【あらすじ動画あり】8話

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【あらすじ動画】

◆忙しい方のためのショート版(1分)

https://youtu.be/AE5HQr2mx94


◆完全版(3分)

https://youtu.be/dJ6__uR1REU

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「……兄ぃ」

兄——清一郎は黒のインバネス(外套)を着ていて、紅子の言う通り、西洋の魔法使いか何かのように見えた。


「兄ぃ……生きてたんだね…」

様々な思いがドッと溢れてきて、銀次は声を震わせた。

対する清一郎はにこりと静かに微笑む。


「銀次。久しぶりだね。君が僕を探してくれていることは噂で知ってたよ。ただ僕はあらゆる世界を放浪しなくてはいけない渡りの商人。中々ここに帰って来られなくてね」

銀次は兄の言葉を理解するのに時間が掛かった。


「兄ぃが……渡りの商人!?」

銀次はハッと息を飲んだ。


「もしかしてあの地震の時——」

「その通り。まぁ話せば長くなるんだけどね」


清一郎は後ろの景色に目をやった。


「僕はね、銀次。ずっと遠くに行きたいと思っていた。色んな処へ行き、色んなものを見たい。だけれど病弱な体がそれを許さなかった。そんな僕が唯一見ることが出来たのは、この十二階からの景色だけ。きっと自分はこの景色しか知らず終わっていくのだろう。そう覚悟していた。いや、覚悟しているつもりだった。あの地震があるまでは。あの時、塔の上から投げ出された僕は思った。このまま死にたくない。最後に一度だけでいい、違う世界を見てみたいと。その願いが裏町を開いた。気がついたら僕は裏町の通りにいて、目の前には渡りの商人がいた。彼は言った。『お前の望みを叶える代わりに、私の願いを聞いてくれ』と。商人は明らかに倦んでいた。いつ終わるともしれない永遠の放浪に。渡りの商人はどんな土地に行っても、必ずそこを離れなくてはいけない。たとえどんなに大切な人やモノが出来たとしても、別れは必然だ。もし巡り巡って同じ土地につけたとしても、大切な人やモノはもうない。時間の流れはその世界によって違う。こちらでの一秒が違う世界では百年にあたいする場合もある。その一方で渡りの商人の命は永遠不変。当然、出会った景色や人は自分をおいて先に消えてゆく。僕の会った商人はそのことに深く絶望していた。誰かに渡りの商人の役割を渡したかった。そうすることでしか商人は代替わりができない。そこへ僕が現れた。僕たちは商談を交わした。商人は僕の病を買う代わり、僕に渡り商人の役目と運命を売った。そうして僕は渡りの商人として世界を旅することになった」


