第9話8 その一言が噂となるのです

 本日の調理当番は大聖女セレスティアと聖女マリアンナ、聖女見習いのメリージェーンとアンの四人だ。大聖堂の敷地内にある付属寮は十六名の女性が暮らしている。(大聖女一名、聖女五名、見習い聖女十名)三大神官をはじめとする男性専用の宿舎は別の場所にあるため、彼らと仕事以外で出会うことはない。


 大聖堂の周辺は高い壁で取り囲まれ、正面玄関には大きな門があって、常に番人がいる。そこを行き来するためには教団幹部の許可がいるため、セレスは私用で正面から外出したことは一度も無い。


 しかし、セレスティアは溢れんばかりの神聖力で簡単に姿を変えることが出来る。だから、外出したい時はいつも蝶の姿になり、ひらひらと舞って行く。勿論、この能力のことは誰も知らないし、誰かに教える気も無かった。


「セレスティアさま、私は野菜を刻みますから、玉子を割って下さい。メリージェーンはソーセージに切り目を入れてくれる?それから、アンはパンを温めている間に、バターとジャムを小皿に出しておいてね」


 マリアンナはそれぞれの能力に合わせて、テキパキと指示を出す。


(お料理上手なマリアンナさんがいると段取りが良くて楽だわ。今日は野菜オムレツとトーストなのね。ああ、お腹が空いてきたわー!!)


 セレスティアは大きなボールに積み上げられた玉子を割り始めた。コン、ココンとリズム良く玉子を調理台に打ちつけていると調子が上がって来て、割るスピードが段々と速くなっていく。


「セレスティアさまは最近、楽しそうですね」


 手元で素早くニンジンを刻みながら、マリアンナが話しかけて来た。


(なっ!手元を見ずに・・・。マリアンナさん、器用過ぎるわ!)


「そう?」


「ええ、先日のプリンは殿方への贈物ですか?」


 マリアンナは周りに聞こえないよう、小声で語り掛けて来る。彼女は色恋の話が大好きなのだ。


(あー、見られていたのね・・・。上手く誤魔化さないと!!)


「残念ながら、自分用よ。プリンには目が無いの、ウフフフ」


 セレスティアは余裕のある笑みを浮かべた。営業用の顔である。


「なーんだ、残念。じゃあ、大聖女様って死ぬまで処女じゃないとダメって話、本当なんですか?」


「え?」


 セレスティアはビックリして、玉子を割る手が止まってしまった。


(野菜を切りながら、とんでもない話題を振って来るわね。というか一生、処女?何、その話・・・)


「あ、その反応。ご存じなかったのですね。一般的に聖女が殿方と交わると神聖力が減るという話があるんです。それで大聖女さまは、私達の頂点にいらっしゃるから、目減りも大きいと。この話の信憑性は分かりませんが・・・。まあ、私は一生、処女だなんて無理です。恋人のいない人生なんて嫌ですから」


「恋人・・・」


 セレスティアの脳裏にフレドが思い浮かぶ。前回会った時は、ずっと膝の上で甘やかされてしまったが、彼とは恋人ではなく、ただの友達。そう考えると胸がズキッと痛んでしまう。


「まさか、その見た目で恋人がいないなんて言わないですよね?そうだとしたら、完全に宝の持ち腐れですよ。私、セレスティア様みたいに美しい容姿だったら十人くらいボーイフレンドを作って、毎日違う人と遊んじゃいますよー!!」


 好き勝手なことを言いながら、今はズッキーニを刻んでいるマリアンナ。セレスティアの玉子を割る手は彼女の迫力に押されて、スローペースになっている。


(私の容姿?特に褒められたことも無いのだけど。これはお世辞だと思っていたらいいのかしら)


「お褒めの言葉をありがとう。でも、私はマリアンナさんの方がかわいいと思いますよ?」


 そこで、マリアンナの包丁を握る手がピタッと止まった。


「セレスティアさま、それ本気で言っています?もしくは、私を揶揄っているおつもりですか?」


 彼女から、怒気を纏った言葉を投げかけられ、セレスティアは驚く。何が彼女を刺激したのかが分からない。ここは素直に答えておいた方がいいだろう。


「本気です。マリアンナさんは可愛いです。大きな瞳と小さな唇がお人形さんのようで」


「はぁ・・・」


 マリアンナの手が再び、動き出した。


(彼女、ため息を吐いたわね。何がダメだったのかしら。最近の私は間違えてばかりだわ)


「もしかして、セレスティアさまの自己肯定感が低いのはあの三大神官のせいなのかしら、だとしたら、あいつらは一度、絞めた方が良さそうね。サーシャ、リナ、アメリア、ルーチェと今夜、作戦会議を開かないと・・・」


 マリアンナはブツブツと独り言を呟く。


 マリアンナ、サーシャ、リナ、アメリア、ルーチェの五人はベリル教団の聖女だ。彼女たちはいつも明るく優しいセレスティアのことが大好きなのである。生後間もなく教団に預けられたセレスティアとは違い、彼女たちはそれぞれの実家から十歳を迎える年にここへやって来た。


 それまで普通に生活していた彼女たちは世間を知っている。だからこそ、セレスティアを好き勝手に利用しているベリル教団に対して、彼女たちは不満を持っていた。『大聖女様は私たちが守らなければ!!』というのが、彼女たちの影のスローガンだ。


 ズッキーニが終わり、次のセロリをザクザクと刻んでいる音にかき消され、マリアンナの独り言はセレスティアに聞こえていない。


「話を戻しますね。セレスティアさまは本当に恋人がいないのですか?」


(あああ、また恋人の話に・・・。もしや、巷で十九歳にもなって恋人の一人もいないというのは問題があるのかしら?うーん、何と答えたら・・・。彼女は信用できる人だとは思うけど)

 

 少し考えてから、セレスティアはマリアンナの横まで歩いていき、彼女に耳打ちをした。


「マリアンナさん、他言無用でお願いします。私、今まで恋人はいません」


 マリアンナの手が再び止まる。セレスの方を向いた彼女は小声でこう言った。


「本当に?好きな人も居ないのですか?」


 その『好きな人もいないのですか?』という言葉が、セレスティアの胸に引っかかり、即答出来ずにいると、マリアンナが畳みかけて来る。


「好きな人はいるのですね?」


 セレスティアは顔を真っ赤にしながら、こくんと頷いた。


「うううっ、尊い。大聖女様が尊過ぎる!!」


 意味不明な言葉を吐きながら、マリアンナは包丁を手に持ったまま、その場にしゃがみ込んでしまう。


「マリアンナさん、包丁!!」


 セレスティアは慌てて、彼女の手から包丁を取り上げた。調理台の上へそれを置いてから、座り込んだ彼女を立ち上がらせようと屈む。


「大丈夫ですか?」


「――――はい、すみません、取り乱しました」


 マリアンナは立ち上がると、セレスティアに向かってこう言った。


「私、応援します。セレスティアさま、絶対幸せになって下さい」


「ありがとう。私もマリアンナさんの幸せを願っています」


 二人で互いに微笑み合った後、持ち場へ戻った。先輩たちが仲睦まじい様子でじゃれ合っているのを見ていたメリージェーンとアンも笑顔を浮かべる。


――――この日から、大聖女さまには好きな人がいるという噂が流れ始めた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る