第22話 『俺』じゃない『私』だ



 聞き覚えのある声が聞こえ、俺はハッと我に返って顔をあげた。


「おおおおおお前ェ! この変質者! う、うちのリンちゃんから手を放せェ!」

「汚い手でリンちゃんに触るなあ! この変態!」

「もうすぐ警ら隊も来るんだからな! 逃げられると思うなよ!」

「ウチの妹になにをするんだロリコン野郎!」

「リンちゃん! にいたんたちが来たからもう安心だぞ!」

「今助けてやるからな! 遅くなってごめん!」

「リンちゃんは俺たちが守るんだぁ!」



 分身の術みたいな七人が、こちらに向かって口々に叫んでいる。

 ……いや、俺はこの人たちを知っている。

 生まれた時から見ていた顔なんだから、知っているに決まっている。


 生まれた時から?


 俺は死んだんじゃなかったっけ?


 違う、死んだのは俺じゃない。俺は、私は――――。




「に……にいさま……」




 そうだ、私はタロじゃない。私はリンだ。

 彼らは私の兄だ。私は今五歳で、父と、母と、長男の兄と、七つ子の兄たちがいる家の末っ子だ。



 七つ子兄さんたちの後ろから、息も絶え絶えなアルトが追い付いてきた。


 私はアルトとここで別れて、みんなを待っていた。

 花火を友達みんなで見るつもりだったんだ。



「リンちゃんごめん! さっき戻ったらリンちゃんが変な男に捕まえられているのが見えて……でも俺だけじゃどうにもできないと思って、警ら隊を連れてこようとしたら、この兄さんたちがすごい勢いで走って行っちゃって……ハァハァ」


 変な男……というのは、今私をつかんでいるレオのこと……だよね。



 いや、これには理由があって、彼は変質者とかではなく、知り合いなんですと言おうとしたが、村から出たこともない私の知り合いのわけがないと思われるだろう。



 なんて言ったらいいか分からず言葉が出ずにいると、いきなりレオに後ろから抱き上げられた。それを見た兄たちが一気に色めきだつ。



「お前ェエェ! リンちゃんに触るなアァ!」



「ここは騒がしい。タロ、どこかに移動してからにしよう。『融合』にも多少時間がかかるから、落ち着ける場所がいい」


 叫ぶ兄たちに背を向けて、レオがなにか魔術を展開する。

 見たことないけど、もしかして転移術じゃないだろうかと気づいて、私は慌ててレオを止める。


「まっ……待って! あの……連れて行かないで! ごめん、私はもうタロじゃないんだよ! リンなの! レオは、タロの面影を追いかけているんだろうけど、私はもう別の人間なんだよ……だから……」


 このまま家族になにも告げず居なくなるわけにいかない。レオは私を取り込んだってきっと幸せにならない。だって私はタロじゃない。レオの孤独はもっと違う形で癒されるべきなんだ。


 レオは苛立ったように、抵抗する私をつかむ腕に力を込めた。


「……今の名がなんでもどうでもいい。タロの魂だ。俺の家族の魂……俺だけの……俺の唯一の……。お前だって俺しかいなかったじゃないか。俺たちはたった二人きりの家族だったはずだ。それなのにお前は俺から離れるというのか……?」



 無意識なのかレオは私をつかむ手に力が入り、腕をギリギリと締め上げられる。


 こいつは今おかしくなっているんだ。タロが死んで孤独のまま長い時間を過ごしたからだ。


 もっとレオと話をしなくちゃいけない。コイツの言うことをただ受け入れるだけじゃ、本当の意味でレオを救えない。



 苦痛に顔をゆがめる私に、兄たちやアルトが叫び声をあげる。レオと私を包囲していた警ら隊が、一斉にサーベルを抜いて構えた。



 殺気を感じたレオが、ぶわっと魔力を解放し戦闘態勢に入るのが分かった。



 ダメだ、今レオは冷静さを欠いている。手加減なしでレオが攻撃したら確実に死人が出る。



「やめて、レオ! みんなも! ……やめて!」


 たまらず叫んだ瞬間。警ら隊の輪を押しのけて、小柄な女性が飛び込んできた。



「リンちゃんっ……!」


 転げながら飛び出してきたのは、かあさまだった。


「やめてください、お願い、リンちゃんを離してっ……お願いしますお願いしますお願いします! 大切な娘なんです! 命より大事な我が子なんです! お願いします……なんでもしますから……この子だけは……」


「かあさま!」


 地面に跪いて懇願する母さんは、ゼイゼイと苦しそうに息を吐きながら、必死に懇願する。いつもきれいに結ってある髪はぐしゃぐしゃで、足は片方靴が脱げてしまって、裸足で傷だらけだった。


