15. さらばアウレア島
多くの店と取引を持っていた酒屋が、危険な酒を密造し、流通させていたこと。その隠蔽のために周辺騎士団と癒着し、騎士たちの汚職・賄賂が判明したこと。
またたく間に知らせは夜の街を駆け、いっときは島全体が騒然としたらしい。
それでも後のことは騎士団に任せ、この島の日常は続いていく。サフィラたちも朝早くから船に荷物を積み込み、出航の準備をしていた。
なお、サフィラとクラヴィスは寝不足気味である。アウクシリアは朝いちばんに二人の顔を見て、訳知り顔をした。
「何もなかった」
不貞腐れたように言うクラヴィスの脇腹を小突きつつ、次々荷を積み込んでいく。ほとんどの荷物を積み込んだところで、太陽が真上に昇った。昼である。
アウクシリアの腹が、盛大に鳴った。
「昼メシを食ってから出るか」
アウクシリアの一声で、大通りへあがって食事をすることが決まった。
荷物を置いて、汗を拭く。三人で連れ立ち、港からあがろうとしたときだ。
「みなさん!」
通りへ続く坂道を転がり落ちるように、フェキレがやってくる。あ、とサフィラが顔を上げると、彼はみるみるうちにこちらへ駆け寄った。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら、彼は頭を下げる。
「命を助けていただいたのに、大変なご迷惑をおかけしてしまいました。すみませんでした」
きっと急いで来たのだろう、びっしょりと汗をかいていた。ぽたぽたとしずくが滴り落ちている。
「そんなに気にしないで。僕たちの方こそ……」
サフィラが慌てて顔を上げさせようとするも、彼は頑なに頭を下げ続けた。
「どうしてお前が謝る」
クラヴィスは仏頂面で腕組みをし、尊大な態度で尋ねる。え、とフェキレはやっと顔を上げた。
「俺たちに迷惑をかけたのは、お前ではない。お前の父親であり、別の人間だ」
「でも……」
なお食い下がろうとするフェキレに、「まあ、なんだ」とアウクシリアが頭を掻く。
「こちらこそ、お前さんを大変な目に遭わせちまったって見方もできるんだ。俺たちがああいう風にしなかったら、お前さんは今も、いつも通りの生活ができていたんだぞ」
ぐ、とフェキレが唇を噛む。その黒目に太陽光が反射し、ぎらぎらと光って見えた。
サフィラが言葉を失うと、「でも」と彼は言葉を絞り出す。
「でも、親父は、たくさんの人を傷つけた。自業自得です」
どうしたものかな、とサフィラはクラヴィスを見る。彼は肩をすくめ、一歩踏み出して彼に近づいた。フェキレの肩を軽く叩き、ぶっきらぼうに言う。
「だからといって、お前が責を追うべきわけではない。気負いすぎるな」
「そう、……です、ね」
飲み込みきれない顔で、フェキレが俯く。サフィラは彼の肩に手を置き、労わるようにさすった。
「少なくとも、きみが僕に忠告してくれたから、僕は助かったようなものです」
「そんなことしましたっけ」
サフィラはにこりと微笑み、頷いた。
「メトゥスさんの酒癖の話だとか、してくれたじゃないですか。あれで、僕は気をつけられたんです」
フェキレはまだ表情が暗いものの、照れ臭そうに首を横に振る。それをよそにクラヴィスがサフィラの肩を抱き、頬にキスをした。
「こらこら」
サフィラがクラヴィスを押しのける。彼は先ほどの落ち着いた態度のかけらもなく、「俺のだからな」とフェキレを威嚇した。
アウクシリアといえば、もう茶々も入れずに見守っている。その穏やかな面持ちが、かえって恥ずかしい。
この悶着はフェキレが盛大に腹を鳴らしたことで終わりを迎え、四人で昼食を食べることになった。
ひとときの楽しい食事を終えて、満腹になった四人は港へと戻る。サフィラたちは船に乗り込み、フェキレはひとり陸に残って彼らを見送った。
