聴こえない演奏会
三月
本文
SF研の根城になっていた、生物準備室の扉を叩く生徒一人。今週始まって初の部外者である。暫らくあってドアが開かれると、ずらりと並ぶ生物標本たちが虚ろな目をやり、そうでない幸運な生き物が三匹、彼を出迎えた。
さあさあ、と一人が嬉しそうに席を譲る。菓子盆を押し付け、二つ程握らせると、満足したように盆を仕舞い込む。その間、別の一人は扇風機の前に陣取ったまま動かず、最後の一人は開けっ放しの扉を閉め、離れたソファに静かに座った。
「"何の用だ"なんて、野暮なコト聞く気はない。きっと生徒会の呼び出しでも指導部のお使いでも、そんな用事で来たんじゃないって分かってるよ」
生徒は恭しく菓子の包みを開けながら、「どうしてですか?」と尋ねた。
尋ねられた当人は少し当惑した様だった。「だって…初めて見る顔だ」
「本当は何の用だよ?」と背を向けていた男が尋ねる。「まさか、剽窃の件で来たとか…」
「ねえちょっと、話を聞きなさいよ」とソファに座った一人が静かに言い、他の二人は訪問客をじっと見つめた。
「あの…、須崎センパイって、貴方ですよね」
「他に居ないしね」と、自分も菓子を食べながら正面に座っていた一人は嘯く。
「では相談に乗ってください。大事な話なんです」
「SF研最初の依頼が、こんな内容とはね」
「お前は違うだろ。私物化するな、勝手なこと言い触らしてさ」
「何言ってんだ?これは広報活動だぞ、解ってないな」とちょうど訪問客が座っていた所に脚を載せて、須崎は言う。「あんまり面白くない話なのは、そうだが」
「なんで断らないんだ?軽音部なんて、一切関わりが無い。ましてシノ…何とかいう顧問も知らないだろ」
「知らないね。まあ、経費は持ってくれるって言ってたし」
座っていた一人が須崎がひらひら掲げた紙をソファを乗り出して取り上げ、それを読み上げた。「"内訳:相談に関する心的疲労、問題の帰納法的解決にかかる精神的ストレスの治療。計三千円也"。ふざけてる?」
「金が要るんだろ。会誌を刷るのにも、人を呼ぶのにも。俺に相談した理由を忘れたか?」
二人は黙りこくった。ある種の消極的抵抗である。
SF研の一人、里中は口を開く。
「でも、耳の聞こえない御仁に演奏を聴かせるなんて、どうするの」
「何とかするさ」
「"何とか"って、具体的には?」
須崎は「科学的発想としては、どう考える。宮間」ともう一人に話を振った。
「人任せかよ――そうだな、老化に伴う難聴なら、高周波を避けるとか。でも殆ど聞こえないって話か」
「パラボラ状の背景の、その前で演奏するのはどう。絶対的な音の大きさは保証できない?」
須崎は肩を落とした。「なあ、似たような作品とか無いのか?『悲鳴の届かない惑星』とか、『外宇宙からのメロディー』とかさ」
「何でパルプ誌風の題名なんだよ」
「良くあるのは、感覚のカテゴリが違うとかね。触覚と聴覚が一緒だったり、そんな感じ。人間なら、幻肢痛とか…」
「そういえば、似たような話を思い出したぞ。SFじゃないが。あるカリフ、それかその大臣の説話だ」
須崎が「古典から引いてきたのか、それは…クラシックだな」と言うな否や、横から里中に小突かれる。
「城下を貧者の格好で夜な夜な歩き回るカリフは、ある日大商人の一行と鉢合わせして、御者に乱暴されそうになる。それを助けたのが、聾唖の老人だ。後日、正体を明かしたカリフが老人に返礼をするんだ。宮殿の演奏会でな。その中でさ――」
「その中で、何?」
「――そこが肝心なんだが、思い出せない。まあ頓智で締めるっていう、説話のお約束じみた結末だったよ。参考にならんだろ?」
「参考にならん話を、どうもありがとう」と須崎は乾いた声で言った。
翌日。急に呼び出された二人は困惑しながら準備室にやって来ると、既に須崎の話す声が聞こえる。二人は示し合わせ、そっと部屋に入る。快活そうな顔と長話でげんなりしたもう一つの顔が見えた。
「来たな。じゃあ揃ったし、SF研としての結論をお伝えしよう」
宮間が「待てよ」と耳打ちした。「何にも決まってないだろ」
「まあまあ――結論の前に、一つだけ。別にアンタの口裏合わせの分を取る気はない。前の料金に込々でオマケしとく」
それを聞いた軽音部員は顔を白くした。「何を、なにを言うんです?」
「粗方部内で意見が纏まらないんだから、外に相談するフリで、自分の意見を通そうって言うんだろ?賢いな、アンタは」
白い顔は何か口ごもってから、黙って先を促した。
「良い考えだと思うぞ。余計なコトせずに演奏すりゃいい。その上でSF研としては、
「皆聴こえなきゃいいってか。禅問答だな」と宮間。
「里中が言ってたろ。感覚の優越の問題だ。演奏を見せて、その経験を共有すれば、只の観客よりよっぽど聞こえる。元顧問なら尚更だ」
「須崎くんって、意外とロマンチストなのね」
須崎は被りを振った。「それを言うなら、
聴こえない演奏会 三月 @sanngatu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます