第14話



 *



 ノア・ランフォート伯爵は、馬車に揺られながら外の景色を見ていた。


 できるなら四六時中ココと一緒に居たいのだが、彼女に頼まれた仕事だから一緒に過ごすのはひとまず我慢するしかない。


 それに、この仕事――ココの手伝いをすることを、ノアは誇りに思っている。


 彼女のためだったら、ノアはなんだって投げ出す覚悟だ。


 さすがに自分が死ぬようなことはしないが、万が一彼女に命を投げ出すように言われたら喜んで差し出す覚悟がある。


 だから、ココをひどい目に遭わせていたシュードルフの輩も、ココを捨てたニールも許すつもりはない。


 本当は今すぐにでも捻り潰してやりたい気持ちを、ずっと我慢している。


 ココの受けてきた苦しみや日々を考えるだけで、怒りと悲しみ、そして彼女への敬愛の念が沸き上がってくる、


 だから可能な限り徹底的に、彼らを追い詰めようと思っている。


 事実の中にほんの少しだけ嘘を混ぜることによって、偽物のシュードルフ一家たちを困惑させる予定だ。


「……わたしのココに、あんなひどい仕打ちをするなんて」


 ノアの美しい顔が、一瞬にして無になる。それくらいノアは怒っていた。


 彼は今も伯爵の地位を得ているが、実際のところ本物の貴族である。


 それも、別格の貴族――王家の血を引いている、今は亡き先王の隠し子である。



 ――二十年も前。



 当時、先王にはすでに妃がいた。


 だが、パーティー会場に現れたノアの母親である『アンジェリーナ』に一目ぼれし、権力にものを言わせて無理やり迫ったのだ。


 傍系とはいえ伯爵家の令嬢だった母は、その密事をひたすら隠し続けることを決めた。


 なぜなら、彼女にも将来を共にすると決めた婚約者が居たためだ。不貞を疑われて婚約を破断するわけにはいかなかった。


 しかし、たった一夜の出来事だったというのに、ノアはこの世に生を受けることになる。アンジェリーナがいくら隠そうとも、無情にも腹はふくれていった。


 彼女の両親にも妊娠していることが知られてしまったが、アンジェリーナはそれでも誰が父親であるかを決して話そうとしなかった。


 彼女があまりにも頑なに打ち明けないものだから、アンジェリーナの両親はあきれ返ってしまった。


 彼女がどこかの馬の骨と不貞行為をしたと決めつけ、家族の縁を切り勘当した。


 まさか自分の娘が、王の子を孕んでいるとは微塵も思わないのも仕方ないことだ。


 アンジェリーナはたった一人の侍女と小さなカバンを持って、住まいを田舎に移すことになった。


 根っからの貴族だった彼女が、苦労したのは想像に難くない。


 貧しい田舎で狭い家に住み、ひっそりとノアを産んで育てた。


 町の人たちは訳ありだったアンジェリーナとは関わろうとせず、彼女の生活は日々困窮していった。


 そんな生活に耐え切れず、侍女もある日姿をくらました。風の噂で、豪商の次男坊と駆け落ちしたのだと聞いたが、真相はいまだにわからない。


 二人で仲良くたくましく暮らしていたのに、風邪をこじらせてアンジェリーナはこの世を去った。


 ノアが九歳の時だった。


 それからノアは、たった一人で生きていかなくてはならなかった。


 あの頃を思い出すと、ノアは胸が締め付けられるような暗い気持ちになる。

 なぜ生まれてきたのか、なぜ母はあんなに苦しんだのか。


 その疑問に答えをくれる大人はいない。


 貧しさが骨の隅々にまでしみいるような、未来に絶望しか見いだせない生活が続いた。


 そんなノアの極貧生活が変貌したのは、ココと出会ったからだった。


(ココが、あの時に手を差し伸べてくれたから、今のわたしがあるんだ……)