清一郎の黒いインバネス(外套)が風で広がる。その姿はまるで大きな渡り鳥のように見えた。

一歩、相手に近づこうとした銀次の足が瞬間、止まった。兄を直視出来ず、自分の足下をジッと見つめる。


「兄ぃ……聞いて。あの地震で父さんも母さんもいなくなっちゃった…だからお願いだ。帰って来てよ。俺にはもう兄ぃしかいない。兄ぃがいなかったら一人ぼっちだ……」

「本当に? 本当に銀次は一人ぼっちなの?」


清一郎が不思議そうに首を傾げた。

銀次は何を問われているのかわからなくて、顔を上げ相手を見つめる。

フッと清一郎の表情が切なそうに歪んだのが見えた。


「父と母が亡くなったことは知ってるよ。残念だ。でも銀次、君だけでも生き残ってくれて嬉しい。僕だってたった一人の弟を置いて行くのは忍びないと思ってる」

「ならッ……」

「でもね、商談契約を破る訳にはいかない。そんなことをしたら僕は裏町の幽鬼(どれい)となって、一生あそこに囚われてしまう」

「そ、そんなっ……! じゃぁ、どうすれば……?」

「簡単だよ。君が渡りの商人となって、僕とくればいい。そうしたら浅草を離れなくちゃいけなくなるけど、別にいいよね?」


清一郎は無邪気とも言える調子で聞いてきた。

どうやら兄は、昔と少し変わったらしい。

病のためか始終控えめだったのが、今は生きる強かさのようなものを湛えていた。

銀次はゴクリと息を飲む。


「俺は……」

言いかけた時、清一郎が我慢出来なくなったように笑い出した。

「ごめん、今のは冗談。浅草を離れるなんて銀次には出来ないでしょう。君はここが大好きだからね」


ひとしきり笑ったあと、清一郎は急に真面目な顔になった。


「そこでだ、銀次。僕と商談しないかい? 僕は君の欲しいものを持っている」

言うなり、清一郎は懐から透明な瓶を取り出した。ガラス越しに仄かに光る球が見える。


「これは辰政君の眼だ。正確には辰政君の視力だが」

「!? どうして兄ぃがそれをっ……!?」

「記念だよ。これは僕が初めての商談で手に入れたものだから。あのね、銀次。僕の最初の商談相手はね、辰政君だったんだ」


銀次は一瞬、言葉を失った。


「辰政が……? でもあいつはそんなこと一言も……」

「仕方ないよ。彼は僕と商談を交わしたことを覚えていない。僕が買ったのは辰政君の眼と、彼の中にある僕の記憶。辰政君はそれらを売る代わりに君の命を手に入れた」

「え……?」


一瞬何を言われたのかわからず、銀次は聞き返した。


「俺が……何だって……?」

落ち着かない沈黙の中、清一郎がゆっくり口を開く。


「銀次、良く聞いて。実は君は一回死んだんだ。火災から逃げている途中、木材の下敷きとなって。それを見た辰政君は絶望した。君を助けられなかったこと、自分だけが生き残ってしまったことに。彼は願った。君を取り戻すことが出来たら何でもすると。その願いが渡りの商人となったばかりの僕を呼んだ。辰政君は驚いていたよ。死んだはずの僕を見て。だからこそ確信もしたらしい。僕の商談に応じれば、君が助かるとね。彼は迷うことなく自分の目と記憶を差し出した。だから君は生き返ることが出来たんだ」

「まさか……そんな……」


信じられなかった。

自分が一度死んでいたなんて。しかも辰政が裏町の商人と交渉して、自分を生き返らせてくれた?

呆然と立ち尽くしていると、清一郎がパチンと手を叩いた。


「さて、ここからが本題だ。見ての通り僕は銀次の欲しいものを持っている。これを君に譲ろう。その代わり君の記憶が欲しい。君の中にある僕の記憶を」

「兄ぃの、記憶……?」

「そう。渡りの商人というのは、どの世界にも所属してはいけない。しかし彼らにも生まれ故郷というものはある。それがある限り、商人は真に自由になることが出来ない。まるで繋がれた風船のようにね。だから多くの商人が故郷から自分の存在を消す。自分を知っている人たちの記憶を改ざんし、初めから自分などいなかった人間にしてしまうんだ。僕もこれまで、何人かの知り合いから記憶を消していった。最初は辰政君。そして最後は銀次、君だよ。君の中にある僕の記憶を消しさえすれば、僕は完全に自由になれる」

「ちょっと待って……完全に自由って…もっと遠くに行っちゃうってこと?」

「そうだ。これまで以上に遠い遠い世界へ旅に出る。行ったら最後、戻って来られるかわからない」


清一郎は軽く言ってのけたが、銀次には到底受け入れられるものではなかった。


「……そんなの嫌だっ! 兄ぃ、行かないでよっ! 俺にはもう兄ぃしかいない! これ以上一人ぼっちにしないでっ!」

まるで子供のように駄々をこねる。何をやっているのかと自分でも思ったが、止められなかった。


「じゃぁ、辰政君の眼は諦める?」

清一郎の静かな声が響く。

銀次は何も言い返せず、俯き唇を噛みしめることしか出来なかった。

そうしていると、清一郎が両手を差し出してきた。


「銀次、選んでくれ。僕の記憶をとるか、それとも辰政君の眼をとるか? 君にとって本当に大事なのはどっち?」


右手には辰政の眼が入った瓶。

もう片方は何も握られていない兄の手。

その手を前に、銀次は首を振った。


「そんなの……選べない…俺には、どっちも大事だ」

「でも選べなければ君はこの塔に一生閉じこめられることになる。ここは商談のために作られた空間。商談が終わらない限り出られない」


ジリジリと追いつめられていく焦燥感から、銀次はどうしていいのかわからなくなった。

だがどちらかを選ばないといけないことだけは、嫌でもわかった。


(でも、どっちを……?)

