第24話

 「……『情熱のチョーカー』とは、ノアもよく言ったものね。本当は『純潔の首輪』だというのに」


 好みの相手に出会えるというよりも、好みに思えてしまう錯覚をすると言ったほうが正しい。


「ノアは名付けのセンスがいいわ。ステイシーに渡した『人徳の鏡面』を、『真実を映す鏡』と言い換えたのも素晴らしいし」


 卓上鏡の画面には、ポーラがドレスを脱ぎ、みるみる乱れていく姿が流れている。


 彼女は今頃きっと、大貴族の美男子と遊んでいる錯覚に陥っていることだろう。


「幸せなまぼろしね、お義母様」


「ココ!」


 ココが呟くと同時に、店にやってきた本物のノアに後ろから両目をふさがれた。


「そんな汚いものを見たら君の目が腐る!! というか、わたしが来る前にあの女の相手をしてしまったのか!?」


 ノアの必死な声にココは微笑み、後ろに首を倒してノアを見上げる。


「ごめんね。待てなかったから、変装してお義母様の相手をしちゃったの」


 ココは先ほど使ったイヤーカフをノアに見せる。


「危ないことをしたらダメだって」


「でもうまくいったわ。一回で情事が終わることもなさそうだし」


 ココは卓上鏡をノアに見せる。映像をちらっと視界に入れるなり、ノアは口元をゆがめた。


「…………ひどい」


「それくらいがちょうどいいと思わない?」


 宿屋ではきっと声が筒抜けなのだろう。


 何事だと多くの見物客が室内に押し寄せており、そして言わずもがな、乱痴気騒ぎの参加者が増えている。


 ポーラはさすが、元高級娼婦というだけある。金髪碧眼の彼女の美貌は、多くの餓えた獣たちの欲を駆り立てている。


「さーてと。誰の子を妊娠するかみものね」


「誰のだっていいけど、とにかくココはそんなものを見たらダメだ!」


 ノアは口をとがらせてココに鏡を見ることを禁じた。


「わかったわもう見ない。この子をメンテナンスしてあげなくっちゃだしね」


「この子?」


 ココは棚に置いてあった箱を取り出すと、見事な金色のベルトバックルをノアに見せた。


「……そんなものを、いつの間に」


「ノアがお出かけしている時に、こっそり地下から取ってきたの」


 一人で地下に行くなんて危ないとノアはぶつぶつ言い始めたが、ココは「大丈夫」と胸を張った。


 鏡面に映し出されている狂乱しているポーラの姿を確認すると、ノアは慌ててココの視界を塞ごうとしてくる。


 ノアの手をどかそうとしたのだが、彼は近くに置いてあったシルクの布を引っ張ると、卓上鏡にそれをかけて見られないようにしてしまった。


「でも、今思えば可哀そうな人ね、お義母様は」


 ポーラはいままさに、何人もの野獣のような男たちと悦に浸っていることだろう。今まで制御していたぶん、あふれ出した欲望は止まることを知らない。


「本当はそういうことが大好きで仕方がないのに、夫とはできない毎日を過ごすことになるなんてね」


 満たされなかったものがやっと手に入った彼女の、喜びようは言葉に表せない。


「外で待たされている侍女も可愛そうに。泣いちゃっているわ」


「ココ、侍女がかわいそうだなんてちっとも思ってないでしょう?」


「バレた?」


 ノアはため息を吐いたが、ココはペロッと無邪気に舌を出した。


「だってあの子、私のことを自分より格下の使用人のように扱っていたんだもの」


「殺してきてあげるよ」


「いいえ、大丈夫よ」


 ココは日に日に気持ちが満たされていくのを感じている。毎日、生きていることが楽しくて仕方がない。


 ココの胸中を悟ったノアは、彼女の手の甲に口づけして抱きしめた。


「私は、このバックルの手入れをするわ。そろそろ次に取り掛かる準備をしなくちゃ」


「くれぐれも扱いには気を付けて」


「ねぇノア。お義母さまを見ながら晩餐にしましょうよ」


「……嫌なんだけど」


「それとも、ステイシーの姿にする?」


 どっちも嫌だ、とノアは口を曲げた。


「元家族として、彼女たちを見守っていたいの」


「ココはそんなに律儀だったっけ?」


「どこまで墜ちていくのか、見届けないと気が済まないのよ」


 それならば仕方ないな、とノアはため息をついて了承する。


「でも、申し訳ないけれど食欲が失せるから……せめて食後でもいい?」


「仕方ないわね」


 卓上鏡にステイシーを映してもらったが、そちらも母に負けず劣らずのひどい有様だ。


 彼女は食事も睡眠も排泄も忘れて、自分の姿に四六時中魅入っている。


 ポーラも今日から、欲望に溺れ続けるだろう。


 一度しか使ってはいけないと忠告したが、それを守れる人間なんてこの国にどれだけいるだろうか。恐らくいないはずだ。


 そのうちポーラも、深い快楽によって自分が誰であるかを忘れてしまうだろう。


「さようなら、ポーラ、ステイシー。良い夢を」


 二人の姿を映す卓上鏡を手に持つと、ココとノアは骨董店を去った。

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