第三話⑨ 第九章「シンダラ」

ガンッと、金属がぶつかり合う音が森の中に響く。


「へえ、さすがにばれちゃったか」


 笠井は西条からの奇襲を風塵鴉鎚ふうじんがついで押さえていた。

 そして、笠井は風塵鴉鎚を払い、西条の狙う。しかし、西条はひらりと宙を舞い、優雅に地面へ降り立つ。


「ふふ、さすがだね」


 西条は抱えていた少年を手放していた。それが笠井の狙いだったのだ。


「ところで、いつから僕が怪しいと思っていたんだい?」


 西条は鉤爪をじゃらじゃらと鳴らしながら、ニタニタと笑っていた。その顔は、かつての優しい面影は見る影もなかった。


「きっかけは、ばあちゃんの言葉だった。でも、ずっと嘘であってほしかった。徳井さんからの忠告を聞いたときも、あなたを疑いたくなかった!!」


 笠井は二人の少年を地面へ下ろし、風塵鴉鎚を構える。


「ふふふ…あははは…あああはははははあ!!」


 突然、西条は狂ったように髪を掻きむしり、腹を抱えて笑い出した。


「西条さん、何で!?」


「なぜ?なぜかあ、そうだなあ、君にも知る権利はあるか」


 笠井の問いかけに、西条はぶつぶつとつぶやいていた。


「いいだろう。君の物語の終末に、種明かしで弔ってやるよ」


 西条は笠井を見つめている。その視線は鋭く冷たいものであった。


「初めに言っておくよ。君のお父さん、笠井かさい健司けんじを殺したのは、他でもない、僕さ」


 西条はいやらしい笑みを浮かべている。


「なぜだ!?」


「ううん、それは僕がまだ『人間』だった頃の話をしなきゃいけないなあ」 西条はえらく芝居がかった手ぶりで語り出す。「君も気が付いての通り、『西条大河』という人物は存在しない。僕が君たちに近づくために用意した架空の人物さ。僕が今の姿になる前、まだ僕が人間だった頃、僕が住んでいたマンションで火事があってね。僕は燃えさかる炎の中、ただ一人取り残されたんだ。全身を焼くような熱に襲われ、息ができないほどの煙が充満した部屋で僕は死を覚悟したよ」


 西条は感情の高ぶりを抑えられないようで、その語りにどんどん熱がこもっていく。


「そんなときに、あの人が助けに来てくれたんだ!そう!!君のお父さんだ。本当にうれしかった。もう助からないと思った。そこへ現れた彼はまさしく真の『英雄』だった!憧れたよ、彼に」


 西条は頬を染め、悦に浸っていた。


「だから、僕は彼を崇拝した。彼こそが僕の永遠の憧れだった。でも、彼への憧れを強くするたびに、自分の弱さを思い知らされた。僕は、彼の世界に存在しないことが何よりも歯がゆかった。毎日、毎日、歯を食いしばりながら自分の弱さを呪ったよ」


 西条の目は血走っていた。


「だが、そんな鬱屈した人生も天啓の訪れとともに変わったんだ!!『御方おんかた』によって、僕は脆い自分を捨て去り、新たな自分を手に入れることができたんだ!!」


 西条は腕を広げ、天を仰ぐ。


「力を得た僕は、彼の、健司さんの部下となった。僕の英雄を、これからも永遠のものとするために!でも、それが間違いだったんだ。亮くんは英雄譚に語られる英雄たちは、最後どうなるか知っているかい?」


 笠井の返事を一切求めていないようで、西条は再び語り出す。


「大概は晩節を汚すものだ。君のお父さんもそうだ。英雄とは孤高の存在なんだ。皆のためにその身を捧げるべきなんだ!それが、それが!!たかだかガキ一匹のために落ちぶれて!!僕はそんな姿を見たくなかった」


