火花を刺す
花乃
前編
太陽に焦がされたアスファルト。叫ぶように鳴きわめく蝉。
可愛い麦わら帽子が宙を舞う。ふと、空を見上げると雲一つない綺麗な青空が広がっていた。
近くにあった花壇には子供たちが育てた朝顔が咲いていて、蔦はくるくると支柱にからまりながら空に向かってのびていった。ちょうど水やりに来ていたのか、小学生くらいの子供がじょうろをもって近付いてくる。あたしを見て、目をぱちくりさせながら「お姉さん、だいじょうぶ?」と聞いてきた。
こんな炎天下の中ひとりで突っ立ってるから熱中症を心配してくれたのかな、と思ったけれど、そういうわけではないみたいだった。
「なにか、かなしいことがあったの?」
そのことばでようやく自分が泣いていることに気づいた。目の縁にたまっていた涙は瞬きをすると、溢れるように零れていく。鼻のあたりがつんと熱く、歯を食いしばっても、顔がぐしゃりと崩れてしまう。
「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだからね」
自分に言い聞かせるように、あたしはそう子供に声をかける。暗示だった。あたしは大丈夫じゃないといけなかった。
あたしは悲しんではいけないのだ。あたしは、泣いてはいけないのだ。
太陽がずっとこちらを照り付ける。気温はまだ九時だというのに三十度を超えていて、今日も猛暑日になるかもしれないと天気予報がいっていた。
じんわりと首筋から汗が伝う。頭がくらくらしてくる。気持ちの悪い吐き気とめまいが、あたしの判断力を鈍らせていく。このまま夏に殺されてしまいたい。
あたしはそのまま、しゃがみこんでゆっくり意識を失った。
□
大切な人はたったひとりしか作ってはいけない。それはルールだった。
お父さんが大切な人をもうひとり作ったとき、お母さんは壊れてしまった。泣きわめいて、泣き叫んで、必死に縋った。どこにも行かないで、私と娘を捨てないで。けれど、お父さんはいなくなった。あたしたちより大事な存在を作って、あたしのことを忘れる選択肢を選んだんだ。
お母さんの精神がまいってしまってから、あたしはすぐにおじいちゃんとおばあちゃんの家に引き取られた。環境ががらりと変わったことに最初は動揺はしたけれど、時間がそれを解決してくれた。
引っ越した先で仲良くなった友達が、真尋という少女だった。家が近所にある大きなお家で、登下校の班が一緒だった。
真尋の家はお金持ちだった。毎日お姫様みたいな可愛い服を着ていて、あたしが可愛いねと褒めると、すぐにあたしをお屋敷みたいな大きなお家に招待してくれた。
お屋敷の中はとっても広くて、メイドさんが可愛いお菓子をいっぱい持ってきてくれる。出されたお茶はフルーツの紅茶らしく、大人の味がした。海外のお土産らしいから、あたしが今後飲むことはないくらい高級なものだったんだと思う。
「この服、芹香に似合うよ」
「……でも、かわいすぎないかな」
「ううん。かわいい。芹香、似合ってる」
真尋は服を作るのが趣味だったみたいで、作った服をあたしに良く着せてくれた。一緒に生地を選んだり、デザインを考えたり、毎日がとっても楽しかった。真尋の作る服はどれも可愛くて、本当は真尋が着たほうが絶対に似合うと思ってたけれど、それは口にはしなかった。真尋があたしのためだけに作ってくれた服。それだけで十分嬉しかった。
「芹香、可愛いね」
向日葵みたいに明るい表情で笑う真尋が好きだった。いつも少し古臭い同じような服ばっかり着てるあたしとは世界が違うはずの真尋が、あたしに優しくしてくれることが嬉しかった。自分が彼女の特別だと思えたのだ。たとえそれが勘違いでもよかった。真尋と一緒に居られるなら、それでよかったんだ。
ずっと真尋とふたりでいた世界に他の人間が侵食してきたのは高校のときだった。斗真、という男があたしの前に現れた。最初はただのクラスメイトで話すこともなかったけれど、たまたま同じ委員会になって、たまたま趣味が合って、たまたま良く話すようになった。
その時間がだんだんと真尋より長くなっていたことに、あたしはすぐに気づけなかった。ある放課後、真尋が教室で倒れたらしい。斗真と一緒に帰りにゲームセンターに寄り道して、帰宅した後にスマホにその連絡があったことに気が付いた。心臓が止まるかと思った。あたしは血の気が引いていく感覚が分かるくらいに動揺して、家の扉を開ける前に駆けだした。もう夜遅い時間だというのに、面会時間なんてとっくにすぎているだろうに。薄暗い街灯に照らされた夜道を走る。呼吸が上手くできなかった。
結局その日は真尋に会うことはできずに、遅くなる連絡も入れてなかったから、おじいちゃんやおばあちゃんにはこってり叱られて、散々な一日だった。
あたしが斗真と一緒に帰らずに、真尋と帰ってたら彼女が倒れたときにすぐ近くに居られたんだろうか。そもそも、最近真尋と一緒にいる時間が短かったから、彼女の体の異変に気がつけなかったんだろうか。後悔はずっと脳内を駆け巡り、あたしの胃を刺激した。気持ち悪くて吐きそうな感覚だけが残り続ける。吐いて楽になることもできないのに。
「もう、そんな顔しないでよ。芹香」
困ったように笑う真尋の表情に、あたしは言葉を上手く返せなかった。翌日、彼女が運ばれた病院に向かうと、彼女はベッドで本を読んでいた。腕には点滴が繋がっていて、あたしが来たことにすぐ気づいてにこりと微笑んでくれる。
真尋は血液の病気らしく、すぐに手術して治すことは難しいと聞いた。ドナーが見つかるまでは、このまま入院が続くらしい。
「毎日、ぜったい毎日お見舞いに来るから」
「そんな、無理しなくてもいいんだよ」
「ううん。ぜったい、ぜったい来るから」
真尋の体調の変化に気づけなかった罪悪感と、あの日の後悔があたしにそう言わせたんだと思う。あたしは来る日も来る日も真尋に会いに行って、しょうもない話をたくさんした。真尋のためにできることは全部やらなきゃいけないと思った。
「俺も会ってみたい、その真尋って子に」
ある日、教室で突然降ってきたその言葉に、あたしは言葉を失った。
「なんで?」
斗真との久しぶりの会話だった。あの日から毎日、真尋のために時間を作るようになったから、彼とはほとんど話すことがなくなっていた。
「いいじゃん。芹香の友達なんだろ、どんな奴か会ってみたい、ただの興味だよ」
興味本位であたしの世界に侵食してくるのは不快だったけれど、真尋も一度会って話してみたいなと言っていたから、あたしは彼を病院に連れていった。
真尋と斗真は初めて会ったはずなのに最初から打ち解けていて、すぐに仲良くなった。斗真はお見舞いにいくときに「俺もついっていっていい?」とよく聞いてくるようになり、あたしと真尋と斗真の三人の時間が増えていった。
「ねぇ、斗真やっぱり邪魔じゃない? ふたりでお喋りしたいこともあるじゃん」
「そんなこといわないであげてよ」
「でも、あたしは真尋とお喋りしたいのに」
「あら、やきもち?」
「……そ、そんなんじゃないもん」
あたしをからかうように笑う真尋。そのころには一年が経過していた。三人でいる時間が日常に変わっていって、それが、あたしの人生の一部になっていく。この頃のあたしは、この日常が壊れることなんて考えもしなかった。
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