第1話 英雄の条件
鐘の音がした。今日も戦いが始まる。
ぐゎんぐゎんと天から地までを揺るがす
その眼下。
死肉の転がる
金髪の男が、隣の若い兵へ問いかける。
「英雄とはなんだ?」
灰色の雲の下。宿敵たちの姿があった。地平線を揺るがす黒い
男は重ねて問いかける。
「あいつらを倒せば、英雄か?」
尋ねられた若い兵は腰から
だが、遠目に見ても分かる巨大さ。成人男性の倍以上はある。
手にした棍棒を見てもその事実は明らかだった。人が振るえるのは木の枝くらいのものだが、邪族が棒として振るうのは木の幹だ。生えている木を引っこ抜き、軽々と振り回して、
邪悪な死の化身だ。
若い兵の頬を冷や汗が伝う。
「あ、あれを、倒す……?」
「あれで
人語を……魔法も……?
兵士は背筋が凍りつくのを感じる。
「恐ろしいか?」
「……はい」拳を握りしめて若い兵は呟く。
「正直でよろしい。だからこそ連れてきたんだ。その
剣を抜き放った男は「さて」と隣に立つ
「どうすれば人は英雄になれると思う?」
尋ねられた兵士は甲冑の隙間から答えを絞り出す。
「……なれません」
「なぜだい?」
「英雄は英雄として生まれてくるからです。わずか四歳で邪族を
アステラと呼ばれた金髪の男は、年の頃は二十五、六といったところだが、
「そうか。俺は生まれながらにして英雄か」
「ええ。あなたが居なくてはこの
「じゃあ俺が、勝たなければな」
「ぜひそうしてください。おれはそれを強く望んでます」
兵士は興奮気味に続ける。
「おれだけじゃない。故郷で待つ父母も、死んじまった祖父母も、
兵士は言葉を区切る。剣の
「アステラ様、あなたが勝利をもたらすことを、強く望んでいるのです」
邪族を前に怯え、神経が
無理もないかとアステラは目を細める。
「君は東部の農村出身だったな、マウロ」
「……ええ」
マウロと呼ばれた若い兵士は頷く。
「君はここ北部大平原が、王都では〈
「いえ、恥ずかしながら」
アステラは剣を四回、振りながら言う。
「たった四人だそうだ」
「はい?」
唐突に告げられた数字を、マウロは訊き返す。
「比率の話だがね。ほんの十数年前までは、邪族の襲撃を受けて生き残れる兵士は、百人のうちたった四人だったそうだ」
「っ……!」
マウロは絶句した。
死亡率、九割六分。希望を失うには
「この地は古くから邪族との争いが絶えない土地だった。大勢死んだ。そりゃそうだ。平地では、とてもじゃないが人間に勝ち目はない」
「……そうでしょうね」
マウロは怯えた顔で呟いてから、ハッとしてアステラを見上げる。
「す、すみません、これから
「謝ることはない。昔の兵士も同じ気持ちだった。この地へ派遣されることは屍として骨を埋める場所が決まるのと同じだった。彼らも逃げ出して故郷に帰りたかっただろうさ」
だが、とアステラは背後を指さす。
「彼らは逃げなかった。その積み重ねが、もうすぐ完成する」
長らく建設工事の続いていた石造りの城壁は、八割がた、築き上がっている。
「かつては木で柵を築き、粗末な
それが〈屍の国境〉という名の由来だ。
「君は、英雄は英雄として生まれてくると言ったな。俺は違うと考える」
アステラは剣を握りこむ。顔の前に刃を掲げて、握りこんだ手に魔力を込めていく。
「英雄とは希望を紡ぐすべての者だ。希望という
ぶわり、と周囲の景色が揺らぐ。
熱された空気が光を屈折させるように、彼の放出した魔力は世界の光景を歪ませる。刃からパキパキと音が鳴る。刀身が悲鳴をあげている。アステラに注ぎ込まれた魔力の圧に耐えかねているのだ。
「ひ……」
隣で見ていたマウロが裏返った悲鳴をあげて後ずさる。邪族を見たときと同じように背筋が凍り、冷や汗が流れる。いや、先ほど以上に甲冑の中は湿っている。
