第2章: 変わりゆく心

1. 不安の兆し


悠斗が4歳を迎える頃から、少しずつ彼の心に不安の影が差し始めていた。最初は誰も気づかなかったほど小さな変化だった。保育園で友達と遊んでいるときや、先生に話しかけられたとき、悠斗は言葉に詰まることが増えていった。以前はスムーズに出てきた言葉が、何かに引っかかるようにして出てこなくなり、彼自身もその違和感に戸惑いを覚えていた。


ある日、保育園の活動の一環として、先生が世界各国の国旗についての話を始めた。悠斗にとって、これは得意分野であり、心が躍る瞬間でもあった。先生が「この国旗はどこでしょう?」と問いかけると、悠斗はすぐに「それはフランスです」と答えた。周りの友達が「すごいね!」と彼を褒める声が聞こえたが、その後に続いた言葉が、急に喉の奥で止まってしまった。


「どうしたの?」と先生が促したが、悠斗はそれ以上何も言えなかった。彼はただ、言葉が出なくなったことに対する焦りと、何も言えない自分への苛立ちを感じていた。心の中で、今まで感じたことのない重圧が彼を押しつぶしそうになっていた。


家では、相変わらず国旗カードでの遊びを楽しんでいたが、保育園では次第に言葉を発することが少なくなっていった。悠斗は、言葉を発しようとするときに胸の奥で何かが詰まるような感覚を覚え、それが次第に恐怖に変わっていった。彼は、その恐怖に立ち向かうことができず、保育園での活動や友達との遊びを避けるようになっていった。


美奈と清志も、そんな悠斗の変化に気づき始めた。保育園からの帰り道、悠斗が何も話さずにぼんやりと窓の外を見つめていることが増えたのだ。美奈が「今日はどうだった?」と尋ねても、悠斗は「別に……」と短く答えるだけで、以前のように保育園での出来事を楽しそうに話すことはなくなっていった。


両親はその変化に不安を覚え、悠斗に何が起きているのかを考え始めたが、原因を突き止めることはできなかった。清志は「最近、どうしたんだろうな。何かあったのかもしれない」と美奈に話し、二人で悠斗をサポートする方法を考えたが、悠斗自身がその不安を言葉にできないため、具体的な対策を講じることができずにいた。


家庭での時間も、徐々にその雰囲気が変わっていった。以前は楽しそうに国旗カードを並べて遊んでいた悠斗が、最近はその遊びに対しても興味を失っているように見えた。美奈はその変化を寂しく感じ、夜になると、悠斗が眠りにつく前に絵本を読み聞かせることを続けていたが、悠斗の反応が以前ほど熱心ではないことに気づき始めた。彼はただ黙って美奈の声を聞き、絵本の世界に入り込むこともなく、無表情で天井を見つめていることが多くなっていた。


この変化を目の当たりにして、美奈は深い不安に襲われた。彼女は清志と何度も話し合い、悠斗の変化にどう対処すべきかを考えたが、明確な答えが見つからないままだった。悠斗が抱える不安の原因を探り、彼の心を少しでも軽くするために、両親は保育園の先生と協力しながら、少しずつその心の内を理解し、支えていく必要があると感じていた。


両親は決して諦めることなく、悠斗に寄り添い、彼の成長を見守る中で、再び彼が笑顔を取り戻すための手助けをしていくことを決意した。しかし、その不安が悠斗の中でどのように影響を与え、どのように進展していくのかは、まだ誰にも分からない未来の話であった。


2. 保育園での違和感


悠斗が次第に自分の中にある違和感を意識し始めたのは、友達との交流が減少し始めたことからだった。保育園での一日は、以前とは違って、どこか緊張感が漂うものとなっていった。友達が「一緒に遊ぼう」と誘ってくれることがあっても、悠斗はただ黙って頷くか、時には遠慮がちに首を振ることが増えていった。話すことへの恐怖心が、彼の中で静かに広がっていたのだ。


ある日のことだった。保育園でみんなが自由に遊ぶ時間に、友達の一人が「悠斗くん、一緒におままごとしよう」と誘った。普段であれば、悠斗はすぐに「いいよ!」と答えていただろう。しかし、その日はどうしても言葉が出なかった。彼はその友達の顔を見つめ、口を開こうとしたが、何も言えなかった。その瞬間、彼の心の中で何かが壊れたような感覚があった。


