第二話【あの日、あの時】

 ◆


「日も落ちてきたからそろそろ戻るべきだと思うんですけど、どうでしょう。体力的にはまだいけるとは思うのですが、精神的に、まぁ少しね。うん……皆さんはどう思われます?」


 小堺 良平コサカイ リョウヘイが言った。


 先ほど黒猿の奇襲を伝えた男だ。


 チーム最年長で、リーダーも務めている小堺は慎重な探索を旨とする堅実派である。


 中肉中背の特徴がない事が特徴とでもいうような典型的中年男性だが、引き際を誤らない判断力はチームの安全面に大いに貢献している。


「そうね、さっきも黒猿の奇襲に対応するのが遅れてしまったし。片倉さん以外を狙われていたら危ない所だったわ」


 沙耶が疲れた様に言う。


 黒猿は夜間になると気配が希薄になるという特性がある。


「でも夜の方が実入りはいいよ? 毛皮とかもさ~、どういうわけか質があがるし~」


 やや幼い声が異を唱える。


 日野 海鈴ヒノ マリン


 くりくりとした目が特徴的な少女然とした女だが、実年齢は大きく異なる。


 言ってしまえば全身整形の様なものなのだが、ダンジョン素材やこの時代の技術力によって、海鈴の身体能力は全盛期を維持し続けていた。


 小堺 良平


 二階堂 沙耶


 日野 海鈴


 そして、片倉 真裕


 この四人はダンジョン探索公社『六道建設』探行課所属の探索者チームだ。


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「片倉さんはどう思いますか……って、返り血。拭き取った方がいいですよ」


 小堺が手ぬぐいを渡しながら言う。


 片倉は「どうも」とボソボソとしたはっきりしない声で礼を言い、続いて「お任せします」とだけ返事をした。全体的に辛気臭い。


「相変わらず暗いなぁー」


 海鈴が呆れた様に言うが、片倉は答えない。


 小堺はさもありなん、という風に胸の中で小さくため息をついてごちた。


 ──自分が立てた探索計画で恋人が死んだとあっちゃあねぇ。そりゃあいつまでも引きずるよなあ


 小堺はこのチームのリーダーだ。


 だから片倉の事情を知っている。


 以前はフリーの探索者であったこと。


 そのチームには片倉の恋人もいたこと。


 チームのランクアップを狙うために難関ダンジョンへ挑み、そして全滅したこと。


 ──しかしさすがに元上級の探索者だけはある。民間の認定でも上級は上級だ。あんな風に黒猿を殺せる探索者は余りいないだろうな。ウチの会社ももう少し報いてやればいいのにねぇ、いつまで彼をいじめてるんだか


 まあでも、と小堺は内心でかぶりをふった。


 ──その死んだ恋人が『六道建設』の社長の娘なら仕方がないのか


 ◆


 この片倉という男は、少しばかり重く考えるタチにできている。


 そういう人間は、基本的に責任に対して律儀だ。


 背負わなければならない責任はもちろん、背負わなくてもいい責任まで背負ってしまう。


 そんなタチの彼だから、自然とどこかシリアスな雰囲気になってしまうのだろう。


 ではその責任とは一体何なのかといえば──


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 時は遡る。


「ねえ、真裕。私たち、今イイ感じじゃない? “センター”からも期待されてるのがわかるし、この辺で、もう1ランクアップを狙ってみてもいいんじゃないかな」


 ある日、榊 澪(サカキ ミオ)がそんなことを言った。


 センターとは、要するに大手人材派遣会社のようなものだ。


 どこにも所属していないフリーの探索者は、概ねこのセンターで仕事を受け報酬を得る。


 それに対して、リーダーの片倉は怪訝そうな表情を返した。


 澪が言いたいことは分かっていた。


 もっと高難易度のダンジョンに挑みたいということなのだろう。


 しかし、と片倉は首をかしげ、ややあってどこか言いづらそうに口を開く。


「もしかして澪、金に困っていたりするのか?」


 探索者の実入りは不安定だが、一般人よりはるかに良い場合が多い。


 片倉のチームはチーム全体の収入を所属メンバーの5人で割れば、月収にして概ね3、4千万円といったところだ。


 収入が多い月ともなると、億を超えることも珍しくない。


 もちろん、装備品や探索に必要な物資には相応の金がかかるが、そういった必要経費はチームでプールしてある資金から支払っている。


 まあ命がけの稼業でそれが高いか安いかは個人の価値観によるだろうが。


「澪ちゃんのことだから、変な使い方はしていないと思いますけど、老後に備えて貯金しておいた方がいいですよー」


 妙に間延びした声で答えたのは、少しばかりぼんやりとした印象の小柄な少女だった。


 この日本人形を思わせる少女は雪といい、これでいてチームのアタッカーを務めている。


 苗字はなく、雪というのも一種のニックネームのようなものだ。


 そういった形で探索者稼業をする者も珍しくはない。


 雪は大きめのソファーに座り、膝に熊のぬいぐるみを置いてそれを抱きかかえ、けだるげに澪を見ていた。


 対照的なのは雪の隣に座る大きな体格の青年だ。


 2メートルはあるだろうかという大柄の体を窮屈そうにソファに押し込め、黙ってテレビを見ている。


 彼の名前は万田 武(マンダ タケシ)といい、その恵まれた体格からチームの盾役を務めていた。


 無口だが穏やかで、頼りになる青年だった。


 片倉、 澪、雪、武。この4人が新進気鋭の探索者チーム『Far Away』のメンバーだ。


 4人は大学の同級生で元からそれなりに親しかったが、探索者として何度も死線を越えていくうちに関係性はさらに深まった。


 少なくとも、大きめの一軒家を借り上げ4人で同居する程度には。


「いやいや、変な使い方とかじゃなくって!」


 慌てて首を振る澪。


 ややあって「そうじゃなくてさあ」と、どこか気恥ずかしそうな面持ちで片倉を見た。


 そんな妙な様子に、雪が何かを得心したように頷く。


「ああ、真裕君とのあんなことやこんなことですね。そういえば、まだお付き合いって許してもらってないんでしたっけ。澪ちゃんも真裕君を追って探索者になっちゃうくらいだから、もう今更許さないと言ったって手遅れな気がしますけど。……あーなるほど、はいはい。交際の条件がもう1ランクアップってことですか。生半可な探索者に娘は任せられないっていう親心……わからないでもないですねー」


 雪がニヤニヤとしながらそんなことを言う。


「あのさぁ、雪! ……あのさぁ……っ!」


 間違っていないため否定もできない澪は、顔を赤らめさせたり青ざめさせたりと忙しそうに雪を睨みつけた。


 ちなみに照れているのは澪だけではない。


 片倉もまた、突如として自分の爪の手入れ具合が世界で一番の関心事というような風に指先を見つめている。


 雪がよくよく見ると、片倉の耳たぶが少し赤くなっていた。


 ・


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 真っ暗な部屋で片倉は息を荒らげながら目を覚ました。


「朝か」


 粘度の高い汗が全身にへばりついている。


 いつもの夢だった。


 何もかもが楽しく、瑞々しかったある日の情景。


 殺風景にもほどがある打ちっぱなしのコンクリート壁、それに取り囲まれた6畳ほどの部屋が片倉の私室だ。


 ここはダンジョン探索公社『六道建設』の社員寮の一室だった。


 片倉は「あの日」以来、安らかに眠れた試しはない。


 ひとしきり俯いていた片倉は、やがて大きくため息をついてのっそりとベッドから起き上がり、トレーニングルームへと足を運んだ。

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