2、シュードルフの秘宝

第7話

 公爵次男ニール義姉ステイシーの婚約パーティーが行われるのは、フレイソン公爵家の屋敷の大広間だ。


 屋敷の門前に到着したのは、黄金の金具が嵌めこまれた、見るからに豪勢な漆黒の馬車。御者も馬も、闇夜を思わせるほど黒い。


 謎めいた御者がタラップを設置すると、中からは馬車と同じく漆黒の装いをした長身の人物が現れる。


 上質なロングコートとその下に羽織った上衣には、目を見張るような金色の刺繍が施されていた。シルクハットにつけられた金色の羽飾りも上品だ。


 案内係や守衛だけでなく、その場に居合わせた多くの貴族たちから感嘆のため息が漏れた。


 人々の視線をくぎ付けにしたのは、装いに負けない美貌を持ち合わせた人物。ノア・ランフォート伯爵だ。


 彼は振り返ると、馬車の中に手を伸ばす。


 艶のあるイヴニンググローブがノアの手を取る。


 タラップを踏みしめたのは、柔らかく鞣した牛皮のセットバックヒールのポインテッドトゥ。


 漆黒に金糸で刺繍を施した、ハイネックのスレンダードレスを着た女性が現れた。


 高位貴族であるとわかる、洗練されたしなやかな動きに、皆がどんな令嬢だろうと心をざわつかせる。


 ノアが彼女のトークハットに触れてレースを払うと、隠れていた顔が月に照らされた。


「…………ひっ!」


 彼女の顔を見た夫人が、あまりの恐ろしい面立ちに悲鳴を漏らした。いままで見とれていた人々の表情は、恐怖で一気に引きつる。


「行こう、ココ」


「手筈通りにね。ノアは、あくまでもあちらの味方のふりをして」


「仰せのままに」


 驚きとも恐怖ともとれない表情を浮かべる人々を無視し、二人は手を取り合いながら屋敷の中へ入っていった。


 二人が大広間に入ると、人々の視線が一斉に集中する。


 ノアの美しさに驚くもの、そして隣に並んでいるココの醜さに眉をひそめるもの、あまりの恐ろしさに震えるもの。


 近づかないようにみんなが道を開けていく。


 二人が通った後は、ヒソヒソと噂する声が立ち込めた。


「みんな、ココが社交界に現れたことに驚いているよ」


「違うわよ。こんな見た目の人間が、この場に来たことに驚いているのよ」


 薄茶色に変色し、皺とシミだらけでたるみ切った皮膚。少女の背格好であるにもかかわらず、干からびた老婆の化け物と形容される見た目。


 そして、隣には目を見張るほどの美男子――。


 自分に視線が集まることを、今のココは恐れていない。


 むしろ、もっとみんなが注目するようにと願っている。


 顕示欲などではない。そのほうが、このあととても都合がいいからだ。


 主催者であるニールとステイシーの周りには、祝いの言葉を述べる人々が輪になって集まっていた。


 大きく広がるハートカットのプリンセスラインのドレスは、ステイシーのゴージャスさを最大限引き立てるように光沢のある赤でまとめられている。


 手のひら大の大きさの、薔薇をかたどったコサージュがスカート部分にあしらわれており、まるでステイシー自体が薔薇の花の妖精に見えるデザインだ。


「こんばんは、本日はご招待いただきありがとうございます」


 ノアの穏やかで優しい声音に、歓談していたステイシーがこちらに向き直った。


「まあ、ランフォート伯爵様!」


 慌ててカーテシーをするが、ノアの顔面にくぎ付けになったままの動作はぎこちなく、満面の笑みはこの場では淑女らしさに欠けていた。


 赤い口紅を引いたステイシーの口元から白い歯がのぞいた瞬間、後ろからココが顔を出した。


「お義姉さま、ご婚約おめでとうございます」


「お前っ……なんでここに!」


 背の低いステイシーは、それを隠すように高いヒールを履いている。今夜も頑張っているようだが、もとより上背のあるココにはそれでも届いていない。


 つまり、ステイシーは自然とココを見上げる形になった。みるみるうちに彼女の顔が憤怒に赤くなり、口元がわなわなと震え始める。


 婚約者のヒステリックな声に、ハッとしたように振り返ったのは隣で別の貴族と歓談していたニールだ。


「どうしたの、ステイシー…………ココ?」


 驚いたような表情で、ニールはココとノアを交互に見つめた。


 固まってしまったニールの腕にしがみつき、ステイシーは乱暴とも言えるくらいの強さで彼の身体を揺さぶった。


「ニール! 今すぐこのゴミを追い払ってちょうだい!」


「落ち着いて、ステイシー。大勢の来客がいるんだから」


 わめき始めたステイシーを冷静に牽制したのは、さすが公爵家の次男といったところか。


 ココは内心、元婚約者を小指の爪の先ほどだけ褒めた。


 ギリギリと奥歯を噛み始めたステイシーと、笑顔のココの間にニールが割って入った。


「失礼しました。本日はお越しいただきありがとうございま――」


 言い終わらないうちに、悲鳴と怒声が高い天井に響く。血相を変えて現れたのはココの実父マッソンと義母ポーラだ。


 信じられないくらいに肩を怒らせ、作法も礼儀もなくこちらに詰め寄ってくる。貴族たちは彼らの無作法に顔をしかめながら避けていく。


「ココ、お前なんでここに来た!」


「呼んでいないぞ、このゴミめ!」


 マッソンとポーラの二人が喚いてしまったことによって、会場の視線が中央に集まる。

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