 そして、西条は笠井を見つめる。その顔は能面のように何の感情もなかった。


「だから、僕が彼を永遠の英雄にしたんだ。この手で」


「きさまあああああ!!!」


 笠井が西条へ飛び掛かるが、西条はまるで羽虫はむしをあしらうかのように笠井を吹き飛ばす。


「君に分かるかい?彼の罪が。でも、僕がやらなきゃいけなかったんだ。僕にしかできなかったんだ。だから、僕はすべての罪を背負うことにしたんだ」


 西条の目から涙がこぼれていた。


「でも、あの人の子、そう、笠井亮くん!君が次代の英雄として誕生したんだ!!君の友達の犠牲も無駄じゃなかったんだよ!」


  倒れていた笠井は、最後に力を振り絞り立ち上がる。

 笠井の脳裏に藤本が殺されたときの光景が鮮明に思い出される。目の前にいる屑のために藤本は犠牲となったのだ。

 そして、父のこと。過去の記憶に現れた西条の姿がドロドロと溶け、父の姿が現れる。これまでの父との確執も、目の前にいる狂人によって仕立て上げられた虚像にすぎなかったのだ。


(すべて! すべて、こいつが奪ったんだ!!)


「うおおおおおおお!!!」


 笠井は咆哮とともに走り出した。先ほどの戦いでもはや力は残っていなかったが、それでも立ち向かわなければならなかった。

 目の前にいる怨敵に、そして、そんな男を信じていた己自身に鉄槌を下すために。笠井は走る。

 しかし、現実とは残酷だ。ただでさえ消耗した笠井には、目の前の宿敵にかすり傷すら負わせることができなかった。

 西条が下から振り上げた鉤爪によって腹から胸にかけて大きく切り裂かれる。


「ぐ、ぐぐ!」


 それでも笠井は何とか立ち上がろうとするが、もう指一本動かすことができなかった。


「じゃあ、君の英雄譚も終わりだね」


 西条がその切っ先を振り下ろそうとしたその時。


 二つの影が西条を吹き飛ばした。


「笠井くん、待たせたわね」


 そこには南と須弥鹿しゃみろくへと転身した徳井が立っていた。


「あちゃ〜、来ちゃったかあ。なら、仕方ないね」


 すると、西条の姿はみるみると変貌していく。両腕には大きな鉤爪が付けられ、その体毛は黄褐色と白が混ざり、そこに黒の横縞が入る。眼は黄色く闇の中を爛爛と光り輝いていた。

 その姿はまさしく虎であった。西条は虎の半獣人へ変貌したのだ。


「西条大河、あなたはいったい何者なのかしら?」


 南がその手に付けた無色色欲極楽浄土むしきしきよくごくらくじょうどを手に構えている。


「わが名は、シンダラ! 獣魔侵将じゅうましんしょう一柱いっちゅうなり!!」


 シンダラの叫びが森を揺らす。そして、シンダラは体を屈め、戦闘態勢を取る。 シンダラは構える南と徳井を見て、にやりと笑う。


「さすがに二対一では分が悪いな」


 そう言うと、シンダラは嗚咽を始め、口から半透明の塊を吐き出した。それは、あの寄生虫であった。

 そして、吐き出された寄生虫の腹の袋が破裂し、その中から黒い粒が地面へ散らばっていく。それらは瞬時に形を成していき、無数の寄生虫の軍団へと変わっていった。


「徳井くん、雑兵は任せたわ!」


”はい!”


 徳井は返事をすると地面を蹴り、寄生虫たちへ向かって駆けていく。駆ける大鹿の額の慧珠えじゅが光り、周囲の木の枝が寄生虫たちを襲う。

 一方の南とシンダラは対峙し、互いの間合いを図っていた。


「逃げ足が速くて、あなたに会えるまで随分とかかってしまったわ」


「いやいや、こちらも君たちを構っている暇はなくてね」


 睨み合う二人の視線に、バチバチと火花が散る。


「覚悟はいいかしら?」


「その言葉、そのままお返しするよ」


 二人の踏み込みは音よりも速く、ぶつかったその拳から凄まじい衝撃波が発生し、樹々を薙ぎ倒していく。


 ここに最終決戦のゴングが鳴った。

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