ありきたりな君と僕の非日常

なめがたしをみ

第一話 朝の音楽とブルーな気分

朝から軽快な音楽が部屋に流れていた。

丁重に断っておくが、僕は朝からヒップホップを聴くほどブギーな頭の作りをしていない。

さらに言えば、今日は会社の出勤日で、昨日の夜から憂鬱な気持ちで床に入ったのだから、こんなアップテンポな曲で「俺は最強メーン」などといきなり立ち上がって踊り出すこともない。


「おーい、どこにいるんだ」


姿が見えないので、少し大きな声で呼んでみると、部屋の入り口から大層ご機嫌そうに君が顔を覗かせた。


「おはよう。今起きたの?」


「それよりも、この音楽は一体なんだ。会社に行く前のブルーな気分がより一層青くなってパープルな気分になったよ」


僕は立ち上がり、パジャマのままリビングへと向かい、ラジカセから流れる大音量の音楽を停止させた。


「大体、朝からこんなノリの良い音楽をかけないでくれないか。普通、朝の優雅な時間を演出するならクラシックじゃないのか?」


「昨日の夜、あまり仕事に行きたくなさそうだったから、景気づけにと思ってね」


誰もそんな景気の上昇を頼んだ覚えはない。こんな音楽だけで仕事へ行きたくない気持ちが変わるわけがない。

行きたくないものは、どうやったって行きたくないのだ。

もうなんなら、満員電車にだって乗りたくない。

壁に吊るしてあるスーツだって着たくないし、布団から出る気もないんだ。

それでも仕事だからと仕方なく前日の夜に目覚ましをかけてまで起きたのに、朝からこの仕打ちときたもんだ。


「いいかい、仕事に行きたくて行くやつなんて、そうはいないんだ。少なくとも僕は違う。行きたくないしやりたくない。でも、働くしかない。この矛盾と闘いながら毎日働くしかないんだよ」


本当に自分がやりたい仕事なんて見つかるものなのか、僕の頭の中では想像もできない。

今から政治家になれるものか。大体、僕は政治家に何かなりたくない。


「じゃあ、本当はどんな仕事がしたいの?」


君からの質問に僕は答えられない。


「それは……」


「それは?」


「わからない……」


申し訳なさそうな顔をするが、実際、僕は誰に申し訳ないことをしたのだろう。

多分、自分自身にだろうけど、考えすぎると落ち込みそうなので止めておいた。


「やりがいのある仕事って、その時の気分にもよると思う。どんなにやる気がある仕事だって、失敗すれば嫌になる時だってあるし、辞めたくなることだって必ずある。それでも、辞めないで続けることが、自分のやりたい仕事を見つけるための最初の一歩になるんじゃないのかな?」


君の言葉を聞いて、自分の仕事観を見直すことができた。


「でも、行きたくない気持ちに変わりはないんだけどね。実は昨日、僕は仕事で大きな失敗をしているんだよ。しかも、それを上司に報告していない。どうしてかって? 怒られるに決まってるからだよ。大人になってまで怒られるのが嫌だから失敗を隠すのか、っていう人もいるだろうけど、怒られるのは何歳になっても嫌なものだとは思わないかい? そのことを素直に伝えるべきか、それともこのまま有耶無耶にしてしまうべきか、人生最大の決断を迫られてるんだよ。有耶無耶にして、うまいことばれなければ怒られずに済む。逆に誰かに密告でもされた日には目も当てられない惨劇が起こるだろう」


「素直に言えばすっきりすると思うけどな」


「それを言えるのは君が僕の上司と直接会っていないからだと思う。あの人は一度の失敗を一ヶ月は引きずるんだ。挨拶さえ返してもらえなくなるんだぞ。自分から社訓を守れと言っている奴が部下の挨拶を無視するのは、僕からしたらいただけない話なんだよ。本当の上司ってやつは部下の失敗を寛大に許してくれる人だと思ってた。残念ながら現実世界には存在しなかったけど」


間違った考えをする方々は、自分が上司に辛く当たられていたのを理由にして自分が上司になった時に同じことを繰り返す。

その間違いを訂正する人がいないから今の現状がある。


「自分が変えてみればいいのに」


「君はある意味で正解を言っている。でも、自分が上司になってからそれを考えるには、今の上司に媚を売らなければいけないんだ。それがどれほど苦痛なことか。まして僕は、違う上司にこれでもかと言わんばかりに嫌われてるときてる。あの上司に群がっている金魚の糞共と同じ様に、僕の飲みの一つでも行けば変わるのかね」


会社内で飲み会があるのだが、それに僕が誘われたことは一度たりともない。

もしかして、僕は上司だけでなく、部署内全員から嫌われているのではないだろうか。


「後輩を可愛がったところで、僕の現状が打破されるわけじゃないしね。逆に後輩が上司に怒られて来たことを報告されて、それに相槌も打ちたくない」


「それじゃあ、我慢して働くしかないね」


「行き着く答えはそうなるね」


わかっているんだけど、言わないと落ち着かない。


「ところで」と言葉を紡いでから、僕は何も用意されていないテーブルを見て、君に質問を投げかけた。


「朝ごはんを食べたいんだけど」


「あ……」


「あ、ではなくてね。どうすれば音楽でノリノリになっていて、朝ごはんを作るのを忘れられるんだ」


「あはは」


笑って済むことではないような気がするが。


「食パンでも口に加えながら出勤すれば、何か良いことがあるかもしれない」


「いきなり転職してきた部長と曲がり角でぶつかるとかね。絶対に僕は嫌だけど」


そこから始まるサクセスストーリーなんて僕は望んでいない。


「誰もそこまでは言ってないけどね」


「はあ……まあ、いいや。食パン食べるよ」


「もう一つ、謝っておきます」


もしかして。


「食パンも切れていました」


僕が空腹のまま、満員電車に乗ることが確定した瞬間であった。






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