しても解けなかったこの世界の呪いは、この日の気持ちと、受け入れてくれた家族と、祝自身によって打ち砕かれた。


きっと彼はこの日のことを忘れないだろう。その呪いがどんなに強く、恐しいものだとしても。

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