第7話 マコちゃんとハンナさん
空き部屋に案内すると、ユルヤナは魔導鞄の中から早速いろいろと取り出して並べ始めた。さすがに西から首都まで旅してきたというだけあって装備はしっかりしている。というか、
「荷物多くない?」
ベッドマット、毛布と抱き枕、テーブルと椅子、が出てきてから、ようやく仕事道具が出てきた。ほとんど物がなくがらんとしていた部屋が瞬く間にユルヤナの私物で満たされ、最初からここに住んでいたような有様になる。
「快適な拠点づくりは健康への第一歩だよ?」
いかにも健康そうな血色の顔で言われると説得力が違った。
「こんなもんかな。ねえ、買い物したいからこの辺のお店教えてよ。あと、朝ご飯食べたい」
「……」
やっぱり余ってる部屋はないと言って近くの宿を紹介するべきだっただろうか。後悔先に立たず、僕は下町を探検する気満々のユルヤナに引きずられるようにして再び家を出た。
ちょうど食堂が開く頃になっていたのでまず案内すると、オレンジ髪の女の子がまさに暖簾をかけているところだった。
「あ、ツクモさんおはよう!」
引っ越してから毎日通っていたら、とうとう常連認定されたのかこの看板娘マコちゃんに話しかけられたのが昨日のことだ。
「おはよう……」
「朝に来るのは初めてですよね。どうぞ」
マコちゃんは早速中に案内しようとして、僕の陰にいるユルヤナに気付いた。
「あれ、今日はお友達と一緒ですか?」
その声でユルヤナはタイミングを見計らったかのように――いや実際に見計らっていたのだろう。絶妙な角度でひょこっと顔を出し、愛想良く微笑んだ。
「おはようございます!」
初対面の相手には必ず仕掛けることにしているのか、また声が高くなっている。朝日よりも眩しい美少女風笑顔にマコちゃんは無事陥落し、
「あ、えと、おはようございます」
妙に慌てふためきながらぎこちなく挨拶した。
「へえ、マコちゃん十五歳なんだ。学校行きながらお店手伝ってるなんて偉いなあ」
ユルヤナは純粋そうな少女をいつまでも騙しているのは気が引けたのか、すぐにネタばらしをしてひとしきり反応を楽しんだ後、僕が一週間通っても知らなかった情報をものの十分ほどで聞き出した。勝手に聞こえてくる話によるとマコちゃんは学校がある日は帰宅後に店を手伝い、休みの日は開店から昼までと、夕方からの客が増える時間帯だけ入っているらしい。
「ユルヤナさんも、三つしか違わないのに薬剤師ってすごい。まあ、魔導薬って庶民にはあんまり縁がないけど……」
「普通の薬も売ってるし、魔導薬だって食堂の皆さんにだったら安くするよ! こんなに美味しいご飯が食べられなくなったら困るもん」
この口の上手さ、ルカと競わせたらどっちが勝つだろうか。
「本当? そういえば、お店はどこで開くか決まってるんですか?」
「ん? ツクモの家」
「聞いてない」
「今言った。いいじゃん、雑貨店やってたとこ使う予定ないんでしょ? 貸してよ」
僕が眉をひそめると両指を組んでお願いのポーズを取り、上目遣いできらきらと見つめてくる。
「家賃も払うから」
「……考えさせて」
確かに店舗部分は現状使い道がなく、このままでは物置一直線だ。せっかく通りに面しているのだから、僕自身が何もしないのであれば誰かに貸して有効利用してもらうのが最善だということはわかっている。しかしあのカウンターに祖父以外の誰かが座るのはなんとなく嫌だった。
「雑貨店?」
実利と感情を天秤に掛けながら唸っていると、カウンターの中からくぐもった声がして、老婦人がひょこっと顔を出した。どうやらずっとそこにいたようだが、小柄な上に屈んでいたので見えなかったらしい。
「もしかして、クライス雑貨店のこと?」
「そうです。ご存知なんですか?」
僕の代わりにユルヤナが聞いた。
「ええ、モモタさんには良くしてもらってたのよ」
朗らかな安心する笑顔を浮かべた老婦人は、カウンターから出てきてしげしげと僕の顔を見る。
「最初に食べにきてくれた時から気にはなってたの。あなた、やっぱりツクモちゃんね?」
「え?」
急に名前を呼ばれ、丸い眼鏡の奥で細められる優しげな目を見た瞬間、
