ゆめゆめ、ゆめのない話

はるより

毘薙㐂①

 夕方18時。

 ICカードをタッチし、改札を出る。

 いつも通り閑散としているこの地元の駅には、在来線の普通電車しか停まらない。

 そのため現在電車通学している高校へは3つ離れた駅で快速電車に乗り換える必要がある。


 眠い朝はいつも、乗り換えがひどく面倒だし、椅子に座れたとしても寝られないしで最悪の気分になる。

 しかし帰りはぎゅうぎゅうに人を詰まった車両を降り、冷房の効いた快適な室内から満員電車の様子を眺められるので多少の優越感を得られるので、トントン……というわけがない。

 普通に乗り換えが必要のない駅が最寄駅の人が心から羨ましかった。


 夢見結芽。それが私の名前だ。

 俗に言うキラキラネームに類する。

 親は何を考えてこの名前を私につけたのか。

 小学生の頃に学校の課題にかこつけて訊いてみたら、『米寿までふわふわガーリー』を座右の銘に掲げている母親から「夢が身を結んで芽吹きますようにって♡」と答えられた。


 でも、そんな母と何の特徴もない父から生まれた私はごく平凡な家庭で幸せに育った。

『平凡すぎる事』はこれ以上なく恵まれた人間が抱える悩みである、というのはこれまでに触れてきた様々な創作物で知っている。


 しかし私だって、何か珍しいことを一つくらい経験してみたい。

 ひと夏の冒険でもいいし、突然クラスにやって来た謎の転校生とのドタバタ青春ライフでもいい。

 何なら宇宙人が降ってくるとか、突然謎の超能力に目覚めるとかでも良い。

 そういう経験が出来るとしたら、残り二年とちょっとの高校生活の中だけだろう。

 だから高校生にもなって厨二病か、と蔑まないでほしい。現実をしっかり見ているが故のこの考えだ。

 大学に入ったら多分、何とかキラキラJDの中に居ても浮かないくらいの社会性とオシャレを身につけるのに必死になって、それどころではなくなる。

 そしてやがて社会人になったら、いつも満員電車の中で見るような、死んだ目でガタンゴトンと揺られる大人の仲間入りなのだ。


 考えただけで辛くなって来た。

 私はまだ齢十六。

 今は目先の青春を楽しむべきだと思う。


 頭を振って、茹だるような暑さの中で茜色に染まった帰路の先を見る。

 と、そこには人影があった。

 いや、『地面に落ちる人影』だけがあった。


「あ……?」


 状況を掴めないまま立ち尽くす。

 見間違い?何度目を擦っても、それは消えない。


 突然カナカナカナカナ、とひぐらしの鳴き声が聞こえだす。

 それに重なるように、カンカンカン、と電車の遮断機の降りる音。


 おかしい。

 この近くに遮断機なんてないはずだ。

 確かに駅の近くだが、あるとしたら私が歩いて来たのとは反対方向に行った先のものだけである。

 それにこの道に立ち並ぶ民家の塀は、こんなにも高かっただろうか……?


 私が呆然としていると、『人影』は陽炎のようにゆらりと揺らめいた。

 こちらに近寄って来ているように見える。

 ……影は両腕を伸ばし、私の影へと吸い寄せられているような気がした。


『おがぁ……さん……』


 ノイズのかかったような子供の泣き声。

 続いて、遊園地の園内でかかるようなアナウンスの音声がひび割れながら降ってくる。


『迷子のお知らせです。駅構内からいらっしゃったお母さま、お子様が前方でお待ちです』


 お母さん?

 呼ばれているのは、私……?

 そんな訳ない。子供を産んだ覚えどころか、心当たりのある相手なんていた事もない。

 なのに何故か、あの子供の声やアナウンスは私に向けられたものなんじゃないかと感じる。


 ……行ってあげなきゃいけないのではないか?

 私のせいで、あの子はあんなに泣きじゃくっているのではないか?

