第17話 リンちゃんは将来のために勉強がしたい
「みんなお帰りなさい。リンちゃん、良い子で待っていてくれてありがとうね。ゆっくり休ませてもらったからずいぶんスッキリしたわ~」
「かあたま」
起きてきたかあさまの顔色はずいぶんとよくなっていた。柔らかく微笑むかあさまの顔を見ると、安心してなんだか急に泣きそうになった。
「……あらあら、やっぱり一人で寂しかった? ごめんなさいね」
うっかり潤んでしまったリンちゃんの瞳を、かあさまは見逃さず、両手を広げて『おいで』と言ってくれる。
むぎゅ、と遠慮なくその胸に飛び込むと、その細い腕で抱き上げてくれる。
「寂しい思いをさせてごめんね、リンちゃん」
「ちやいます。うれち涙でしゅ。かあたまが、げんきになっちぇくえて、うれしいからでしゅ」
「んんっ……! リンちゃんたら……! どれだけ母さんを好きにさせたら気が済むの! 愛が止まらないわ!」
ぐりぐりと頬ずりされて、ついに俺の涙腺は決壊した。感情が子どもの体に引きずられて、中身は大人なのにワンワンと声をあげて泣いてしまう。
きっとかあさまは、今俺が駄々をこねたとしても、同じように抱きしめて好きと言ってくれるような気がする。
これから先、俺が悪いことをしたり間違ったことをして叱られたりしても、絶対に嫌いにはならないでいてくれるに違いない。世界中の人から嫌われたとしても、この家族は俺を好きでいてくれる。
……レオは、そういう家族を作れているかな。
昔、あいつがいつも自信なさげだったのは、家族がいなかったせいだと思う。
自分を愛してくれて、絶対に味方になってくれる家族の存在があると思うと、不安な時もつらい時も、『大丈夫だ!』と頑張れる気がするんだ。
レオが俺を旅に連れて行きたがったのも、唯一の家族みたいな存在に背中を押してもらわないと不安で潰れそうだったからだと今なら分かる。
アイツにも、心から安心できる場所ができて、誰よりも幸せになっていることを心から願った。
***
父と長兄のグラム兄さまは、毎日村の役場で仕事をしている。田舎の小さな村だが、毎年の少ない予算から道を整備したり農地を開拓したり、少しでも皆の暮らしがよくなるよう一生懸命働いている。
村の子どもたちが無償で通える学校ができたのも、ほんの十年前のことだ。
勇者が魔王を斃すまでは、国は以前の大侵攻で国全体が荒れ果てていて、みんな生きるだけで精いっぱいで、教育にまで手が回らなかったらしい。
そのため、この村の住人の識字率はあまり高くない。
とうさまは、自分は村長の息子であったから教育が受けられたが、当時の村の子どもたちは、親が読み書きを教えるだけで、名前がかけて読める程度にしか習うことができなかった。
だからとうさまは、父親が死んで領主を継いだ時に、子どもたちの将来のために私財を投じて校舎を作り、先生となってくれる人を雇って学校を設立したのだ。国が安定し、豊かになっていくのなら、子どもたちがいろんな仕事に就けるよう教育は絶対に必要だ、と言って。
だからうちは、村長のわりに貧乏で、贅沢とは無縁だけれど、村の人々からはとても慕われて信頼されている。
かあさまや七つ子兄さんたちは、『リンちゃんにもっと可愛い服をつくってやりたい! お金欲しい!』と言っているけれど、可愛いとかよくわからない俺としてはその辺はどうでもいい。
今のところ作物も安定して収穫できているので、飢えとは無縁だし、これ以上望むことはないけど、できることなら、病院を村に作れたらいいなーと思う。
医者は数が少ないので、こんな辺鄙な村に来てくれるような人がいない。命にかかわるような怪我や病気のときは、大きな町にまで行くしかないが、治療費がべらぼうに高いのだ。
だからこの村では、民間療法で治らないような場合は諦めるしかない。
でも、設備と知識と技能がそろえば死なずに済む命があると思うと、日本人だった頃の記憶がまだある自分としては、どうしても悔しいと思ってしまうのだ。
病院はとうさまもいつか作りたいと考えているようだが、如何せん金がない。医者もいない。
だから俺は、将来金を稼げる仕事か、もしくは医者になりたいと漠然と考えるようになった。
幸いリンちゃんは教育を受けられる環境も整っているし、前世の記憶のおかげで文字も読めるから、俺まだ三歳だけど早く勉強がしたい。
医者になるためには首都に行って研修を受けて試験を受けなくてはいけないから、そこでもまた金が必要になるし、医者を目指すにしろ、医師を招致するにしろ、どっちにしろ金が必要なのだ。
***
「とゆーわけれ、わたしもべんきょーがしたいでしゅ。がっこうに行ってはいけましぇんか?」
「リッ……! リンちゃん! 齢三歳にして、勉強がしたいだなんてッ! うちの子天才ッ!」
金を稼ぐにしても、今のままじゃ全然知識が足りない。この世界での計算式もほとんど知らないし、これじゃあ帳簿も付けられない。
学校に通えるようになるのは本来八歳からだけど、俺はとうさまに学校に通わせてもらえないかと頼んでみた。
どうでもいいけど、村長として働いているときの父は威厳があってカッコイイのに、どうして娘の前ではかあさま兄さまと同じノリなんだろう。台無しだよ。
「リン、お前はまだ三歳だろう? 言葉もおぼつかないのに学校なんて無理じゃないか?」
