第2話 懇願

「失礼いたします」

 その聖女は旅で疲れているだろうに、部屋に入るとすぐに、地面に着くかと思うくらい深々と頭を下げた。


 その演技臭いほどの謙虚さに、なぜだかイライラとしてしまう。


「おい、頭を上げろ。わざとらしいんだよ」

「は、はい。申し訳ございません」


「…………!?」

 不安げなその声に、また一層イライラが増しそうになったその時、頭を上げた聖女の顔を見て、息をのむ。



 聖女は、折れそうに細く、透き通るほどに白かった。

 病的なほどに白い肌なせいか、小さな唇はルビーのように赤く目立って見え、大きなすみれ色の瞳はキラキラと輝いて、揺れていた。


 ――大した演技だな。本当にか弱く、不安そうに見える。どうせ、どうやってこの領から金をかすめ取ろうかと考えているんだろうに。



「それで? お前の名前は? なんのためにこの領地へ来たんだ」

「わ、私の名前はサラと申します。平民出身の聖女なため、姓はございません。えーと、あとは……なんのために、でしたか。お、恐れながら、私はレングナー伯爵様と結婚をして、この領地の魔物を浄化するようにと言い遣って……」

「そんな上辺の理由なんて、聞いてないんだがな」

「上辺ですか……?」



 本当に、この女の演技は大したものだった。

 まるで本気で、俺が言っていることの意味が分からないとでも言いたげだ。


 ――まあ、どうせこいつに聞いたところで、バカ正直に金を掠め取りに来ましたなんて、言う訳がないか。



「いき違いがあったようだな。結婚については、断りの手紙を既に、ザカリアス伯爵と、仲介していただいた国王にも届けてある。今手違いがなかったか確認中だ」

「ええ!? そうなのですか……」

「ああ。そういう訳だから、雪が止んだら、さっさとこの領地から出て行ってくれ」

「そんな……」



 聖女――サラは、まるで本気で傷ついたような表情で、呆然とその場に立ち尽くした。


 さっさとバトラーに後を任せて、もう部屋を出て寝ようと思っていたのに。

なんだか罪悪感のような訳が分からないなにかのせいで、席を立つ気がしない。

 いかにも困っている人間を見捨てていくという罪悪感だ。



「チッ。お前のようなヤツは、嫌いだ。見ていてイライラする」

「……申し訳ございません」



 聖女は、白い顔を青くさせて、なにをしていいのか分からないというように、ただ突っ立っている。

 こんな魔物だらけの領に嫁がなくて済むんだから、普通はホッとするものなのに。

 なにをそんなに困ることがあるんだ。



「……おい、バトラー! 今夜は部屋を用意してやれ」

「はい、かしこまりました」

「この程度の雪なら、すぐ止むだろう。明日には出て行けよ。聖女なら、隣の領地に戻るなり、王都へ行くなり、引手数多だろう?」



 ――ちくしょう。なんとか言え!



 サラが何も言わないせいで、焦って無意味に言葉を重ねてしまう。

 なぜかサラがこれからどうするのか気になって、仕方がない。



「あ。……実は私、聖女と言っても落ちこぼれで。今いる5人の中でも断トツで力が弱いんです。それなのに子どもの頃から何年も、ザカリアス様にお世話になりっぱなしだったもので、いい加減出ていけと追い出されてしまって……えへへ」


 そう言うとサラは、力なく笑って見せた。

 一瞬泣くかと思ったが、泣かなかった。

 だけどその笑顔は、今まで見た誰のどの泣き顔よりも、悲しそうに見えた。


「……ふん。お前の事情など、どうでもいい」

「そうですよね。……すみません」



 サラはそう言うと、今度は俯いた。



「おい、部屋に案内してやれ」

「かしこまりました、シリウス様」


 雑念を振り切るようにして、サラを連れてきたメイド頭に指示をする。

 なぜ結婚を断った相手が、勝手に押しかけて来たものを、親切に一晩泊めてやろうというのに、こんなに悪い事をしている気分になるのか。

 全く意味が分からない。


「……あの、お待ちください! レングナー伯爵様!」


 やっと話が終わりだと思った俺を、サラが大声で引き留める。


「まだなにかあるのか?」

「す、すみません。あの、お願いがありまして」

「はあ……」


 これではいつまでも話が終わらない。

 ついつい、重いため息をついてしまう。


「私をレングナー伯爵様のところで、兵士として雇っていただけないでしょうか!?」

「はあ? 兵士としてだと?」

「レングナー伯爵領では、いつでも魔獣退治の兵士を募集していると、聞いております。私は弱いですが聖女の力もあって、浄化できます! 結界も張れます! ……弱いけど。でも、素人の男性よりは、戦えると思います」

「何を言っているんだ。そんなことできるわけがないだろう」

「なぜですか!? ザカリアス領では、私はいつも前線で魔獣と戦っていました! できます!」

「なに?」



 ――聖女が前線で魔獣と戦う? 聖女とは魔獣から遠くに離れて、兵士に守られながら、浄化をしたり、結界を張るものではないのか? 

特にここ数年のザカリアス領の聖女たちは力が強くて、魔獣から遠く離れて領地の屋敷から出ることなく祈るだけで、ほとんど魔獣が出没しないようになったと聞いているが……。


 サラの言葉に少し違和感を覚えたが、まあたまには魔獣が見える場所まで行ったこともあるのだろう。魔獣など見た事がない国民がほとんどなのだから、この細腕で魔獣を見にいっただけで、頑張ったほうだ。


「……とにかく、手は足りている」

「レングナー伯爵様は、いつでもお金に困った若者たちを雇ってくれて、食糧輸送などの職を与えてくださる方と聞いておりますが?」

「ふ……ふん。誰に聞いたんだか知らないが、俺はそんなお優しいことはしていない。甘い気持ちで来た奴は、いつも追い返しているさ」




「いえいえ。シリウス様はお優しくて、貧困で職を求めてレングナー伯爵領まできた若者たちに、まずは後方支援の職を紹介しておられますとも。より高額な報酬を求めて、前線を希望し、功を焦る者が後を絶たないことにも、心を痛められていて……」

「よ、余計な事を言うな、バトラー!」



 いつもは俺に味方して、金目当ての女を冷たくあしらっているバトラーが、今日はなんだか様子がおかしい。

 これではどっちの味方なんだか分からないではないか。



「とにかく、明日には出て行って……」

「お願いします!」


 俺の言葉を遮って、サラは小さな肩を震わせて、必死になって頭を下げていた。


「お願いします! なんでもします! 働かせてください! 私、天涯孤独で、魔獣退治しかしたことがなくて、行くところがないんです!」



 その様子は、とても演技とは思えなくて…………。


「お願いします。……お願いします」



 いつまでも顔を上げずに頭を下げ続けるサラに、俺はついに頷くほかなかったのだ。





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