 体の弱い母さんは、少し無理をするだけで二、三日寝込んでしまうほどなのに必死に駆けてきてくれたんだ。



 命より大事な我が子、という言葉を聞いて、私は涙がこらえきれなかった。


 私はこの人たちを置いていなくなるわけにいかない。これだけ愛をもらっておいて、なにも返さずに消えるわけにはいかない。




 レオを見上げると、レオは私ではなく地面に蹲るかあさまを凝視していた。

 真っ青な顔色で、信じられない物をみるように呆然としている。



 ふ、と私をつかむレオの手が緩んで、支えを失った私は地面にずり落ちた。レオの手から離れた私にかあさまがしがみついて急いで引き寄せる。



「リンちゃんっ……かあさまがいるからもう大丈夫よ! 痛いところはない!?」


「かあさま……っ。だい、だいじょぶ、だから、あの、話を……」


 レオは不審者じゃない。話を聞いてほしいと言いたいが、かあさまにぎゅうぎゅう抱き込まれて話をするどころじゃない。


 七つ子兄さんたちも前に飛び出してきて、かあさまと私を庇うように手を広げてレオと対峙する。


 かあさまと、兄さまたちも、レオの異様な魔力を肌で感じるのだろう。ぶるぶると震えているが、それでも絶対に引かないと言わんばかりに、レオをにらみつけている。



 違う、誤解だ。レオは敵じゃないんだ。


 レオのことをみんなに説明しなきゃいけない。私はレオと話をしなくちゃいけない。不審者なんかじゃないんだ。世界を救った勇者なんだ。誰よりもすごいことを成し遂げた人間なんだ。


 レオは……。



 何か言わなきゃと思って、振り仰いだレオは、悲しそうに笑っていた。


 すべてを諦めたような顔で、泣きそうな顔で、ほんの少し笑って、私を見ていた。


「レオ……?」


 なんでそんな顔しているんだよ?


 子どもの頃のレオは、よくこういう顔をしていた。

 小さいころチビでガリだったレオは、よく他の奴らにいじめられて、物や食事を盗られていた。そういう時レオは怒るでも泣くでもなく『仕方ないよ』っていって、悲しそうに笑っていた。


 いつも俺は、そんなお前を見て、笑うな、諦めるな、もっと怒れ! 戦え!負けんじゃねえって言って怒ったっけ。


 なんで今、お前そんな顔しているんだ?


 レオは、戦闘態勢に入っていた魔力を解いて、ふう、と小さく息をついた。


「お前には……もう本物の家族がいるんだな。そうか……そりゃあそうだよな。いつまでも過去にしがみついているのは俺だけか。とっくにお前は、別の新しい人生を生きていたんだよな。俺が唯一の家族だなんだと喚いても、生まれ変わったお前には……少しも関わりのないことだったんだよな……」


「あ……」


 はは、とレオは乾いた笑いを漏らす。


 なにか言わなきゃと思うが、返す言葉ない。


 私が……俺が温かい家族の元で愛されて幸せに暮らしている間、こいつはずっと冷たい地獄にいたままだったんだ。


 死んだタロの魂を探すことだけを心の支えに、孤独のなか長い時間生きてきたレオに、ぬくぬくと温かい家族に囲まれて過ごしていた俺に言える言葉なんて見つからない。


「…………忘れてくれ…………すまなかったな」


 別れの言葉みたいなセリフを口にして、レオは俺を見て、もう一度悲しげに笑った。



 あ、コイツ、いなくなる。


 いなくなるつもりだ。俺の前から。

 そしてこの世界から自分を消してしまうつもりだ。


 さっきまでレオを支配していた、燃えるような怒りもどこかへ消えてしまっている。あるのは諦めの静かな悲しさだけ。


 レオは目を伏せて、静かに術式を展開する。


 転移術だ、と気づいた俺はかあさまの腕の中から飛び出して、レオの腕にしがみついた。


「行くな――――! お前はアホか! なに一人で勝手にしゃべって勝手に決めて勝手にいなくなろうとしてんだよ! 少しは人の話を聞けよ! 俺とお前の問題だろ!? 俺とお前の二人でお互い話し合わなきゃ何もわかんねーだろーがこのボケ!  いつもお前は人見知りだの口下手だのって自分でいうけどな、俺に言わせりゃただの自分勝手なんだよ! もう少し、相手の話を聞く努力をしろよ! だいたいお前は昔っから言葉が足りねーんだよ!」


 怒りに任せて口汚く怒鳴ると、レオがポカンとして固まった。


 固唾をのんで成り行きを見守っていた周囲が一気にざわつき始める。


 後ろから『リンちゃん……っそんな汚い言葉遣い、どこで覚えて……っ』とショックを受けるかあさまの声が聞こえてきてちょっと青くなる。俺とか言っちゃったし、あとで絶対怒られる。


 レオはちょっと混乱した様子で俺に問う。


「話し合うと言ったって……じゃあお前は今の家族を捨てられるのか? 俺にお前をくれるっていうのか?」


「いや…………捨てられない。大切な家族なんだ。愛情をもらってばかりで、なにも返せていない。だからこのままレオに俺の全部をあげてしまうわけにはいかない」


「じゃあもう話し合うことなどないだろう。心配しなくとも、世界を滅ぼそうなどと考えていないから安心しろ。…………もういいんだ。なにもかも俺の独りよがりだった。どうかしていたよ。お前はもう前世のことなど忘れて、家族と幸せに暮らせ」


 もう話は終わったとばかりに、レオは腕を振り解いて俺に背を向ける。勝手に自己完結していくレオに俺は猛然と腹が立った。



「……っだから! レオの幸せはどうなるんだよ! 幸せになれっていった俺の言葉を忘れたのかよ! 不幸なままなんて、俺が許さないっつってんだろーが! だからさ! お前も俺の家族になればいいだろ! 家族ってのは、どっちか選んで捨てるもんじゃないんだよ! つながって増えていくものなんだ! だからレオも俺の家族と家族になればいいんだ! 俺がレオを幸せにしてやるから! 俺の家族になれ!」


 怒りに任せて俺は、声の限りにレオに向かって叫んだ。



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