月光の時計と最後の決断

 夜が深まると街から人型が消え、月明かりが静かに街を照らしていた。


 月明かりは街中を照らし、小さなアパートの一室にまで届いた。そこで、美咲は手元の紙をじっと見つめていた。


 彼女は28歳、日々の生活に忙しく追われる中で深刻な問題に直面していた。


 美咲は、難治性の病気にかかっていることを医者から告げられ、余命が限られていると知らされたのだ。


 病気が進行するにつれて、美咲の体調はどんどん悪化していった。


 彼女は治療に全力を尽くしながらも、現実に直面するたびに「死にたくない」という気持ちが募っていった。


 ———


 私は28年間幸せに暮らしてきた、これ以上何を望むというのか…もう十分生きたじゃないか。

 

 そう考えると少し気が楽になった。たが、ただでさえ下手な嘘を自分につくことなんてできない。


 だから、心残りはたくさんある。その中でも大きな割合を占めるの家族のことだ。


 私の家族は、病気を知ってから心を痛めていた。兄の健一は35歳で、私の病気を支えようと日々努力していた。


 健一は、私が痛みに耐える姿を見るのが辛いと言い、自分が無力であると感じることに苦しんでいた。


 また、健一は、仕事を終えた後も美咲のアパートに駆けつけて、できる限りのことをしていた。


 何度も何度も「あきらめるな」と言い続けて、それから「俺がなんとかしてやる」とも言ってくれた気がする。


 両親も同様に、心を痛めていた。母は、日々の生活に疲れながらも、私に対して優しく、心からの励ましを送っていた。


 父は、感情をあまり表に出さないが、内心では悲しみが爆発し、無力感を抱えていた。


 ある晩、私がいつものように薬を飲み、ベッドに横たわっていたとき、部屋のドアが静かに開き、見知らぬ人物が入ってきた。


 足音はなく、ドアには鍵をつけていたはずだが、その人物は入ってこれた。


 背の高い男性で、暗いスーツを身にまとい、まるで夜の使者のような佇まいだった。


 「佐藤美咲だな?」と、その男性が穏やかな声で言った。


 私は驚き、目を見開いた。


 「はい、そうですが…あなたは誰ですか?」


 「私の名前はジョーカー。あなたの問題を解決するために来た」


 「問題?」私は疑問の表情を浮かべた。

 

 まずジョーカーと名乗る男の素性を知らない以上、話し続けるわけにもいかないが、“問題”とやらに興味もあったのでとりあえず話を聞いてみることにした。


 「そうだ。あなたが直面しているのは死だけじゃない。その背後にはもっと深淵のようなものがあるんだ」


 ジョーカーはポケットから小さな箱を取り出し、それを私の前に置いた。


 「これを開けてみろ」


 箱の表面は古びていて、木製でささくれが目立ち、塗装は所々剥がれている。箱の端にはかすかなカビのような緑色の斑点が見え、湿気を吸い込んでいるような気配が漂う。


 表面には奇妙な模様や文字が刻まれており、それらは一見すると意味不明で、古代の呪文や暗号のようにも見える。


 箱の蓋はしっかりと閉じられていて、開けようとするとわずかなきしみ音を立てる。箱の内部は暗く、深い闇が広がっており、何かが隠れているような不安感を抱かせる。


 中からはかすかな異臭が漂ってきて、まるで封印された何かが息をひそめているかのようだ。


 私は半信半疑で箱を開けた。すると、中には古びた時計が入っていた。時計の針は止まっていたが、針の先に微かな光が宿っていた。ジョーカーはそれを見つめながら話し始めた。


 「これは時の精霊が作った時計だ。これを持つ者に、自らの死を超えた選択肢を与えると言われている」


 私は震える手で時計を取った。


 「それがどういう意味なのか、全くわからないんですが…」


 「この時計を使うことで、お前は自らの死を迎えるタイミングを変えることができる。だが、その選択にはもちろんリスクがある。全てを失う可能性もある、だから慎重に考えろ」


 ジョーカーの言葉は、私の心に深く響いた。


 美咲の心は不安と希望の狭間で揺れ動く。成功しない場合、痛みと苦しみが増すリスクがある。


 それとも今の状態を受け入れ、静かに最後の時を待つべきか。彼女の内なる葛藤は、痛みと絶望の中で、僅かな希望をつかむためにどれだけの代償を支払う覚悟があるのかを試されていた


 私は「死にたくない」という気持ちが強く、時計を使うことに決めた。


 しかし、その選択がどれほどの影響を与えるか、そのときはまだ理解していなかった。


 その晩、私は時計を持って眠りについた。夢の中で、異次元のような場所に迷い込んでいた。


 そこは時間が不規則に流れる場所で、未来や過去が混ざり合っていた。私はその中で、さまざまな風景を目にすることになった。


 最初に目にしたのは、家族と過ごす幸せな日々だった。


 朝食を楽しむ時が、心の奥に温かさをもたらし、母の笑顔や父の穏やかな言葉に包まれて家族の一体感が深まっていく。


 昼には、子どもたちの楽しそうな声や元気な姿が胸に広がり、太陽の下での穏やかなひとときを感じる。


 家族と過ごす時間の大切さを心から感じられて夜が深まるにつれ、家族の絆が深まり、心に残る幸せな一日が、優しく心に刻まれていく。


 私は今、夢の中で日常の小さな幸せを噛み締めているのだ。


 幸せを噛み締めた後に見た夢はなんとも形容し難いものである。


 だが、そのときの悔しさと無力感が今も鮮明に残っており、その後悔を引きずっていた。


 机の上には未来の計画や目標が書かれたノートがあり、それを見つめると心が重くなる気がした。私は今、希望よりも不安に支配されている。


 「もしまた同じように失敗したらどうしよう」

 

 「今度こそ成功できるのか」といった不安が私の胸を締め付け、未来の計画に対して前向きな気持ちを持つことができない。


 暗い夢の中、顔には疲れた表情が浮かび、心の中の過去の影が未来への不安を増幅させているのが分かる。


 そうして、ようやく自分の選択がどれほどの影響を持つかを実感することができた。


 目を覚ましたとき、私は時計が光を放っていることに気づいた。私の心には、今までの決断がどれほど重要であるかを深く理解する感覚があった。


 私はこの時計を使うことで、自分の死を遅らせることができたとしても、その選択には他の人たちにどれほどの影響を与えるかを考えなければならなかった。


 時計をジョーカーに返した時、心なしか彼は笑っていたような気がする。彼は私に名刺がわりにと、とある店のカードを渡してきた。そこには「夢を叶える本屋」と書かれていた。


 望みを叶えるために闇夜を暗躍して人の悩みを解決する。彼らの目的はそんなところだろう。


 そうして私は家族ともう一度、深く話し合うことを決意した。


 兄の健一に、私への支えに対する感謝の気持ちを伝え、家族全員で最後の時間をどう過ごすかを考えた。


 健一は涙をこらえながらも、私の選択を尊重し、できる限りのサポートをすると約束した。


 母も、私の選んだ道を理解し、最後の時を家族全員で共有することに賛同した。


 父も、言葉少なながらも、深い愛情をもって支えていた。


 家族全員が一致団結し、私の最後の時を少しでも幸福に過ごすために力を合わせた。


 家族と共に過ごす時間こそが、私にとっての宝物で、かけがえのないものであり安らぐものだと理解した。


 私は結局、時計の力を借りることなく、自分の意志で前向きな選択をし、限られた時間を家族と共に過ごすことの大切さを再認識した。


 残された時間はあまりにも短いがその価値は他の何物にも変え難いと感じた。

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