 思考に濁った色の何かが染み込みかけた時。

 後方から強く腕を引かれ、私は我に帰った。


「ぼうっとしていないで、逃げろ!」


 誰かに怒鳴り付けられ、声の方を見る。

 初めに目に入ったのは、流れ出てから少し時間の経った血液のような赤髪だった。

 続いて細めているのか元々そういう顔なのか分からないような糸目。こんな顔は漫画以外で初めて見た。

 外見は大体中高生くらい……の少年に見えたが、何となく違和感があるような気もする。


 などと考えているうちに業を煮やしたらしいその人は、有無を言わさず私の手を掴んで走り出した。

 色々なことに思考がついて行かず、私は足をもつれさせかけたが何とか体勢を整える。


「これどういう状況!?あなたなんか知ってるの!?」

「知らん!」

「知らないの!?」


 バッサリと否定された。

 かなり救世主的な登場の仕方をしたから、解決法など色々知った上で出て来てくれたものだと思ったが違うようだ。

 ……何も知らないにしては、相手は怖がったり慌てたりしていないような気がするが。


「しくじったな……」


 住宅地の路地をいくつか抜け、何度目かの角を曲がった時。

 赤髪の人が大きく舌打ちしたのが聞こえた。

 息を切らしながら前方を見ると、あり得ない長さの道が続いている。まるで飛行機の滑走路のようで、突き当たりが見えない。

 その上道の左右は高層ビルのような高さの塀で挟まれており、後方にあの『人影』が居ることを考えると前方に進むしかない状況だ。

 先ほどまで茜色だった筈の道は、高い壁に夕陽を遮られて黒々とした陰で塗りつぶされている。


 当然だが、こんな場所知らない。

 生まれてこの方十六年この地元で暮らして来たが、いくら自転車を走らせてもこんな異様な道は存在していなかったはずだ。


「振り返るな」


 私がそろりと背後を確認しようとした時、背を向けたまま赤髪の人はそう言い放った。

 なぜ振り返ろうとした事が分かったのだろう。後頭部に目でも付いているのだろうか。

 私の手首を握っている手も、やけに冷たい。

 外気温はこんなに高いのに。


 だが、振り返りたい。

 振り返りたい。振り返りたい。

 後ろを確認したくて仕方がない。

 だってそちらから、何かが引き摺るような音が聞こえてくる。

 お母さんと私を呼ぶ声が聞こえる。

 私の影に手を伸ばす何者かの気配を感じる。

 背中の産毛がぶわりと総毛立つ感覚。


 知らないのは怖い。

 目に見えないものは怖い。

 恐怖は、いつだって知覚の外にある物が与えてくる。例えば風呂場で背後に感じる気配とか、先の見えない暗闇の向こうに潜む何かとか……。

 だから見てしまえば、きっとこの恐怖は終わるに違いないのだ。


「言うことを聞け、小娘」


 私と大して背丈の変わらないその人は、空いていた方の手で私の顎を掴んで無理やり前を向かせた。

 現れた陽光色の光と視線がかち合う。

 正常でない思考の中で、私は不意にその光を見て「綺麗だ」と思った。

 それと同時に、体の底から湧き上がっていた気色の悪い好奇心は鳴りを顰める。


「お前がどういう思想を持っていようが知らん。だが無事に家に帰りたければ大人しく私に協力しろ」

「し、思想……?」


 何故いきなり思想の話をされたのか訳が分からなかったが、こんな所から早く解放されたいという事は間違いない。

 私は掴まれたままの頭を必死で縦に振る。

 赤髪の人は両手を離すと、私の左隣をすり抜けて背後に立った。

 あの人は後方を見ても平気なのだろうか。


「今だけでいい。『ヒナキ』という神の信徒になれ」

「はい?」


 本気で意味がわからない。

 この状況で宗教勧誘って。色んな意味で終わったかも。

 そんな神様の名前、聞いたことも無かったし。

 それに信徒になると言っても、どうすればいいか分からない。

 私は無宗教の多い現代日本人らしく、神も仏も本気で信じたことがないのだから。


「いいから早くしろ!」

「は、はい!?えっと、えっと……」


 苛立った声に急かされて、私は慌てふためく。

 全く知らない対象を信じろって言ったって、どうすればいいのか。

 仏様みたいなものでいいのか?それとも、イエス・キリストのような感じか?

