第3話 極秘任務と〈魔眼〉の少女

「私たちは〈勇者の剣〉を求めてここまで来た」


 男の言い方は、天からの宣託せんたくをそのまま告げたかのようだった。

 村で唯一の広場。見慣れない格好をした余所者よそものたちの集団がおり、取り囲むようにして村人たちが人だかりをつくっている。

 男はその中心で毅然きぜんと立っていた。


 メノウのためにも畑仕事に取り掛かりたかったが、世話になっている畑の旦那に呼び止められ、見ていくことになった。

 中心の男は言う。


「この山に詳しい者はいるか? 道案内を頼みたい。無論むろん、それなりの報酬は約束しよう」


 村人たちは男の言葉にざわついている。村長はまだか、という声も上がってはいたが、誰も呼びに行く気配はない。皆が男に興味津々だった。

 なにせ変わった風貌ふうぼうだ。


 放浪ほうろうの騎士、といえばよいだろうか。

 甲冑を着こんで腰に剣をいてはいる。しかし、それらを覆い隠すように、頭衣とういのついたぼろい外套がいとうを羽織っている。目元は頭衣とういに覆われており、うかがい知れない。

 内には立派さを秘めているようにもみえるが、外側はやけにみすぼらしい。

 不思議な男だ。


 彼の背後に控える面々も似たような風貌ふうぼうで、揃いの外套がいとうを羽織っている変わった集団だった。馬を引き連れているところをみるに、長旅の果てに辿りついたとみえる。