グラム兄さまが最も冷静にリンちゃんに対応する。兄さまが今一番家長っぽい。頼りになる、カッコイイ兄さまである。
「くちはまわりゃないでしゅが、よみかきはちゃんとできましゅ。がっこにめいわきゅになるのなりゃ、きょうかしょだけでもほしいれす。おうちでべんきょうしましゅ」
「リンちゃんったら……! 気遣いまでできる天使ッ! 好き!」
「父さんはちょっと黙っていてください。うーん、小さい子の中で、お前だけが学校に行っていたら他の子も一緒に行きたいと思うだろう? 教科書をあげるのは構わないが、どうせあと数年で同じことを学ぶんだから、それからでもいいんじゃないか?」
ごもっとも。
学校に通っている子たちは、無料で教育が受けられることの贅沢さを親たちから嫌というほど言い聞かされているので、皆自分の将来のために一生懸命勉強している。遊び半分で幼児が行っていい場所じゃないと兄は言っているのだ。
しゅんとする俺に、とうさまが取りなすように言う。
「まあ、確かに一人だけ小さい子がいることに不満を漏らす輩はいるかもしれない。では、試験をリンちゃんに受けてもらえばいいんじゃないか? 学校に通う子と同じ学力があるのだと証明できれば、皆も納得するだろう」
おお、とうさまが父親っぽい。
「しけんをうけて、だめりゃったらあきらめましゅ。おねがいしましゅにいたま」
やっぱりできればちゃんと先生に教わりたい。どうにか許してもらえないかとグラム兄さまにすがって懇願する。
「ん゛んッ……! ま、まあ、それなら皆も納得するでしょうし、確かにリンは他の子より早熟で頭がいいから、この子に合った教育が必要かもしれません」
「だよなあ、そうだよなあ。ウチのリンちゃんは天才だからなあ。才能は伸ばしてやらなくちゃいかんよな」
とうさまがそう言ったことで、学校の先生に交渉してもらえることになった。
村長で、学校の創立者である父ならば特別枠無理やり設置しても本来文句がでることはならないだろうが、とうさまは学校の運営には口を出さないと決めている。
だから兄さまたちも、村長の息子だからといって特別扱いはしないで、村の子どもたちと同じに扱われている。
「なになに? リンちゃんも学校に行くの? うわ~にいたんたちと離れるのがそんなに寂しかったの? 可愛いなあ~可愛いなあ~」
「にいたんたちもリンちゃんと離れたくなかったよ! 父さん、学校では俺たちが交代でリンちゃんと一緒にいますからご心配なく!」
「にいたんたちが手取足取り教えてあげるから、リンちゃんはなーんも心配いらないよ~」
「お昼もにいたんたちと一緒に食べような~ああ~リンちゃんと四六時中一緒だなんてさいこう……!」
「リンちゃん用の可愛い机と椅子をつくらなきゃ! ピンクの! ふかふかクッションも!」
「でもリンちゃんの可愛い姿がみんなに見られちゃう! ヴェールかなにか被せないと!」
「お世話係、一番目は俺ね! リンちゃん! おトイレはにいたんがしてあげるからね!
ちょうど学校から帰ってきた七つ子兄さんたちが話を聞いて大喜びしている。まだ学校がオッケーだしたわけでも、試験に受かったわけでもないのに先走りすぎだ。
「ありやとうございましゅ。でもできゆだけ、じぶんのこちょはじぶんでしましゅ」
一応お礼を言うと、兄たちが『天使か!』と叫んで膝から崩れ落ちた。
うーん……そりゃこのリンちゃんの見た目は可愛いけど、中身はもうおっさんくらいの精神年齢なんだが……それを言っていいものか……。どうにもだましている感が否めない。
まあでもリンちゃんの見た目は可愛いから仕方がないが、成長して中身が残念な男だと気づいた時、皆のメンタルが大丈夫かだけちょっと心配。
***
俺の学校への入学許可は、驚くほどあっさりと決まった。
最初、俺と面談した先生は『お兄ちゃんと一緒にいたいのね』と、小さい子特有の我儘のように受け止めていたけれど、少し受け答えをして、簡単なテストをしたら、急に態度が変わった。
「ごめんなさい、村長様やお兄さんたちに、リンさんは普通の三歳児じゃないと聞いてはいたけれど、本当に学校に通えるほどとはさすがに思っていませんでした。これなら八歳児クラスから……いえ、学力だけならお兄さんたちと同じクラスでもいいかもしれませんね」
「いえ、わたちはどきゅがきゅでべんきょうしただけやので、きしょができていましぇん。だかやイチかりゃまなびたいのれす」
くっそ、口がまわらないから大人っぽく喋ってみてもしまらない。
タロの頃にこの世界の文字やお金の計算の仕方などを教えてもらったが、ちゃんと習ったわけではなく、シスターが空いた時間に教えてくれていただけだから、知識は浅いしたぶん偏っている。だからちゃんと基礎から学んだほうがいいと思うのだ。
先生は舌足らずな俺を、ほほえましげに見て、頭を撫でてくれた。
「そうですね、では八歳児が入る初等部から始めましょう。お兄さんたちが、最初は交代で付くと言っていましたが、慣れたら自分だけでお勉強できますか?」
「あい」
そんなわけで、俺(リンちゃん)は三歳児ながら学校に通うことが決まった。
うん、今世は順調な人生になりそうだなあ。
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