 いや、でもなんとなく響きは日本語っぽかった気がする。


 体を動かした拍子に、暑さと緊張のせいでじっとりと汗をかいた背中が背後に立つ人にぶつかった。

 その時、ふと先ほど見た陽光色を思い出す。

 もしも、神様に瞳があるのなら……あんな色をしているのかもしれない。


 そう考えた時、ふわりと周りの空気が持ち上がるのを感じる。

 風が吹いたわけではない。『持ち上がった』のだ。

 しかしそれは一瞬のことで、不自然に宙に浮いた髪の毛もすぐに元通りに垂れ下がる。


「そのまま動くなよ、結芽」


 何故名乗ってもいない私の名前を知っているのか。

 そう尋ねる間もなく、声の主は続けて何かを呟き始める。

 聞き取ろうとしたがどうやら日本語ではないらしい。……少なくとも、私の理解できる日本語ではなかった。


 赤髪の人がやろうとしている事に反応したのか。

 後方の悍ましい気配は、先ほどよりも勢いを増して迫って来ているようだ。

 手を伸ばせば届くような距離まで近づいて来ているのが、見なくても分かる。


 しかし、不思議とそれほど恐ろしくは無かった。

 もしこれが神を信じるという事なのだとしたら、世界中の人々が何らかの神に縋って生きているのも納得できるのかもしれない。


 赤子の鳴き声。

 ひぐらしの鳴き声。

 遮断機の音。

 全ての音が、鼓膜を破りそうなほど身近に迫った時。


 どん、と一つ足を踏み鳴らす音が聞こえた。

 それをきっかけに、世界にヒビが入る。

 陰に沈んでいたこの場所に、白い稲妻のような線が幾つも走った。

 ガラスの砕け散るような甲高い音と共に、今まで私たちが迷い込んだ妙な道は消え失せる。


 そして気付けば、私たちは見知った道路の上に立っていた。

 辺りを照らしていた茜色は、宵色へと変わり始めていた。


 私は呆然としながら辺りを見渡す。

 なんの変哲もない、いつもの通学路。

 ただ一つ違いがあるとしたら、振り返った先に赤髪の人物が立っていることだけ。


「間一髪だったが……あの土壇場でよく応えられたな」


 彼は何度か手を開いたり閉じたりしながらそう言った。

 意外だ、と言いたげな口ぶりだ。


「だって、そうしないといけなかったんでしょ?」

「まぁ、そうだ」

「もし出来なかったらどうしてた?」

「お前を見捨てて逃げていただろうな」


 ひどい。

 と思ったが、この人は本当に見ず知らずの私をあの妙な状況から助けようとしてくれただけなのだ。

 それであれば、自分まで共倒れになる訳にはいかないというのも当然だろう。


「じゃあな、先ほどのことは忘れていいぞ。達者に暮らせ」

「え。ちょっと、待ってよ!」

「ぐぇっ!?」


 赤髪の人は手を振る事すらなく、くるりと背を向けてその場を去ろうとした。

 私は慌てて彼が着ていたシャツの襟首を掴んで引き留める。


 するとその人はゲホゲホと咳き込みながら、「怪我に繋がるからやめろ!」と文句を言った。

 申し訳ない事をした自覚はあったので、素直に謝る。


「もしかして、あなたが『ヒナキ』様なの?」

「……」


 彼はこちらを見ているのかどうかも分からない糸目を向けてきた。

 その中に、あの綺麗な色を隠しているのだと思うと胸が高鳴るのを感じる。


「なぜそう思う?」

「いや、さっきの流れ的に」

「流れ的にか……」


 曖昧な私の回答を、『ヒナキ様(仮)』は気の抜けたような声で繰り返す。

 ……他にどんな答えを期待していたんだろう。


「とにかく、早く帰れ。これ以上は何かあっても助けてやらんからな」

「はーい……あ、でもあなたの事はこれからも覚えていても良い?」

「は?」


『ヒナキ様(仮)』は怪訝そうな表情を浮かべた。


「私、他に信じてる神様とかいないし。」

「……あのなぁ」


 彼は呆れたと言いたげにため息をつく。


「先ほどのは気まぐれに過ぎん。今後、お前が私を信じようが信じまいが何かを与える事はない。つまり、覚えているだけ無駄ということだ」

「おお、自分が神だと認めた……」

「話を聞け!」


『ヒナキ様(仮)』の(仮)が取れた事に私が感動していると、目の前の人は苛立たしげに頭を掻く。


「もういい。とにかくこんな小神への信仰など、お前には不要だ」


 そう言って彼は、私の眉間に2本の指を当てた。

 途端に視界の奥がチカっと瞬き、眩しくて目を閉じる。


「うえ……何今の、あなたがやったの?」

「……ん?」


 私が尋ねると、ヒナキ様は肯定するでも否定するでもなく首を傾げた。

 薄く目を開けてこちらを見ている。


「お前、私のことがわかるか?」

「ヒナキ様でしょ」

「忘れていないだと!?」


 彼は明らかにショックを受けた表情を浮かべた。