 村人の一人が質問を投げかける。


「〈勇者の剣〉って、そらぁ、御伽噺おとぎばなしでねぇの」

「いいや、実在する。信じてくれ」


 端的に言ってのける男の態度に村人たちは顔をしかめる。


「信じるったって、あんたぁ、顔もハッキリ見せんで、それは無いんでねぇか。信じるもんも信じられんよう」


 そうだそうだと広場には声が広がる。

 男はぐるりと村人たちを見回し。


「……なるほど一理ある」


 頭衣に手をかけグイっとめくる。

 村人たちから感嘆のため息があがった。

 なんせ、頭衣の下から現れたのは壮年そうねんの色男だ。


 短く刈りそろえられた金髪は朝の光を吸って輝く。精悍せいかん碧眼へきがんは見ている村人たちをとりこにする魔性ましょうを放っていた。

 歳は四十手前といったところ。だというのに老いは感じさせない。

 美壮年びそうねん。そんな言葉が似合う男だ。


 だが見目麗しいだけではない。手指についた無数の傷が、彼が武人であると物語っている。


「私はミストラ。国王直下の〈あかつき騎士団きしだん〉団長を務めている」


 甲冑の首元から細い鎖を手繰り寄せると首飾りが姿を現す。

 中央の台座に大きなあかい宝石が煌々こうこうと輝く。立派な首飾りだった。


「これが、その証だ」

 ミストラが宝石に息を吹きかけると、にわかかに、魔力の光を放ちはじめる。彼の胸の前には手のひらほどの大きさの紋章が現れた。


 どよめきの声が上がる。魔法を見たことのない者がほとんどだったからだろう。なにより、その紋章は彼らでさえ見覚えのあるもので。

 地平線からのぞく夜明けの太陽をかたどったそれは。


「暁の騎士団、本物だ……」


 村の老爺ろうやが呟く。

 その名は辺境の住人たちであっても聞いたことがあった。


「建国以来続く、あの?」「勇者アステラ様も所属していたっけか」「歴代の団長は王族だと聞くぞ……」「それじゃあ、この人も……」


 村人たちの視線がジッと一点で重なる。

 ミストラはおくすることなく頷く。


「いかにも。私は王家の血を引く者であり、勇者アステラは私の甥だ」


 わっと広場に歓声が上がる。


「すんげぇ御方おかたじゃあ」「なんだぁ、早く言ってくださいな」「そうですよ。わりぃですけど、見ただけじゃあ分かりゃあせんでした」

「すまない。極秘任務ゆえ、身をやつす必要があったのだ」

「やつす……?」

「む、そうだな……身分を悟られぬように変装する、という意味だと思ってくれ」


 村人たちが合点がてんがいったというように膝を打つ。


「どうりで、みすぼらし……いやいや、ええと、旅人のような外套をお召しになられていたので」

「そうだ。王家の象徴たる金色の髪を隠し、騎士の象徴たる甲冑には泥を塗って輝きを鈍らせ、我が騎士団の威光を示すための旗は置いてきた」


 ミストラはすすけた色の外套を握り締める。


「屈辱で身が灼ける思いだが、それでも果たさねばならぬ任務だ」

「それが……」

「ああ。勇者アステラの元へ〈勇者の剣〉を届ける。それが任務の内容だ」


 おおっと村人たちが活気づく。

 その反応を見て、ミストラはあごに手を当てて考え込む。


「だが……そうだな。こちらの腹も見せずに手を貸してくれというのは、いささか虫のいい話だった。詫びとして──」


 ミストラは真っ直ぐなまなざしで村人たちを見つめて。


「腹筋をしよう」


 凛とした顔で言い放つ。

 村人たちの目が点になった。

 腹筋。すなわち仰向けに寝転がった状態から上体を起こす、筋力の鍛錬だ。


 どういうわけか尋ねようと思う間もなく、美壮年は甲冑を外し、肌着を脱ぎ捨て、上半身をはだけさせた。鋼のように鍛え上げられた腹の筋肉が露出する。


 目を奪われた村人は一人二人ではない。彫刻のように整った顔立ちと身体。

 性別を超越した美がそこにはあった。平然とした顔で大地に寝転がり、平然とした顔で上体起こしを始めて。

 話を続けた。


「私たち特殊部隊がこの地を訪れたのは、とある極秘任務のためだが──」


 驚いたのは村人たちだ。


「き、騎士様? なにをしてらっしゃるので?」


 彼らから見ると、美壮年の麗しい顔がむくりと現れては奥へぱたりと隠れていく。

 その繰り返し。むくり、ぱたん、むくり、ぱたん。れするような美壮年の顔が現れては消え、現れては消え。歯車はぐるま仕掛じかけのオモチャのようであった。


 ミストラは首を傾げながら器用に腹筋を続ける。

「見ての通りだ。上体起こしをしている」

「そのぅ、騎士様がそんなことをする必要はねえですよ」

「必要がない? いいや、必要ならある」


