【あらすじ動画あり】2話

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【あらすじ動画】

◆忙しい方のためのショート版(1分)

https://youtu.be/AE5HQr2mx94


◆完全版(3分)

https://youtu.be/dJ6__uR1REU

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『探しモノ屋』

それが、カラクリ屋の他に銀次の始めたもう一つの仕事だ。


繁華街・浅草は人間の欲で溢れる街だ。

人々が震災で多くのものを失ってからは特に、何を代償にしても手に入れたいモノがある者が一定数いる。

そんな人々が、どこからともなく聞いた噂を頼りに銀次のもとを訪れるのだ。


「女の子を探して欲しい、か……」

銀次は寝転びながら、依頼の詳細を書いた紙片を顔の前に掲げる。依頼人が去ってから、もうどのくらい時間が経っただろう。夕暮れの光が浅草寺を背にして沈んでいくのが、目の端で見える。


探しモノの名前は、紅子。

エンコに住んでいる人間でこの名前を知らない者はいない。

なぜなら彼女こそがエンコ最大勢力を誇る浅草 紅団(こうだん)の頭領だからだ。


不良少年の中で少女(ズベ)の割合は約一割。女頭目までいるのは深川(ふかがわ)の少女団を始めいくつかあるが、ここまで大きいのは紅子のところくらいだろう。


紅団は元々、外から来た不良たちを集めたグループだ。帝都中の荒くれ者たちを束ねているとだけあって、紅子はさぞやの烈女かと思いきや、噂ではまだ十五六の可憐な美少女だという。

しかし彼女には、謎な部分も多い。紅子は普段からあまり団員の前にも現れず、表だって動いているのはもっぱら副団長の男装の麗人とかなんとか。


銀次は一度だけ、紅子とおぼしき女の子を見たことがある。

あれは瓢箪池(ひょうたんいけ)の周りにある浮浪者(ルンペン)御用達のベンチで昼寝をしていた時。

腕や足に紅のハンカチを巻いた連中が、池の上にかかる橋をズラズラ通っていた。赤いハンカチは紅団員の証ということは、よく知られていた。

その団員の先頭に一人の女の子がいた。長い黒髪に、紅のリボン。友禅の着物に葡萄茶の袴。彼女こそが紅子——紅団の頭領だった。


折しも季節は五月。橋の上の藤棚からは凛とした花房がたくさん降り注いでいた。

その中を、まるで良家の子女のような格好をした紅子が颯爽と通る。

彼女は噂以上に綺麗な女の子だった。


ただ、それ以上に気になったことがある。彼女は帝都一の娯楽場にいながらも、何も面白いものなどないというような冷めた目をしていた。あれなら花屋敷の生人形の方がよっぽど表情豊かだと思うほどだ。