「実は俺、あっちの島のドミナさんっていう、騎士の方に面倒を見てもらえることになって」
やっと緊張がほどけたのか、フェキレは微笑みを見せる。サフィラはよかった、と素直に喜んだ。アウクシリアは訳知り顔で笑っているから、きっと何か事情を知っているのだろうけれど。
「フェキレくん。どうか、お元気で」
「はい。あなたたちも」
サフィラは指を組み、フェキレと向かい合う。目を閉じ、祈った。
「大いなるテストゥードーよ、始祖の蛇から生まれた泳ぐ太陽よ。汝が光り輝く限り、我らにとこしえの恵みあらん」
サフィラは聖句を唱えて、フェキレに微笑みかける。彼はぼんやりとした顔で、サフィラを見つめていた。
「僕の家で使われていた、祈りの言葉です。僕は、きみの行く先の幸福を願っています」
その言葉に、フェキレは少し顔を赤らめたようだった。クラヴィスは「浮気だ!」と叫び、サフィラは「そういうのじゃないだろうが!」と彼に怒鳴り返す。
「いちゃつくのもそこらへんにしとけ。行くぞ、青二才ども」
アウクシリアが帆を上げ、船が風を受ける。その白さが、太陽光に映えて鮮やかだ。
サフィラたちも船へ乗り込む。ゆらゆら揺れる船底にも、慣れなければいけない。
「じゃあ、フェキレくん。お元気で」
「怪我も病気もしないようにな」
クラヴィスは意外にも、フェキレを案ずる言葉を口にした。彼はあっけにとられた後、満面の笑みで頷く。
船のもやい綱を、アウクシリアが外した。あっという間に陸を離れ、ぐんぐんと風を受けて、海洋へと漕ぎ出していく。フェキレの姿が、あっという間にちいさくなっていった。
「……これから先、フェキレくんにいいことがたくさんあるといいな。僕が言えた義理じゃないけど」
サフィラが小さく呟くと、クラヴィスは鼻を鳴らした。
「お前が心配するのは分かるが、それは余計なお世話というやつだぞ」
刺々しい口調のクラヴィスに対し、アウクシリアは「そうだなあ」と穏やかに言う。
「彼は卑怯者でも、腰抜けでもなさそうだ。俺たちの心配なんかなくても、立派にやっていくさ」
サフィラは「そうですね」と、ちいさくなっていくフェキレに手を振り続けた。クラヴィスは黙ってそれを見つめていたが、その姿が見えなくなってからサフィラを引き寄せて腕に閉じ込める。
「こら」
サフィラは軽く彼を咎める。それでも一向に離れる気配がないので、背中に手を回してとんとんと叩いてやった。もー、と笑えば、ますます抱きしめる力が強まる。
「きみは案外、フェキレくんに優しかったね」
「……アルスと二人きりになってしまった頃のお前と、同じくらいの年齢だったから」
ぼそぼそと呟く彼に、ああ、とサフィラは苦笑いを浮かべた。
「そんなこと、もう気にしないでよ。僕は今、こうやって好きなことができているわけだし」
クラヴィスはサフィラを抱きしめる腕をほどき、側にぴたりと寄り添う。サフィラが押しのけようとしても、強い力でぐいぐい引っ付かれて、抵抗もできない。
その抵抗もできないくらい強い力に、サフィラはどうしようもなく安心した。
「サフィラ。この旅が終わったら、結婚しよう」
「僕たち、付き合ってすらないのに?」
そっぽを向くと、ますます体重がかけられる。その苦しさで胸がいっぱいになった。クラヴィスで、身体と心が満ちていく。
「じゃあ、今から付き合えばいい」
そう言って、クラヴィスはサフィラを抱きしめるのだ。頑なに首を横に振っても、彼は決して離れない。
「いやだ」
拒否する声は、そのくせ甘く掠れている。クラヴィスは「うん」と静かに頷いて、サフィラの肩を抱きかかえていた。
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