 上体起こしを続けながら確固たる口調で言い切るミストラ。彼の背後にいる面々は「またか」と言った様子で諦めと呆れの様相ようそうをしている。

 村人たちはわけが分からず尋ねる。


「そんな、いったい何が……」

「私はあなた方に不義理ふぎりを働いた。素性すじょうを明かさず協力をあおぐという不義理を」

「不義理だなんて、大げさな」

「大げさではない。いかなる大義があろうと守るべき民草たみくさを軽んじることほど恥ずべき行為はない。騎士にとってそれは罪だ」


 ミストラは天を高く見つめる。


「──ゆえに私には罰が必要なのだ」


 村人たちはすっかり呆気に取られてしまう。

「気高い……のか?」「なんというか、変わった御方だ」「しかし、ううむ、只者ただものでねえのは確かだな」「んだ、こんな自分に厳しい騎士様は見たことがねえ」


 つまるところ騎士団長は、おろかなほどに高潔だった。

 広場じゅうが彼のおかしくも純粋な行動に畏敬いけいと感心を寄せるなか。


「あの!」

 遮るように手を挙げた。


 人だかりが左右に割れて村人たちの視線が集まる。

 怖気づきそうになる足を奮い立たせるように一歩前に出る。メノウの兄として一刻も早く確かめたいことがあった。


「俺、案内できます。山で暮らしてますし、地図も、親の遺したものですけど、あります」


 ミストラの上体起こしが初めて止まる。


「ほう。地図が」


 興味深げに呟いて立ち上がった。


「はい! だから、えっと、俺が道案内をします! そうすれば報酬が貰えるんですよね。三日……いえ、二日あれば山の向こうまで案内してみせます!」


 王族の言う「それなりの報酬」だ。

 それがあれば薬が買える。メノウの呪いを和らげる魔法薬が。

 ならば、やらない理由がない。


 父親の遺してくれた地図が一助になり得るというのもなにか運命めいたものを感じる。

 この機会は逃してはいけないと本能が告げていた。

 しかし。


「やめたほうがいい」


 否定の言葉が冷や水のように浴びせられる。

 騎士団長ミストラから──

 彼の後方から、ゆらりと幽鬼ゆうきのように影が揺らめいて、一人の少女が姿を現す。


 ミストラと同じ外套がいとうを羽織る少女は、頭衣とういを脱ぐ。

 ところが素顔は判らなかった。少女の目を覆うように真っ黒な布が巻き付けられている。目隠しだ。


「──あなたには死相しそうが視える」


 見えないはずの彼女は言う。


「任務についてくれば、死ぬでしょうね」

「し、死相しそう? 死ぬ?」


 蒼白の肌の少女に告げられた不吉な言葉を繰り返す。


「ええ。むくろほのおの運命が視えたから焼死かも」

「なっ──」


 いきなり何を言うのかと口を開いたところで。

 シャン、と鈴の音が鳴った。

 続けて二度三度と鈴が鳴ると、人々の視線はまとめてそちらに束ねられる。


 白いひげを蓄えた老人が立っていた。手にした杖には小さな鈴が木の実のようにいくつも付けられており、一歩歩くたびに軽やかな音を立てる。


「……村長」「ああ、呼びに行くの忘れてたっけ」「そういえばそうだ」


 村の長はため息をつく。


「誰か説明をしてくれんかの。これは、なにごとじゃ?」


 事のあらましを聞いた村長によってその場はお開きとなり。


「おまえさんはついておいで」




 村長の屋敷に招かれる運びになった。当然、騎士団長率いる特殊部隊の面々も。全員まとめて大部屋に通される。特殊部隊の隊員は全部で八人。そのうち、団長のミストラのみが席につくと、残りの七人は壁に張り付くように並び立つ。揃いの外套を羽織った人間が一列になっているのに、体格のばらつきが激しいためか統一感はない。


 村長が長机を挟んでミストラと向かい合う形で腰を下ろす。それから隣の椅子をポンと叩くので、頷いて席についた。

 村長が本題に切り込む。


此度こたびの遠征は〈勇者の剣〉を手に入れるためだと仰いましたな、ミストラ殿」

「ああ。北部大平原の戦況がかんばしくない。勇者アステラに〈勇者の剣〉を届けねば」

「緊急の任務、ですかな」

「そうだな。最後に連絡が届いたときアステラの剣はまだ全ては折れていなかったが、今もそうであるかは……」

「不明なのですか」

「アステラの魔法は強力だが、その強力さゆえ、耐えうる武器が数えるほどしかない欠陥でもあるのだ。もしすでに剣が折れていた場合、最悪、人類の敗北も──」

「む……」


 村長があごひげを撫でながら渋い顔をする。


「そうならないためにも、〈勇者の剣〉が封印されたほこらへ向かっているのだ。この山を越えた先にある。もう目と鼻の先……と言いたいのだがな。その山こそが最大の障壁しょうへきだ」

