第3話

「そういうのは、お前のほうが詳しいだろうが」

 十二分に呆れて問い返すと洋画の男優みたいに肩をすくめて、

「間違えた。深町センパイの」

と言いやがる。なにが間違えただこの野郎。と胸内では罵ったが、それをそのまま口にはしない。

「浅倉、ここで勝手に講釈たれたことがばれたら、俺はきっと一週間近くは胃が痛むが、それでも聞きたいか?」

「ばらしゃしないけど。そっか。いちお、考察できるんすね」

「どんなものだって対象を知ってれば考察くらいできるだろ」

「俺、あの人のことなんも知らない」

 そこだけは、こいつの本音に聞こえた。だが俺は、そこで慰めのことばをかけてやるほどやさしくはない。俺も来須もこいつの邪魔はしなかった。いや、来須はひそかに応援した。その厚意を受け取らず、自分の痛みにばかり目をむけて相手から逃げた男にかけることばなど持ちようがない。

「はなし戻すと、仕事場の女の子もああいうの読むんですよ。そういやあ、来須もセンパイも読んでたなあって」

 来須はともかく、基本コンサバティブで男受けを気にした深町サンはおおっぴらに読んでいたわけではない。彼女は男女二元論的な性差別主義者をひそかに厭うていただけで、何故それを自分が必要とするのかは理解していた。

 またセックス・ファンタジーを安全に謳歌するためだけに同性愛の物語を消費するひとたちにも批判的だったが、いっぽうで彼女たちの無邪気さを憎む自分をも嫌っていた。さらには、そのことに思い巡らせることができないほど抑圧されているひとびとの現状を憂えるべきと口にして、自分を脇に置く冷ややかな傲慢をこころの奥底から憎んでいた。おそらくは、自分だけは違うと言い切る一連の切断行為そのものと、それを許容する愚かしさの双方が許しがたかったのだろう。

 そんなわけで彼女とは、その手のはなしをあくまで「文学論」として戦わせてきた。自分たちの性的幻想を明かさず、それが垣間見えても知らぬふりで、現実は大学の備品置き場であろうとも、ランブイエ侯爵夫人の「青の間」にいるかのごとく、互いに礼節をもって語り合えた。当然のこと、たったいま記したような葛藤をこちらは察し、同じように彼女も俺の内面とやらを探ることができたはずだ。

 俺は、それなのに彼女の窮状を無視した。理由があったというのは卑怯だろう。彼女への嫉妬と羨望のほのぐらい熱情に、自分が深町さんを好きなのかと勘違いするほどだった。

 いっぽう浅倉はというと、深町さんに振られて以来、再会するまで彼女の名前を一度たりとも俺の前で口にしなかった。もっともこいつは十年近く音信不通だったのだが。

「女子供は読むもんだろ。彼女たちの大好きなロマンチックラブ・イデオロギー強化商品で、ロマンス小説の語源どおり、西欧の昔から女子供の暇潰しとして最適だ。もっともあれで抜いてるわけじゃないようだが、ポルノの代用品って側面もありなんじゃないか?」

 その、でこぼこした浅黒い顔(彫りの深いだのなんだのと、もう少し言いようがあるが、こいつにもったいぶった形容をしてやるのが癪なのだ)へと所感をつげると、浅倉がしかめ面で文句をつけた。

「内容はともかく、オンナコドモとかよく言えるね」

「俺は成人男子で勝ち組だ。その俺が居直らずにどうする? それより、内容はともかくというのは同意するってことか?」

 相手が浅倉なのをいいことに、粗雑にして乱暴な論考をおしつけたと自覚していた俺は用心深く問いつめた。浅倉はどちらに返答しようか迷ったのか口をつぐんだが、すぐに頭をゆすってため息まじりで漏らした。

「女の人は、あれで抜いたりしないんだ」

 こいつにまともな会話のキャッチボールを求めるほうが悪かった。

「言っとくが、統計を取ったわけじゃないからな」

「ああ、はい、わかってます。ま、そうでしょう。べつにオレもそういうのが知りたいわけじゃないんで」

 鼻のしたをこすって、浅倉が苦笑した。たぶん、こいつには「BL(ボーイズ・ラブ)」という名称は通じない。耳にしたことくらいはあるだろうが、理解できていないはずだ。まして「腐(ふ)女子(じょし)」となれば余計だろう。不親切な説明すぎたかと、万が一にも深町さんに知られたら問題になりそうで、いや、しこたま説教を食らいそうで、もう少し語っとくかと口を開こうとしたところだった。

「ていうか龍村さん、オレ、妹さんの書いた小説よんで勃ちました」

「なに?」

「何ってナニですよ。あれ、そのへんのAVよりエロいっすよ。いや~、文字はクルね。茉莉ちゃん、小説上手いっすねえ」

「アサクラ?」

 目の前の男が茉莉を「ちゃん」付けで呼んだ馴れ馴れしさは頭の片隅へと追いやられた。来須がはなしたのだろうか。まったく油断も隙もありゃしない。抜いたのかと聞けば悦んで首肯しそうな浅倉をみて諦めた。

 茉莉の書いたものが「ポルノ」であるならその用法がもっとも正しい(ポルノであるかどうかはこの場合、実は関係ないのやもしれん)。欲情を喚起せしむることに成功したのであらば天晴れだ。

 モデルの俺は聊(いささ)か気分を害したがな。抜かれたことではなくて(いや、浅倉は抜いたとも口にしてないが)、俺をモデルとした人物の痴態に欲情した事実(むろん、それさえも虚構かもしれんのだが)を突きつけられたことが。

 これを世間では「セカンド・レイプ」というのではなかろうか? 

 そのくらいのことで擦り減るほど柔ではないが、俺はこいつにバイセクシュアルだと告げてある。

 そして現実、茉莉の書いた小説も数多あるBL小説の古式な定型(やおい(・・・)やらJUNEやらと呼ばれるそれ)を踏襲し、そのはじめの場面は定石にのっとって暴力的な求愛シーンが描かれていた。ただ、あの話しは未遂に終わり、後は延々とラストまですれ違いや邪魔がはいり焦らされまくる。

 茉莉は性格が悪い。物書きになるにはうってつけだと褒めてやりたいくらいには素直じゃない。でなければ、俺と浅倉がモデルのBL小説を読まされる羽目にはならなかっただろう。あの時点で、勝負はあった。

 俺の負けだ。

 もともと負け戦なのは知っている。

 一目惚れだ。異存はない。だが、俺と茉莉の場合、すんなりと出来上がるわけにはいかない「わけ」がある。 

 

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