銀次は助けを乞うように清一郎を見た。


凪いだ海のように穏やかな笑顔。

昔と変わらないそれに懐かしさがこみ上げてくる。

兄は病弱であったが、銀次が寄ればいつもかまってくれた。

本を読んでくれたり、双六をしたり——


そんな大切な記憶たちを失いたくない。

それにこの記憶は他の大切な時間とも結びついている。

家や家族。あの通りで過ごした日々。

今はもうないものたち。


あの日々が確かにあったという証拠は、もはや自分の記憶の中にしかない。

その唯一の拠り所さえも手放してしまったら、自分は本当に天涯孤独になってしまう。


(嫌だ、そんなのっ……!)

あの時に感じたのと同じくらいの恐怖が襲ってくる。


瓦礫に埋もれ消え去った路地。真っ黒に煤けた家々。呼びかけても返ってこない声。

地震のあと、炎が何もかも舐め尽くした家の前で、ただひたすら泣いた時。


自分は一人になってしまった。

その恐怖で立っていることさえままならなかった。


しかしその時、ふと温かいものを感じた。

手だ。誰かの手が自分の手を握っている。


「銀次。俺たちは助け合って一緒に生きていこうな」

辰政だった。


銀次はこの時になってようやく、あの時、彼が隣にいてくれていたことを思い出した。

見ると辰政も泣いていた。つないだ手は震え、唇からは嗚咽がもれていた。

それでも彼は真っ直ぐな瞳で通りの光景を見ていた。


その横顔を見た時、銀次は心の底から安堵したのを覚えている。

(俺は……一人じゃない)


家族を失った時、炎から逃れる時、観音堂に避難した時、エンコに住みついた時、いつも近くにいてくれた人がいた。

(それなのに何で、気づかなかったんだろう……俺……)

自分はずっと一人じゃなかったのだ。


そのことに気づいた途端、銀次の頭の中に風が吹き抜けた。

ゆっくりと、だけどしっかりと顔を上げる。


「……兄ぃ、俺は兄ぃに戻ってきて欲しい。兄ぃがいなくなってから、ずっとそのことばかり考えていた。でも間違っていたのかもしれない。俺は失ってしまったものばかり追いかけて、本当に大切なものが近くにいることに気づかなかった。兄ぃのことは大切だ。でも今一番大事なのは、辰政なんだと思う。辰政はどんな時も一緒にいれくれた。いつだって俺を助けてくれた。だから今度は俺が辰政を助ける番だ。俺は決めた。辰政の眼と引き替えに、兄ぃの記憶を売る」


言ってしまったあと、後悔ともつかない思いが湧いてきた。

本当にこれで良かったのか。もっといい道があるのではないか。

そんな銀次の迷いを吹き飛ばすように、清一郎が優しく微笑む。


「銀次、ようやく気がついたね。そうだよ。君にとって本当に大事なものは、もうこの世界の者でない僕よりも、今を一緒に生きてくれる人だ。さぁ、これを受け取りなさい」

清一郎は銀次の前まで来ると、瓶を手渡した。そして空いた手で弟の頭を撫でる。


「銀次。君がなくしてしまったモノは確かに尊くて大切なものだ。でもね、今、目の前にあるものを大事にしていれば、きっとその中になくしたものたちは蘇ってくる。何度壊れ、失っても、再生するものはあるんだ。町も人も——」