迂回うかいされては?」


 ミストラは首を横に振る。


「遠回りになりすぎる。村長、あなたがよくご存じのはずだ」

「ですな。急ぎであればなおさら」

「となると山を抜けていくしかないのだが」

「地図が無い、と。なぜです? ほこらの場所は分かっているのに」


 ミストラはため息をつく。


「邪族に対抗し得る強大な武器だ。かつての王族は政略せいりゃくの道具にされることを嫌い、所在しょざいを暗号にして隠したのだよ」


 解読して在り処を突き止めてくれた文官ぶんかんたちには頭が上がらない、とミストラは言う。


「大きな力ほど扱いに困るもの。お察しします」

「そういうわけで現地の民に案内を頼みたく思ってな」

「なるほど。それでこやつが──」


 村長と目が合う。

 それから二人してミストラを見る。

 ミストラは真っ直ぐと見つめ返して言う。


「君は山暮らしなんだろう? 地図もあるとか」

「え、ええ」


 ミストラが村長に目配せをする。本当に頼りになるのかと問いかけるような視線。

 村長が頷いた。


「報酬はこれだけある」


 そう言ってミストラは小さな革袋を取り出す。手のひらほどの大きさで、「これだけある」という割には控えめだなと肩透かたすかしを食らう。

 しかし机に置くときのゴトリという硬い音でハッとする。

 置かれた袋から金色の輝きが漏れ出している。

 金貨だ。


 生まれ育った村で一生を終える人々にとっては、使うことも、さらに言えば見ることすら無い銭貨。価値が高すぎて市井しせいの民が使う場面が存在しないのだ。

 それが何枚もある。


「十五枚ある。この特殊部隊に与えられた国家予算の、残り全てを報酬としよう」

「じゅっ……!」

「しばらくは食うに困らんだろう」

「し、しばらくどころかっ……!」


 メノウへ魔法薬を買って、新しい服やらくしを買って、羊を何頭も買っても、お釣りがくるだろうことは容易に想像がつく。


「私は、君さえよければ山を案内して欲しいんだが──」


 ミストラは背後に立つ一人を見やる。

 目隠しをした蒼白の肌の少女だ。


「──あいにく彼女の魔法予知は本物なんだ。今回ばかりは残念なことにね」


 ごくりと唾を飲み込む。

 つまり死の運命は真実だと言うのだ。


「紹介しよう。おいで、ライラ」


 ライラと呼ばれた少女は壁から一歩前に出た。

 改めて見れば普通の少女に思える。広場での印象はどこか得体が知れなかったが、背格好も歳もメノウと同じくらい。どこの村にでも居そうだ。

 ただ一点、蒼白そうはくの肌に真っ黒な目隠しが不気味なほどえていることを除けば。


「……どうも」


 ライラは無愛想な会釈えしゃくをしながら、目隠しに指を掛ける。


「きっと、口で言うより見せた方が早いでしょう」


 と、分厚くて黒いその布をゆっくりとずらしていく。どのような素顔を隠していたのかと注目が集まり。

 現れたのは異質な眼。

 彼女の両目は、白目が黒く染まり、虹彩こうさいが白く染まっていた。


「っ!」


 普通の人間とは違って白と黒が反転したような目に思わずぎょっとして息を呑む。村長と顔を見合わせると、彼は信じられないというふうに首を振った。

 ライラは気にした風もなく淡々と告げる。


「〈予知よち魔眼まがん〉──人はそう呼ぶわ」

「魔眼……?」

「そう。私にはあなたの顔は見えない。あなたの髪がどんなクセをしていて、あなたの瞳がどんな色かは見えない」


 ライラは皮肉っぽく笑う。


「代わりに魔力の流れが視えるの。時には、魔力が辿たどる未来さえも」


 初めて聞かされる情報に混乱しかける。


「ま、まりょくのながれ? 俺は魔法なんて使えないし、魔力が流れてるなんて感じたことも無いぞ」

「それじゃあ、あなたは血が体じゅうを巡っているのを自分で感じられたことがあるの?」

「いや、それは……」

「それと同じよ」


 納得できるようなできないような説明を受けて、ひとまずは異論いろんを呑み込んだ。

 静観せいかんしていた村長が感心したように唸る。


「真実であれば凄まじい力じゃ。人の運命すら見通せてしまうとは」


 畏敬いけいの念がこもった言葉にライラは自嘲気味じちょうぎみに笑った。


「〈予知の魔眼〉は思い通りに未来を視ることはできません。ある日ある時、気まぐれのように他人の未来を私に見せつけてくるのです」


 ライラと目が合う。同じものが見えているわけではないが、互いが互いを見ていることは、不思議と分かる。


「じゃあ俺の死相が視えたってのも、偶然なのか」

「ええ。今も視えているわ」

「えっ」


 それは、どんな風に。

 言外で問いかけたのが通じたのか、ライラはすらすらと語ってみせる。


髑髏どくろが炎のように揺らめきながら燃えている。骨は死を、炎は命を暗示している。それから、つま先が黒煙こくえんをあげて灰になりかけている。進む先に死が待ち受けているのは確実よ。戦場へ向かう兵士にはよくある未来ね」

「……逃れることはできないのか」

「死の運命が濃いのは進もうとする先よ。任務についてこなければ、あるいは」

「……っ!」

「嫌な気分になるでしょう。……まわしい呪いだわ」


 ライラが嘆息たんそくすると部屋に沈黙が降りる。


「ミストラ隊長、もう目隠しをしてよろしいですか。このままだと疲れるもので」

「すまなかったね。説明ありがとう、ライラ」


 美壮年は手を挙げて彼女を下げさせる。


「──というわけだ。どうやら君には死神がいているらしい。そいつは君が前に進めば鎌を振るって首を刈ろうとするそうだ」


 唇を噛む。拳を握りこんでしまう。

 ミストラはきわめて冷静に言葉を紡ぐ。


「予知のことも踏まえて報酬は前払いにしようか。村長殿、財産の管理は任せられるか?」

「引き受けましょうぞ」

「これで君が死んでも、君の家族は金銭を受け取れるわけだが──」


 どうする?

 ミストラからの無言の問いかけに、即答できなかった。


「お、俺は……」


 心臓がうるさく鳴る。


「俺は…………」


 シャン、と鈴の音が鳴った。

 ハッとして顔を上げる。村長が杖を鳴らした音だった。


「ミストラ殿、出立はいつになりますかな」

明朝みょうちょうには。昨夜から今朝にかけて馬を走らせすぎました。休ませねば、彼らは死んでしまう。そうなれば帰りに困る」

「承知いたした。では、決断は明日の朝でも遅くない──ですな?」

「ええ」


 村長とミストラが同時に視線を向けてくる。決断は自らの手に委ねられているというのに、刑の執行を待つ囚人の気分になってしまう。

 結論は持ち越され、話し合いの場は締めくくられた。



 メノウのためを思うならどちらを選べばよいのだろうか。

 行くべきか、行かざるべきか。

 道は分かたれていて──

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