第9話 人としての在り方
「先輩、何か聞こえてきませんか?」
「・・・お前には何が聞こえるんだ?」
「いやね、男の子っぽい声が聞こえてくるんですよ」
「・・・俺には何も聞こえんがね。お前とうとう妄想のし過ぎでおかしくなったか?」
顎に生えた無精ひげを撫でながら、先輩が言う。管制室には二人しかおらず、特に仕事もなく退屈していた。
「誰かいないかって。あれーおかしくなったのかな」
「・・・返事でもしてみたらどうかね」
「幽霊かも・・・」
「そんなことあるか」
「それもそうか。じゃ、おーいって返事してみよ」
「おーい」
「!?」
突如響いてきた声にハレルは驚いた。しかし、瞬時に声の主との会話を試みた。
「聞こえますか!?僕、地球から来たハレル・ニールダンって言います!!」
「こいつは・・・」
先輩がその手を止めて、身を乗り出すようにお調子者の後輩と顔をつき合わせた。
「先輩これって何かのいたずらじゃ・・・」
「どうやって頭の中に他人の声を流せるんだよ。また何か返してみろ」
「先輩がやってくださいよ」
「いいから」
「ちぇー。・・・こちらポリス・アステート管制室ですが、どうしました」
「助けてください!レジーナさんが!ヴォーダンエイムって人たちに・・・僕はガイストを託されたんです!」
「ガイストってなんだ」
「地球回帰作戦に使う洗脳兵器です!」
「洗脳兵器だぁ?」
「先輩これってまずいんじゃないですか?」
「触らぬ神に祟りなしだが。姫様がどうなったのかね」
「ヴォーダンエイムに捕まったかもしれないんです!僕はレジーナさんのおかげでガイストに乗って逃げられたんですが、行き止まりで!」
「ヴォーダンエイム・・・どうしましょう」
「もう少し詳しく話を聞かせてもらえるか」
その声が聞こえてきてから、ハレルは謁見の間で起こったことを話した。自分とガイストを介して会話している2人の動揺が手に取るように分かった。
「それで今、港の一番ドッグに居るんですが、外へ出たいんです」
「1番ドッグねえ・・・。あぁ?システムが落ちてるぞ。おい、そっちでも確かめてくれ」
「了解・・・変ですね。一番だけじゃなくて他も全部ダウンしてます」
「どうやったんだ。いつ落とされたか、ログを追えるか?アラートが出てなかったのかも確認してくれ」
「・・・・・ログには何も残ってません。アラートも出てないようです。進入された形跡もありません」
「消されたな。どこかからシステムの中枢部に入られたのか・・・。とにかく港が塞がっているのはまずい。緊急権限で再起動をかける」
先輩が緊急用のマニュアルを取り出し、手順に沿ってIDとパスワードを入力した。
「権限エラーだと?」
「先輩これまずいんじゃ・・・」
「他の区画に連絡を取ってみろ」
「了解!・・・こちら管制室応答願います・・・・こちら管制室応答願います・・・・だめだ!繋がらない!!」
「そのまま続けろ。・・・まんざら嘘でもないのか?・・・坊や、今こっちで確認したがシステムがダメになっていてどうしようもない。だがそれぞれのドッグには手動で操作できる装置がある。それを使うんだ」
先輩はハレルに声を送った。
「ありがとうございます!」
はつらつとした声が返ってきた。
「おい、手動実行のマニュアルをくれ」
「先輩!?」
「恩を売っとくのさ。お前さんだって地球で美人な嫁さんを貰って平和で暮らすか、望んでもいない見知らぬ星で洗脳されたまま死ぬか、どっちが良いかと聞かれたら前者だろう」
「それはそうですけど・・・話が本当だって根拠が」
「脳内に響く意思疎通のできる声、システムのシャットダウン、他区画への連絡の遮断。これだけでも充分な材料になると思うがね。それに嘘なら嘘で、洗脳されて手助けさせられたで済む話だろう」
「はぁ・・・」
後輩はデスクの引き出しから数枚の紙で作られた冊子を先輩に手渡した。
「坊や、宇宙服は?」
「着てないです」
「なに?操作してハッチを開けた瞬間空気もろとも放り出されるぞ」
