第34話33 新宰相は死神皇帝と側近から洗礼を受けます
昼下がり、フレドリックは図書館へ行くと言い残して席を外した。ブルックリンは隣国のドバーグ王国から来た使者と別室で打ち合わせをしている。キリアンは皇都の劇場が百五十周年を迎え、そのお祝いセレモニーへ皇帝陛下の代理で祝辞を述べるために出掛けて行った。
今、執務室に居るのはミュゼと机から顔を上げないヒルデのみ。ミュゼは彼女と話をするには絶好のチャンスだと声を掛けるタイミングを見計らっていた。
「――――ヒルデさん、お仕事には慣れて来ましたか?」
意を決し、圧を掛けないよう視線は書類に落としているフリをして、彼女へ声を掛ける。
「・・・・・・」
しかし、彼女はわずかに頷いただけで言葉を発することはなかった。これはかなり難しいかも知れないとミュゼはため息を吐きたかったが、そんなことをしたら事態はますます悪くなってしまう。彼女から見られていなくても穏やかな笑みを浮かべて、次の一言を考える。
「――――今朝は何を食べましたか?私はヒルデさんたちが入って来られたお陰で漸く朝食が取れるようになりまして、今朝はサラダとスープを・・・」
ガタン!!
ミュゼが世間話をしている途中で、ヒルデは突然、席から立ち上がった。
「あ、あの、どうされたのですか?」
狼狽えるミュゼを無視して、彼女は執務室の入口に向かって一歩踏み出す。まさか、ここから逃げるつもりか?とミュゼが勘づいたところで、室内が急に明るくなった。
「あ、お見えになられる・・・」
ボソッと彼が呟くと同時に、執務室へ大聖女セレスティアが降臨した。出て行こうとしていたヒルデはセレスティアを見て固まる。ヒルデがセレスティアと会うのはこれが初めてだった。
「ごきげんよう。ルモンド侯爵さま、こちらの方は新人さんですか?初めまして、大聖女のセレスティアです。突然現れたから驚いたでしょう?ごめんなさい」
セレスティアは小鹿のように愛らしい顔をしているヒルデへ歩み寄り、にっこりと微笑んだ。
「は、初めまして、大聖女様。私はラングストン伯爵家の長女ヒルデと申します。先日、管理官に任命されました。以後、お見知りおきを」
「はい、私の方こそよろしくおねがいしますね。ええっと、ヒルデさんとお呼びしても宜しいかしら?」
「はい、お好きなようにお呼び下さい!!」
ヒルデは背筋を真っ直ぐに伸ばし、セレスティアと視線を合わせる。ミュゼはこのやり取りを見て思うところがあった。――――何故、大聖女とは普通に会話する癖に、自分とは言葉の一つも交わそうとしないのか?と。
「ルモンド伯爵さま、可愛らしい御方がいると執務室が明るくなって良いですね」
セレスティアはいつも男だらけの皇宮をむさくるしいと感じていたので、つい本音を口に出してしまう。
「そうですね。可愛い部下が増えて嬉しい限りです。ところで大聖女様、私の名前もルモンド侯爵ではなく、気軽にミュゼとお呼び下さい。私だけが家門名で呼ばれると、のけ者にされたような気分になってしまいます」
「あら、ごめんなさい。配慮が足りませんでした。これからはミュゼさまとお呼びいたしますね」
「はい、そうしていただけると嬉しいです。ところで大聖女様は陛下にご用事があってお見えになられたのでしょう?陛下はそろそろ戻って来られると思いますので、宜しければご一緒にお茶でも如何ですか?」
ミュゼはセレスティアをお茶に誘う。そして、この行動には裏があった。
「ええ、喜んで」
「では、使用人に用意させます。ヒルデさんも遠慮なく同席して下さい」
「――――はい。ありがとうございます」
――――ヒルデはミュゼに初めて返事をした。
―――――――
皇帝の執務室は入口から見て、一番奥に皇帝陛下の机、その右横にミュゼの机があり、その他の側近はミュゼの手前に机を並べている。
部屋の左側は応接セットが置かれ、パーテーションで区切った奥にはミーティングスペースと隣の準備室に続くドアがあった。以前、ライルが乗り込んで来た際、ブルックリンとトレイシーが隠れていたのが、この準備室である。
茶器を手際よく年配の使用人が応接セットへ並べていく。ミュゼに案内されセレスティアは上座へ腰掛けた。向かいの三人掛けにはミュゼと新人のヒルデが間を開けて座っている。
(目の前の二人、何となくぎこちない気がするのだけど、何かあったのかしら)
セレスティアは真っ直ぐに前を向いて互いの顔を見ようとしない二人に、不自然さを感じてしまう。――――紅茶を注ぎ終えると使用人は一礼して出て行った。
「ヒルデさん、お仕事には慣れましたか?」
セレスティアは何も知らないので普通に世間話を始める。
「――――はい、だいぶん慣れました。私は数字を見るのが好きなのでこの職場は楽園です」
ここでミュゼは無意識にセレスティアと語り合うヒルデの方をつい見てしまう。
ガタン!!
