06.相手

「待ってくれ! フィオーナ!」


 駆け出そうとする私の手首を、エリオス様が掴んだ。

 振り返ると、いつにない真剣な顔をしていてドキンと胸が鳴る。


「リーリアは、僕の婚約者じゃないよ」

「……え?」


 婚約者じゃ……ない?

 私が女性に目を向けると、彼女は困ったように笑っていた。


「やだ、勘違いさせちゃった? 私はエリオスの従姉弟で、これでも既婚者なのよー」


 従姉弟。そう言えば、王家の相関図を勉強した時に、確かにリーリア様という方がいた。

 私が王宮に来た時にはすでに結婚していて、南方の辺境伯の元へと嫁いだって。


「久々に王宮にあがるから、かわいい弟の顔を見てあげようかと思って」

「でも、そんな首飾りのプレゼントを……エリオス様は、リーリア様のことが好きなんじゃ」

「ないわー! この首飾りだって、今日がちょうど私の誕生日だったからくれただけよ! ほら、エリオスってそういうとこ、律儀でしょ?」


 確かに、エリオス様は律儀だった。

 友人の誕生日や家族の誕生日には、いつもきっちりと贈り物をしている。

 もちろん、私の誕生日にも欠かさずに。だけど──。


「リーリア様へのプレゼントは首飾りなのに、私には……っ」


 ううん。ぬいぐるみも嬉しかった。

 だから、こんなこと言うべきじゃないってわかってる。でもたまらなくなって、私は吐露してしまっていた。


「エリオスになにをもらったの?」

「……ぬいぐるみ、です……五年間、ずっと……」

「十五歳の誕生日の時も?」

「クマのぬいぐるみだったわ……」


 ぐっと下唇を噛んで伝えると、リーリア様は眉を吊り上げてエリオス様を睨みつけた。


「エリオス!! 今の話、本当なの!?」

「あ、ああ」

「年頃の女の子にぬいぐるみって、どういう感覚してるのよ! いつまでも子ども扱いされたら、不安になるのも当然でしょう!」

「ご、ごめん、フィオーナ!」

「違うの、エリオス様! ぬいぐるみも嬉しかった……嘘じゃないわ」


 慌てて謝るエリオス様に、私も慌てて言い訳する。

 ぬいぐるみの他にも欲しかっただなんて、強欲でしかないもの。

 私のわがままで、エリオス様が謝る必要なんてどこにもない。


「僕がぬいぐるみをプレゼントするたび、ぎゅうっと抱きしめるフィオの姿がかわいくて。今年はどうしようか悩んだんだけど、あの大きなクマのぬいぐるみを見つけると、プレゼントせずにはいられなくなってしまったんだ」


 照れくさそうに言うエリオス様が、なんだかかわいい。

 私に似合うと思って、ぬいぐるみを抱きしめる私の姿を見たくて選んでくれたなら、それはすごく嬉しいことなのに。

 どうして私は、こんな小さなことで悲しい気持ちになったりしたんだろう。


「今度は、ちゃんと大人の女性に相応しい贈り物をするよ」


 エリオス様はまた、私のわがままを聞いてくれるつもりなのね。

 だけど、エリオス様に婚約者がいると知った今では、単純に喜べるはずもない。


「そんなことをしたら、婚約者さんに勘違いさせてしまうわ。だから、私にプレゼントは、もういりません」


 欲しいって言ったら、どんなプレゼントでもしてくれるから。

 だからこそ。エリオス様は優しくて断れない人だからこそ、私の方から必要ないと断らなきゃいけない。


「エリオス、まだ婚約者が誰かを秘密にしているの?」


 リーリア様が疑問の声を上げている。どうやら彼女はエリオス様の婚約者を知っているらしい。

 五年間ずっと一緒にいた私より、離れているリーリア様の方がエリオス様をよく知っているなんて……。

 頷くエリオス様に、リーリア様は息を吐きながらあきれた声を出した。


「色々思うところはあるんでしょうけど、頃合いでしょ! ちゃんと婚約者が誰かを伝えてあげなさい。じゃあね、私はおじ様に挨拶してくるわ!」


 リーリア様はそう言って、手をひらひら振りながら去っていった。

 エリオス様の婚約者……誰だろう。

 第二王子なら、政治利用されてもおかしくない。隣国のお姫様のところへ婿入りとか。

 隣国とは複雑な対外関係にあるから、まだ公には発表できないのかもしれない。


「エリオス様、無理に婚約者が誰かを言わなくても大丈夫。言えないこともあるって、理解しているもの」

「いや、言おうと思えばいつでも言えたんだ。だけど、君のために黙っておくのが最善だと判断していたから」

「……私のため?」


 どういうことだろうと首を捻る。

 いつかエリオス様は隣国に行かなくてはいけないと知った私が、絶望すると思ったのかしら。

 確かに幼い頃なら絶望して大泣きして、行かないでとまたわがままを言ってしまったかもしれない。そしてそのわがままを叶えようとするエリオス様だからこそ、私に伝えるのに慎重になっていたに違いないわ。


「大丈夫よ。私はもうわがままばかり言う子どもじゃない。誰がエリオス様の婚約者なのか……教えてください」


 凛と背筋を伸ばしてエリオス様に訴える。

 きっと、相手の女性の名前を聞いたら諦められる。

 祝福の言葉を述べて、私は公爵家に帰る……それだけ。


「わかった。じゃあ、教えるよ」


 エリオス様の、覚悟を決めた琥珀色の瞳。

 こんなに近くで見ることはもうないかもしれないと、じっと見つめる。


「覚悟して聞いて。僕の婚約者は……君だよ、フィオーナ」

「……え?」

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