「ガイストで動かします」
「・・・やむを得ないか。良いか、まずハッチの前に行って、それから左へ行くんだ。壁に取り付けられたレバーがあるはずだ」
ハレルは教えてもらった通りにガイストを動かした。ガイストよりも遥かに巨大な壁の前に立った。左を向くと、壁に長方形をした何かが取り付けてあった。良く見えるように姿勢を変えると、出っ張るようにして取り付けられたレバーとその上に何かを収納しておくスペースを確認した。
「ありました!」
「よし。レバーの上にあるのは操作する者に使う命綱が入っている。これは必要ない。レバーをまず下ろし切るんだ。すると音がする」
ガイストの指で潰さないように慎重にレバーに指をかける。ハレルは、かつて故郷でガイストを使って洗濯していたことを思い出した。そうするようにゆっくりと優しくレバーを下ろす。がこんと鈍い音が聞こえてきた。
「下ろしました!」
「よし。次は反対側だ。同じレバーとその下にボタンがある。こいつは強化ガラスで覆われているから、押す前に壊す必要がある。レバーをまた下ろした後、ボタンを押せばハッチが開く。それでお前さんは自由だ」
「分かりました!」
ガイストを反対方向に移動させ、繊細な動きで同じことをする。そして強化ガラスを壊し、ボタンを押す。すると目の前にあった壁がゆっくりと左右に分かれていき、徐々に星々がその輝く顔を見せてきた。
「ありがとうございました!この御恩忘れません!」
「おう。姫様によろしくな」
「はい!」
崖から飛び降りようにして、ガイストは宙へと駆けて行った。
「先輩、1番ドッグ大丈夫ですか?」
「さあね。なんせ通信もできないんじゃ知らせようもないからな」
「うっかり誰かが立ち入りでもしちゃあ」
「・・・分かった。俺が閉めてくるよ。お前さんはここで他区画からの連絡を待っててくれ」
「アイアイサー!」
「やれやれ・・・」
ハレルが駆るガイストはレジーナの時と同様に、防空用の無人迎撃浮遊砲に引っかかっていた。
「い、行かせてくれ・・・!」
凄まじい速度で振り切ろうとするガイストに対し無数の浮遊砲はレーザーを放射する。躱す。ただひたすら躱し続ける。幾度もその生命に危険を感じながらも、ハレルはただ逃げることを選択していた。月のルナティックベルトが一瞬視界に入る。次はポリス・アステート、月。太陽、そして地球。
「ガイ・・・・スト・・・!!」
レーザーが目の前の景色を鮮やかに染める。しかしガイストには届かない。避け続けて数時間が経過した頃、浮遊砲はそのメインシステムの支配が及ぶ限界点にまで達し、ガイストの追尾を諦めて元の場所へと引き上げる動作を見せた。
「逃げるたって・・・」
広大な世界の中、ハレルの行く当ては1つしかなかった。故郷である地球だった。内心ガイストをこのまま地球に持ち込みたくはなかったが、このまま宇宙を漂流することは死を意味する。死にたくはなかった。
「あの人が言ってた、フェノメナムってなんだ・・・」
「これだよ少年!」
ハレルの脳内に野太い張りのある声が反響する。
「この声、ヴォーダンエイムさん!」
「そうとも名前を覚えていてくれるとは、嬉しいことだ。逃走劇、実に見事だったよ!ははは!!」
甲高い笑い声と共に、ガイストの目の前に1機の人型をしたマシンが現れた。
「お、同じだ・・・ガイストと」
ガイストと同じ体躯、風体をしたマシン、フェノメナム。しかし、体の多くの部分は濃い赤色に染められて、関節部は鉄色がかった紺色だった。頭部の左右側面には対になるように、後方に向かって刺々しいアンテナが備えられ中央にはカブトムシを模したような角が1本歪な形で伸びていた。目にあたる部分は、薄い緑色をしたバイザーで、その形は一本のかぎ爪の切先を、内側に向かって左右対称に並べたようだった。顔はガイストと同じくマスクを付けている様相だったが、ハレルにはそれがとても残忍な表情を浮かべているように見えた。
