第三十二話【単独探索者】
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『ちょっとお店にいらっしゃいな』
MAYAからのそんな提案があったのは、片倉がトー横ダンジョンから帰ってから2日後の事だった。
端末にメッセージが届いたのだ。
ちなみにこの2日間何をしていたのかというと、特に何をしていたわけでもない。
強いて言えば、何となく瑞樹の事を考えていた。
机に置いた壊れた眼鏡を眺めながら沖島瑞樹とはどんな女だったかを思い出そうとする。
なぜ知り合って間もない自分を助けたのか──それによって死ぬか、あるいは大怪我を負うだろうということは、瑞樹自身も分かっていただろうに。考えても答えは出ない。
なんとなくダンジョンに向かう気も湧いてこないため、片倉はMAYAの提案に乗ることにした。
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「大変だったわねえ」
片倉が事情を話すと、MAYAはそれだけ言って片倉の前にコーヒーカップを置いた。
カップには熱いコーヒーが注がれている。
「随分たちの悪いモンスターでした」
片倉はそれだけ言ってコーヒーを飲み干した。
「ところで今日はどんな用事だったんですか」
片倉が尋ねると、MAYAは謎めいた笑みを浮かべながら答える。
「別に……ちょっと顔が見たいと思っただけ。トー横ダンジョンはどうだったのかなって話を聞きたかったっていうのもあるし」
「そうですか」
「でもやっぱり会えてよかったわ。随分落ち込んでるみたいだし」
「落ち込んでる、ね」
片倉にはいまいち実感がない。
というのも片倉は随分前からずっと重度の鬱の様な状態にあるからだ。
なにせ人間として本来備えているべき機能や感覚のいくつかが
例えば味覚などは完全に喪ったわけではないものの、何を食べても泥を
「あまりよくわからないですが、沖島さんの事は残念だとは思っています。ああいう風に死んでいい人じゃなかったような気がします」
「そうね、でも今後もダンジョンに行くなら同じような経験をすることが何度もあると思うわよ。それでも探索者をやめる気はないの? 生活していくだけなら別に探索者なんかじゃなくても十分やっていけると思うんだけど。まさちゃんなんて探索者経験豊富なんだから、協会でも職員として雇ってもらえると思うわよ」
片倉自身もそうだろうなとは思う。
しかし。
「目的がありますから」
片倉は短く答えた。でも
──金のためだけだったら探索者なんてとっくにやめているさ
片倉にはかけがえのない存在を取り戻すという目的があるのだ。
「ふうん、なら頑張る事ね。一人二人、その場限りの仲間が死んだくらいで落ち込んでいたらキリがないわよ。もし犠牲を出したくないなら、それこそ一人でダンジョンへ挑まないといけない……けれど、単独探索なんて自殺するようなものだしねえ」
そうなのだ。
単独探索者はいないわけではないが、非常に少ない。
その理由は単純で、複数探索で受けるメリットがそのままデメリットとなって自身に返ってくるからである。
片倉のように数多くのダンジョンに挑み、数多くの強敵を打ち倒さなければならない者にとって、単独探索など何のメリットもない。
確かに成功すれば稼ぎは大きくなるが、片倉の第一目的として稼ぐことが目的ではないためメリットとして考えることはできない。
だから片倉も単独探索など検討の余地もないとして捨ててしまった考えではあるが──
ふと疑問が生じた。
結局のところ最終的に必要になるのは力だろう。
それを踏まえた上で考えてみれば、そんな安全マージンを取っていくようなやり方で、力が手に入るのだろうか?
──強くなれるのだろうか
「まあ、無茶はしないとねえ」
不意にMAYAがそんな事を言った。
顔を上げてみてみると、MAYAは意味深な笑みを浮かべている。
「無理、無茶、無謀──こういうものをやらかさないと人って中々磨かれないものだから」
「心でも読んでるんですか?」
片倉が尋ねると、MAYAは首を振る。
「顔を見れば分かるわよ。まあせいぜい悩みなさいな。でも自分で決める事。そうしたところで全然楽にはならないけどね。道半ばにしてダンジョンで独り死ぬ時はきっと苦しいでしょうし、仲間が死んだ時も同じく胸が苦しくなるでしょうね。でも、納得は出来るだろうから、多分」
◆
帰路、片倉は自らの胸中に広がる「納得」という感覚について思いを巡らせていた。
沖島瑞樹はなぜ死んだのか。
その死に自分は納得しているのか。
探索者はいつも命の危険と隣り合わせだ。どれほど優秀な仲間がいようとも、ダンジョンでは誰もが一瞬で命を失う可能性がある。そんな過酷な現実の中で、いちいち他人の死に深く感情を動かしていては、探索者として生き残れない事は片倉も分かっている。
──分かってはいるが、糞。そもそも俺が惑わされなければ沖島さんは死ぬことがなかった
やがて、片倉の思考は自然と単独探索へと移り始めた。
これまで片倉は複数人での探索ばかりを行ってきた。
しかしその度に仲間の死や傷ついた姿を目の当たりにし、無力感を味わってきた。
ならば、いっそ一人でダンジョンに挑むというのも一つの手ではないか。
無謀かもしれないが、他者に頼らず、すべてを自分の力で成し遂げることができればベストだ。
すべてが自分次第となり、成功も失敗も自らの責任で完結する。
強さとは仲間に頼ることではなく、むしろ孤独の中で自らを磨き上げることではないのか?
他者に頼らず自分だけで困難を乗り越えることこそが、真の強さに繋がるのではないかという思いが片倉の中にある。
・
・
片倉が家に着いたとき、空はすでに夜の闇に包まれていた。
食事はMAYAのところで済ませてきたため、今は特に何も食べる気にはならない。
簡素な部屋に入り、片倉は無造作にソファに腰を下ろすとテレビのリモコンに手を伸ばした。
リモコンのボタンを押すと、探索者専用のニュースチャンネルが映し出される。
画面には今日もまた新たに発生したダンジョンのニュースが報じられていた。
関東地方のいくつかのダンジョンで異常な活動が観測されたらしい。
詳細な情報はまだ不明だ。アナウンサーは警戒を促していた。
──異常な活動、か
片倉は何となくカイトたちの事を考える。
カイトたちはどのタイミングでモンスターと化したのだろうか? という疑問があったのだ。
「もし、最初から。俺たちと出会った時に既にモンスターだったとしたら」
ここ最近、強力なモンスターが各所で出没するという話は片倉も聞いている。
ダンジョンが
しかし、何がどう変わろうとも変わらない現実がある。
それは片倉がダンジョン探索から逃れられないという現実だ。
「単独探索、か」
片倉は声に出して言ってみた。
声に出せばより一層魅力的な様に思える。
勿論ひどく苦労するのだろうが、と片倉は瑞樹の遺品である眼鏡を見た。
すると、心臓とも違う自身の活力の源の様なものが、ずしんと下方へ下がっていくような重苦しさを感じる。
仲間がいればこんな思いを何度もしなければいけないのかと思うと、単独探索の方がまだマシに思えた。
しかし──
「どうするにせよ、勢いだけで挑むっていうのは流石にないな」
協会には単独探索者も極少数ながら存在する。
そういった者たちから話を聞いてみてもいいだろうと片倉は思った。
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