銀次の中で、それがやけに印象に残った。

以来、紅子の姿を見かけたことはない。


翌日。銀次はロックを中心に、香具師(しょうばい)仲間や、黒団の連中にも聞いて回ったが、紅子の目撃情報は一向に手に入らなかった。

「ん〜なんだってこんなに情報が乏しいのかねぇ」

どんな人間でも、この浅草を行き来していれば絶対に誰かの目には触れるはずだ。それが紅子ほどの人間ともなれば余計に人の目を引く。

「しょうがねえ。あそこに行くしかない、か」

最後のツテを求めて、銀次はロックの繁華街へと向かった。


夜の浅草は、昼間以上にお祭り騒ぎだ。

通りは八時から始まる活動写真の割引を目当てにやってきた人でごった返している。

その頭上を埋め尽くすのは、活動写真や劇場の大幟・大看板の数々。ゴテゴテした趣味の悪い色彩をイルミネーションが怪しく照らし出している。

少し行った先には、飲食店や露店がところ狭しと並んでいる通りもある。


※画像


ガマの油売りやバナナの叩き売り。人気の露店では香具師たちが勇ましい啖呵を上げて、道行く客を呼び止めている。

飲食店からは油っこい匂いが漂い、グラスがぶつかる音や、飲んだり食ったりの大騒ぎの声が始終響く。

それに混じって大道芸人の口上、占い師の算木、艶歌師のヴァイオリンなどの音が溢れ、通りは賑やかな喧噪で満たされていた。

だが通りを一歩外れると一変、物乞いや娼婦・男娼などが声を掛ける客を裏路地でひっそりと見定めているのが見える。


銀次はここに来る度、思う。

浅草という街は人の坩堝(るつぼ)だと。


もともと庶民の町であった浅草は活動写真や劇場が出来て以来、本当に様々な人間が集まるようになった。

道楽の紳士や若旦那、インテリ、学生、兵隊、文学や演劇を生業とする者。さらに世を捨てた浮浪者や乞食、不良少年まで。

色んな階級や身分の者が入り交じった混沌の土地。それが浅草だった。


銀次はこの町が好きだった。

銀座などの洗練された清潔な都市とは大違い。何もかもが大げさで胡散臭くて、安っぽい遊園地みたいな町。

自分が生まれたところということもあって、愛着もあった。不良少年になってまでエンコに留まったのも、この町から離れたくなかったからだ。


「ん?」

その時、人波の中に見知った姿を見つけた。


辰政だ。彼は若旦那のように懐に手を入れ、通りをブラブラと歩いている。ゆったりとした足取りだが、それに反して視線は鋭い。

——獲物を狙っている。銀次は直感した。

どうやら仕事の真っ最中らしい。


辰政は一流のスリだ。

だが硬派な彼には一つのモットーがある。

金は金持ちからしか盗らない。しかも辰政に言わせればそれは「孤児のための募金を徴収しているだけ」らしい。


そのうち辰政は獲物を見つけたのか、髭をたくわえたソフト帽の紳士の横に並んだ。

辰政は煙管を取ると見せかけて、サッと紳士の巾着財布をかすめ取った。時間にすると、ものの数秒。鮮やかな手つきで現ナマだけを懐に入れた辰政は、後は何事もなかったようにゆっくりと離れていく。

その一連の流れはまるで、闇夜で太刀を抜くみたいに音もなく素早かった。

だが銀次は知っていた。一見軽くやってのけているように見えるが、辰政は見えない右目をいつも煩わしいそうにしている。長くかかった前髪は粋ぶっている訳ではないのだ。


ズキンと銀次の胸が痛む。

無意識に銀次は、雑踏の中の幼なじみの姿を目で追ってしまっていた。


「市村ァ〜何を見ているんだぁ〜」

その時、背後から低い胴間声が響いた。

「ゲッ! 牛島!」

白い巡査服にサーベル。後ろにいたのはエンコを取り締まる象潟(きさかた)署の警官だった。


日頃、エンコの不良少年たちは象潟署員たちに袖の下(賄賂)を献上している。そうすれば、多少のことは目こぼししてもらえるからだ。

だがこの牛島巡査だけは剛直というか何というか、一切の不正を許さず、目についたガキを手辺り次第しょっ引っいていく。捕まればこってりシボられ、中々返してもらえない。最悪の場合、施設に送り込まれてしまう。


これはやばいぞ。銀次はへへへと誤魔化し笑いを浮かべながら、一歩ずつ後ろづさる。

「これはこれは、牛島の旦那。今日もご苦労様なこって」


運の悪いことに、牛島は先ほど銀次が見ていた方角に目をやり、ニヤリと笑った。


「ほほーう。何を熱心に見ているのかと思ったら、あそこにいるのは黒団のボス猿、伊庭(いば)辰政じゃないか。いい機会だ。二人まとめてしょっ引っいてやるー!」

「ギャー!」


銀次は巡査の手を寸前のところで躱し、人混みの中に紛れた。こんな時ばかりは小柄な自分の体格に感謝したい。

そのまま喧噪の中を進み、辰政に追いつくなりその腕を掴む。


「銀!?」

「辰っあん! いいから、こっち! 牛島に見つかった」


瞬時に事情を解した辰政が一緒に走り出す。


「またんかぁーい! こらぁぁっ!」


背後から牛島の声が響く。チラリと後ろを見た辰政は苦々しい顔をした。


「はぁ……まさか牛島に見られてたのに気づかないなんて……俺も鈍ったかな」

「や、違う。俺のせいなんだ。俺が辰っあんのこと見てたから——」

「見てたって……まさか俺に見惚れていたんじゃないだろうな」

こんな状況でさえ余裕綽々の笑みを浮かべる幼なじみに、銀次は「あーへいへい」とだけ返した。


そのまま二人は大勝館(たいしょうかん)、世界館の手前で横道に逸れ、千束(せんぞく)町まで一気に走り抜けた。

※画像


「はぁっ……はっ」

裏路地に身を潜め、ようやく一息つく。膝に両手をおき、背中で大きく息をする。


千束町は深い闇に沈み、ポツポツとある店先のランプが鬼火のように揺れていた。時折、狭い路地からは白粉の匂いを紛々させた女がサッと現れ、またサッと消えていく。


十二階下。震災前までここにあった私娼窟を人々はそう呼んでいた。


もともと十二階というのは、明治時代に建てられた西洋風の展望台のことだ。正式名称は「凌雲閣(りょううんかく)」。もっぱら「十二階」の名で親しまれたこの塔は、当時としては帝都一の高さを誇っていた。八角形の赤煉瓦造り。まるで都を見下ろすかのように立つ塔は浅草の——いや帝都のシンボルタワーだったと言ってもいい。