「このフェノメナムはガイストの機能、性能のほとんどを引き継いだマシンで、それは相手を支配服従させるものではなく、その精神を攻撃し破滅せしめること特化させた私専用機なのだ」
「そこまでして争いを望むんですか?そこまで暴力に頼ってなにを。・・・!レジーナさんは!?無事なんですか!?」
「ハレル少年。人類の歴史を知る者であれば、皆が納得するが、争いとは人間が生来備え持つ在り方の一部!その暴力とて同じこと!・・・姫様のことなら安心しろ。傷一つとしてつけていない。アレにはまだ働いて貰わねばならんからな。その為には!」
突如ハレルは激しい頭痛と、吐き気に襲われた。頭蓋骨に赤黒く光る手を入れられ、脳みそをかき混ぜられるようなイメージを思い描いた。そして外からの物理的な衝撃があった。ヴォーダンエイムが駆るフェノメナムがガイストの胸部を殴ったのだった。
「あああああああああ!!!」
頭を両手で押さえつけたまま、ハレルはコクピット内を漂った。衝撃によって体が浮き、至る所にその体をぶつけていた。
「その機体、返してもらうぞ少年!!!!貴様諸共なぁ!!!!」
ヴォーダンエイムはレジーナより、ハレルの方がガイストを上手く操れると考えていた。そのため、まずはハレルを精神的に追い詰め疲労させ、それがピークに達した所でガイストを捕縛する算段を立てていた。フェノメナムはその後もガイストに向かって精神波を使った攻撃を止めず、着実にハレルの精神を削り取っていった。その間、ガイストに対する物理的な攻撃も止めなかった。攻撃をしかけてから数10分、ガイストは完全に沈黙した状態になり、ヴォーダンエイムにハレルの声は聞こえなくなっていた。
「頃合いか。おい」
ヴォーダンエイムの合図でレッドラムが四機現れた。2機はガイストの腕をそれぞれ持ち、残りの二機は左右に展開していつでも援護できる態勢を取った。
「アステートへ連れて行け」
「了解しました」
「存外、呆気なかったな。しかし使える人間であることに変わりはない。か」
モニターも消え、外界との繋がりが途切れたガイストのコクピットは静まり返っていた。ハレルは体を無重力に任せたままにして、瞼を閉じていた。自分は今自分自身なのか。得も言われぬ恐怖に怯えていた。あの一瞬のイメージは本当にただの想像上の出来事だったのだろうか。自分を鷲掴みにされ、こねくり回され、意識が土砂崩れのように深い暗闇へと流れ出していく。それは不可逆的で制御不能なもののように感じた。とめどなく流れ出る自分という名の歴史。消えていく人格。
人は死ぬ間際に、これまでの人生の思い出が、川に浮かぶ木の葉のように頭に流れてくるという。ハレルはその思い出たちが、水に溶けて消えいく感覚があった。村の皆、キース、マリカ、ハリー、シーラ。青々とした空の下で感じた畑の香り、風に靡く木々が出す擦れ合う優しい音、鳥の囀り。川の水の冷たさ。切り拓いた土地、自分たちの村。その全てがゆっくりと渦巻く波間に揺蕩いながら霧消していく。そして。
「レジーナ」
最後に流れてきたものはレジーナの姿だった。彼女がやって来てから、全てが変わった。彼女がいなければ、宇宙に人が住んでいるなんて知らなかっただろう。宇宙に来ることもなかっただろう。青く輝く地球を眺めることもなかっただろう。全財産のほとんどを使って深紅のドレスを送ることもなかっただろう。2人で星を見上げて語らったあの夜もなかっただろう。彼女がガイストから落ちてきた時に感じた、胸の高鳴りを、早まっていく律動も味わうことはなかっただろうに。誰かが言っていた、「彼女は生きている。傷一つない」と。彼女は生きている、だったら。
「そうだ。俺は」
全天モニターが青く鈍い色を放ちながら輝く。映し出された映像はレジーナとの思い出。出会ったあの時から、2人が重ねてきた時間。ハレルが描く最も幸福だった瞬間、その心象風景。
「なに!?」
滝つぼへ落ちていく水は決して昇ることはない。しかしそれは自然が支配する世界での理。ガイストはすくい上げた。ハレルがそう望んだから。闇へと流れ落ち二度と戻ってくることのないはずだった彼の時をすくい上げた。
