物心

壱原 一

 

右と左の区別もあやふやな歳の頃、どうしてじゃんけんで勝ち負けが決まるのか分かりませんでした。


新しいお友達と半年も過ごせばその子の考えや好みや癖が分かるので、じゃんけんで出す手も明らかで、その手に勝てる手を出せば常に勝てます。それを勝負とは言わないのではないかと思っていました。


後年勘違いしていたと分かりました。相手に勝ちの手を出されてしまうと言うことは、その子が相手の出す手を明らかにできなかったと言うことです。


つまり出す手の読み合いに負けた、読み合いで勝ち負けが決まったと言うことで、するとじゃんけんとは手の読み合い、いわゆる心の読み合いの勝負なのだと合点しました。


どうしてこんな勘違いをしていたかと言うと、この頃はお友達と半年も過ごせば概ね心を開いてくれて、いつでもその子の考えや好みや癖が分かっていたからです。


テレビ番組や映画の俳優さんのモノローグなども、そうしたものだと思っていました。画面上の人の心は開けないから分からないし、俳優さんは役を演じていて心がややこしくなるので、必要なところだけ音声で表現していると思っていました。


心すなわち考えや好みや癖には、公然と触れないことが、みんな仲良く気持ちよく過ごすための思いやりでマナーだから誰もがそうしているんだと思っていました。


それも数年後に厳密には勘違いだと分かってきました。


本格的に学業を始めて半年も経つと、大半のお友達の心は一挙に複雑化して、容易に開かなくなったからです。開いてくれてもほぼ不協和音の多重奏で、一貫しておらず、みんな多くの顔を持ち同時に別々のことを考えています。


さも他人事で不躾な表現ですが、当時は率直に言って、お友達がみんな得体の知れない怪物のように感じられていました。


相手の子のことを把握しきれず、じゃんけんには勝てなくなるし、失言して傷付けてしまったり、嘘を見破れなくて悔しい思いをしたり。


長じるにつれ語義上の「心を開く」は比喩だと分かってきました。


知る限りの全ての人が、相手の考えや好みや癖を、直接ではなく、間接的に、対話や仕草や表情や声の調子などから、洞察したり、推理したり、感じ取ったり、慮ったりして、対人関係を育んでいたのだと気付いてきました。


そのように対人関係を築く能力を、小さな内から、お友達みんなの心が単純で分かり合いやすかった頃から、少しずつ難易度を上げてごく自然に全力で育んできていたのだと気付きました。


気付いたとき途方もない気持ちになりました。もう手遅れのように感じられました。


こんなに複雑で掴み所のない内面が錯綜する中を、碌に分からず手探りで渡って行くなんて、恐ろしすぎて何処へも行けず、何もできない気分に陥りました。


それで学業を始めて半年もした頃、贅沢で生意気なことに、殆ど物を言わず泣き笑いもしないほど元気を失くしました。


この頃「帰りたいな」とばかり考えていました。もっと幼い頃へ、お友達みんなの心が手に取るように明らかだった頃へ帰りたかった。いやそもそも、これほど入り組んで太刀打ちできない難しい所へ来るんじゃなかった。


さっさとここから帰りたい。


そんな意味不明で愚にもつかない夢見がちで妄想めいたことばかり考えていました。


すっかり気落ちして不活性化した我が子を、両親はとても心配して、気晴らしにと旅行へ連れ出してくれました。


晩秋か初冬か。中国地方へ飛行機で旅し、帰航の最中にありました。


家から遠く離れた旅の空に居た所為でしょう。


もう帰りたくて帰りたくて堪らなくなり、けれど世知辛い現実が待つ家の方へは戻りたくなく、「このまま帰らせてください」と支離滅裂のお願い事を、誰にともなく、しかし心から祈るように念じていました。


不意に上から圧が掛かって、飛行機が垂直に沈みました。まさに絶叫マシンのフリーフォールのようでした。


椅子から体が持ち上がり、しがみ付く座席もまた落ちていて、何処にも掴まっていられず、体の中身だけが空中に取り残される心地でした。


物心の付ききらない年齢だったので、酷く動転し、現実と想像が曖昧になり、上から誰かが手を突いて沈めていると思って、咄嗟に「止めて」と希望しました。


危機的状況で慌てふためいた脳が、上から沈めている誰かを想定して、更には誰かの心が開かれ、その心を覗き込んだかのような錯覚を齎しました。


誰かは我がままな子供に腹を立てていました。腹を立てて目玉を抉りました。突然の垂直落下という異常への強い混乱が、このような一方的で暴力的な現実逃避の空想を引き起こしたのだと思います。


目玉と、もっと奥の頭の中央の辺りがとても痛くて熱くなり、泣いていると「もう大丈夫」と両親に抱き締められました。飛行機は乱気流を脱しており、その後も安全に航行し、空港へ着陸しました。


以来やたらと日光や照明等で目元をしかめるので、眼科の先生の下へ連れて行かれました。


目玉の一部の色が相対的に薄い箇所があり、そこへの光の刺激が強く感じられて、眩しくて目元をしかめてしまうのだろうとのことでした。


こうして振り返ってみると、幼いころ特有の万能感や、新しい環境なり学業なりへの不安や戸惑いが、益体のない幻想を増長させていたに違いなく、当時心を砕いてくれた両親ならびに関係各位には感謝しきりです。


今は当然の事ですが、様々な物事の分別がおよそ人並みに付いていると思います。


明るい光を見ると、いつも目玉から頭の奥までが抉られるように痛むものの、問題なく生活しています。



終.

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物心 壱原 一 @Hajime1HARA

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