第5話 旅立ち

「どうしたの兄ちゃん?」

「……なんでもないさ。ただいま、メノウ」

「見て見て。今日も綺麗にできてるでしょ」

 メノウは自分の周りを指さす。


 草花が、彼女を取り囲むように半円を描いて敷き詰められていた。扇に広がる緑は根を張っているわけではない。摘まれて干された草たち。

 薬草だ。

 その選別がメノウの仕事だった。


「ふんへほほ~ん」


 のんきな鼻歌を奏でながらメノウは草の山から一本ずつ茎を摘まみ上げ、手触りを確かめ、微かな香りを頼りにけていく。

 雑草か薬草か。どの種類か。状態は良いか悪いか。

 メノウは手にしていた草を左手前に置かれた草束に重ねる。


「るんら~らほいっ」


 見えていないのに選別は正確だった。

 置き方も丁寧で、薬草たちは隣の束と交わらないよう等間隔に置かれている。メノウは記憶力もいい。どこになにを置いたか間違えることはなかった。

 いつもながら妹の仕事姿には惚れ惚れさせられる。


「すごいな、メノウは」


 今ではすっかり彼女の仕事になっているが、元はと言えば兄なりに妹の病が治せないかとあれこれと草花を採ってきたのが始まりだ。結果として、そこいらに生える薬草には妹の病への効き目がないと判り落胆しかけたが、思わぬ収穫があった。


 メノウの意外な特技が判明したのだ。彼女は草の一本一本を正確に嗅ぎ分けてみせた。それをみて仕事にできるのではと思い至った。それからは村の人たちにもメノウの薬草は好評だ。