「逃がすかァ!!」
フェノメナムは再びハレルの精神を、その牢獄へ葬らんとして精神のジャックを試みる。しかし無駄だった。彼の精神は今は堅牢な場所にあった。心が作り上げた仮想世界。度し難い程の深い海を潜らねばならなかった。理不尽な程に高い山々を越えねばならなかった。辟易する程の空を飛んで行かねばならなかった。それでも、紺碧の内に白く光り輝くハレル・ニールダンという少年の精神を、その掌に捕らえることは出来なかった。
「ガイスト!?なんだとぉぉ!!!???」
ガイストのバイザーが緋色に輝く。体に巻きつく束縛するモノを、引きちぎるようにもがきながらその優しい咆哮を宙に向けて上げた。そして周囲にいるレッドラムに向けて淡い空色の光を放つ。レッドラムは一切の抵抗をすることなく動かなくなった。ガイストはその場から一目散に逃走した。向かう先は地球。
「逃がさん!!逃がさんぞガイスト!!」
ヴォーダンエイムもガイストを追うようにフェノメナムを駆った。2つのマシンは無邪気に追いかけっこをする兄弟の様に、宙を駆けていた。そして1時間もしない内にガイストは大気圏に突入した。
「捕まえたぞ!!!」
ガイストの横っ腹をフェノメナムが蹴り飛ばした。ガイストはそのまま抵抗するでもなく、重力に身を任せ下降していった。フェノメナムもその背を追う。
大気圏を突き抜け、2機が降り立った地は、辺り一面何もない丘陵地だった。人工物はおろか木々も存在しない荒涼とした風景の広がる土地だった。空には月が静かに輝き、その行く末を見守っていた。
「これが地球か。なんとも殺風景な所だなぁ少年」
「お仲間は無事です。あのレッドラムって機械巨人には少し眠ってもらっているだけです」
「不殺の心かい?敵は殺せる内に殺しておくべきものだ」
「敵じゃありません」
「異なことを」
「生まれ育った環境が違うだけの人です」
「しかし少年、貴様の村は焼かれ仲間が何人も死んだのだろう?今更言うまでもないが、レッドラムのパイロットたちはその殺害者の同胞だ。それでも敵ではないと?」
「はい」
「分からん男だよ。なかなかどうしてな!」
フェノメナムが飛び上がり、ガイストに向かって突進する。
「やめてください!こんな意味のないこと!」
フェノメナムの腕から1列に並んだ3本のブレードが出現し、それを使ってガイストの胴体を切り裂こうとしてきた。ハレルはガイストを後ろに下がらせその凶刃を躱した。
「さっきも言ったがな、争い、暴力とは人間の一部。誰もそれを否定できんのだよ。人は常に争いの場を求めている!何もそれは戦争に限ったことではない!政治、経済、文化、個人のプライベートな時間まで常に!!ならば私がその本能を開花させ、新たな世界へ導こうと言っているのだ!!」
「仮にそうだとしても、誰もがそれを望んでいるわけじゃありませんよ!命のやり取りなど!!」
「しかし、人類の文明が発展できてきたのは戦争による技術競争があったからだ。ルナリスの連中は長い間停滞した中で生きてきた。発展もなにもない、新技術の誕生もなにも。そんな世界に彼らは飽き、怠惰に生き、新天地を求めるどころか、漠然とした死の恐怖に怯え、この忘れ去れらようとしている星に帰りたいなどとほざくんだよ!!」
「死を避け、平穏を求めることは命ある者として当たり前のことです!そういう人たちも居る、あなたのような新たな場所を求める人も居る。それで良いじゃありませんか!!!」
「知ったような口を!!」
「くっ!」
精神波の攻撃がハレルをまたしても捕らえようとする。ハレルはガイストでその攻撃を跳ね除けた。
「そんなに別の世界へ行きたいんだったら、自分だけで行けばいいことでしょう!?何も知らない人たちを巻き込む必要なんかないんです!!」
「この停滞はいずれ人類を滅ぼすと言っている!!」
「そんな勝手な解釈!」