あろうことか、味方であるアステラの気迫に怖気づいていた。
「すまんな」
アステラは気遣うように前に一歩、距離を取る。
刃には己の顔が映っている。そして刃のもう片面には、黒い濁流。
剣の切っ先を真上に向ける。
「俺もまた、人類の繋いできた灯火のひとつにすぎない。そして」
刀身が光を帯びはじめ、揺らいでいた魔力が真っ直ぐに伸びていく。雲の切れ間から
だが実際にはひとりの人間が天高くへと光を放ち、巨大な剣を形作っていて。
「俺は灯火を絶やすわけにはいかない」
アステラは光の刃を横薙ぎにする。
直後、世界を天と地に分かつように一筋の
それはアステラの剣が空間を断ち切った痕跡だった。魔力の刃によって光の速度を超えて繰り出された斬撃は、あまりの速さゆえに全ての光すら逃さず切り裂き、黒い一撃となった。世界に引かれた墨の正体は絶対的な切断の結果。
世の
ゆえに魔法。
アステラの得意とする〈斬撃〉の魔法だった。
ついでのように邪族どもの体はひとつ残らず上下に両断されていて、その血肉が渇いた平原に沼を作っていた。押し寄せていた黒い波はすっかり
マウロは目の前で起きた
「……!」
アステラは
「ん、こりゃイカンな」
刀身に映るアステラの顔にヒビが入る。絶対的な斬撃を繰り出した剣には亀裂が入っており。
「無茶させすぎたか」
次の瞬間には砕け散った。
勇者アステラの
焦ったのはマウロだ。
「ど、どうするんですか!? 剣が折れてしまっては、先ほどのような魔法も……」
「撃てない」
「そんな……代わりの剣はないのですか?」
「あと五本はあるよ」
マウロはホッと胸を
「それなら安心ですね」
「まあ、前回折れたのは昨日だがね」
アステラはけろりと言い放つ。
「……ええと、では、一日に一本、剣が折れているので?」
「そうだな」
「大変じゃないですか! あと五本と言いましたよね! ということはあと五日しか持たないということですか!?」
「そうなるな」
アステラは言いつつ平原をあとにして砦へと
「お、俺の剣を使ってください。親父から譲り受けたものですが、人類を救えるのなら」
「気持ちはありがたいが」
アステラは兵士の肩を叩いて感謝を伝える。
「魔力を練り込みながら鍛えられた特別な剣でないと、振るう前に魔法が暴発してしまう」
運が悪ければ城砦が真っ二つだなとアステラは言う。
「そんな……」
「慌てなくていい。すでに手は打ってある」
「っ! ほんとですか」
「いにしえの勇者が
「では……!」
「ああ。今に届くぞ、伝説の剣が」
アステラの言葉にマウロの顔が明るくなった。
平原にびゅうびゅうと風が吹く。西へ西へと雲が運ばれていく。
「俺たちは待とう。灯火が繋がれてくるのを。新たな英雄の訪れを」
* * *
「……──ということで、勇者アステラは新しい英雄が〈勇者の剣〉を運んで来るのを待ち望んでいたのよ」
「ふーん、自分で取りにいけばいいのに」
「あらあら。そしたら北の平原は誰が守るの?」
「うー、そこは、気合で! はぁっ!」
「あら頼もしい」
母親はくすくすと笑う。
「でも、そうはいかないから、〈勇者の剣〉は届けてもらうことにしたの。ここで登場するのが──誰だったか覚えてる?」
「んと、えっと、『名も無き英雄』! さん!」
よくおぼえてました、と娘の頭を撫でると、娘は嬉しそうに笑う。
「じゃあじゃあ、このあとに出てくるの?」
「ええ。これは、まだ『名も無き英雄』がただの村人だったころの話なんだけれど──……」
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