【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】※ネオページで先行連載中

埴輪庭(はにわば)

第一話【片倉という男】


 ◆


 二階堂 沙耶ニカイドウ サヤは手持無沙汰気に手元のゴムボール大の黒いナニカを弄びながら、ふぅと一つため息をついた。


 黒いゴムボールは、先ほど採取したダンジョン由来の素材だ。


 良く伸び、熱や酸などの変性にも強く、人体にも適合する代物。


 元はと言えば、とあるモンスターの体液が冷えて固まったもので、医療用から軍事用まで様々な用途に使う事ができる。


 沙耶は再びため息をついた。


 乙女の吐息には、二酸化炭素の他にも隠しきれない疲労が色濃く滲んでいる。


 何気なく周囲を見渡せば、やはり自分と同じ様に疲れ果てているチームメンバー達の姿が目に入る。


 こんな僅かな休憩時間で一体どれ程の体力が回復出来るというのだろうか? 


 しかし、ほんの一息の呼吸が戻るか戻らないかで生還出来るかどうかが決まるという事もないではないのだ。


 ──彼を除いて、だけど


 沙耶は横目でちらとチームメンバーの片倉を見て、あれだけの探索をしたというのに少しも疲労を滲ませない様子に、少しばかりの対抗心を覚える。


 しかしそれ以上に、安心感も覚えていた。


 なぜなら、片倉は彼女の知る限りの探索者の中で一等強いからだ。


 とはいえ同じ近接戦闘ポジションの沙耶としては、片倉に対して対抗心がある。


 ──片倉さんが新しく加入した時は、暗くて暗くて鬱々としてて、ああこの人もすぐに死んじゃうんだろうなと思ったものだけれど


 片倉はチームの新参で、どうにも付き合いの悪い男ではあったが、口ではなく行動で示すタイプであった彼はすぐに仲間として受け入れられた。


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 西暦2000年代前半、ダンジョンと呼ばれる空間が地球上の至る所に発生して、爾来世界中は空前のダンジョン特需によって利益を享受してきた。


 ダンジョンから産出される素材はあらゆる技術分野におけるボトルネックを解消し、人類全体の技術力をいくつも引き上げてきた。ゆえに国はダンジョン探索に膨大な予算を割く様になり、探索者と呼ばれるダンジョン探索を専門とする職業人が多くうまれる事になる。


 片倉 真祐カタクラ マサヒロもその一人。


 ダンジョン探索公社『六道建設』の企業探索者である。


 実力はある、しかしコミュニケーション能力に若干の難アリ。


 彼とチームを組む者たちの殆どが、彼をそう評した。


 ◆


 ──俺が悪いのか


 自棄の念が色濃く滲んだその声は、これまで片倉が何度も何度も、100や200では利かぬ程に繰り返してきた自分に対する問いかけである。


 寝ても覚めても片倉はこの問いかけを自身に投げてきた。


 そして、それに対する答えも決まっている。


 ──あなたが悪いのよ


 そんな声が頭の中に響くと、片倉は脳の一部が酸でぐじゅぐじゅに溶け腐れきってしまう気になるのだ。


 例え、その声の主がそんな事を言ったりはしないと理屈ではわかっていてもである。


 自責感情が、本来ありえぬ声を脳内に作り上げてしまったのだ。


 悔恨と贖罪の念が乳酸のように全身をめぐり、心と体がずしんと重くなる。


 もはや死んで詫びるしかない、そんな思いに囚われる。

 

 ──死ぬべきか


 そんな希死の念がトリガーとなった。


 次瞬、胸の辺りがチリチリと熱くなり、片倉の体が自然と動く。


 両脚はしっかりと地を踏みしめたまま、上半身のみを大きく後方へと反らす。


 間髪入れずにそれまで胸があった場所を何かが鋭く貫いた。


 太くたくましい、黒い毛で覆われた腕だった。


 鋭い爪は薄暗闇の中でも分かるようなギラギラとした殺気を放っている。


「また黒猿だ!」


 チームメンバーの男の声が響いた。


 黒猿とは簡単に言ってしまえば黒い毛で覆われた猿の化け物で、主に森林に出没するモンスターである。


 もちろん森ならどこでも出るというわけではなく、ダンジョン領域内の森林地帯にという意味だが。


 全長は170cm程度だが、霊長類最強と言われるマウンテンゴリラを数秒でひき肉に変えてしまう程度には狂暴で、素早く膂力に優れ、そしてタフな怪物だ。


 片倉はそんな怪物の怖気を振るうような突きを、上半身を反らせる事で回避し、そのまま素早く黒猿の腕に巻き付いて──宙空で一気に体を横へと捻る様に回転させた。


 腕ひしぎ十字固めを空中で行い、そのまま回転するような荒業である。


 太いゴムが引きちぎれるようなバツンという音。


 黒猿の腕が引きちぎれ、血をまき散らしながら地に落ちる。


 痛みに苦悶する黒猿だが、腕の一本や二本失ったくらいで戦意を喪失するようならばモンスターなどと呼ばれない。


 実際黒猿が痛みで隙を晒したのは、実質一秒やそこらの事だっただろう。


 すぐに持ち直し、片倉へ反撃をする……事はできなかった。


 その時にはもう片倉が両の手に短刀を構えて黒猿へ躍りかかり、黒猿の両眼に突き立てた刃を捻って脳を掻きまわしていたからである。


 この時、片倉の中には相反する2つの思いがあった。


 生と死だ。


 黒猿から奇襲を受けた時、片倉の心はその凶手を甘んじて受けようとしていた。


 宙を割き迫りくる鋭い爪に飛び込み、命の源泉である血をこれでもかと流し切ってしまいたかった。


 しかし片倉の体はその意に反して、黒猿の強靭な生命をその一片に至るまで削り切ろうと的確に動いた。


 齢30を過ぎて片倉は戦闘者としての全盛期を迎え、その肉体に刻み込まれた戦闘経験値は、片倉が死を意識すればするほど力強く彼の生を躍動させる。


 片倉には凶方が分かる。


 どこからどう "死" が近づいてくるのかが分かる。


 しかしそれを認識した瞬間、彼の肉体は死を拒もうと適切に動く。


 希死の念と探索者としての戦闘本能が絶妙に合わさった時、残るのは己の本懐の成就ではなく敵の骸のみであった。

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