「ならば封じてみせろ。フェノメナムを、このヴォーダンエイム・ヘルシャフトをなぁ!!!」
周囲に異様な雰囲気が立ち込める。それはフェノメナムの背中にその姿を形成しつつある、翅がもたらしていた。黒く縁どられた輪郭の中を、焦げ付いた血のような赤色が禍々しい輝きを放ちながらゆっくりと渦巻いている。それはヴォーダンエイム・ヘルシャフトという人間の本質を表しているかのように見えた。争いを望み、死を渇望する。そして、その望みがようやく叶えられようと嬉々とした思考の流れ。それを体現していた。
「これは良い!話には聞いていたが、精神的な流動が心地よく広がっていくのを感じる!!」
「ま、また!!」
先ほどと同じくハレルは精神干渉を受けていた。
「さっきより強い・・・!」
ハレルの精神を守っていた、心が産み出した自然の牙城は踏破されつつあった。海は蒸発し山は切り崩され空は剥がされていった。
「貴様は暴力を否定している!だが力に対抗するには、結局のところ力しかないのだよ!!パイロットを殺したように、理不尽な死から逃れるには力が必要なのだ!」
「が、ガイスト・・・」
ハレルにはガイストも悲鳴を上げていることが分かった。フェノメナムの容赦ない攻撃によって、そのシステムが徐々に破壊されつつあった。
「手を振りかざした相手には言葉は通じない」
「レジーナ・・・さん!?」
彼女の言葉が聞こえた気がした。しかしレジーナは空に浮かぶ月の向こう側に居る。
「このままだと死ぬ・・・!俺は死にたくない。レジーナと生きたい・・・!一緒に」
生きたい。今までに幾たびも聞いたハレルの願い。一緒に生きたい。これは2人の願い。
「ほお・・・!ようやくその気になったようだな少年」
フェノメナムの攻撃は再度妨害された。ガイストはフェノメナムとは異なり、澄み切った蒼色をした翅をその背中に形成していた。闇夜を払拭するかのように輝き、はっきりとした輪郭を持っていた。ハレルはコクピットの中にあって、相手と対峙していると思えない程の安らぎを感じていた。まるで故郷にある家のベッドで、静かに眠っているような、そんな感覚だった。
「あなたのその力を、どうして誰かを守ってあげるために使わないんですか」
「なに?」
「・・・・・・俺は、あなたと戦います。皆の安らぎを守るために」
「・・・はははは!!!そうだ!それで良い!!闘争本能を呼び覚ましたな!!・・・では行くぞ、少年ッ!!!!!!」
フェノメナムが動き出す前に、ガイストは飛んだ。フェノメナムもそれ追う。空中では蒼と赤の光の帯が目まぐるしく動き、星空を装飾していた。その2つの帯が交差するとき、彗星のごとく煌めく火花が散った。腕を、脚を、互いの精神に干渉しようと、その思惑を阻止せんがために使う。ガイストは光の波動を跳ね返し、続けざまに攻撃を放つ。フェノメナムはガイストに比べて手数が多く、精神波を幾本の線に変化させ、ポリス・アステートを守る浮遊砲が放つレーザーのようにそれを放射する。1本はガイストが放った精神波と衝突し空中で飛散した。残った迫りくる光の線をガイストはその体を巧みに動かし避け続けた。回避が間に合わない場合は青白いバリアを周囲に展開し凌ぐ。
その間も両機は動く、動いていく。それは空での舞踏にも見えた。直線に、曲線に、直角に。上へ、下へ、左へ右へ。2つの輝くその軌跡は、互いに異なる思想を乗せる。一方は争いを、一方は平穏を。前者は、人を新たな世界へ導くため、既存の人類をその尖兵とし、進化と発展をもたらそうとする者。後者は、人の平穏な世界を維持するため、人が人として平和に暮らせる世界を望む者。争いを望む者は一方に変革を要求し、平和を望む者は一方に在りのままを望む。2機のマシンはその代弁者として、それぞれが持つ力を行使していた。
「今の世界が存続しているのは、人が人としてあったからです。その在り方を無理やり変えても意味はありません。人の進化や発展は、誰かに強制されるものではない。その当事者たちが主体的に動いてこそ意味があるんです。あなたは急ぎ過ぎている。誰もついて来れない」