※画像


銀次は初めてこの建物を見た時、まるで西洋のおとぎ話に出てくる魔法の塔みたいだと感じた。


「魔窟」——十二階下に広がる私娼窟の別名がそう名付けられたのも、当然といっては当然だった。

魔女たちが巣くうここは、いくつもの細い路地が蜘蛛の糸のように絡まりあい、一度迷ってしまえば容易に出ることの出来ない迷宮(ラビリンス)だった。


その後の震災で十二階が折れ、人が途絶えてしまった現在も、路地だけは往時の名残をとどめ、灯りや人影が乏しくなった分だけ余計不気味になった。今にも暗い路地奥から、この世のものではないモノが出てきそうな雰囲気だ。


「お前、よくこんなところに住んでいられるよな。迷ったりしないのか?」

巡査が追ってきていないか壁際から確認していた辰政が言った。

「う〜ん。今は迷うことはないかな。抜け道も知ってるし——」

銀次は、慌てて後の言葉を呑み込んだ。


慌てて話題を変えようとすると、

「お前たちぃ〜そこにいるのはわかってるんだぞ!」

牛島の怒声が魔窟に木霊した。血気盛んな声が、不気味な迷路の雰囲気を一掃する。

「ゲッ! 犬かよ、あいつは!」

通りの向こうからやってくる牛島を見て、辰政が体を引っ込めた。

「よし、こうなったら力づくで——」

辰政は袖をまくり上げ、路地から飛び出そうとする。

「ちょ、ちょっと待って! 辰っあん!」

銀次は慌てて止めた。


どうやら辰政の悪い癖が出たようだ。

顔よし性格よしの彼の唯一の欠点は、黒団と同じく、この喧嘩っぱやさだ。「火事と喧嘩は江戸の華」の通り、辰政は喧嘩と聞くやいなや、すぐに飛び出して行ってしまう。そして銀次が追いついた時にはもう、華々しい勝利まで収めていたりする。その時の彼ほど子供っぽい、嬉々とした表情している者はいない。

だがそれを本人に言うと「お前だって金の音が聞こえたら一目散に飛び出していくくせに」と言い返されるので、ぐうの音も出ない。


でも、今だけは止めなければ。警官に喧嘩なんて仕掛けたら、それこそ豚箱行きになってしまう。

(これはもう……しょうがないか?)


銀次は一瞬躊躇った後、辰政の肩をトントンと叩き、路地の奥を指さした。

「辰っあん、こっち」

指さした先には〈この先、抜けられます〉と書かれた看板がある。


それを見た辰政は眉を顰めた。

「おい、銀。あれは——」

言いかけた時、牛島の荒い足音がすぐ近くで聞こえた。

「隠れても無駄だぞ! 今すぐ出てこい、悪ガキども!」

「くそっ! ほら、辰っあん! 早く!」


銀次は辰政の腕を掴むが、相手は踏み止まる。


「待てよ、銀。この先は抜けられないぞ。ここらじゃ〈抜けられます〉だの〈近道〉だの書いてあったって、行き止まりか、元の道に戻るだけだ。女たちが客を追い込む仕掛けだよ。確かここも行き止まりだったはず……え、どうした? 変な顔して」

「いや、ただ……辰っあん、何でそんなこと知ってるのかって」

「そりゃまぁ、俺にも色々ある——って、そんなことよりも、これからどうするんだよ。やっぱりここは俺が——」


辰政が喜々として来た道を戻ろうとするが、銀次も断固として譲らない。こうなったらもう意地みたいなものだ。


「大丈夫。この先に道はあるんだ。いいから、ついてきて」


サッサと歩きだした銀次を見て、辰政は渋々ながらついて行った。

だが案の定、先は行き止まりだった。


「ほら、やっぱり——って、うわっ!」


突然、袋小路だった壁が凹凸レンズを覗いたようにグニャリと歪む。

そして一瞬きの間に、目の前に細くて長い道が現れた。道の両端には鬼灯(ホオズキ)の提灯が並び、チラチラと誘うように揺れている。

まるで覗きカラクリの紙芝居のように唐突に変わった景色を見て、辰政は戸惑いを隠せなかった。


「おい、銀次。ここは? こんな道、前からあったか?」

歩き出した銀次は、後ろを振り向かずに言う。

「うーん。あるにはあるけど、誰にでも行けるような道ではないよ——そら、ついた」


銀次は提灯の導く先を手で示した。そこからはガヤガヤした人々の喧噪と、連なる提灯の光が漏れていた。

「ここは浅草の知る人ぞしる裏道。そしてあれが通(つう)の者しか入れない浅草の裏町、幻燈町(げんとうちょう)なぁりぃ」

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