――――あることに気付いたミュゼはその場で勢い良く立ち上がった。
「お前!!」
突然、声を上げてヒルデを睨みつけるミュゼに驚いたセレスティアは反射的に二人の方へ両腕を伸ばし、仲裁を試みる。
「ミュゼさま、どうされたのです?落ち着いてください」
(一体、何が起こったの!?ほんの一瞬で飛び掛かって行きそうな雰囲気に変わってしまったのだけど?)
ガチャ。
――――執務室のドアが開いた。タイミング良く部屋へ入って来たのはフレドリックだ。
「ああ、セレス。来ていたのか?」
彼は穏やかな口調でセレスティアへ話し掛ける。
(フレド!?気付いてー!!修羅場なのよ!!理由も分からないし、どうしたらいいの~?)
「陛下!!これはどういうことですか?ご存じだったのですか!!」
ミュゼはフレドリックに食って掛かった。
(あ、あれれ?今度はフレドに怒りをぶつけている!?)
「ああ、漸く気付いたのか?かなり時間が掛かったな。お前は失格だ」
「失格!?どういうことですか!!」
「側近に本人とは違う者が紛れているのに全然気付かない宰相は失格だろう。今回は大目に見るが、次はないからな」
フレドリックは冷たく言い放った。
ここでフレドリックがセレスティアへ事情を説明する。人材が不足の皇宮にはこれから新しい職員が増えていく。そこで、トレイシーから一つ提案があった。
『いい機会だから新宰相が怪しい人物を見破れるかどうか、テストしてみない?』と。
今までミュゼはフレドリックの指示に従い、影から支えて来た。しかし、宰相という立場になった以上、これからは表に出て、様々な人と一緒に仕事をしていかなければならない。そういう時、人を見る目、もっと言えば人を見抜く目を持つということが重要になって来る。
トレイシーの提案にフレドリックとブルックリンは賛同した。ミュゼは余り人に興味を示さないということを彼らは知っていたからだ。
「ヒルデ、本当の名を言え」
「はい、陛下。私はラングストン伯爵家の長男ゴードンと申します。ヒルデは私の妹です」
(長男・・・、嘘!?滅茶苦茶可愛いのに!!この人、男性だったの?細身だからドレスを着ていても、全く違和感が無くて・・・)
「はぁーあ!!」
大きなため息を吐いて、ミュゼはドサッとソファーへ沈む。
(フレド達って恐ろしいことをするのね・・・。ミュゼさまは魂が抜けたみたいになっているのだけど・・・)
「ミュゼ、ゴードンはこのまま側近として働いてもらう。そして、ゴードンの正体が暴かれたということは、本物のヒルデも明日から出勤して来る。よろしく頼む」
「えっ!?」
寝耳に水のような話をされ、ミュゼは身を起こした。
(――――五人目の側近が明日からここへ来るということよね?執務室が賑やかになりそうだわ)
「ゴードンさんに加えて、ヒルデさんも側近になさるということですか?」
「ああ、彼らの入れ替わりは簡単に見破ることが出来ないという実績をミュゼが打ち立ててくれたから、十分使い道があるということだろう?」
嫌味タップリな言葉をフレドリックはミュゼに投げつける。
(ああああ、フレドの見てはいけない一面を見てしまったような気分・・・。ミュゼさま、頑張って!!)
「分かりました。この度の失態はしっかりと反省いたします。今後は同じことを繰り返さないように気を付けたいと思います」
「ああ、期待している」
「宰相閣下、指令を受けていたとはいえ不躾な態度を取り、申し訳ございませんでした。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
ゴードンはミュゼに向かってお詫びの言葉を告げると美しい金色のカツラを手際よく外す。――――すると、金色の短い髪がとても似合っている美少年が現れた。
「こ、これは危険だわ・・・」
ボソッとセレスが呟いた言葉をフレドリックは聞き逃さない。
「セレスは今日は俺に用があって来たのだろう?――――話を聞こう。いつもの場所へ移動する」
そう言うとフレドリックはセレスティアの手首を掴んで、転移魔法を展開した。
――――忽然と消えたフレドリックと大聖女。ミュゼは笑いが込み上げる。
「ゴードン、陛下は君に嫉妬したようだ。これから気を付けた方がいい」
「―――――嫉妬?陛下が私に????」
ゴードンは男から見ても美丈夫な皇帝陛下がこんなにひ弱な男(自分)をそういう目で見るだろうか?と考え込む。
そして、ミュゼはフレドリック、トレイシー、ブルックリンにいつか意趣返ししてやると決意した。
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