「だが人は動くことを止めた。既存のシステムに甘え、努力することを忘れた。考えてもみろ、自分たちの生活の一部であるはずのシステムを、彼らは使いこなせているか?自分には関係ないと、考えることを止めた。難しいからと学ぶことを止めた。それが続けば人は人でなくなるのだぞ。あの八面体の存在を忘れたか。人を滅ぼしかねないのだ。人の歩みをここで途切れさせたくないのだ私は。なぜ産まれたかその目的を忘れるな」
「だったら、こんな乱暴なやり方ではなく平和的な方法を模索すれば良い。一緒に考えよう。それにあの物体とだって解り合える。きっと。そうだろう?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「本能を楽しめる者こそ、その先がある!!!!」
「誰かのために戦える人には!!」
何合か打ち合った後、2機は頭部をぶつけ合った。精神波は尚も、互いの領域への侵入を試み、またそれを妨害し鍔迫り合っていた。
「ええい!!なぜ押しきれん!!!」
ヴォーダンエイムは焦っていた。軍人である自分が、民間人である少年1人にこうも手こずっている。闘争を楽しむと共に、彼は焦燥感を覚えていた。その僅かな綻びを、ハレルは見逃さなかった。針を縫うように、ヴォーダンエイムが無意識に開いた心の隙間へ精神波を流し込んだ。そこは、今両者が争っている場所に酷似した、荒れた土地だった。暗雲が空を席巻し、大地は枯れた草木がその亡骸を晒していた。ヴォーダンエイムはその中心に居た。長髪を汚し、身体の至る所に切り傷を刻んでいた。憔悴に支配された顔は、目の前の地面に向けられていた。動き出したかと思うと、土を掘り出し何かの種を蒔いた。その作業を繰り返し、水を注いでいた。
「真面目過ぎる人なんだ」
ハレルがそう呟くと、ヴォーダンエイムと目が合った。そんな気がした。意識が現実に戻ってくる。コクピットには相手が駆るマシンの顔が映っていた。数秒フェノメナムの妖しい顔を見つめた後、ハレルは光の翅を輝かせヴォーダンエイムの目をくらませた。そして上空に向かってガイストを急上昇させた。
「チぃ!!!さかしい!!」
目が使えるようになったヴォーダンエイムはガイストを見失っていた。光の帯をたどろうとも、それは既に消え去っていた。
「どこに行った少年!?」
「遅い!!!!!!!」
「!!!動けフェノメナム!!!」
ガイストは上空でフェノメナムの背後を取るように回り込み、急降下しフェノメナムに向かって突進してきていた。
「なぜ動かん!!!!!」
フェノメナムは紫色をした光に包まれていた。両機の輝きが溶け合い、徐々にその輝きは山吹色となっていった。ガイストの精神波がフェノメナムを捉えたのだった。そしてガイストはフェノメナムに手刀を突き立てた。切先が腹部を貫いた。忌避感を覚えさせるように生えていた禍々しい翅は、光の粒子となり夜空の中に溶けて消えた。ガイストは腹部から腕を引き抜き、フェノメナムを支えてゆっくりと地上に降り立った。フェノメナムはぐったりとしたように、その上半身をガイストの胸に預けていた。ガイストの光の翅も消えていた。
「ヴォーダンエイムさん!!!」
ハレルはガイストから降りて、フェノメナムに駆け寄った。呼びかけても反応がなかったが、しばらくするとコクピットのハッチが開いた。フェノメナムの緑色に輝いていたバイザーは徐々にその光を失っていた。
「ヴォーダンエイムさん、大丈夫ですか!?」
ガイストと殆ど同じ作りをした、コクピットの内部が見えた。そこには目を閉じてくたびれた様子のヴォーダンエイムの姿があった。
「少年・・・」
「良かった生きてて。待ってください今降ろしますから!」
「これでとどめをさすんだ少年。貴様は勝ったのだ」
ヴォーダンエイムは腰に付けていたホルスターから、1丁の銃を地面へと落とした。
「断ります」