 小さな声で「それほどまでに力が落ちているのか……」と呟いているのが聞こえる。

 多分信仰心を消すとか、そういう事をしようとしたのだろう。流れ的に。


「うーん、信仰とかじゃないからじゃないかなぁ」

「はぁ?」

「これは多分、恋……!」

「……えぇ」


 私の言葉に、ヒナキ様は喜ぶ訳でも照れる訳でもなく、ただただドン引きした時の声を上げた。

 純粋に困惑しているらしい。

 神様のくせに(?)、感性豊かなことだ。


「何をもってそんな事を……?」

「いや、よく考えてよ。命の危機を助けてくれた相手に恋する少女って、結構ベタじゃん」

「見目麗しい相手ならともかく。私だぞ?本当に理解出来ないんだが」

「人間、見た目じゃないから。多分神様だってそうだよ」

「はぁ」


 私はヒナキ様のことを頭の先からつま先まで眺める。

 神様と言う割には服装が現代的だけど、雰囲気的にも可愛い系だし、身長が低くたってーー。


「おい今何を考えた?返答によっては許さんぞ」

「ごめんなさい」


 身長の話は御法度だったらしく、ただならぬ殺気を感じた。

 コンプレックスをイジるのは相手が人だろうが神だろうが良くない、と頭を下げる。


「ということで。好きになっちゃったから連絡先教えてもらっても良い?」

「接続詞がおかしいだろ……。そもそも、今のやりとりで私と親しくなれたと思っているのか?」

「え?うん」

「えぇ……」


 二度目のドン引き。

 華の女子高生が理屈の中で生きていると思ってはいけない。

 私が引き下がらないと分かると、ヒナキ様はため息をついて左手を目の前にかざしてみせた。

 ちらちらと、何度か視界に入っていた薬指の指輪が晒される。


 古びたデザインの指輪。

 きっと大切に手入れしているのだろう、その輝きは鈍っていなかった。


「妻がいる。私は既婚者だ」

「……?神様にも日本国憲法って適応されるの?」

「こいつ……」


 私が首を傾げていると、ヒナキ様はまるで道端に吐き捨てられたガムを見るような目を向けてきた。

 純粋な疑問を口にしただけなのに、ひどい。


「ともかく。お前がどう言おうが私は妻以外の者を愛すつもりも、目に掛けるつもりも一切ない」

「あれ、これってもしかして私振られた?」

「その通り」

「そんなぁ」


 僅か一時間足らずで敗れた私の初恋。

 よよよ、とわざとらしく泣き真似してみるが演技であることが見抜かれているのか、またジトっとした目で見られる。

 こんな事が出来ている時点で私がそれほどショックを受けていないのはバレバレだろう。


「というか。さっさと帰れば良いのに話に付き合ってくれるの、何だかんだ人が良いよね」

「……その手があったか」

「気付いてなかったんかい」


 見た目が同世代である事も相まって、私は思わずツッコミを入れてしまう。

 最初はちょっとクールなタイプかと思ったが、話せば話すほど親しみを覚える神様だ。

 ただ単にミステリアスな存在よりも俄然興味が湧いてくる。


「では、教えてくれた通り私は帰る。言っておくが跡を付けるなよ」

「連絡先がダメなら、せめて祀られてる神社とかないの?命の恩人なんだから、お礼がしたいんだけど」

「……」


 これは私の素直な気持ちだった。

 あのまま捨て置かれていたら、きっと私はこんな風に会話する事すら出来なくなっていただろう。

 背を向けて数歩歩いたヒナキ様だったが、ぴたりと足を止めて振り返る。

 双眸から覗く色。すっかり夜色に染まった街の中でも輝く陽の光だ。

 それを見て私は「ああ、やっぱりあの色が好きだなぁ」と思った。


「そんなものは、ない。お前に出来る最大の恩返しは、金輪際私に関わらないことだ」


 そう言って、私が余計な返しをする前にさっさと歩いて行ってしまう。

 自分の世界に入って来るな、とでも言いたげだった。

 人嫌いな訳ではなさそうなのに、どうしてあんなにつんけんどんな態度を取るんだろう。


「……自分から信徒になれって言っといて、終わったら放り出すの、普通に無責任じゃない?」


 それが、咄嗟に私の事を助けるためであったとしても。

 彼はあの瞬間、確かに私の神として君臨していたのだ。


「一度向こうから手を出したんだから、関わるなっていうのはお門違いだよね!」


 私はよーし、と意気込んで伸びをした。

 絶対にもう一度会って、もっと沢山話をする。

 それで本当に私に出来る事がないか、問い詰めてやるのだ。


 夜になっても熱の下がらない令和の夏。

 この日、私の薙いだ日常にきらきらと光る一石が投じられたのだった。

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