6話


真っ白な雪の道に、泥で汚れた足跡がまっすぐ続いている。中途半端に溶けた雪は踏みしめる度、運動靴の下でぶよぶよと音をたてた。

「玄沢さんっ……!」

陽向はブルゾンの背中に向かって叫ぶ。だが、相手は立ち止まるどころか、振り向きさえしない。

「ちょっと、待てってば!」

転びそうになりながらも、相手の肩を引っ張った。

振り向いた玄沢の顔は固く、寒さのせいもあってか青白かった。

「……君は、別れる気はあるのか?」

低く唸るような声が、玄沢の口端からもれる。

「……へ?」

「あの男と別れる気はあるのかと聞いている」

陽向は、ポリポリと頬を掻いた。

「さあ、どうだろう?」


そもそも付き合っているかどうかもわからない状態では、別れるもくそもない。

しかし、どうやら玄沢は、陽向と海斗が〝お付き合い〟をしていたと思っているらしい。


まあ確かに、一緒に住み、時々はセックスしている時点で、一般的には〝付き合っている〟と言えなくもないが……。だが、正直、陽向には自分たちがそうだと断言することはできなかった。


「さあ、だと?」

玄沢がひくりと頬を引き攣らせた。怒りとも呆れともつかないため息をつく。

「……正直、俺には君がわからない。浮気はされる、金はせびられる、ペットは賭けに使われる。あまつさえ、自分で言うのも何だが俺みたいな探偵を雇われ尾行され、家からは追い出される。そこまでされて、どうして一年以上も付き合っていられた? どうして、さっきみたいに楽しそうに——……」

玄沢は言葉を切り、視線を上げた。

「……君は、悔しくはないのか?」

「それは……悔しいけど……」

何と答えていいのか、わからなかった。

確かに今の話を聞くと——いや、聞かなくてもだが——、海斗がいかにふしだらで最低な男であるかがわかる。


なのに何で自分は、今まで一緒にいたんだろう。あんなに迷惑をかけられてきたにも関わらず。

陽向は、ふっと白い息をもらした。


「俺は……もう海斗のことは諦めている。最初は、都合のいい財布として扱われたり、浮気をされたりしたら、それなりに傷ついていた。でも、今はそんなことどうでもいい。別れる気があるかって言われたら、ある、と思う。ただ、海斗に対する〝情〟が消えたのかって言われたら……それはわからない……」

「〝情〟……? 恋愛感情じゃなくて?」

「あぁ、〝情〟だよ」

陽向は頷いた。

「海斗に対する気持ちは、恋愛感情かと聞かれても、俺にはわからない。ただ奴は同郷だからか話も合うし、一緒にいて楽だった。楽しかった。何より俺が辛い時、ずっと側にいてくれた。俺は、あいつの能天気でテーゲー(適当)なところに、救われたんだ……」

「その恩で一緒にいたと? どんなにひどいことをされても?」

「耐えているつもりはなかったよ。俺だって反撃も復讐もいっぱいしたし」

陽向は言葉を切り、力なく首を振った。

「……何て言うか、わからないんだ。海斗に対する気持ちを何て言葉にすればいいのかわからない。ただ〝情〟としか……」

玄沢が静かな口調で聞いてくる。

「……その〝情〟とやらはセックスを許すほどの〝情〟なのか?」

自分たちが何でこんな話をしているのか、よくわからなくなった。

「まあね。でも、おまけみたいなもんだよ。お菓子についてくる」

「はっ、おまけとは、随分と自分を安く売っているんだな」

玄沢の嘲りの声に、陽向は震えそうになる喉を抑えながら言った。

「あんたは、俺たちをセフレみたいに思っているかもしれないけど、別にセックスなんてどうでもいいんだ。俺たちの仲で問題なのは、そんなことじゃない」

「相手は、そうは思っていないかもしれないぞ」

「海斗だって、同じだよ。だから浮気をする。他のもっと駆け引き的な、肉体的な刺激を求めてね」

玄沢が理解できないというように、肩をすくめた。だが理解できないのは陽向も同じだった。

「玄沢さんは、どうしてそんなに俺にこだわるの? あんたは海斗側の人間だろう? 俺のことはどうでもいいはずだ」

「どうでもいいはずがない」

玄沢がきっぱりと言った。

「確かに謝花の要求を満たすことが、俺の仕事だ。だが、それだけだったら、この仕事は受けていなかった。これは双方——君のためにもなると思ったから受けたんだ。金はもったいないと思うが、これであんな男と縁を切れるならこしたことはないだろう?」

「はっ、さすが全ゲイの味方。依頼人の対立相手のことも考えているなんて、頼もしいことで」

茶化すと玄沢は一瞬顔を赤くし、口を真一文字に結んだ。肺の奥底から絞り出したような声で言う。

「俺は今まで探偵として、色々な同性同士のカップルを見てきた。アルコール依存、DV、モラルハラスメント。男女間でも同じように、これらの被害者はみんな思考停止に陥っている。恐怖から、ということもあるが、それよりも『自分がいないと相手はやっていけない』、『自分は必要とされている』と思いこみ、被害がエスカレートしても決して声をあげずに耐え、機会があっても逃げようとしない。見かねた周りが俺を雇って無理矢理引き離しても、いつの間にか元の悲惨な関係に戻ってしまう。その時ほど、無力感を味わうものはない」

そう言う玄沢の横顔は、厳しくげっそりと疲れて見えた。


そうか。この人は、そうゆう世界で生きているのか。

何となく、玄沢の仕事に対する厳格さやストイックさがわかったような気がした。


「……つまり、玄沢さんは、こう言いたいの? 俺も海斗みたいな生活能力皆無のヒモ男には『自分がついててあげなくちゃ』と思いこみ、思考停止に陥っていると?」

「そこまで言っていない。思考停止に陥っている人間は、あんな風に鉢を投げたり、はさみで相手を脅しつけたりしない」

「ある意味、そっちの方が問題行動だけどね」

陽向は肩をすくめた。

「……俺が言いたいのは」

玄沢が低い声音で続けた。

「君が言う、その『情』とやらは、ただの『共依存』なんじゃないのかと言うことだ。君は自分を必要としてくれる他者に依存し、自己の存在理由にしている。だから、どんなひどい仕打ちを受けようとも、すがりついて謝られたり、少し優しくされただけで相手を許してしまう。あんな安っぽい花をもらっただけでも」

カッと身体中の細胞が煮上がった。視界が真っ赤に爆ぜる。

「はっ! 人のプライベートを根堀り葉堀りと暴き出して楽しいか!? いやしい職業だな、探偵さん!」

バンと肩に衝撃を覚えた。気がついたら、玄沢によって道路脇の塀に押しつけられていた。怒りの炎を宿した相手の両眼が、目の前まで近づく。

「俺は、俺の信念でこの仕事をやっている。お前に、とやかく言われる筋合いはないっ!」

獣のような低い唸り声。太い玄沢の指が、陽向の肩にぐっと食い込んだ。

「……ッ」

陽向は抵抗することも、動くこともできなかった。

こんなに激しい感情を露わにした玄沢を見たのは初めてだった。


「……わかった」

どれくらいそうしていただろう。怒りがまだ燻る声で、玄沢が陽向から身を離した。冷ややかな目で、見下ろしてくる。

「俺からはもう何も言わない。お前がどんなに愚かな選択をしようとしったこっちゃない。俺はただ依頼人の要求通りに行動するだけだ。では、九日後にアパートで。金はちゃんと持って来いよ」

玄沢は陽向を一瞥すると、そのまま振り返ることなく行ってしまった。



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