清一郎は立ち上がり、眼下にある浅草の町を見下ろした。


「僕はどの土地に行っても、ここの景色を忘れたりしない。それに君のこともだ。君が僕を忘れても、僕が君を覚えている」

清一郎は眩しそうに銀次を見た。


「ずっと見守っているよ。たとえどんな遠い地に行ったとしても」

清一郎は最後に銀次の頭を一撫ですると、弟の耳の横で指を鳴らした。


パチン。

途端、銀次の頭の中で何かがサラサラと砂のように落ち始めた。目の前にいる兄の顔も次第にぼんやりとしてくる。


「兄ぃ——」

銀次は思わず手を伸ばした。

しかしその手が届く前に、清一郎はひらりと欄干の上にあがってしまう。


「銀次、お別れだ。私はもう次の土地へ旅立たなければ」

清一郎は名残惜しそうに弟と浅草の町を見下ろすと——

何のためらいもなく飛び降りた。


「!?」

銀次は欄干に飛びつく。

黒い外套を広げ宙に落ちていく清一郎は、本物の鳥のように見えた。


「せ——」

銀次は彼の名前を呼ぼうとした。

だがどうしても出てこない。

あの人が自分にとって、とても大切な人だということはわかっているのに。それでも、その名前が出てこなかった。


「またどこかでっ!」

銀次はある力を全て振り絞って、叫んだ。

それに気づいた清一郎が小さく手を振る。


次の瞬間、黒い外套の魔法使いは空に吸い込まれるように姿を消した。

ぺたんと銀次は尻餅をつく。

何が起こったのかよく理解出来なかった。

頭の中の砂は完全に流れ落ち、風とともにどこかへ吹き飛んでいってしまったようだった。


空に消えた人は誰だったのか。

それすらも思い出せない。

ただとめどなく涙が流れてきて、銀次は途方にくれたように泣き続けた。


だがそれも束の間、突如ゴオオという轟音とともに塔が大きく揺れた。

「何っ!?」

あまりの揺れに動けずにいると、


「銀次!? 大丈夫かっ!?」

下から辰政の声が聞こえた。慌てて欄干を覗くと、地上には辰政と紅子がいた。

最初に銀次に気づいたのは、紅子だった。


「早くそこから逃げてっ! この塔は魔法使いが作ったもの。魔法使いが消えれば塔も消えるわっ! 巻き込まれる前に早くっ……!」

紅子は必死に声を張り上げるが、銀次の耳には何千里も離れたところから発せられたように遠く聞こえた。


「魔法使い……?」

口に出した途端、胸がズクリと痛んだ。


なぜかはわからない。

だがわからないことが、さらに胸を苦しくさせた。

銀次は胸を手で押さえて、ズルズルと膝をつく。


自分には何か大切なものがあった。

だが、それはもうない。

失った痛みで体が軋みをあげる。指先一つだって動かせないほどの痛みだ。


「……ッ」

銀次が蹲っている間にも塔は揺れ続け、時折グラッと不気味な浮遊感が襲う。


このままでは折れてしまう。本物の十二階のように。

そうわかっていながらも、どこか他人事のように感じた。


(もういいか……何もかも……)

銀次は全てがどうでもよく感じられた。


「銀次! 何やってんだ、早くっ!」

下から辰政の怒声が聞こえてくる。


その声に銀次はハッとした。自分の手の中のものを見る。せめてこれだけは返さないと。

銀次はある力全てを振り絞って、欄干から手を出した。


「辰っあん、これを……」

「おいっ! そんなことより早く逃げろっ!」


辰政は瓶には目もくれず、階段を指さす。

銀次はふるふると首を振った。


「……ダメなんだ。体が動かない…だからこれだけでもっ……」

ズルリと膝から力が抜けた。

その時だ。聞いたこともない紅子の強い声が木霊した。


「貴方、何を言っているのっ!? 貴方が一体、何をなくしたか知らないけど、それを引き替えにしてもいいくらい、大切なものがあったんでしょう! それを自分の手で守っていかなくてどうするの!? しっかりしなさいよ! 浅草の男の心意気はそんなもんなのっ!」


紅子は声を出し尽くしたのか、ゴホゴホと咳込む。その背をさすりながら、今度は辰政が塔を見上げた。


「銀次、飛び降りろ! 俺が絶対、受け止めるから。約束しただろう、俺たち。一緒に生きるって。それを放棄するなよっ! 踏み出せっ!」

辰政が両手を広げた。隣の紅子も同じように広げる。


「辰政……紅子……」

銀次は二人をマジマジと見つめた。


——今、生きてそばにいる者を大切に。

フッと誰かの声が聞こえたような気がした。思わず後ろを向く。が、誰もいない。


(風か?)

しかし、違うような気もした。

銀次はのろのろと顔を上げる。


真っ青な空。どこまでも続く空。

その向こうから、確かに声は聞こえた。


——誰かが見守ってくれている。

そう感じた途端、徐々に体に力が戻ってくるのを感じた。


「……ッ」

銀次はグッと膝を立て、欄干の上に登る。


目の前に、広大な浅草の町が広がった。

帰りたいと思った。大切な人がいるあの町へ。


銀次は覚悟を決めると、そのまま身を投げた。

それを待たずに、塔がガラガラと音をたてて崩れ始める。

粉々になった煉瓦や金属、木の破片は、万華鏡みたいな光を放って空へと舞い散っていく。


まるで夢みたいな光景だ。

きっとこれは失ったモノの最後の光なのだろう。

自分の周りを舞いながら一緒に落ちていく光の粒を見ながら、銀次は思った。

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