ハレルは落とされた銃に目もくれずガイストの掌に飛び乗った。そのままフェノメナムのコックピットへ近づけさせて、中に入りヴォーダンエイムを支え、連れて出てきた。
「お、重い・・・」
「武人たるは身体を鍛えておくものだ」
「そうですか。そんなことより、レジーナさんにお願いしましょう。なんとかしてくれるように」
「私はクーデーターを起こして、主君とその娘に銃口を向けたのだ。許されるはずはない。無駄だぞ少年」
「言ってみないことには分かりません」
ヴォーダンエイムは突如頭に入ってきたハレルの思考を読み取った。
「・・・・・・好きにするがいい」
ガイストにヴォーダンエイムを乗せて、レジーナの居るポリス・アステートへ戻る準備をする。
「フェノメナムも連れていくのか?」
「当然です。これはあなたたちの物ですから」
「損傷しているマシンを連れて大気圏を突き抜けるなど、諸共爆散するぞ」
「ガイストが守ってくれますよ」
ガイストの両腕はフェノメナムの脇に回されていた。
「落としてくれないでよ~・・・行こう!」
ハレルは、初めてレジーナと共に宇宙へ足を踏み入れた時を思い出した。その時も今みたいに空に向かってまっすぐ突き抜けた。ちょうど朝日がその顔を覗かせている最中で、ガイストとフェノメナムはその優しく柔らかな陽光を一身に受けていた。
「大丈夫ですか?」
「これしきのこと」
ヴォーダンエイムはハレルの後ろに腕を組んで座っていた。その表情はどこか不満げに見えたが、ハレルは気にしなかった。
「ヴォーダンエイムさんも、きっと地球を気に入ってくれますよ」
「・・・・そうかね?」
「はい!いいところですから」
「そうか」
ガイストは大気圏を突っ切る際、戦いで使ったバリアを展開し、フェノメナムを守った。こうして両機は何事もなく再び宇宙へ帰ってくることができた。
「飛ばしますね」
「うむ」
そのまま月へ向きを変え、ガイストは駆けた。途中、未だに宙を漂っていたレッドラムを見たハレルはその機能を元に戻してやった。パイロットたちは、心地の良い夢でも見ていたかのように、目をこすりながら目覚めた。
「先輩!!あれって」
「おお、あの坊やじゃないか」
管制室の二人は、ハレルにシステムが戻ったことと、ヴォーダンエイム一派のクーデーターが失敗したことを伝えた。
「じゃあレジーナさんは無事なんですね!」
「そうだ。待ってるだろうよ。開けてやるからそっから入ってな」
「ありがとうございます!」
「ハレル・・・ハレル!!!!!!!!」
ポリス・アステートに到着後、ハレルは事情を知る一部の人々から熱烈な歓迎を受けた。レジーナは涙を流しながらハレルの胸に飛び込んできた。美しい薔薇色の髪が眼前でばっと広がった。ハレルはレジーナと初めて会った時のことを思い出していた。あの時と同じだ、と。
「ただいまです。レジーナさん」
「ええ、ええ・・・!」
自らの主の娘が、地球人の少年の腕の中で泣き腫らしている。少年は少女を愛おしそうに抱きしめている。それを見守る大人たちには、二人の周りに何人も立ち入ることを許さない、神秘的なベールが存在するように感じた。ルナリスと地球人の架け橋になってくれるやもしれん、と思う者も居た。
「失礼」
その二人のひと時に容赦なく足を踏み入れる人物もいた。メンテナー・エントライだった。
「ハレル・ニールダンあなたは今回のクーデーターの主犯であるヴォーダンエイム・ヘルシャフトを拘束しているそうだが」
「拘束という程のものじゃありませんけど、ガイストのコクピットに」
「結構こちらに身柄を引き渡していただくお前たちこい」
メンテナーの後に、おとぎ話に出てくるような身なりの整った男が六人続いた。
「あれは憲兵よ。政治犯の警察ね」
「へぇ・・・ヴォーダンエイムさんはどうなるんですか?」
「極刑でしょうね。殺されるわ」
「・・・・・・」
ガイストのコクピット内ではメンテナーとヴォーダンエイムが顔を合わせていた。