「……ハンナおばちゃん?」
口を衝いてするりと名前が出てきた。祖母が亡くなって以来一人で雑貨店をしている祖父を気遣って、よくおやつやおかずを持ってきてくれていた女性だ。そういえば当時からこの食堂で働いていたじゃないかと、今更思い出した。
「覚えてくれてたのね、嬉しい」
あの頃は白髪ではなくオレンジ色の髪だったから気付かなかった。よく記憶を辿れば、今のマコちゃんと同じ色だ。
「十年ぶりくらい? すっかり大きくなって」
ハンナさんは今にも泣きそうな顔で笑い、僕の手を水仕事でかさかさになった小さな両手で包んだ。じんわりと温かさが伝わってくる。
「どうしてすぐに気付かなかったのかしら。ほっぺの二つ並んだホクロはツクモちゃんのチャームポイントって、私が言ったのに」
思わず空いているほうの手で目の下を触る。左目の下に縦に並ぶホクロは同僚から【二つ星】とからかわれ、対立組織にまで特徴が広まって【二つ星の悪魔】などと不名誉なあだ名を付けられたせいで、マスクで隠す羽目になっていたくらいだ。
「ツクモちゃんが学校で活躍してるって、モモタさんいつも誇らしげに話してたの。今でも魔導機械を触ってるの?」
嬉しそうなハンナさんの言葉にちくりと胸が痛む。祖父が今の僕を見たらどう思うだろうか。僕が浮かない顔をしていることに気付いたのか、ハンナさんは僕の手を離して口を押さえた。
「ごめんなさい、私ったら。……今、雑貨店に住んでるのね? 時々お話しにいってもいいかしら?」
「うん、いいよ」
どうせ今は何もする気になれない。僕も祖父の話を聞きたいし、ハンナさんの話し相手になるくらいなら大した負担ではない。頷くと、ハンナさんはもう一度まじまじと僕を見た。
「ツクモちゃん、モモタさんの若い頃に本当にそっくりねえ」
「じいちゃんに? まあ、髪の色は一緒だけど……」
そういえば祖父もひょろりと背が高かった。遊びに行く度、朗らかに笑いながら大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられた記憶がある。身長くらいは祖父に追いついただろうか。
「ううん、顔も雰囲気もよく似てる。この辺りでは一番の良い男だったんだから」
「じゃあ、なおさら似てないんじゃない?」
「ツクモちゃんも同じくらい男前って言ってるの。自信持って」
ハンナさんの慰めがささくれた心に染みる。と思っていたら、
「そうそう。ちょっと陰気だけどさあ、背筋伸ばして小綺麗にしてればおれと並んで歩けるって」
ユルヤナのせいで温かい雰囲気が台無しになった。
「どういう基準?」
「そんな調子じゃ可愛いおれと歩くのも気が引けてんじゃないかと思って」
「その自信はどこから来てんの?」
思わず突っ込んでからまたユルヤナのペースに乗ってしまったと口を押さえると、ハンナさんにはにこにこと見守られていた。そしてマコちゃんはというと、
「ユルヤナさん、ほんっとかわいいですよね! 肌の手入れってどうしてるんですか!?」
ここで聞かねばとばかりに身を乗り出して話し込もうとしたところで、
「マコ、そろそろお客さん増えてくるから手伝って!」
カウンターに一人残されている女性から呼び戻された。マコちゃんが『お母さん』と呼んでいるのを聞いたことがある。娘を妙な男どもから引き剥がす口実を差し入れただけだろうが、そろそろ昼に差し掛かっていて客が増えてきたことも確かだ。
「ええー!」
「時間のある時にツクモの家においでよ。おすすめの方法教えてあげる」
「ありがとうございます!」
ユルヤナから、マコちゃんの母が心配するのもわかる胡散臭い気配がした。
食べ終わってマコちゃんに会計をしてもらっていると、
「お義母さん、信用して大丈夫なの?」
「大丈夫よ、ツクモちゃんのお友達だもの」
「ツクモさんも、何だか怖くない?」
娘が変な輩に影響されるのではと心配する声がひそひそと聞こえたが、上機嫌のユルヤナには聞こえていないようだったので僕も気付かなかったことにした。
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