28. 海の墓場

 サフィラが船に乗り、杖を一振りする。周りの海水が盛り上がり、船体を取り囲んだ。次の瞬間、ぐん、と全員の身体が慣性で引っ張られる。

 波が船を押し出し、勢いよく進んでいった。その軌跡が白い泡となり、後へ尾を引く。

 アウクシリアは目を丸くして、遠ざかっていくレガリア島を眺めた。


「こりゃ速いな。お前、途中で魔力切れしないか」

「大丈夫ですよ」


 これまであれば、この威力の魔法を使えばとっくに息切れしていただろう。だが今は、息切れどころか力がみなぎってくるのを感じる。

 これが、海神マーレの眷属になるということなのだろうか。


 クラヴィスは相変わらず、サフィラの手を握っていた。黙って、遠くを眺めている。

 サフィラはそれを突き放すこともできず、かといってこのままでいいとも思えない。


「クラヴィス。昨日の晩からずっとおかしいけど、どうしたんだ」

「どうもしていない。俺が好きなようにしているだけだ」


 ずっとこの一点張りだ。サフィラは俯き、彼に握られた手の指を丸めた。

 船は順調に航海を続け、日が落ちきる前に目的地へと辿りつく。海の墓場は、穏やかな海域だ。

 魚群の影があちこちに見え、どこまでも深く澄んだ藍色が広がっている。夕日を反射して、きらきらと海面が光っていた。滴り落ちそうな赤色の空に向かって、サフィラはこうべを垂れた。


 ここは、多くの魂が眠る場所だ。サフィラは指を組み、祈りを捧げる。


「大海の女神、我らの母。マーレよ……」


 サフィラが祈りおわるのを待たず、クラヴィスは鎧を脱いだ。アウクシリアが「ちょっと待て」とクラヴィスを止める。


「まさかとは思うが、ここで泳ぐつもりか? ここはかなり深いぞ」

「ここの海底に、マーレを倒すための武器があると聞いた。ならば潜るしかないだろう」

「ちょっと待て、準備をするから」

「必要ない」


 頭が痛いと言わんばかりに、アウクシリアは目を瞑って首を横に振る。クラヴィスは上半身の衣服も脱ぎ、準備運動を始めた。

 祈りを終えたサフィラも、クラヴィスを見て驚いた顔をする。


「クラヴィス、ちょっと待って。僕もついていくから、準備するよ」

「必要ない」


 呼ばれている。そうクラヴィスは呟いて、海へと飛び込んでいった。


「クラヴィス!」


 サフィラも慌てて衣服を脱ぎ、海へと飛び込む。テストゥードーの与えた祝福のおかげか、海中でも当たり前に呼吸ができた。

 魔法で明かりを灯し、クラヴィスの姿を追った。彼はもう、随分深いところまで潜ってしまっている。


「待ってくれ、せめて加護の魔法をかけさせてよ! ねえ!」


 水流を操り、彼へ追いつこうと必死に泳ぐ。しかし彼の姿は、ふっと暗い闇にのまれてしまった。


「クラヴィス! クラヴィー!」


 サフィラは必死にクラヴィスを呼ぶ。手あたり次第に明かりを飛ばし、魚群の中や海藻の茂みの中にも彼の姿を探した。どこにもいない。


「どこに行ったんだ」


 もう、普通の人間が息を止めていても平気な時間が過ぎようとしている。サフィラは恐ろしくなって、あちこちを駆けずり回った。

 水中に射すかすかな光は、もうなくなっていた。暗い水面を見上げ、サフィラは淡い希望を持つ。


(もしかしたら、もう戻っているのかも)


 水面へと浮上し、船へと戻る。顔を上げると、黄昏時の弱々しい光が、西の空から広がっていた。


「サフィラ」


 アウクシリアは、まるで幽霊でも見るような顔でサフィラを見る。


「クラヴィスは」


 それに構わず、サフィラは船へとしがみつく。腕を伸ばし、アウクシリアに身体を引き上げてもらった。


「戻ってきていませんか。それともすれ違った? 僕、海の中で見失ってしまって」

「落ち着いて聞け、サフィラ」


 しんと感情の抜け落ちた言葉に、サフィラは「え」と間抜けな声を漏らした。アウクシリアはサフィラを座らせ、タオルをかぶせる。


「あいつは、戻ってきていない」


 ぱたり、とサフィラの髪から海水が滴る。震える唇に指を当て、サフィラは暗い海を見下ろした。あと少しで完全に日が沈み、夜がやってくるだろう。

 そうなったら、クラヴィスを見つけることは、もっと難しくなる。

 明日の朝になったら、どこかに流されてしまって、もっと見つけにくいだろう。


「さがしてきます」


 ふらり、とサフィラは立ち上がる。「ダメだ」と、アウクシリアが羽交い絞めにした。


「気持ちは分かるが、これが海へ潜るということだ。ろくな準備もしなかったらこうなっても仕方ない」

「いや、いやだ。ぼくは、こんなことのために、この旅をはじめたんじゃない」


 いやいやと首を横に振り、サフィラは海へと身を投げ出そうとする。


「いい加減にしろ!」


 アウクシリアが、サフィラの頬を強くはたく。じんわりと、頬が痛みとともに熱くなった。サフィラは茫然としつつ、アウクシリアを見上げる。彼もまた歯を食いしばり、「俺は降りるぞ」と吐き捨てた。


「俺は、お前たちの命を危険にさらすために、ここへ連れてきたわけじゃねえ」


 サフィラは、ぼんやりと海を見つめた。多くの魂を孕み、眠っている海。その姿を見て、アウクシリアが鼻を啜った。


「ああ。ノドゥスに、何て言おうか」


 そう言って、アウクシリアは顔を覆ってしゃがみこんだ。サフィラも、茫然と座り込んで、刻一刻と沈んでいく太陽を見つめる。


「勝手に殺すな」


 どん、と船に何かがぶつかる音。聞きなれた声に、サフィラは慌てて立ち上がった。


「クラヴィス……!」


 そこには、ずぶ濡れの幼馴染の姿があった。両手には、鎧と大振りな剣を抱えている。


「引き上げてくれ。両手がふさがっているんだ」

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