 ノアがいじめっ子たちに食べ物を取り上げられた上に、嫌がらせを受けていた時のことだ。


『――弱い者いじめをするのは、弱い人のすることよ』


 休暇で田舎に訪れていたココは、教会の敷地内でノアを蹴り飛ばしていた町の子たちに毅然と言い放った。


 彼らは輝くような美貌と威厳を放つココに心を奪われ、一瞬で彼女に従った。


 それが、間違いなくノアの運命の転機だ。


 ココは身寄りのないノアを別荘に連れ帰ると、きれいにして服を整えて、温かい食事をくれた。


 メルゾはココが連れてきたやせ細った少年を見るなり、親友の生き写しともいえる姿に絶句した。


 ノアの母のアンジェリーナは、メルゾと親交があったのだ。


 突然姿をくらますようにしていなくなってしまったアンジェリーナを、メルゾはずっと心配していたらしい。


 ノアから話を聞き、彼女から託された王家の紋章が入った装飾品を見て、メルゾはすべてを理解した。


 メルゾは親友の忘れ形見であるノアを引き取り、息子として育てることにした。


 メルゾが『シュードルフの秘宝』を受け継ぐまでの間、ココとノアは兄妹として一緒に育つことになる。


 今思い出しても、ノアにとって人生で最高に幸せなひとときだった。


 ノアは聡明なココを妹以上の気持ちで愛していたし、メルゾのことも非常に敬愛していた。


 ココもノアを兄のように慕い、メルゾはたっぷりの愛情を分け隔てなく二人に注いでくれた。


 ただ、シュードルフ男爵――マッソンだけは、ノアのことを気に入っていなかったが。


 彼はノアを視界に入れないようにし、常に存在を無視した。マッソンはその時にはすでにポーラとの恋に燃え上がっていて、メルゾから気持ちが離れていたからだ。


 ノアとしては、別にそれでよかった。


 もともと生まれつき父親なんていなかったから、男親はさして重要ではない。


 それに、ランフォート伯爵となって目の前に現れたのにもかかわらず、マッソンが幼い時のノアに興味を持たず、容姿も名前も覚えていなかったおかげで正体に気付かれずに済んでいる。


 好都合極まりない状況だ。


 ココをないがしろにしたマッソンは万死に値するが、加えて母親を見殺しにした父親――王族を、ノアは心の底から憎んでいた。


 それでも、メルゾやココから愛をもらううちに、ノアの黒い感情は薄れていっていた。


 だが、メルゾが『シュードルフの秘宝』を受け継ぐや否や、マッソンは醜くなった彼女を監禁しノアを孤児院に捨てた。


 その時、彼の直系である現在の王やマッソンに対して、ひどい憎しみの感情がノアの心に刻み付けられた。


 幸せな日々から、暗闇の毎日に一変していた。


 きっとなにをしても、胸に抱く恨みは消えることなどないとわかっている。


 そして恨みの感情とココへの愛を力に、泥水を飲むような生活から、自力でランフォートの伯爵にまで這い上がってきた。


 ノアが地位を得られたのは、小さい時にココがノアに骨董遺物へのゆるぎない耐性をつけてくれたからだ。


 骨董遺物の耐性を人為的に他人に与えることができるのは、シュードルフの直系だけだ。


 ノアは、そういう意味で非常に幸運だったのだ。


 孤児院ではひどい生活を送っていたが、骨董呪具に耐性があることに気付いた職員がノアを教会に売りつけた。


 悪い噂の絶えない孤児院だったので、ノアはギリギリで最悪な出来事を回避している。


(――わたしは二度も、ココに救われている。幸せでしかない)


 ノアは胸に深い憎しみを抱いて、愛するココともに人生を歩むと決めている。


 彼女が復讐を望めばノアは喜んで手を貸すし、悪事にだってすすんで加担する。


 感謝を伝える方法は、彼女に自分のすべてを捧げることだと信じている。


 だから、ココが求めるのならノアはなんでも差し出すつもりなのだ。

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