「ん? 兄ちゃん、なんか言った?」


 見上げてくる妹は無邪気に笑っている。

 今日、村で何があったのかも、死の予知のことも、まだ何も知らない。

 そんな妹の笑顔に言えることがあるとするなら。


「……メノウ、話がある」

「んー? 晩ごはんのこと? 朝は麦のお粥でお腹いっぱいになったからぁ、わたしはお野菜とか食べたいなー。くたくたに煮込んで汁物にして──」

「村の外に仕事に行くかもしれん」


 メノウの動きが止まる。


「もしかして、出稼ぎ?」

「村に騎士様たちが来てな。山越えの手伝いを探してるというんだ」


 なんと言われるか不安になる。これまで村で働いたことはあれど、村の外にまで行ったことはない。なにせ毎朝狩りに出かけるだけでも心配させている。

 しかし。


「へえ! 兄ちゃんすごいすごい!」


 メノウは立ち上がって抱きついてきた。

 予想もしていなかった明るい反応に面食らう。


「え、すごい、のか?」

「すごいよ! 騎士様を導くんでしょ? 一生に一度あるかないかってくらい凄いじゃない!」

「そ……そういわれれば、そうかも?」

「ふふ。なんで兄ちゃんが腑に落ちてないの」

「……いいのか? 家を空ける仕事だぞ」

「平気だよ。それで、いつ出発なの」

「明日だ。朝、すぐに」

「いつ帰ってくるの」


 帰れない。

 とは、言えない。


「山を越えるには早くても一日。安全に進むなら二日はかかる。往復では倍以上だ」


 もし帰ってこられるなら、の数字だ。

 とも、言えない。

 嘘はない。だが騙すつもりはあった。メノウを悲しませたくなくて。


「ん。わかった」

「わかったって……メノウ、お前」

「なんで兄ちゃんが驚くの? だって兄ちゃんはその仕事を受けたいんでしょ」

「それはそうだが」

「きっと、わたしのためなんだよね」

「……」

「分かってる。わたしが止めても、兄ちゃんはわたしのためになんでもしてくれるって」


 でもさ、とメノウは言う。


「一つだけ教えて」


 メノウは胸板につむじをぐりぐりと押し付けてくる。

 顔は見えない。

 顔は、見せてこない。

 見せてくれなくて。



 声は消えそうで。

 細い肩は震えていて。

 ハッとする。

 妹はうっすら気付いていたのだ。兄がもう戻らないことも、死の覚悟を終えていることも。はじめから気付いたうえで空元気を振りまいていた。


 メノウが行かないでと引き留めてこないのは死を願っているからではない。それは分かる。唯一の肉親として相手を想う気持ちは妹も同じ。死んでほしくないのだ。


 だがそれは互いに同じ。ならば行かざるを得ない。妹に生きてほしいから。

 ──という兄の想いを汲み取ったうえで、メノウはその想いを受け入れようとしてくれている。たとえ兄を喪うとしても兄の望みを叶えようとしている。


 聡い妹だ。

 はじめから全部分かったうえで、気持ちを押し殺してでも兄を見送ろうというのだ。

 メノウが今どんな顔をしているかなど、見えなくとも想像に難くなく──


「帰ってくる!」

 不安にさせまいと力強く抱きしめる。


「俺は帰ってくるぞ、メノウ」

「うそじゃない?」

「じゃない」

「だよね。兄妹の間で嘘はナシ、だもんね」

「わかってる。わかってるさ」


 頭を撫でてやると、いつの間にかメノウの震えは収まっていた。


「兄ちゃんにね、渡したいものがあるの」


 ズズッと洟をすすりながら、床に並べた薬草の中からひと房の紐を拾い上げる。


「今日誕生日でしょ、兄ちゃん。だから、これ」


 紐に見えたのは、まだ環になっていない薬草の腕輪だった。


「七つの草をわせたの」


 メノウが手首を出してというので、大人しく差し出す。細っこい指がくるりと草の腕輪を巻き付けていく。


「おまじないの考えでは薬草には一つ一つ意味があるの。わたしが撚って編んだのは、健康、幸運、永遠、前進、希望、成功、それから……繋がり」

「繋がり……」

「はいできたっ」


 メノウは薬草の腕輪を結び終えると満足そうにフンっと鼻を鳴らす。


「失くしたりしないでよ?」

「……ああ。もちろんだ」


 薬草の腕輪にそっと触れる。


「繋がり、か」


 死の予知を告げられてから死ぬ覚悟はできていた。それで妹が生きていけるなら、たとえ一人ぼっちにさせることになっても仕方ないと。

 けれど、そんな覚悟は棄ててやる。

 拳をグッと握りしめる。

 生きて帰るという新たな覚悟を確かめるように。


 それから二人で、朝と同じように、一つの椀を分けて食べた。




 どれだけ離れがたくとも時は等しく回りゆく。朝は無慈悲にやってくる。

 家の戸を開けると遠くの空が明るくなりはじめていた。草花を濡らす朝露あさつゆは、陽の光で輝くのを待つばかり。

 見送りのメノウはあくびを噛み殺して。


「行くんだね、兄ちゃん」

「ああ、行ってくる」


 背嚢はいのう腰袋こしぶくろに荷物をまとめ、弓矢や短刀たんとうを身に着けている。父の遺した地図も忘れずに。


「気を付けてね」


 メノウがパタパタと手を振る。

 泣きはらしたまぶたをそっと撫でると、恥ずかしさからか、甘く噛みつかれる。


「いいか、メノウ。干し肉はちゃんと食べること。俺に遠慮するな」

「うん」

「麦と干果ほしくだものは食べにくかったら羊の乳を入れるんだ」

「うん」

「馬と羊たちに水を飲ませるのも頼めるか? ああ、井戸には落ちないように。慣れたと思ったころが一番怖い。それから──」

「ま、まだ続くの?」

「あとちょっとだ。いいか、夜更かしはしないこと。春めいてきたとはいえまだ寒い日が多い。雨が降る日もあるしな。そうだ、雨が降ったら土砂崩れには気を付けるんだ。遠くで大きな獣が唸るような、震えるような音がしたら、真っ先に地下の貯蔵庫に──」

「あーもー、兄ちゃんハナシが長いっ! 行くんでしょ! わたしは一人でも大丈夫だから! 薬草の仕分けだってできるんだからねっ」


 メノウが胸を張る。


「そうだな、うん。お前は自慢の妹だよ」

「ふんっ! まぁ、兄ちゃんも自慢の兄ちゃんだよ」

「ああ」

「また二人で一緒にお粥食べようね」

「ああ」

「羊のお乳をいっぱい入れてね」

「もちろんだ」

「……じゃあ、行ってらっしゃい」

「またな」


 背を向けて歩きだす。

 メノウの足元は濡れていた。

 朝露あさつゆだったのか、涙だったのか。今となっては確かめようもない。

 覚悟が鈍らぬうちに、村へと急いだ。

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