「なんだ貴様かメンテナー。その辛気臭い顔をまた拝めるとはな・・・。よくも騙してくれたな」
「私がキュンメル様を裏切り本当に卿の味方につくと思ったのなら大馬鹿者だ」
「ふん。貴様も現状に危機を覚えていたはずだ。それでもキュンメル・アインクルシュに仕えると?」
「私が真に仕えているのはキュンメル様ではなく、政だ。この国に住む人々の生活を脅かすのであれば誰であろうと容赦しない」
メンテナーの声には力がこもっていた。ヴォーダンエイムは、彼の人間らしい一面を垣間見ることができ満足した。自分が相対している者は、紛れもなく人間なのだと。
「・・・では地球回帰作戦についてはどうなんだ?」
「全面的に肯定はしていない予め用意しておいた修正案をレジーナ様に見ていただき上奏していただく」
「なかなかどうして、抜かりのない奴」
「来いお前を反逆罪で逮捕拘禁する」
「分かっているよ」
ヴォーダンエイムは立ち上がり、ガイストから降りた。握り拳のまま両手を拘束する手錠をはめられ、両足に長さ一メートル程の鎖がある足枷をつけられた。そしてメンテナーを先頭に、憲兵がヴォーダンエイムを取り囲むようにしてゆっくりと歩き出した。
「あ、あの!!」
ハレルが憲兵の一行に駆け寄る。
「何かねハレル・ニールダン」
「ヴォーダンエイムさんにも、どうか生きるチャンスをあげてください!」
「それは私が決めることではない」
メンテナーはそう言うとその場を去っていった。
ハレルとレジーナはキュンメルに面会を申し込んだ。キュンメルは謁見の間の打ち合いで負傷していたが、命は助かっていた。2人は専用の病室まで出向いた。王族専用とは思えない程、簡素な病室だった。幾つかの必要な設備と、景色が様々に移り変わるスクリーンがあるだけだった。キュンメルはその部屋の中央にあって、ベッドに横たわっていた。
「ああ・・・レジーナ。そして君はハレル君だったね」
「はい」
「父上・・・」
レジーナは自分がこんなにも弱弱しい声を、発したことに驚いた。
「なんだその声は。いかような時も毅然としていろ、と教えたはずだ」
「あの、キュンメルさん」
「・・・なにかな?」
「ヴォーダンエイムさんのことで」
「ああ、聞いている。命を助けろと言うのだろう。・・・私は、私に刃向かってきた者、その惧れがある者どもはことごとく粛清してきた。いつの日だったか、レジーナに言われた覚えがある。冤罪なのでは、と。娘は正しい。罪のない者もいただろう。故に今更その姿勢を変えることなど」
「父上、だからこそ赦しを与えてください」
レジーナは跪いて父に懇願した。その声色はいつも通りの、はっきりとしたものだった。キュンメルはしり目にレジーナを見やった。そしてその視線をハレルに移し言った。
「理由を聞かせてくれるかね?」
「僕は地球で、ガイストに乗って戦ってる時、あの人の心を覗くことが出来ました。そこにはとても荒れた土地があって、その全部をあの人は1人で耕していました。種を蒔いて、枯れた草木に水を注いで。顔は酷くやつれてましたけど、その目は生きることを諦めていませんでした。あの人はきっと真面目すぎるんだと思います。今回のことも、ルナリスの皆さんを思ってのことだったんじゃないかと」
「では君は、ガイストが見せたヴォーダンエイムの心を信じろと言うのか」
「はい」
「ハレル君、彼のマシンフェノメナムを撃墜し、ヴォーダンエイムを捕らえた功績は比類のないものだ。君にはすぐにでもルナリスとして、それ相応の身分を与えることができる。しかし、ヴォーダンエイム・ヘルシャフトを赦すことはできない」
「そんな・・・・」
「・・・・・レジーナまだ何か?」
ハレルが顔を伏せて、キュンメルの決めた処置に拳を握りしめていた間、レジーナは立ち上がってベッドに寄ってきていた。
「はい。父上。私から別件で提案があります」
「・・・・・・聞かせてみよ」
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