友達はしばらく悠斗を見つめていたが、次第に不安げな表情を浮かべ、「どうして話さないの?」と尋ねた。悠斗は答えたいと思ったが、言葉が喉の奥で詰まってしまい、声にならなかった。友達はしばらく待っていたが、やがてあきらめた様子で他の子供たちのもとへ行ってしまった。悠斗はその姿を見送りながら、自分がなぜ話せなくなったのか、理解できずにいた。


その後も、保育園での違和感はますます強くなっていった。先生が話しかけても、悠斗は返事をするのが怖くなり、ただ黙って下を向くことが多くなった。先生たちも最初は「どうしたの?」と優しく促してくれたが、次第にその態度にも苛立ちが見え始めた。「悠斗くん、ちゃんと答えてね」と少し強い口調で言われることが増え、それが彼にとってさらなるプレッシャーとなっていった。


家族との時間も変わり始めていた。美奈が「保育園で何をしたの?」と尋ねても、悠斗はただ「わからない」と答えるだけで、以前のように楽しそうに話すことはなくなった。清志が「最近、どうしたんだ?」と優しく問いかけても、悠斗は黙って首を横に振るだけだった。彼の心の中で何が起きているのか、家族は理解することができず、ただ不安を募らせるばかりだった。


悠斗は、保育園での孤独感を次第に感じるようになった。友達が楽しそうに遊んでいる姿を遠くから眺めながら、自分だけがそこに入れないような感覚に襲われた。彼は一人で遊ぶことが増え、積み木や絵本に没頭することで、自分の心を守ろうとしていたが、その孤独はますます深まっていった。


先生たちも悠斗の変化に困惑していた。明るく活発だった彼が、突然言葉を失い、他の子供たちとの交流を避けるようになったことは、誰にとっても予想外のことだった。先生たちは美奈に相談し、彼の状態を理解しようと努めたが、具体的な原因を掴むことはできなかった。悠斗が何を感じているのか、どうして言葉を発することができなくなってしまったのか、それは彼自身にもわからないことだった。


3. 家族の反応


家族の中でも、悠斗の変化は徐々に大きな問題として意識されるようになっていった。美奈は、息子が抱える不安を何とかして解消したいと思い、様々な方法を試みた。たとえば、絵本の読み聞かせを続けることで、彼の心を落ち着かせようとしたが、悠斗の反応は以前ほど明るくはなかった。彼はただ静かに美奈の声を聞きながら、何も言わずに眠りに落ちることが増えていった。


清志もまた、息子の変化に心を痛めていた。彼は仕事から帰宅するたびに、悠斗と一緒に過ごす時間を大切にしようと心がけていたが、彼の中で何が起きているのかを理解できずにいた。ある夜、清志は美奈に「最近、悠斗が元気がないように見える。何かストレスを感じているのかもしれない」と打ち明けた。美奈もそれに同意し、二人で悠斗の状態をどうすれば改善できるかを話し合った。


家族での時間が以前のように楽しいものでなくなってきたことは、清志と美奈にとっても大きな悩みだった。週末に家族で出かけることも、悠斗が以前ほど楽しそうにしなくなっていた。動物園や公園に行っても、彼は興味を示さず、ただ無表情で周囲を見渡しているだけだった。清志はその様子を見て「何かが変わってしまった」と感じ、それが彼の心に重くのしかかっていた。


両親は悠斗をサポートするために、保育園の先生たちと話し合い、彼が感じているプレッシャーを少しでも軽減できる方法を模索することにした。先生たちは、悠斗が無理をせずに自分のペースで過ごせるよう、特別な配慮をすることを約束してくれた。しかし、悠斗の心の中で起きている変化を完全に理解することは誰にもできなかった。


このようにして、家族は悠斗を支えながらも、その変化に戸惑い、不安を抱えながら日々を過ごしていた。彼の中で何が起こっているのか、それを解明するための手がかりを見つけることができないまま、時間だけが過ぎていった。両親は、悠斗が再び笑顔を取り戻せるように、あらゆる方法を試みる決意を新たにしていたが、その道のりは決して容易なものではないことを感じ始めていた。

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